世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥が、ラスベガスでラモン・カルデナスを8回TKOで下した。2年前までフードデリバリーで生計を立てていたというカルデナスだが、2回にダウンを奪うなど勇敢なファイトで世界を驚かせた。井上はこの勝利で30勝27KOとし、世界戦のKO勝利は23と〝褐色の爆撃機〟ジョー・ルイスを超えた。
友川カズキはMCで「私のような凡人は、藤井聡太、大谷翔平、井上尚弥の天才ぶりを楽しめばいい」と話していた。友川も天才のひとりなのだが、それはともかく、32歳の井上もキャリアの終盤を迎えている。年内にWBA王者との5団体統一戦、5階級王座を目指してWBAフェザー級王者ニック・ボール戦、そして来春には中谷潤人戦が控えている。厳しい戦いをいかに切り抜けていくのか注目している。
新宿武蔵野館で中国映画「来し方 行く末」(2023年、リウ・ジアイン監督)を見た。09年以来、14年ぶりの新作である。内外で注目された女流監督の14年のブランクの理由はわからない。政治的背景も考えられるが、競争社会の中国のこと、監督志望者がひしめいているのだろう。リウ監督は別の仕事に就いたこともあるようだが、自身の経験が本作にも反映されている。
主人公のウェン・シャン(フーゴー)は40代目前で、脚本家を目指していたが挫折し、弔辞の代筆が本業だ。葬儀屋前で観察日記をつけていた際に知り合った職員のパン(バイ・コー)に勧められたからだ。ウェンは死者の人生を詳細に調べ上げ、弔辞は評判を呼んで仕事が舞い込んでくる。設定からして死に彩られているのは当然で、次稿で紹介する「川端康成 異相短篇集」と重なった。
弔辞を作成する過程で、それぞれの家族の在り方が明らかになる。時には軋轢が生じるが、ウェンは丁寧に対応し、葬儀がつつがなく終了するよう導いていく。ちなみに弔辞代筆業だが、実際は存在しないようだ。ウェンは代筆業の傍ら、「小伊」を主人公にする自身の物語も温めている。小伊の分身というべきシャオイン(ウー・レイ)がアパートでウェンと寄り添っている。
本作の魅力は、他者の生き様がウェンの人生とシンクロしていくことだ。家族との距離、自身の挫折が後半に明かされていく。観賞しながら、ふと考えた。もしウェンが俺への弔辞の代筆者だったら、どこまで取材してくれるだろうかと……。原題は〝回り道もよし〟という意味だというが、道を外してきた俺の人生も意外と面白いネタが詰まっているかもしれない。
地方から訪ねてきた女性シャオ(チー・シー)との出会いは人生の転機を予感させ、<音>を作品に刻んだ。生前に自身の弔辞を依頼した老女ファン(チー・レンホア)と交流し、半生を詳細に聞き取ったことが、ウェンに意外な形での成果を呼び込んだ。
北京の街並みも紹介され、コロナ禍のさなかに撮影されたのか市民の多くはマスク姿だ。男性の喫煙率は50%弱ということで、ウェン、パンらはたばこをプカプカふかしている。<音>に加え<煙>も本作のキーワードだった。本編にも登場するが、エンドタイトルで撮影チームのアイドル的存在だった猫が紹介される。ラストで癒やしを覚えた作品だった。