Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

2020年03月13日 | Weblog
「志」という言葉を聞いて、「いやそんな大それた事を考えるのは無理。」という人は多いものです。「それよりも、日々のささやかな幸せを感じることが大切だと思う。」という声も耳にします。

私はこの2つがなぜ対立するものとしてとらえられなければならないのかがよく分かりません。
否、正確に言うと分かっています。志がある人には理解でき、志がまだ見つかっていない人には理解できないと言うだけの話なのです。
人生の目的が見えてきた時に、それはいつの間にか氷解していく誤解ですから、それで良いのです。私はただ志の大切さを伝え続け、甘んじて誤解をされ続けるだけです。

しかし、それで良いのです。なぜなら、私の目的は、相手を論破することでも、その時に納得させることでもないからです。いつか、人生の志を立て、幸せに生き、世の中のために貢献できるようになってくれたらそれで良いというだけの話ですし、そうならなくてもそれはそれで良き人生だと自分が思えれば、それもまた善しと思うからです。

多くの先人たちもまたそうであったように、気づくためには時が必要なのです。そして、ある程度、組織や社会を背負うところに自分が立てば、その時に初めて、志ある人生を生きた人たちが無数に存在していたことに気づくのだと思います。

また、いかに自分が、そうした志ある人生を生きた先人たちの恩恵に浴しているのかに気づくのだと思います。

志の背景には、先人たちへの感謝と、未来の子どもたちへの祈りがあるのです。
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