大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月09日 | 写詩・写歌・写俳

<1253> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (93)

                  [碑文]          狼は 亡び 木霊(こだま)は 存(ながら)ふる                                          三村純也

 この句は絶滅したとされるニホンオオオカミ(日本狼)を詠んだもので、句碑はニホンオオカミが最後に捕獲された奈良県東部の東吉野村鷲家口に近い同村小川の吉野川の支流に当たる高見川に沿った県道16号吉野東吉野線の傍に、久保田忠和奈良教育大教授によって昭和六十二年(一九八七年)に作られたニホンオオカミの銅像とともに建てられている。

 久保田教授による銅像銘板の「ニホンオオカミ像建立の記」には「自然環境の変化や人間の文化圏のひろがりにより多くの野生動物が地球上から姿を消しました。ニホンオオカミも今日ではわずかに残る剥製や骨格からその姿を想像するにすぎない。明治三十八年(一九〇五年)当村において捕えられた若雄のニホンオオカミが最後の捕獲の記録となった。当時、ここ鷲家口の宿屋芳月楼で地元の猟師から英国より派遣された東亜動物学探検隊米人マルコム・アンダーソンに八円五十銭で買い取られ、大英博物館の標本となっている。この標本には採集地ニホン ホンド ワシカグチと記録され、動物学上の貴重な資料として永く保存されるところとなった。かつて、台高の山野に咆哮したニホンオオカミの生存にかすかな夢を托して雄姿を像にとどめ、ひろく自然の愛護を希い村の文化史を彩る貴重な遺産としたい」という銅像の作製意図が記されている。

 また、別の説明板によると、ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州、四国などにかなりの数が生息していたが、その後急減し、明治三十八年、鷲家口で捕獲され、現在、大英博物館に標本として保管されている若いオスが目撃の最後であるという。その後、環境省は五十年経た段階で、新しい確かな生存の情報がないため、ニホンオオカミを絶滅種と認定した。

         

  ニホンオオカミは小型のオオカミで、オオカミの一亜種とされ、人里にもよく現れ、人々にも慣れたところが見られたようである。定かではないが、蔓延する狂犬病がニホンオオカミに起因するというようなことがあって、オオカミ狩りが行なわれるなどして、その数を急激に減らして行ったとされる。そして、明治時代の終わりには、ついにその姿を消してしまった。  この結果、ニホンオオカミを天敵としていたイノシシやニホンジカ、ニホンザルなどが増え、日本各地でこの増え過ぎた野生動物たちによる食害が深刻になって来た。所謂、ニホンオオカミが消えたことによって野生動物間のバランスが崩れ、山野の草木や田畑の作物に食害の深刻な影響が出るようになり、現在に至るという。

  この句の作者三村純也は、昭和二十八年(一九五三年)大阪市生まれ。慶応大学に進み、芸能、中世文学、民俗学などを研究し、大学院を経て大阪芸術大学教授になった。俳句は中学時代から手がけ、昭和四十七年(一九七二年)にホトトギス系の「山茶花」に入会、下村非文や稲畑汀子等に師事し、その後、「山茶花」を継承して現在に至る。 この碑文の句は純也の代表作の一つで、このニホンオオカミの銅像に触発されて詠まれたものと思われる。狼が季語の冬の句で、説明不要な平明な句であるが、 この句に接していると、一つの思いが湧いて来るところがある。それは動物と植物の関係性である。この句では、狼が動物で、樹木の木霊が植物である。狼は絶滅して山野から姿を消してしまったけれども、樹木の木霊は健在で、今も変わることなく存在しているとこの句は述べている。これはニホンオオカミの絶滅の事実に接した作者の発見であった。

  私は、人間が地球上から姿を消しても植物は生きながらえるだろうが、植物が消えて皆無になれば、人間は多分生きて行けないだろうと、常々思って来た。この思いをこの碑文の句は言っているようなところがある。言わば、動物は、殊に人間は、その優越性において、よく木霊に礼を失した行為に出るが、生の本来の姿からすれば、前述のように動物よりも植物の方が順序としては先にあり、そこにはいくら理不尽を強いられても存在し続けるひ弱いながらも強く生き続けている植物の姿が思われるのである。

  しかし、ニホンオオカミの絶滅が他の野生動物に影響を及ぼし、その動物たちによる草木への被害が出るということも事実であり、牧野富太郎が『植物知識』で言っているように、「もしも今昆虫が地球上におらなくなったら、植物で絶滅するものが続々とできる」ということも生物の関係性にとっては真実なことであるから、地球上の生物というのは持ちつ持たれつの共生の間柄にあると言える。ということで、このように考えを進めて行くと、この碑文の句の狼の絶滅は地球上の生きものの生という観点から見て、哀れな出来ごとと言え、考えさせられるということになる。だが、亡びた狼に対し、木霊、即ち、樹木の側は何ら責任を負うことのない関係性にある点、この句のすがすがしさが思われるところで、この碑文の句は、亡びたニホンオオカミの銅像とともに思いが巡る句ではある。

  写真は左から句碑。ニホンオオカミの等身大のブロンズ像。ニホンオオカミの咆哮が聞かれたであろう東吉野村の山中。中央の高い山は三重県境の高見山。この辺りは伊勢街道の難所であった。   絶滅の 狼の声 蒼天に

 

 


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