<1504> いかるがの里・法隆寺マラソンと砂かけ祭り
走るもの 投げるもの みな健やかに 人潤へば 国も潤ふ
建国記念日の十一日、大和地方は終日穏やかで暖かな晴天に恵まれ、各地でイベントが催され、大勢の人でにぎわった。その中で、斑鳩町の第四十五回いかるがの里・法隆寺マラソン兼第三十九回斑鳩三塔健康走ろう会と斑鳩町に隣り合わせの河合町の廣瀬神社で行なわれた御田植祭の砂かけ祭りに出かけてみた。新旧好対照な催しであるが、好天が幸いし、多くの参加者や人出があった。
斑鳩町の方は三塔健康走ろう会が午前中、法隆寺マラソンの方が午後行なわれ、マラソンは十キロとハーフで行なわれた。コースは斑鳩三塔や藤ノ木古墳など斑鳩町が誇るお寺や古跡などを辿るもので、タイムを競うというよりも鄙びた斑鳩の里で走るのを楽しみにしている参加者が多く見られた。 写真は三塔健康走ろう会で友だちと一緒に走る地元の子供たち(後方は法輪寺の三重塔)。
砂かけ祭りは午前中に拝殿で行なわれる「殿上の儀」と午後から拝殿前の広庭で行なわれる砂かけの「庭上の儀」に分かれ、午後の砂かけに出かけた。廣瀬神社は第十代崇神天皇のとき出来たとされる古社で、第四十代天武天皇の時代に五穀豊穣を願って大忌祭が催されるに至り、この祭りの中で行なわれた御田植水口祭礼が砂かけ祭りの先がけのようである。
拝殿における「殿上の儀」では田人や牛役などが登場し、田植えの所作が披露され、「庭上の儀」では、白い装束で全身を包んだ田人や牛役が現われ、所作を行なった後、誰彼となく砂をかけ回った。見物衆の方も負けず、砂を投げ返すので、境内は砂が飛び交った。砂は雨に見立てられ、砂が多く飛び交った年は豊作になるというので、いつもながら境内は砂の大雨になった。 写真は激しく砂の雨を降らせる白装束の田人役。