74年前のこの日(4月12日)、スペインは分岐点を迎えた。地方選挙で共和派が王制派を破り、2日後に国王が亡命する。
6月の総選挙でも共和派・左翼連合が勝ち、民主的な手続きを経た革命政権が成立した。完全普選、土地国有化、教会財産没収を謳ったが、やがて自滅の道を歩み始める。中央が右派と妥協を重ねたこともあり、カタロニアが独立を宣言し、臨時政府を樹立した。混乱に乗じたフランコがクーデターを起こし、内戦を経て権力を掌握した。
共和国にチトーのような指導者がいたら、マドリード、バルセロナ、バスクの融和を図り、フランコの蜂起を未然に防いだのではなかろうか……。こんな風に考えるのは日本人ゆえだろう。スペインは三つの文化圏に分かれており、憎しみの構図は今も変わらない。リーガ・エスパニョーラも対立項を軸にスケジュールを組んでいる。
10日に行われたクラシコでは、レアル・マドリードが4―2でバルセロナを下し、初戦の借りを返した。両チームともスペクタクルなサッカーを展開し、時の経過を忘れるほどだった。「カタロニアはスペインではない」という横断幕が掲げられたカンプノプと異なり、サンチャゴ・ベルナベウの観衆はサッカーそのものを享受しているように感じた。
先日、シネフィル・イマジカで「ロルカ、暗殺の丘」を見た。ロルカの死の真相を探るためスペインに赴いたジャーナリストが、封印された謎に迫っていくという内容だ。二つの時代が交錯し、事実とフィクションを織り交ぜたミステリー仕立てになっていた。
冒頭、「フランコ率いる国民戦線によって100万人が殺された」と字幕で説明される。第2次大戦でアジア諸国に深甚な打撃を与えた日本だが、二つの原爆、空襲、集団玉砕などによる非戦闘員の死者は80万人である。スペインの人口が日本の3分の1であることを勘案すると、国としての傷の深さに暗然とせざるをえない。
「ロルカ――」で再認識したのは、50年代のスペインの実情だ。生き延びたファシスト国家では、軍や警察が国民を管理していた。フランコが死ぬまでスペインに自由はなく、1977年の総選挙は共和国時代以来、41年ぶりに行われたものであった。
映画に描かれていた通り、ロルカはマルキストというより、自由と情熱、頽廃と反骨というスペイン人の気質を象徴する存在だった。抑圧から解放され、ロルカの精神を継承したスペイン文化は、豊穣の時を迎えている。俺が多く接しているのは、アルモドバルに代表される映画の数々だ。寓話的な世界を楽しむだけでなく、影の部分――夥しい血と沈黙の重さ――にも目をそむけないでおこうと思った。