弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

2008-07-17 23:47:06 | サイエンス・パソコン
購入する書籍は、原則として文庫本又は新書版としています。従って、新書版の本は結構買っているつもりです。
中央公論の3月号に「新書大賞ベスト30」という特集が載っていました。ところが驚いたことに、ベストテンはおろか、ベスト30にも私が読んだ本は皆無という結果でした。
それはさておき、この新書大賞で断トツの1位に輝いたのが以下の本です。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一
講談社

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それでは、せめてこの本ぐらいは読んでおこうと買い置きしてあったのですが、先日読み終わりました。

本の題名が「生物と無生物のあいだ」ということで、てっきり「どこまでが無生物でどこからが生物か」といった話が展開するのかと思いました。確かに1ページほど、「ウィルスは生物か否か」といった話はありました。しかし内容の大部分は違います。ワトソンとクリックによるDNA構造の解明劇を中心として、最近の分子生物学の進歩と、それに携わった最先端の研究者たちの喜びと悲哀にスポットを当てた物語でした。

福岡先生、1959年生まれですか。
話は、ニューヨークのロックフェラー大学から始まります。福岡先生がポスドク(ポスト・ドクトラル・フェロー)としてこのロックフェラー大学で研究していたことがあるのです。

「1953年、科学専門誌「ネイチャー」にわずか千語(1ページあまり)の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結びついた二本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。生命の神秘は二重ラセンをとっている。多くの人々が、この天啓を目の当たりにしたと同時にその正当性を信じた理由は、構造のゆるぎない美しさにあった。しかしさらに重要なことは、構造がその機能をも明示していたことだった。論文の若き共同執筆者ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックは最後にさりげなく述べていた。この対構造がただちに自己複製機構を示唆することに私たちは気が付いていないわけではない、と。」

ワトソンとクリックがDNAのこの構造を着想するに至ったヒントは、多くの研究者たちの成果によっていました。

生物の細胞内に、DNA(ディオキシリボ核酸)なる物質が存在することは知られていたようです。長い紐状の物質で、紐をつぶさに見ると真珠が連なったネックレス状の構造をしていること、その真珠はたったの4種類(A,C,G,T)から構成されていること、がわかっていました。細胞からは簡単にDNAを取り出すことができました。
たった4種類の構造単位でしか構成されていないことから、DNAが遺伝情報のすべてを包含しているなど、だれも想像していませんでした。

肺炎の病原体として肺炎双球菌が知られていました。強い病原性を持つS型と、病原性を持たないR型があります。生きているR型のみ、死んでいるS型のみを実験動物に注射しても肺炎は起こりません。しかし、死んでいるS型と生きているR型を混ぜて注射すると、なんと肺炎が起こるのです。
ロックフェラー大学で研究していたエイブリーは、この不思議な現象の原因を突き止めようと考えました。菌の性質を変える物質。それはとりもなおさず「遺伝子」のことであると、当時は既に考えられていたようです。
エイブリーはS型菌からさまざまな物質を取り出し、どれがR型菌をS型菌に変化させるかしらみつぶしに検討しました。その結果、残った候補は、S型菌体に含まれていた酸性の物質、核酸、すなわちDNAだったのです。

「遺伝子の本体はDNAである。」

1940年代初頭、エイブリーは既に60歳を超えていました。

DNAが、A,C,G,Tの配列を暗号要素として遺伝情報を保持しているのだとしたら、A,C,G,Tのそれぞれの含有量は種々様々になると想定されます。ところが、コロンビア大学・生化学研究室の研究者、アーウィン・シャフガルは不思議な現象を見つけ出します。
「動物、植物、微生物、どのような起源のDNAであっても、あるいはどのようなDNAの一部分であっても、その構成を分析してみると、4つの文字のうち、AとT、CとGの含有量は等しい。」

この不思議な現象が起こっている原因を追及した結果として、ワトソンとクリックは「対構造」に思い至ったのです。
その対構造は、AとT、CとGという対応ルールに従います。DNAは2本鎖のペアであり、一方の鎖のAと他方の鎖のTとが対応しているというわけです。

対になっているとしたら、その対がほどけ、一方の鎖に新たな鎖が合成されれば、新しい対構造が誕生します。つまり生命の“自己複製”システムです。
ワトソンとクリックは、最初の論文の最後に次の一文を挿入しました。
「この対構造がただちに自己複製機構を示唆することに私たちは気が付いていないわけではない」


ワトソンとクリックは、エイブリーの成果とシャフガルの成果のみから、想像力のみで二重ラセンのアイデアにたどり着いたのでしょうか。
ここに疑惑が存在します。

イギリスはロンドン大学キングスカレッジに、ロザリンド・フランクリンという女性研究者がおりました。1950年、彼女が30歳になったときです。
彼女は、DNAの構造をX線によって解明することに全力を傾けていました。X線を照射し、データとして十分な散乱パターンを得るためには、大型でしたも美しい結晶を作り出す必要があります。散乱パターンを解析する数学的な作業も並大抵のことではありません。
1952年、フランクリンは自分の研究データをまとめたレポートを年次報告書として英国医学研究機構に提出しました。フランクリンの論文には、DNA結晶の単位格子についての解析データが明記されていました。これを見ればDNAラセンの直径や一巻きの大きさが解読できたはずです。さらに報告書には「DNAの結晶構造はC2空間群である」という重要な記述がありました。C2空間群とは、二つの構成単位が互いに逆方向をとって点対称的に配置されたときに成立するのです。
研究論文誌には、投稿論文を査読するレフェリーがいます。最先端の論文を評価するのですから、当然同業の研究者が当たります。フランクリンの論文も査読され、そのレビューアーの中にマックス・ペルーツという人がいました。フランクリンの論文は、ペルーツを経てクリックの手に渡ったのです。


1962年、ジェームス・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンズの3人は、DNAラセン構造の解明に対してノーベル医学生理学賞が授与されました。同じとき、マックス・ペルーツも、タンパク質の構造解析への貢献を認められてノーベル賞を受賞します。しかし、そこにロザリンド・フランクリンの姿はありません。彼女は自分の研究がDNAの解明に重要な寄与をしたことを知らずに、1958年、ガンに侵されて37歳でこの世を去ったのです。


以上、この本の三分の一程度を占める、DNA物語でした。

その他、興味を持って読んだ話題を列記しておきます。

○ アメリカにおける研究者のキャリアパスとポスドクが果たす役割

○ 任意の遺伝子を、試験管の中で自由自在に複製することのできるPCRという画期的な装置、その装置のアイデアをドライブデート中に思いついたサーファーである研究者キャリー・マリスの話

○ 著者の福岡先生自身が、ポスドク時代に世界の最先端研究でライバルチームと熾烈な一番争いを演じた研究の内容とは
コメント (1)
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