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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

どんなときでも

2020年07月21日 | Weblog
苦しいときに、笑顔でいられるかどうか。
苦しいときに、他人に席を譲ることができるか。他人に尽くすことができるか。
苦しいときに、言い訳をせず、自分の力を高めることができるか。信頼を勝ち取ることができるか。

できないのは自分のせいであって、それ以外の理由ではありません。知識や技術が足りないのか、人間性の欠如か、人格の未熟か、自らを省みて、自己変革をしていくことが大切です。

自分も他人も人としての値打ちは変わるものではありません。
他人の批判をしたとこで、何ら得られるものはありません。

自分を大切にし、他人を大切にする。
それが人として大切なことだと思います。

時に、自分を捨てて、他人を大切にする。
身を捨てて仁を為す、ということも大切だと思います。

自分を捨てて世の中に尽くす覚悟が無ければ、私もまた、他人に文句を言う人間の一人になるのかもしれません。


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正しく恐れるが、決して怯まず

2020年07月21日 | Weblog
最近、緊急度/重要度マトリクスを思い浮かべることがしばしばあります。
自分の仕事が、「緊急かつ重要」「緊急だが重要ではない」「緊急ではないが重要」「緊急でなく重要でない」この4象限のどこに該当するかと言うことを考えるのです。

私の主要テーマである「人間教育・志の教育」は、基本的には「緊急ではないが重要」なことになると思います。問題は、緊急ではない時間の限度が、果たしてどれぐらいかということです。それを問い続け、実施していかなければなりません。

十二分な感染対策をしながら、前に進んでいくことが大切だと思います。正しく恐れるけれども、ネガティブには考えず、怯まない姿勢で臨みたいと思います。
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大切な学びとは

2020年07月19日 | Weblog
大切な学びは、「人間を知る」ということだと思います。
人間の美しさ、崇高さ、強さ、弱さ、醜さ、狡さ、etc.・・・。

それを知ってこそ、人は強くなれるし、優しくなれるのだと思います。
それを知らなければ、他人からの誹謗中傷に苦しむことになるでしょうし、また、知っていれば、どんなストレスフルな人間関係をも乗り越えられるようになると思います。

勿論、攻撃されれば心は痛みます。しかし、人間というものが分かってくるほどに、心の回復が驚くほど早くなり、寛容にもなれる気がします。

つまり、自分自身を深く知ることが大切だし、他人を深く知ることが大切なのです。

美醜一如、善悪一如、というところまで、少しずつ分かりかけてくれば、ある程度は寛容で強く優しい人格ができてくるのだと思います。

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学びたい思い

2020年07月19日 | Weblog
学びたいことが多すぎて、時間が足りないことを痛感します。

しかし、学ぶことに満足してはいけないとも思います。
行動し、成果を生み出さなければ、学ぶ意味はあまりないからです。

こんなふうに、もっと若い頃から思えていたら良かったのにと思います。

それがわかるまでに、私にはたくさんの時間が必要でした。

あとどれだけの時間が残されているかはわかりませんが、人生を完全燃焼させたいと思います。


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大変な時代に

2020年07月13日 | Weblog
新型コロナウイルスが引き起こしたパンデミックは、いずれ世界的な恐慌に繋がるのかもしれません。経済的に大きな打撃を受けることは免れないと思います。

だからこそ、私は「志の教育」をやり続けようと思います。未来は、子どもたちにかかっているからです。

私にどれほど良い教育を実践する力があるかどうかは定かではありません。大したことはできないと思います。しかし、それでも、共に学んでくれる人がいる限り、全力でやり続けようと思います。

国を外から形作るのは政治です。そして、国を内側から形作るのは教育です。教育は成果が出るまで時間がかかります。だからこそ、倦まず弛まず、やり続けていかなければと思います。

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アビガン、有効性示されず 臨床研究で、藤田医大が発表

2020年07月10日 | Weblog
「アビガン、有効性示されず 臨床研究で、藤田医大が発表」

という記事を見て、「なーんだ。アビガンは効かないのか」と思った人は、藤田医科大学のプレスリリースを読みましょう。↓

ファビピラビル(アビガン)特定臨床研究の最終報告について
https://www.fujita-hu.ac.jp/news/j93sdv0000006eya.html

正しくは、効いてるようだけど、日本国内では、検体数が少なすぎて、はっきりしたことが言えないというだけの話です。

今やメディアとの付き合い方は、下記の通りかと思います。(今回も私はそうしました。)

1.新聞記事の見出しを読む。
2.まずは騙されてみる。
3.取材本のプレスリリース、または、YouTube等で発言を確認する。
4.正しく事実を理解する。

メディアの役割とは何だろう?????







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一年の始まりに

2020年07月10日 | Weblog
昨日で58歳になりました。
本当に多くの人に支えていただき、今日を迎えることができたと改めて感謝していた一日でした。

その信頼に応えられるようにこれからも教育に力を注ぎます。

教育の本質を考え抜き、今、できることを形にしていこうと思います。

そして、産んでいただいた命、与えられた命です。
ご恩返しができるように全力を尽くすだけです。

また、何よりも大切なことは、次の世代に良き価値を遺していくことだと思います。
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日本死ね

2020年07月07日 | Weblog
「保育園落ちた日本死ね」が流行語大賞に選ばれたのが四年前。今日の日経新聞でまたこの言葉を目にしました。

保育園に入れなかったお母さんの気持ちを代弁しているというので共感を得たのでしょう。

しかし、冷静に考えて読むと、日本という国家が死ねば、行政サービスも何もあったものではありません。子育てどころか、家族も自分も生きていくことさえできないわけです。

同じ言葉を某国で発すれば、流行語になるどころか、国家を批判した罪で、とらわれの身になることでしょう。
言論の自由が保障されている国に生まれて何と幸せなことか。

私にできることは限られていますが、それでも、国が何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるのかを考えて行動したいと思います。
国家とは、自分自身であり、家族であり、友人であり、同胞であり、国土であり、風土であり、言語であり、歴史であり、文化であると思います。

だから、私は間違っても「死ね」とは言いたくありませんし、そんな発想もありません。

明治の父祖たちや、先の大戦で無くなった人たちはこの言葉をどう聞くのだろうかと思います。貧しかった日本、全てを失った日本を必死で再建してくれた人たちが「日本」にはいらっしゃったのです。そして、私たちはその恩恵に浴しているのです。

また、今回のコロナ禍や水害で命や家を失った多くの人たちがいます。たくさんの人たちが、人命救助や災害復旧のため、社会全体のために、本当によく頑張ってくださっています。頭が下がります。

「日本」という言葉には、そうした人たちも当然含まれます。「日本死ね」とは、やはり私には言えません。
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誠実に

2020年07月06日 | Weblog
例えば、年老いた先生が、万葉の和歌を一首詠み上げて、しみじみと、「あぁ、この歌には、実に趣深いものがありますね。」と語ったとします。

おそらく、ほとんどの子どもたちは、何がどうして素晴らしいかなど、さっぱり分からないと思います。和歌の味わいなど、おそらく何も伝わらない。理解できたことは何もないでしょう。

しかし、伝わるものが、ただ一つだけあります。

その時の先生の偽らざる心の動きです。

その歌の意味は理解はできないけれども、それを語っている先生の空気感が、「何か」を伝えていくことになるのです。

先生の心を動かした、「ただならぬ何か」がその歌にはある。今の自分には、それはわからないけれども、確かに何かがあるのだという感覚です。

おそらく、それだけが、唯一の、偽りないものであり、子どもたちへ伝えることのできる、唯一のものなのだろうと思います。

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未来を信じて

2020年07月06日 | Weblog
若い時分にはわからないことが多いものです。
私もそうでしたし、多くはそうだと思います。

しかし、その中で、何年もかかってわたしがようやくわかったことを、子どもながらに一瞬で理解できる人もいるのだと思います。そのことに期待を寄せます。

だから、分かるか分からないかは、考えずに手渡していこうと思います。自分が本当に大切だと確信できることを迷いなく伝えていこうと思います。

わかりやすくと思った時点で、子どもを軽んじているのかもしれません。

わかり合えないことを嘆くのではなく、あきらめるのでもなく、迎合するのでもなく、ただ、精一杯を尽くしていきたいと思います。

勿論、私が間違っているのかもしれません。その畏れは常に抱きつつも、自分の感覚を信じたいと思います。

その感覚の背景には、私なりの努力があると思うからです。
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