「凡そ学をなすの要は己が為にするにあり」(吉田松陰)
「学問というものは自分のためにするものである。」
と松陰先生は仰るのだが、ご承知の通り、
孔子の教えである、『論語』(憲問)から来ている。
「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。」である。
「昔は、学問をする人は自分の修養のためにしたものだが、
今では、他人に認めてもらいたくて学問をしている」
という言葉だ。
「自分のため」という意味は、
「自分を磨き深め高める」という意味であった。
それはひいては人々のためになる学問である。
一方「人のため」という意味は、
「人にひけらかすため」という私利私欲に満ちた言葉である。
「良い成績をとる」「有名大学に行く」「有名企業に行く」
そのこと自体は善くも悪くもないことだが、
それをひけらかし、他に誇る驕慢な姿勢を言う。
また、人に知られたい、有名になりたいという、
浅ましい気持ちを言う。
「己のため」「人のため」という言葉の意味が、
あべこべになった時代を私たちは生きている。
天下国家を考える学問の書物である
四書五経を指す「大説」という言葉は死語になり、
個人の私的な心の内側を暴く「小説」という言葉しか
使われなくなった時代を私たちは生きている。
だが、私の心の中では、
まだ、そうした価値観は、滅びてはいない。
他人はどうか知らないが、
滅ぼしたくないと思う自分であろうと思う。
ただそれだけのこと。