1986年4月26日、チェルノブイリで原発事故が発生し、2日後の28日に明らかにされた。79年のスリーマイル、81年の敦賀と放射能漏れは頻発していたが、同事故の規模がそれらを遥かに上回ることは、当初から明らかだった。
一報に触れ、俺の中で五十年時計が動き始めた。スペイン戦争(36年勃発)とチェルノブイリ……、20世紀を象徴する二つの出来事の結び目は、ジョージ・オーウェルである。共和国軍義勇兵としてスペインで戦ったオーウェルは、コミュニストへの幻滅を「1984」に著した。そこに描かれた通り、ソ連は圧制国家になったが、「1984」の1年後、ペレストロイカ(改革)を掲げたゴルバチョフが共産党書記長に就任する。だが、ソ連、いや、世界を変えたのは、ゴルバチョフではない。86年のチェルノブイリなのだ。
ゴルバチョフが「抵抗勢力」を排除し、権力を掌握したのは88年9月末だが、既にその頃、東欧に自由化の波が押し寄せていた。ゴルバチョフはストップを掛けなかった。いや、介入したくとも、チェルノブイリの傷が大き過ぎ、余力などなかったに違いない。
事故の死者は今も増え続け、150万人に近づいているという。当地の人口密度を考えれば、範囲の大きさと被害の深甚さは想像を絶するものがある。チェルノブイリが実質的にソ連の管理体制を打ちのめし、ゴルバチョフは現状を追認したに過ぎなかったと思えてくる。グラスノスチ(情報公開)を提唱したにも関わらず、被害の実態が明らかにされなかったことは残念だった。
くどくど書いたが、チェルノブイリの尊い犠牲の上に、ベルリンの壁崩壊があるというのが、俺の結論である。
ロシアは現在、原油価格高騰を背景に経済成長を遂げている。だが、皇帝→共産党→大統領・財閥と、富や権力が集中しやすい構造は変わらない。野党支持の石油会社を潰して国営化するなど、プーチン大統領はやりたい放題である。貧富の差拡大に、「再度のロシア革命」を謳って支持を拡大している左翼グループもある。ゴルバチョフ自身がロシアの現状を踏まえ、「ペレストロイカは失敗だった」と語っているのも皮肉な話だ。
先日、WOWOWで「東京原発」を見た。他の先進国が代替エネルギーの研究を進める中、被爆国日本のみ原発に拘泥する矛盾を告発している。プルトニウム積載のトラックが間近に走行しているという設定は、フィクションではなく事実である。「ヒロシマの嘘」の項でも記したが、広島と長崎の被爆者の犠牲によって製造された放射能予防薬は、欧米では薬局で売られている。原発が林立する日本でなぜ市販されないのか、不思議でならない。
同じくWOWOWで29日深夜、核問題をテーマにした「アトミックカフェ」が放映される。ラファティ監督はマイケル・ムーアの先生らしい。毒といいユーモアといい、さもありなんと思わせる怪作である。