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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「断捨離パラダイス」~喪失の哀しみがごみ屋敷を生む?

2023-07-12 13:55:45 | 映画、ドラマ
 PANTAさんが亡くなった。享年73。話し込んだのは一度だけだったが、至福の時間は心に刻まれている。日本の音楽シーンに変革をもたらしたロッカーの冥福を祈りたい。次稿で思い出を綴るつもりだ。

 訃報に触れるたび、皮膚が剥がれるような痛みを覚える。断捨離は<不要な物を断ち、物への執着を捨てること>だが、66歳にもなると、時を共有した人々が召され、記憶の箱から物事が消えている。断捨離≒終活といえなくもない。新宿武蔵野館で先日、「断捨離パラダイス」(2023年、萱野孝幸監督)を見た。全編福岡ロケで2週間限定公開とインディーズ色が濃い作品だった。6篇からなるオムニバス形式のヒューマンコメディーである。

 第1篇と第6篇は主人公の白高律稀(篠田諒)に照準を定めている。律稀は有望なピアニストだったが、原因不明の手の痺れでキャリアを断たれてしまう。恋人にも去られ、追い詰められた律稀は、たまたま手にしたビラを見て、清掃業者「断捨離パラダイス」で働くことになる。全くの異業種で務まるはずがなさそうだが、社長の市木(北山雅康)は適当そうに見えながら慧眼の持ち主だ。律稀の資質、いや絶望の深さを見抜き採用する。

 最初の現場で嘔吐するなど前途多難な律稀だが、市木だけでなく温かなスタッフにフォローされ、ごみ屋敷清掃の手順を掴んでいく。第2篇の舞台はシングルマザーの青原明日華(中村祐美子)の汚部屋だ。元AV女優という設定で、息子のネグレクトを心配した担任教師の岸田万莉子(武藤十夢)の家庭訪問に備えて清掃を依頼する。万莉子の部屋は第5篇の舞台だった。

 明日華と万莉子は一見、対照的なキャラだ。水商売に従事している明日華はだらしなく、熱心な教師の万莉子は世間体を保っているが、通じ合う部分が大きいのは第6篇でも窺える。律稀は業後、「息子さんに見られないよう、DVDは処分した方がいいのでは」と明日華に話したが首を振った。負のイメージがあるAVだが、明日華にとって〝存在証明〟だったのだろう。出演しなくなったことによる喪失感がごみ部屋の理由だったのか。

 万莉子の部屋で作業中、律稀は恋人が贈った指輪を見つける。万莉子の目をのぞき込んだが、そばにいる恋人を意識して首を横に振ったので、律稀は指輪をごみの中に投げた。〝まじめでつまらない婚約者〟の未来の喪失が、万莉子の脳内にインプットされていたのかもしれない。第3篇に登場するヴォン・デ・グスマン(関岡マーク)はフィリピン出身の優秀な介護士だが、母の死以来、片付けをしなくなる。喪失の哀しみがいかに人を苦しめ、整理整頓への意志を奪うのかわかった気がした。

 多くの時間を割いていたのが第4篇だ。ローカル局の報道番組でも取り上げられるゴミ屋敷の住人、金田繁男を演じるのは泉谷しげるである。通学路であるため、見回りしている万莉子が取材に対し、無難なコメントを残しているのが楽しかった。喪失の哀しみという点で、繁男は妻を亡くし、息子とも疎遠になっている。ごみの中にお宝(盗品?)が埋もれているらしく、欲に目がくらんだドタバタも演じられていた。

 コミカルだけど、どこか人生の本質を突いている。そして、登場人物のさりげない言葉やしぐさに自分を重ねてしまう。そんな優しい作品だった。俺もまた断捨離出来ず、本、CD、映画のパンフレットがたまった部屋で暮らしている。明日華にとってAVは〝存在証明〟だったが、俺にとって本、CD、映画は自身を形作ってくれた欠片たちだ。処分することは自分を棄てるのと同義なのだ。
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「怪物」~<普通>の先にあるものは

2023-07-03 22:33:17 | 映画、ドラマ
 前稿で沢田研二(ジュリー)のバースデーライブの感想を記した。昨日も同じくWOWOWで「ジュリー祭り」(2008年、東京ドーム)がオンエアされていたが、驚いたのは下山淳だ。ルースターズ、ロックンロール・ジプシーズ、泉谷しげるwithルーザーのライブで何度も接してきた下山とジュリーはミスマッチに思えたが、1998年から10年余りギタリストとしてツアーに参加していたと知る。実力をジュリーにも買われていたのだろう。

 併せて紹介した「土を喰らう十二ヵ月」と共通点がある「怪物」(2023年、是枝裕和監督)を新宿で見た。「土を喰らう――」は山里、「怪物」は諏訪湖周辺とともに長野県がロケ地だ。「土を喰らう――」ではジュリーが枯れた演技で自然に溶け込んでいたが、「怪物」では妻の田中裕子が〝モンスター女優〟ぶりを発揮し、作品に深みと凄みをペイストしていた。

 ドキュメンタリー作家時代を含め、多くの是枝作品に接してきたが、「怪物」は衝撃と弛緩を俺にもたらした。だから、ブログをアップするのが遅れた。普段なら記憶の底に刻まれた台詞やシーンを再構成して理解、いや、感想に至るのだが、「怪物」は違った。残された様々な謎に惑い迷う。道具なしでロッククライミングに挑むのに似ていた。

 「怪物」は3部構成で映画「羅生門」方式を取っている。冒頭はベランダから眺める火事のシーンで、第1部はシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)の主観で描かれる。小学5年生の湊(黒川想矢)を車で捜しにいった早織は廃線跡のトンネルで見つける。「怪物、だーれだ」と呼び掛けていた湊の視線の先、光が点滅していた。湊は乗り込んだ車から飛び降りる。

 車内の会話で母は<お父さんのように普通であること>を強調する。本作の後景にあるのは<普通>だ。カンヌ国際映画祭で脚本賞に加え、LGBTQをテーマにしたクィア・パルム賞を受賞したという前情報とタイトルで、俺は<カップル>と<怪物>探しをしながら見ていた。何が<普通>は時代によって変わるが、日本は性的マイノリティーが生き辛い社会だ。ちなみに湊は、母が<普通>と見做す父が不倫旅行中の事故で亡くなったことを知っている。

 「おまえの脳は豚の脳と入れ替えられた」……。担任の保利(永山瑛太)が湊にこう言ったと息子に聞かされた早織は学校に赴き、伏見校長(田中裕子)を含めた教員たちに抗議する。煮え切らない態度に怒りを爆発させた早織が数日後に保利を問い詰めると、息子がイジメの加害者だと告げられる。該当する星川依里(柊木陽太)宅を訪ねると、依里は保利による湊への暴力を仄めかした。

 保利を糾弾する保護者会のシーンで第1部は終わり、時間を遡行して保利の主観で第2部が始まる。火事で騒々しい街を保利は恋人の広奈(高畑充希)と歩いている。第1部では異常さを垣間見せた保利だが、教室での言動から熱心に生徒と接する教師であることがわかる。なぜ冤罪で離職しなければならない状況に追い詰められたのかが描かれていた。

 放火や猫殺しを巡る謎に加え、校長の孫を轢いた犯人についても、状況証拠から推察されるが明らかにされない。放火については校長の目の前でチャッカマンを落とした依里が怪しいが、火事の規模を考えると断定出来ない。湊との会話で孫を轢いたと受け取れる校長だが、罪を被ったとみられる夫に面会に行った際のやりとりが奇妙だった。無数の人間がSNS上で<正論>めいたものを作り上げる作業こそが<怪物>といえないこともない。

 是枝はかねて坂元裕二をリスペクトし、ともに映画を製作したいと考えていた。その精華というべき「怪物」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュだ。第3部は湊の主観で描かれ、秘密基地である車両での依里との会話に、無垢な感情が表れている。靴を隠された依里のために自分の片方の靴を差しだし、2人でケンケンするように帰宅するシーンも印象的だ。ちなみに、追い詰められて学校で飛び降り自殺を試みた保利もまた、片方しか履いていなかった。依里の作文に秘められたメッセージの意味を知ったのは、出版社に誤植を伝えるのが趣味という保利だからこそといえた。

 台風の夜、湊は依里の家に行き、湯船でぐったりしていた依里とともに秘密基地に向かう。なぜか校長が雨に濡れて湖を眺めていたが、本作関連の書籍を読んだ知人によると、カットされた部分で校長は重要な役割を果たしているらしい。湊と依里は翌朝、晴れ渡った草原を駆けている。道を閉ざしていた柵は消えていた。2人は生きていたのか、死後の世界なのか……。是枝と坂元は見る側に答えを委ねている。

 坂本龍一が担当したテーマ曲も心に染みたし、不思議な存在感を湛える同級生の少女も魅力的だった。校長が湊に言う「誰にでも手に入らないものは幸せではなく、誰にでも手に入るものが幸せ」は逆説的だが、是枝は脚本の冒頭、<世界は、生まれ変われるか>と記し、撮影に臨んだ。豚の脳とは同性愛を指した依里の父(中村獅童)の造語だった。多様性に価値を置く国に変わることを願ってやまない。
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「アフターサン」~ヒリヒリ肌を擦る喪失の哀しみ

2023-06-19 21:04:51 | 映画、ドラマ
 心身ともに老いを感じている。満身創痍であちこち痛いし、いつも眠い。気力が萎えて読書も進まない。人は老いると二つのパターンに分かれるそうだ。一つは<感動不能性>で、何を見ても聞いても〝これぐらい以前に経験した〟とクールに反応する。もう一つは<感動過敏性>だ。俺は明らかに後者で、先日も映画「アフターサン」(2022年)に心が震え涙腺が緩んだ。

 脚本も担当したシャーロット・ウェルズ監督の記憶、ホームビデオに残された映像、監督の想像がベースになっている。11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は母とエジンバラで暮らしている。両親は離婚しており、ソフィは夏休み、別居している父のカラム(ポール・メスカル)とトルコのリゾート地で過ごした。

 バカンス中、カラムは31歳になり、20年後に31歳になったソフィ(セリア・ロールソン・ホール)が父と撮影した映像を編集しながら回想するという設定だ。31歳がストーリーのキーになっている。作品にちりばめられたピースがラストで一気に組み立てられ、ジグソーパズルが暗示される。悲しい真実だ。

 話は逸れるが、女の子は中学生ぐらいになると、父親に生理的な嫌悪感を抱くようになる。「お父さんのものと一緒にわたしの服を洗濯しないで」と娘が母親に言うシーンをドラマで見たことがあるだろう。だが、ソフィはカラムとスキンシップしている。アフターサンとは日焼けした後、肌に塗る保湿ローションで、父娘は互いの背中に擦り込ませていた。ソフィが思春期を迎えた時期なら、このような親密さは現れなかったはずだ。

 カラムを演じたポール・メスカルは注目の若手俳優だが、ソフィ役をオーディションで射止めたフランキー・コリオの煌めきが、本作をより魅力あるものにしている。カラムがのぞかせる暗い表情と対照的に、ソフィは少し背伸びしながら未来を見据えている。<あの時、あなた(父)の心の声を聞けていたら>……。31歳になったソフィのモノローグは痛切だ。子供とパートナーがいるソフィだが、暗い表情はカラムと重なる。

 音楽の使い方にも感嘆させられた。観光客がカラオケを歌うシーンで、ソフィはカラムが好きなREMの「ルージング・マイ・レリジョン」をリクエストする。カラムが拒絶したので、ソフィは意識的に下手くそに歌う。夢を失い絶望した男の心情を歌った曲で、カラムにそのまま重なる。その後はダンスで、カラムは気が進まないソフィを引っ張っていく。

 かかっていたのはデヴィッド・ボウイとクイーンの共作「アンダー・プレッシャー」だ。冒頭のレイブのシーンで31歳のソフィが踊っていたが、カラムが踊っているシーンがストロボで何度もフラッシュバックし、11歳の、そして31歳のソフィが一緒に踊っている。愛の意味を謳いながら、♪これが私たちの最後のダンスで締めくくられる。空港で「愛しているよ」と手を振って父娘は別れた。カラムはストロボが洩れる扉を押す。そこはきっと天国の門だったのだ。

ソフィ「同じ空を見上げるっていいね」
カラム「パパと離れていても、太陽を見れば近くに感じられる」
 これだけでなく父娘の記憶に残る会話は幾つもある。31歳のソフィが身を起こした時、足元にあったのはカラムがトルコで買ったペルシャ絨毯だった。ヒリヒリと繊細に紡がれた年間ベストワン候補の傑作だった。

 カラムとソフィとは設定が大きく異なるが、俺も父が死んだ年齢に近づいている。俺は父の何を理解していたのだろう。湿った余韻で考えがまとまらず、書き上げるのに時間がかかってしまった。
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「渇水」~渇いた心から迸るカタルシス

2023-06-09 16:38:51 | 映画、ドラマ
 世間の目は梨園とジャニーズ事務所に注がれている。芸能界には疎いし、ワイドショーも見ないからあれこれ述べても的外れだと思うが、ジャニーズについてはメディアの忖度もあって、性被害の実態が隠蔽されてきた。立花隆が田中角栄の金脈を暴いた際、大手新聞社の記者連中は<前から知っていた>と嘯いたことと重なった。

 性被害で蝕まれた者、結果として成功を手にした者……。この微妙な境界が問題を複雑にしており、ジャニーズ系を応援してきたファンの心は揺れているはずだ。そのうちのひとり、ジャニーズ事務所所属の生田斗真が主演した映画「渇水」(高橋正弥監督)を新宿で見た。河林満の同名の原作は33年の芥川賞候補作である。

 生田の主演作はBSやCSでオンエアされた際に見たことがあるが、スクリーンで接するのは初めてだった。生田が演じるのは前橋市水道局職員の岩切だ。熱波に襲われ給水制限が発令される中、岩切は後輩の木田(磯村勇斗)とともに停水執行を行うため、料金滞納者宅を回っていく。冒頭で恵子(山﨑七海)と久美子(柚穂)の小学生の姉妹が水のないプールで遊ぶシーンが、ラストと鮮やかなコントラストをなしていた。

 岩切と木田が最終通告に訪れたのは、姉妹の母有希(門脇麦)の家だった。蒸発した夫は姉妹の記憶の中だけで生きている。育児放棄した有希は男を頼って生きており、電気もガスも止められていた。「渇水」はシンクロする二つの家族のドラマであることが浮き彫りになる。有希が岩切を抱き寄せ、「旦那みたいに、水の匂いがする」と囁くシーンが象徴的だ。岩切は水道局職員で、有希の夫は船乗りという設定だ。

 岩切はトラウマを抱えていた。子供の頃、家族とうまくいかず、その影響なのか愛を伝える術がわからない。妻和美(尾野真千子)は息子の崇を連れて実家に帰っている。岩切は渇いた心で壊れそうになりながら食い止めていた。和美を訪ねた帰途に見た瀑布が変化のきっかけになる。

 原作発表から30年余。当時はバブル崩壊直前とはいえ、世帯の可処分所得は高かった。現在、政策の失敗もあって格差が拡大し、先進国の中でも貧困率は高い。映画化は時機にかなっている。停水執行に向かう車内で、姉妹に同情する木田は「水なんて無料でいいんじゃないですか」と問いかける。岩切は「自分は粛々と仕事をするだけ」と返した。

 欧州では水道民営化への抗議が広まり、パリとベルリンでは水道事業が公営に戻った。根底にあるのは2015年のバルセロナが起点になったミュニシパリズム(住民自治、草の根政治改革運動)で、木田の言葉は<コモン=全ての人にとっての共用財、公共財>を軸に据えるミュニシパリズムと遠くない。酒を飲んだ帰り、岩切がダムを占拠して水道代を無料にするという〝水道テロ〟を夢想するシーンは、後半への布石になっていた。

 岩切の心象風景が浸潤する微妙な表情の移ろいは本作の肝だったし、木田役の磯村も日常のささやかな変化を好演していた。前回紹介した映画「波紋」にも出演していたし、最も旬な俳優といえるだろう。宮藤官九郎、柴田理恵、田中要次、大鶴義丹など豪華な脇役陣が本作を支えていた。向井秀徳の主題歌も内容にマッチしている。

 映画の主人公にシンパシーを抱くことも少なくない。本作の岩切は社会的地位を失うことは覚悟の上で、ささやかなテロに打って出た。呼応するように渇いた空から大粒の雨が降ってきた。熱く湿ったカタルシスの後、着信音が鳴る。エンドマークの先に希望の光が灯った。当初は「怪物」を見る予定だったが、前倒しにした「渇水」は年間ベストワンクラスの傑作だった。
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「波紋」~壊れる者、壊す者の境界に広がる

2023-06-01 19:29:24 | 映画、ドラマ
 前稿末でダービーを予想した。急に気になった馬として挙げたドゥラエレーデがスタート直後に落馬して競走中止。◎▲△が2~4着も、勝ったタスティエーラを外していたのだから仕方ない。レース中に急性心不全を発症したスキルヴィングがゴール直後に死亡した。動物虐待と非難する声も上がっているが、サラブレッドは〝経済動物〟だ。9割以上が殺処分されているという過酷な事実の上に成立しているのが競馬というゲームである。

 藤井聡太竜王が渡辺明名人を下し、史上最年少名人と7冠を達成した。後手藤井の6六角を渡辺は同金と取らずに長考。2三桂を打った時点で形勢は五分になった。あとは〝藤井曲線〟でリードを広げて押し切った。合理主義者の渡辺は諦念を滲ませていたが、3日前に叡王戦で藤井に挑んだ菅井竜也八段は2局の千日手の末に敗れた後のインタビューでも悔しさを隠さなかった。

 最初の指し直し局で菅井が6一歩を打っていれば回避出来た。菅井がやや有利との分析もあったが、時間も切迫する中で千日手を選んだことを「死ぬほど後悔している」と話した。藤井について感じたことを聞かれ、しばし沈黙した後、「将棋に真っすぐに接している」と答えた。〝真っすぐ〟は同様の菅井は今回の叡王戦でファンの心を掴んだ。藤井とタイトル戦で再度戦う日を心待ちにしている。

 新宿武蔵野館で「波紋」(2022年、荻上直子監督)を見た。先週末に公開されたばかりなので、ストーリーの紹介は最小限に感想と背景を記したい。昨年10月に紹介した「川っぺりムコリッタ」以来4作目になる荻上ワールドで、本作でも生と死の淡いはざま、家族や絆の在り方を描いていた。

 「波紋」の起点になっているのは3・11だ。原発事故による放射能汚染を伝えるニュースがテレビから流れている。東京郊外の須藤家では依子(筒井真理子)が夫・修(光石研)、長男・拓哉(磯村勇斗)のために夕飯を用意していたが、ありふれた家族の日常は突然、崩壊する。修が失踪し、拓哉は九州の大学に進学する。

 それから11年。依子はスーパーでレジ打ちのパートをしている。彼女の心象風景を象徴的に表すのが全編に織り込まれた雨と波紋、自転車で滑走するシーンで、赤が映像を引き締めていた。修が丹精込めて造り上げた庭は波紋状の砂の上に構成された枯山水に様変わりしている。修が前ぶれなく帰ってきて、「父の仏前に手を合わせたい」という。依子が看取った修の父は半年前に亡くなっていた。

 がんに冒されている修は、室内の劇的な変化に驚く。仏壇にはガラスの球体が飾られ、ペットボトルが並んでいた。緑命会という新興宗教に入信して依子は、緑命水を大量に購入していた。会の集まりで代表役のキムラ緑子や会員役の江口のり子らとともに依子が踊る予告編に、宗教がメインテーマと勘違いした人もいるだろう。

 寛容を説く教祖だけでなく、依子にはもう一人の〝先生〟がいた。レジ打ちのパートをしているスーパーの清掃員である水木(木野花)だ。一緒にジムで泳ぐようになった水木は依子に男(修)への復讐を勧める。プールで体調を崩して搬送された水木の自室を訪ねた依子は汚部屋に衝撃を受けた。<あの大地震の後、何事もなかったように世間が流れるのに違和感を覚えた>と語る水木にとっても3・11がターニングポイントだった。

 壊れそうで耐える女……。そんな依子のイメージが変化していく。修に対してだけでなく、レジでクレームをつける老人(柄本明)への対応でも自身の思いを貫くようになる。帰省した拓哉が婚約者として紹介したのは年上で聾者の珠美(津田絵理奈)だった。壊れる者、壊す者の境界があやふやになり、拓哉の言葉で依子もまた壊す側であったことが明らかになる。

 現在62歳の筒井真理子の存在感に圧倒される。学生時代は第三舞台に所属し、その後は刑事ドラマ、2時間ドラマの常連になる。50代半ばで主演した「淵に立つ」と「よこがお」は映画祭で高い評価を受け、「アンチポルノ」ではヘアヌードを披露している。本作でも荻上監督は筒井の魅力を引き出していた。喪服で雨の中、フラメンゴを踊るラストが記憶に残る。長い女優生活で内面を磨いていたからこそ飛躍出来たのだろう。
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「不思議の国の数学者」~数式が奏でる至高のハーモニー

2023-05-20 21:41:40 | 映画、ドラマ
 オークスの予想を。<3歳春は距離適性より完成度>である以上、桜花賞を鬼脚で差し切ったリバティアイランドが本命だが、②着コナコーストは買う気がしない。今期31勝を挙げリーディング10位の鮫島駿は、ミスもなかったのに下ろされる。新しい鞍上はヴィクトリアマイル(VM)で物議を醸したレーンだ。

 桜花賞③着馬ペリファーニアに騎乗する横山武はVMでレーン騎乗のソダシの斜行に怒り心頭だったし、桜花賞⑤着のドゥアイズの鞍上は不可解な乗り替わりでソダシをレーンに奪われた吉田隼だ。レーンを軸に織り成された〝ドロドロの感情〟が結果に反映するかもしれない。◎⑤リバティアイランド、○⑭ペリファーニア、▲⑫ハーパー、注⑯ドゥアイズ、△⑰シンリョクカでいく。

 朝鮮半島の緊張関係を背景に製作された韓国映画は数多い。脱北者をテーマにした作品で思い浮かぶのは「The NET 網に囚われた男」で、主人公はアクシデントで韓国に漂着した後、政治の荒波に翻弄される。新宿で先日、「不思議の国の数学者」(2022年、パク・ドンフン監督)を見た。脱北した数学者と高校生の友情をテーマに据えた物語である。

 韓国の教育制度には疎いが、ハン・ジウ(キム・ドンフィ)は上位1%の秀才が通うエリート高校に奨学生枠で入学した1年生だ。数学が苦手で、担任でもある数学教師のグノ(パク・ミョンウン)に普通校への転校を勧められる。クラスメートを庇って退寮処分を受けたジウは、ひょんなことから警備員ハクソン(チェ・ミンシク)に数学を習うことになった。チェは「オールド・ボーイ」などで知られる韓国を代表する俳優だ。

 脱北者であるため生徒から人民軍と呼ばれているハクソンは、意識的に目立たぬ生き方を選んでいた。バッハが好きで、ジウが最初に訪れた時、ハクソンの部屋では「無伴奏チェロ組曲」がラジカセから流れていた。ハクソンの台詞に「バッハは始まりであり終わりでもある」があったが、バッハは数学者としての一面もあったという。

 とっつきにくい雰囲気だが、イチゴ牛乳が大好き……。ハクソンのこのギャップが微笑ましい。ジウに心を寄せるバウム(チョ・ユンソ)の可憐さに魅せられたが、アラサーと知って驚いた。ハクソンは妙にバウムに優しく、2人のピアノの連弾が本作のハイライトだ。鍵盤に数字を割り振り、円周率π=3・14159265……を叩くハクソンにバウムが伴奏する。数式と音楽のコラボで出来上がったハーモニーに心が震えた。

 ジウはアナログ人間のハクソンにスマホを勧め、2人で演奏会に足を運ぶ。世代を超えた友情を紡ぐ言葉は「数学は正解を出すことよりも過程が大事」で、ジウは授業でグノを追い詰めるほど学力が向上する。ハクソンがリーマン予想を証明した天才数学者であることが報じられるや、状況は一変する。ハクソンが自らの業績を隠している理由、息子の不幸な事件について明らかになる。

 数式は武器や暗号資産に利用される<悪魔の学問>になり得る。本作は青春ドラマ、サスペンスドラマの要素も濃いが、クライマックスに至る展開に韓国映画の底力を感じた。ハクソンは高校生や教師を前に、壇上から学歴社会を批判する。自由を求めて脱北したが、自由と美を希求する手段だった数学が、韓国では学歴社会の道具になっていると。

 ラストで紹介される後日談にも感銘を覚えた。俺は数学や理科で幾つも赤点を取った純粋文系だが、ハクソンのような先生に出会っていたら、見える景色は変わっていたかもしれない。
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「いつかの君にもわかること」~未来に紡ぐ父子の絆

2023-05-12 19:04:08 | 映画、ドラマ
 棋界で現在、最も注目されているのは佐々木大地七段だ。師匠は同郷(長崎)の深浦康市九段で、棋聖戦挑決トーナメントで渡辺明名人、永瀬拓矢王座を連破して藤井聡太6冠に挑む。王位戦でも連続タイトル挑戦を懸け、羽生善治九段と相まみえる。3勝1敗と藤井に勝ち越している藤井キラーの師匠は、弟子に秘策を授けられるだろうか。
 
 前稿で紹介した「パリタクシー」同様、死に彩られた「いつかの君にもわかること」(2020年、ウベルト・パゾリーニ監督)をMorc阿佐ヶ谷で見た。「パリタクシー」がカラフルな風景画なら「いつかの――」はモノクロの水彩画の趣がある。パゾリーニといえば思い出すのが前作「おみおくりの作法」だ。主人公のジョン・メイはロンドンの民生係で、行旅死亡人、身寄りのない死者に真摯に向き合う。情熱の源は自身の孤独だった。

 両作にパゾリーニの好みがわかる。第一は名前だ。本作も主人公はジョンで、余命宣告を受けた33歳の清掃作業員だ。演じるジェームズ・ノートンは別稿で紹介した「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」でホロドモール(スターリンがもたらした人工飢饉)を告発した英国人記者ガレス・ジョーンズを演じている。

 ジョンは妻に去られたシングルファザーで、ソーシャルワーカーのショーナ(アイリーン・オヒギンズ)の協力を得て4歳の息子マイケル(ダニエル・ラモント)の里親を探す。数組の夫婦や個人の家を回るが、両者の思いは一致しない。ジョンとマイケルが互いを見やる表情に、父子の情がおのずと表れ、ともに多くの時間を過ごしたことが窺える。

 好みの第二は赤だ。「おみおくりの作法」では、後半に進むにつれて、スクリーンは赤みを増していった。本作を〝モノクロの水彩画〟と評したが、赤が父子の心象風景を象徴していることは明らかだ。ジョンのジャケットとマイケルの帽子は赤だ。マイケルの手から離れて舞い上がる風船も赤だし、ジョンの誕生ケーキのローソクも赤だった。

 余命を意識した人の決意をテーマにした映画で最初に浮かぶのが「生きる」で、前稿で紹介した「パリタクシー」も該当する。「いつかの君にもわかること」は「死ぬまでにしたい10のこと」(2003年)にインスパイアされたかもしれない、主人公のアンは本作と同じく、自身の来し方を否定的に見ている清掃作業員だった。失業中の夫と2児を抱えたアンはがんで余命僅かと知らされ、前向きに生きようと考える。

 死に根差していれば、愛が研ぎ澄まされていくことを本作は教えてくれた。ジョンを見るマイケルの表情からエンドタイトルに続く構成も印象的だった。記憶に残るのは、ともに見たカブトムシの死骸と重ねながら、ジョンがマイケルに<死ねば体が動かなくなり、言葉を交わせない。でも、魂は永遠で、いつもそばで見守っている>と語るシーンだ。マイケルは思い出ボックスに仕舞われたジョンの記憶とどのように繋がっていくのだろう。

 俺が父とどう繋がっていたのか考える。友人たちで父を肯定的に語る者は少なかった。反抗の対象で、疎ましい存在というのが息子から見た一般的な父親像か。俺の父は69歳で召されたが、その年に近づくにつれ、感謝と親近感を抱くようになった。老いるとはそういうことなのかもしれない。
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「パリタクシー」~パリの街並みが映す波瀾万丈の人生

2023-05-08 18:50:29 | 映画、ドラマ
 ベイスターズファンにとって、バウアーは頼りになる〝優勝請負人〟だ。女性暴行疑惑は不起訴処分になったが、ファン離れを恐れて契約するMLB球団はなく、日本にやってきた。好投に心から拍手を送れない複雑な思いを抱えている。若手騎手がスマートフォン不適切使用を理由に30日間の騎乗停止処分を受けた。控室にスマホを持ち込んだ女性騎手4人、調整ルームで通話した今村と角田の計6人である。

 パワハラやセクハラが横行した競馬サークルの状況を変えるため、騎手だけでなく関係者は長い間、闘ってきた。その恩恵を受けた藤田を除く女性騎手のルール違反に、常態化していたと疑念を持たれるのは当然だ。「レース映像をチェックしていただけ」と擁護の声も上がっているが、〝やらかし〟の数では人後に落ちない俺でさえ、公正競馬の根幹に関わる問題だけに処分は甘いと思う。だが、汚名をそそぐ機会は与えられるべきだ。

 枕と多少つながっているフランス映画を見た。「パリタクシー」(2022年、クリスチャン・カリオン監督)は運転手と客の一期一会を描いたロードムービーだった。地球3周分も走ったのに金も休みもなく、免停寸前のタクシー運転手シャルル(ダニー・ブーン)に、92歳のマドレーヌ(リーヌ・ルノー)を自宅からパリの反対側にある終の住処に送るという依頼が舞い込む。

 ぜひ映画館でご覧になってほしいので、ストーリー紹介は最小限にとどめたい。46歳の運転手を演じるブーンは撮影時56歳でコメディアン、俳優だけでなく映画監督などマルチな活躍で知られる。94歳のルノーは女優、歌手として成功するだけでなく、エイズ撲滅や尊厳死法制化など社会的な運動にも関わってきた。「パリタクシー」では、ルノーの活動家としての側面も反映されている。シャルルがブリ=シュル=マルヌにあるマドレーヌの自宅前で警笛を鳴らすシーンが始まりだった。

 マドレーヌが生まれ育ったヴァンセンヌ、母が働いていた劇場があったパルマンティエ大通り、そして老人ホームがあるクルブヴォワに至る旅行きは、シャルルの波瀾万丈の人生を辿る旅行きだった。回想シーンと現在がカットバックして物語は進行するが、若き日のマドレーヌを演じていたのはアリス・イザーズだ。パリ観光案内の赴もあり、エッフェル塔やシャンゼリゼ大通りに魅入ってしまった。これはネタバレになるが、街の光景は趣向を凝らした方法で撮影されたという。

 別稿(23年2月21日)で紹介したアニー・エルノー著「嫉妬/事件」には1960年代のフランスがカトリック教会の支配の下、女性たちが男性優位社会で苦しんでいたことが描かれてきた。シャルルがパリに進駐してきた米兵と恋に落ちたのは1945年のことだが、生まれてきた息子の顔を見ることなく帰国してしまう。その後結婚したのはDV夫だった。命の危険を覚えたマドレーヌは思い切った行動に出る。タクシーの窓から見えるパレ・ド・ジャスティスはマドレーヌが長期の禁錮刑を受けた裁判所だった。

 激動の人生をさりげなく「一瞬だった」と振り返るマドレーヌにとって、タクシーでの旅行きはパリへのお別れの挨拶だった。回想シーンに流れるジャズに合わせるように、シャルルとマドレーヌは恋人のように腕を組み、目を見つめ合って食事をする。シャルルの免停を防いだのはマドレーヌの機転だった。

 鮮やかなラストに余韻は去らない。生きる意味、死ぬ意味、人が他者と通じる意味を考えさせられる秀作だった。俺も終活を考える時機に来ている。
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「サーチ2」~母への思いがサイバー空間を疾走する

2023-04-28 22:19:17 | 映画、ドラマ
 将棋の名人戦第2局は先手の藤井聡太6冠が渡辺明名人を破り、2連勝と好スタートを切った。中盤はねじり合いが続いたが、終盤は藤井が怒濤の寄せを見せる。叡王戦では完敗したが、短期間でショックを払拭していた。若い王者の心身のタフネスさは驚嘆に値する。

 他者や社会といかに繋がっていくべきか……。この問いの前提にある<繋がっていくことに意味がある>という価値観は間違ってはいないが、受け止め方に個人差はある。亡き妹は父系の商売人の気質を受け継いでおり、多くの人と繋がっていた。葬儀には普通の主婦では考えられない数の人か参列し、涙の洪水状態になる。母系はというと、名を成した祖父だけでなく祖母、母、母の2人の姉も晩年は繋がりから遠ざかった。

 俺は母系のDNAが濃いが、それでも社会の扉を叩くことがある。グリーンズジャパン(緑の党)での活動に加え、自殺防止のボランティアに関心を持っている。何の資格もなく、経験といえば数え切れない失敗だけだから無理筋だが、万が一ビフレンター(相談員)に採用されたら、「あなたは誰かに必要とされている。しっかり繋がってますよ」と電話の向こうの人に話すかもしれない。

 2023年現在の繋がり方について考えさせられる映画「サーチ2」(23年、アニーシュ・チャガンティ監督)を新宿で見た。「サーチ」(18年)の続編で、原題は“Missing”(行方不明)だ。<全画面伏線アリ。デジタルプラットホーム上で展開する第一級のサスペンスホラー>の謳い文句に偽りなく、アナログ人間の俺はハイテンポについていくのが精いっぱいだった。

 前作監督のチャガンティは原案と製作に回り、編集を担当したウィル・メリックとニック・ジョンソンが共同監督を務めている。主要キャストも前作同様、マイノリティーが占めていた。主人公ジューン(ストーム・リード)はアフリカ系の女子高生で、あれこれ干渉してくる母グレイス(ニア・ロング)と折り合いが悪い。グレイスはアジア系の恋人ケヴィン(ケン・レオン)とコロンビアに旅行に出掛ける。

 ジューンは帰国した2人を空港に迎えにいくが、姿が見当たらない。パソコンとスマホを駆使し、サイバー空間を疾走する。出した答えは<行方不明>だ。ジューンの協力者は親友でインド系のヴィーナ(ミーガン・スリ)、アジア系のパーク捜査官(ダニエル・へニー)、そしてコロンビア在住の便利屋ハビ(ヨアキム・デ・アルメイダ)だ。

 本題から逸れるが、80億人の一挙手一投足がチェックされている。マルクス・ガブリエルは<SNSをツールにした消費資本主義が蔓延し、自らの意志はコントロールされている>と警鐘を鳴らしていた。岸博幸慶大教授(小泉政権で安全保障担当)は「仮面の下に〝皆殺しの発想〟を隠しながらアメリカの一元化に寄与している」とグーグルと情報機関との癒着を批判していた。

 閑話休題。ジューンは瞬間の判断力と分析によって母の痕跡に迫っていく。人間にとって普遍かつ不変の母娘の絆が、サイバー空間で新たな形を見せる。謳い文句の<全画面伏線アリ>の意味が冒頭とラストでショートし、グレイスの、そしてジューンの人生を上書きする。ベースにあるのは身を賭すに相応しい愛だ。

 ぜひ映画館で、それが無理ならDVDかテレビでご覧になってほしい。前もって前作をチェックするのもお勧めだ。刺激的でエキサイティングな時間を過ごせること請け合いだ。
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「生きる LIVING」~原作に加味された若者への希望

2023-04-20 18:50:13 | 映画、ドラマ
 内閣支持率は上昇傾向で、調子に乗った麻生元首相は防衛力強化を推進する岸田首相を持ち上げつつ、「戦える自衛隊に変えていくべき」と発言した。日本は敵基地攻撃能力保有に突き進み、平和憲法の精神は風前の灯だ。統一地方選の結果に、暗澹たる気分になる。世界の流れと真逆のネオリベラリズム(緊縮、民営化)を説く維新が躍進した。

 いいこともある。白内障の手術が両目とも終わり、視力が0・04から0・5にアップした。50年以上ぶりになる〝ノー眼鏡〟での字幕の見え方を確認しようと新宿で「生きる LIVING」(2022年、オリヴァー・ハーマナス監督)を見た。黒澤明の「生きる」をカズオ・イシグロの脚本で同時代のイギリスに置き換えた作品だ。

 傑作のリメイクは簡単に受け入れられないが、「生きる LIVING」は世界中の映画祭で高評価を得た。黒澤版に忠実に、若者への引き継ぎという新しいペーストを加味したイシグロの力量が大きかったと思う。ノーベル賞作家のイシグロには日本人の感性がインプットされている。原作の持つ普遍性は舞台を変えても70年を経ても褪せることはない。
 
 原作の渡辺(志村喬)同様、本作の主人公ウィリアムズ(ビル・ナイ)も市役所の市民課に勤めている。いかにも庶民風の渡辺と対照的に、ピンストライプの背広に山高帽を被ったウィリアムズは絵に描いたような英国紳士だ。息子マイケルとクリケットについて話しているあたり、市役所職員もエリート層に分類されているのだろう。新しく配属されたピーター(アレックス・シャープ)は、少年たちのために公園造成を陳情に訪ねていた女性たちが、たらい回しにペンディングという〝お役所仕事〟に苛立つ様子を目の当たりにする。

 ウィリアムズはがんで余命宣告される。まずは息子と思い、男手ひとつで育てたマイケルに伝えようとするが、父子はよそよそしくなっていて切り出せない。腹を割って話せる同僚や部下もいない。期限を切られた今、来し方を振り返り、生きる意味を考えるため無断欠勤したウィリアムズは、劇作家のサザーランド(トム・バーク)と知り合う。原作で伊藤雄之助が演じた役柄で、既成の道徳や倫理が崩壊した後、奔放に振る舞うアプレゲール(戦後派)として描かれている。

 原作で渡辺は部下のとよ(小田切みき)の明るさに惹かれた。渡辺が下りる階段をとよが上っていくシーンや音楽の使い方など、黒澤明が山中貞雄の影響を受けたことが窺える。本作でとよの役割を果たすのが、転職を広言するマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)だ。〝老いらくの恋〟と誤解されるが、ウィリアムズはマーガレットとの触れ合いで生きた証しを遺すことを決める。

 復帰するやウィリアムズは豪雨の中、部下を引き連れて公園造成予定地に向かう。いきなりウィリアムズの葬儀シーンになるが、時間が遡行する形で奮闘ぶりが明かされ、部下たちは思い出を語る。ささやかな人生でのささやかな足跡は他者の功績にされたが、人々の記憶に刻まれた。市民課は以前と同じく怠惰な空気が流れていたが、ウィリアムズから遺言を託されたピーターは一歩を踏み出す。

 原作でも本作でも効果的に音楽が用いられていた。渡辺がブランコに揺られながら「ゴンドラの唄」を口ずさむ映画史に残る名シーンも受け継がれていた。スコットランド出身のウィリアムズが幼い頃に聞いた「ナナカマドの木」を歌いながら雪の中で息絶えた。

 66歳の俺は、死ぬまでに誰かの役に立ちたいと考えることがある。ボランティアを始めようと問い合わせたこともあるが、踏ん切りはつかない。本作を見て、改めて人生や幸せの意味、そして老人が若い世代に果たすべき責任について考えてしまう。召される前に答えを出せるだろうか。
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