Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

自分のための学問

2023年07月06日 | Weblog

「凡そ学をなすの要は己が為にするにあり」(吉田松陰)

「学問というものは自分のためにするものである。」

と松陰先生は仰るのだが、ご承知の通り、

孔子の教えである、『論語』(憲問)から来ている。

 「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。」である。

「昔は、学問をする人は自分の修養のためにしたものだが、

今では、他人に認めてもらいたくて学問をしている」

という言葉だ。

「自分のため」という意味は、

「自分を磨き深め高める」という意味であった。

それはひいては人々のためになる学問である。

一方「人のため」という意味は、

「人にひけらかすため」という私利私欲に満ちた言葉である。

「良い成績をとる」「有名大学に行く」「有名企業に行く」

そのこと自体は善くも悪くもないことだが、

それをひけらかし、他に誇る驕慢な姿勢を言う。

また、人に知られたい、有名になりたいという、

浅ましい気持ちを言う。

「己のため」「人のため」という言葉の意味が、

あべこべになった時代を私たちは生きている。

天下国家を考える学問の書物である

四書五経を指す「大説」という言葉は死語になり、

個人の私的な心の内側を暴く「小説」という言葉しか

使われなくなった時代を私たちは生きている。

だが、私の心の中では、

まだ、そうした価値観は、滅びてはいない。

他人はどうか知らないが、

滅ぼしたくないと思う自分であろうと思う。

ただそれだけのこと。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする