Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

人間学

2020年03月08日 | Weblog
結局、私が追い求めてきた教育とは、「人間、如何に生きるべきか」を考えていく教育であり、「人格を磨く」教育だと思います。

人間が仕事をし、人間が教育をするのですから、人間を磨いていくことを学んでいかなければ、大したことにはならないのだと思います。

しかし、これが実に難しいのです。

多くの人は、自分がうまくいかないのは、自分の外に原因があると思うからであり、まさか、自分が人間として未熟だとは思わないのです。それは、歳を取れば取るほどそうです。

口では、私などまだまだでと言いながら、少しも成長したいとは思っていない人が多いのです。

「わかる奴はいっぺん言えばわかる。わからない奴は何遍言ってもわからない。」と言ったのは、北大路魯山人だったような気がしますが、とにかく素直さに欠け、面従腹背が習い性になっている大人も多いものです。

しかし、それでは人生楽しくはならないと思いますし、組織は活性化されないと思います。
人間が仕事をするのですから・・・。

一人ひとりの人生を生き生きとしたものにすることができるのは、人間学であり、それは陽明学的なものだと私は思います。

私は陽明学の系譜にある人たちの生き方に心動かされて生きてきました。結局、私の教育のコアにあるものは、陽明学を中核としたものであるように思います。

これから更に志の教育に磨きをかけていきたいと思います。
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媚びない力

2020年03月05日 | Weblog
この数日間、キャンセルになった講座もあり、3月後半の仕事に備えた準備をしつつ、猛烈に勉強しています。

山田方谷、陽明学、宮本武蔵、備前焼、銀の匙、ハルカの陶、etc…。
書籍、漫画、DVDとインプットをし続けています。
久しぶりに、面白い本にたくさん出会っています。

杉良太郎氏の『媚びない力』も面白かったです。一気に最後まで読み通しました。大いに共感できました。

「次郎長どん、見なせぇ。あの紅葉をよ。綺麗じゃねぇか。わけぇ若葉の頃を力いっぱいに生きてくりゃこそ、散り際にあの色艶を残せるんだよ」

これは、脚本家・中江良夫先生が書いた『清水次郎長』の中で、年老いた大親分が、若い次郎長を諭す言葉です。この台詞を噛みしめて、杉良太郎という人は、人生を直向きに生きてきたのだと感じます。

こうした深い言葉を紡げる人が少なくなりました。短い台詞の中に、人生観があり、日本の自然があり、四季の移ろいがあり、人間観があり、人生の苦労と華があります。

おそらくこの言葉の深さを感じ取れる人も、少なくなってきたのだろうと思います。

義理人情が失われゆく日本にあって、義理人情を育む教育をと思います。人間らしい心を持つこと、二度とない人生を志高く生きること、そうした大切なことを、やはり、次の世代に渡さなければと改めて思いました。








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できることを

2020年03月04日 | Weblog
新型コロナウィルスのため、
飲食店やスポーツジム、その他、人が集まる仕事は、
売上が激減して苦悩しています。

私も小さいながらも会社の経営者として、
売上が上がらない恐さと辛さはよくわかります。

しかし、新聞で報じられていた経営者の言葉は
ちょっと違うと思いました。

次の言葉です。
「営業を数週間休めば、倒産も考えねばならない。首相は責任を取れるのか」と憤る。

これは、立場を代えれば、次のように置き換えられます。
「営業を数週間休まなければ、感染者が増え、死者が出ることも考えねばならない。社長は責任をとれるのか」と憤る。

早期に厳しい処置をとれなかった日本の対応の甘さは、確かに原因の一つですが、誰にも予測できないことも起こりうるのです。

誰かや何かのせいにしたくなる気持ちもわからなくはありませんが、とにかく今できることを知恵を絞って考え、実行に移していこうと思います。



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自分のため、人のため

2020年03月01日 | Weblog
人間が本当にその力を発揮できるのは、
自分のために力を使うのではなく、
自分以外の人のために力を使う時だと思います。

食事を作るにしても、

自分だけのために
美味しいものを作りたいという人と、

家族のために
美味しいものを作りたいという人と、

多くの人たちのために
美味しいものを作りたいという人では、

料理に対する姿勢も取り組み方も
全く違うものになってきます。

動物も子どもが危険にさらされていると、
親は自分の命など省みずに、
強敵に果敢に立ち向かっていくものです。

先の大戦でもそうでした。
戦死した人たちは、
家族や同胞を守るために死んでいきました。

その尊い心がわかっていたので、
戦後の復興を成し遂げた人たちは、
死んだ家族や同胞の分まで、
そして、未来の子どもたちのためにと
懸命に働いてくださいました。

明太子を作った川原俊夫さんが、
自分は福岡で一番税金を納める人になる!と決意したのは、
そのあらわれです。
そして、そのDNAは、福岡の経営者の心に、
脈々と受け継がれていると感じます。

どんな仕事でも同じだと思います。
自分のためだけにやっていても
その成果にはどうしても限界があります。

自分の給料のために働くのは基本ですが、
それだけで終わっている人と、
誰かのために働く人とでは、
やはり仕事に対する姿勢は違ってきます。
結果としてその成果も大きく違ってきます。

大きな志を持って、社会のためとか、人のためとか、
考えたこともない人たちが世の中には多いものです。
そんな大それたことを・・・と言われます。

しかし、残念なことに、
その人たちは、志が、
自分を最大に成長させてくれるものであり、
人々をも幸せにすることができるものだと知らぬまま
人生を終えていくことになります。

自分以外の者のために力を尽くしてこそ、
その人の本来の力は発揮することが出来るのですから。



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