大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年02月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1513> 飲む 打つ 買う

         弱さとは 悪しきことには あらざるが 悪しきに圧され ゆくものとこそ

 このブログの<1137>で、俗に言われる「飲む、打つ、買う」について触れたが、最近の社会の様相を概観するに、この俗言が思い出される。とともに、かつて男の甲斐性のように言われたこの「飲む、打つ、買う」が、今は変質して事件などにも関わり、昔に比して深刻化し、社会の弊害としてクローズアップされ、問題にされているように思われる。

  これは時代の進化にともなう反面現象の一端と見ればよいのだろうか。そのようにも受け取れるところがある。時代の進化とともに欲望も欲望のはけ口も多大になり、その結果としての快楽もその反面の苦悩も長ずるところとなる。これは森鷗外が看破した認識であり、私たちへの教訓として捉えることが出来るが、最近起きているこの種の話題には、このことがよく示唆されている気がする。

                              

 「飲む」とは酒を飲むことであり、その酒に酔い、酔いに乗じて快楽に浸ることを言うものであるが、この酒が今や覚せい剤に取って替わり、問題をより深刻化させているのが現代の状況と言える。覚せい剤は常用性が強く、これが進むと常用者には人生を破壊してしまう取り返しのつかない事態に陥いる。これは「飲む」欲望の進化の現象で、快楽を求めて止まない現代並びに現代人が問われている一つの社会問題だと言える。

 次に「打つ」であるが、これは博打のことで、金銭を賭けて一攫千金を狙う金欲を言うものである。この欲にとり憑かれる御仁も多く、それを示す言葉であるが、これにも社会の進化がともなっているか。この問題には詐欺や詐欺まがいの事件が多く、根本には金欲が絡む。昨今ではこの問題もグローバル化し、金額も巨額に及び、見方によれば、国がこれに関与して政策的に押し進めている向きも認められる。年金の積立金を株に投資する比率を上げるとか、一般国民を株式の運用に導くような政策を取るとか、これらも、言ってみれば、この「打つ」に属する金欲の現れと私には思える。一つには浪費が反面にある。借金にもノ―天気でいられる国の資質による昨今の財政事情もこうした一面の現れと見なせる。

  また、カジノを誘致してはどうかというような声も上がっている。言わば、政府公認の博打場を設けて、所場代を稼ぐというものであるが、これは博打の奨励にほかならない。この金欲にも酒や覚せい剤と同じく、依存症という厄介な副作用が生じて来る可能性がある。株のことにしても金欲に関わることであれば、同じような依存症の問題が考えられるわけで、国自体がこの依存症にはまり込み、よりリスキ―な運用に当たることも大いにあり得ることが言える。これは国民を不幸に導くことにもなりかねない、それこそ大博打だと言わざるを得ない。

  最後に「買う」であるが、これは男の女遊びを言うもので、男女の色恋沙汰、つまりは性欲に絡むことであるが、これにも当然のこと、トラブルがついて回る。これも社会の進化かどうか、最近は女の進出が著しく、その反面、男に甲斐性のない状況が生まれ、その状況が社会の底辺において顕著に見られるようになった。男に甲斐性がないため、トラブルの解決が上手く行かず、追い込まれて殺傷事件などに及ぶというケースがそこここに見られたりしている。もちろん、事件は個人的資質に発しているが、加古川の事件などはこの男女の優位性が逆転している典型的な事例と言えるだろう。これも、言わば、社会の進化とともなって起こった負の現象の一つと受け取れる。

  話題になっている元衆議院議員の不倫騒動の顛末にあって「けじめをつけて来なさい」と不倫議員を記者会見に送り出した妻と記者会見で宙に浮いたような謝罪に終始した夫の元議員を比べてみてもわかる。男が如何に情けない体たらくを曝しているか。これは一つの例で、これも個人の資質によるのだろうが、この男の体たらく現象には社会的要因も絡んでいると見なせるのではないかということが思われて来る。

  それは、一つに女の社会進出が進むにつれ、例えば、仕事において男よりも女の方が優れ、男が弱体化し、男女間のバランスにおいて男の居場所がなくなって来ていることにも因が考えられる。つまり、男が十分にその能力を発揮することが出来ず、悶々とした溌剌たるところになく社会生活に関わりを持ち日々を送っていることに通じているのではないかと、そんなふうにも思われたりするのである。

 昔であれば、男が外に働きに出て、女が家を守った。だが、今は男も女も外に出て働くスタイルになり、家庭が疎かにされるような社会の仕組みになって来た。この仕組みが経済優先の社会の仕組みなのだろう。結果、男が弱くなり、その弱さが暴力という形で現われたりしているのが最近の男女間における事件に反映されたり幼児の虐待や女性への暴力に繋がっていると見られる。

  言わば、記者会見で大泣きをした兵庫県議の姿が象徴的な例で、これも社会の進化にともなう反面としての現象と言えるのであろう。昔は女が泣いたが、最近は男が泣く。そういう時代になって来た。言ってみれば、責任がきっちりと取れる男が少なくなり、男に男の振る舞いが出来ないことを痛感させる一見やさしいひ弱な男が表面化してきた時代になったと言える。情けなくも。 写真はカットによる。