Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

祈りとしての教育

2012年10月12日 | Weblog
教育は「祈り」に近いものだと思います。

伝えたい「思い」は、
伝わるかどうかわからないし、

伝わらないことに、
時として絶望したくなることもあります。

しかし、

「いつか必ず伝わる」

そう信じて伝え続けるしかありません。

同時に、

自分の伝えたい思いを、
つまりは、
自分自身を、
磨き続けるしかありません。


伝わることを信じていなければ、

どんな人でも天与の素晴らしさを
必ず持っていることを信じていなければ、

伝える力は確実に失われてしまいます。

だから、信じ続けること。

そして、
その信じる力の強さは、
自分自身が決めているものだと思います。

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後進の育成

2012年10月11日 | Weblog
そろそろ後進を育成しなければ
という声が聞こえてくる。

しかし、
私はまだまだ浅学非才の身であり、
自分の技量を高めることに精一杯である。

私には、
もっと学びたいこと、
もっとチャレンジしてみたいことが、
まだまだ山のようにある。

1人の現役プレーヤーとして、
全力投球することに価値があるのだと思う。

そもそも、個としての教育者という存在は、
経営者やチームリーダーというよりは、
むしろ、職人や芸術家に近い側面が強いと思う。


・・・と言ってはいけない、
そんな年齢になったのかもしれない。

そろそろ年貢の納め時。
新しいステージへの挑戦。

経営者としてチームリーダーとして、
新しいチャレンジをしていきたい。


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価値を考える

2012年10月10日 | Weblog
現代社会は、様々な事柄にあふれかえっています。

テレビを見ているだけでも
知的好奇心はかき立てられます。
もっと社会のこと学問のことを知りたいという
知的欲求を満たしてくれる時間を得られるのです。

コンピュータゲームをしていても
大きな達成感を得ることができます。
いくつものステージをクリアしていき、
成長と達成感を感じさせてもらえるのです。


ただ、それは現実の社会で、
どのように役に立っていくのでしょうか?

現実の自分をどこまで成長させてくれるのでしょうか?

そうした時間を過ごしているうちに、
人生の限られた時間はどんどん消費されていきます。

はっと我に返り、
現実に戻ったときには、

充実していたと思い込んでいたその時間は、
実はただ虚しく過ぎ去っていただけで、

自分の手には何物も残されていなかったことを知るしかない。

それが今の時代の怖さだと思います。

沢山の情報や満足を得ていると思い込んでいて、

ふと気がつくと、

人間的成長という何物にも代えがたい大切な価値を
時間と共に奪い去られていたことに気づく。

そうした過ちを犯さぬよう、
価値判断をしっかりとやっていくことが
何よりも大切な時代になったのだと私は思います。

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足立美術館

2012年10月09日 | Weblog
足立美術館に研修で行ってきました。

日本の自然と文化の豊かさ美しさを
しみじみと感じることができました。

やはりこの国に生まれて良かった。
そうした感慨が自然にわき起こってきました。

私は何度も何度も足立美術館に足を運んでいますが、
今回もまた、新たな発見が沢山ありました。

私も変化をし、美術館という生き物もまた
変化しているからです。

画家たちの作品を見ても、
陶芸家たちの作品を見ても、
足立美術館の庭園を見ても、

私は、軽々に「わかった」「見た」
などとは到底言えるものではないと思います。

何度見ても、何時間見ても、
その作品の世界に横たわっている
作家の精神を、
「わかる」などということは、
私には到底できないと思います。

恐ろしいまでの、
芸術への思いの深さ、
高貴さ、精神性の高さ、
その他、語り尽くせぬ迫力が、
その作家の人生のすべてに横たわっていて、

それが自ずから作品に表現されていると感ずるからです。

日本庭園にしても、
一見同じと思える風景が、
刻々に変化し、様々な表情を見せてくれます。

これは、あらゆることに共通すると思いますが、

「あぁ、これは一度聞いたからもういいや。」
「あぁ、これは一度見たからもういいや。」

などという程度の物の見方では、
とても物事の本質に迫ることなどできないと思います。

同じ風景が、刻々に変化する、
その変化を鋭く見、
その変化の本質を知りたいと思わぬ程度の
知的好奇心しかなければ、

おそらく、
どんな仕事をやるにせよ、
また、何をやるにせよ、

「学ぶ」ということの
本質には決して迫れないと思うのです。












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現実を視よ

2012年10月05日 | Weblog
ユニクロの柳井会長の本を読んでいる。

『現実を視よ』

危機感が最初から迸っている。

この危機感が日本の教育現場には無い。

悲しいほどに。
絶望的なほどに。

もっと言えば、
絶望的状況を見つめて、
現状を打破しよう、
本気で国を救う人材育成をしよう、
そんな熱いハートを持った人間もいないのだ。

当たり前の話ではある。

現実が見えていないから、
いや、視ようともしないから、
危機感など生じることはないのだ。

十年一日のごとき授業を繰り返し、
自分の趣味の世界に勤しむだけである。

しかし、彼らは、
自分たちが、非難されべき存在に
なっているなどとは夢にも思っていない。
なぜなら熱心に誠実に日々の業務に精励しているからである。

もう残された時間はあまりない。

私の教育実践など、
ごまめの歯ぎしりでしかないが、
それでもやり続けるという決心だけは揺らがない。

少しでも伝えられることを、
1人でも受け取ってくれる人に、
全力で伝え続けようと思う。

『現実を視よ』を読みながら、
新たな闘志が湧いてきた。

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教育に求められるもの

2012年10月05日 | Weblog
九九ができる、跳び箱が跳べる、年号を暗記している、etc.
確かにできることは良いことだと思う。

しかし、人間が人間を人間たらしめんとして
教育すると言うことはそんなことなのだろうか?

何か前提が違うのではないか。
目指していることが違うのではないか。

人間として、

私は、考える力を身につけたい。
芸術を味わう豊かさを身につけたい。
教養を深めたい。
文化的な生活を過ごしたい。
多くの人たちと心豊かに交流していきたい。

そして、人生の志を立てて、
少しでも世の中の役に立つよう貢献したい。

また、多くの先人たちが、
刻苦勉励して作り上げてくれた、
素晴らしい国日本に生まれたことを誇りに思いたい。

そうした人としての在り方や生き方を
共に考え、共に学ぶことこそが、
私は教育だと思う。



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平和のための教育

2012年10月04日 | Weblog
おそらく、

日本は敗戦によって、
敗戦以後、世界中の在り方と枠組みとが
大きく変わったのだと考えている節がある。

しかし、それは日本だけが考えている
世界観・歴史観に過ぎない。

自国に歴史の断絶があったからと言って、
他国がそうであるという根拠には全くならない。
しかし、そのことすらわからなくなったように感じる。

ラテン語を読める民が羨ましいと時々思う。
なぜなら、古代ローマの文献さえも読めるのだから。
つまり、過去の人々の叡智をそのまま受け止められるのだから。


私たちは、たった160年ほど前の明治の書物ですら、
そのままでは読めなくなっているのである。

文字を失い、言語を失い、
歴史を失い、文化を失った国の民が繁栄するとは思えない。

この断絶をどのように克服していくかが、
私に課せられた課題であろうと思う。




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矢面に立つと言うこと

2012年10月03日 | Weblog
1000人を前にして話をすれば、
1000人全員が共感するなどということはあり得ません。

多くの共感や賛辞も得られますが、
同時に、
多くの批判や非難も浴びることになるのが宿命です。

話し手としては、
常に1000人全員の共感を得られるように、
全力で語り続けるしかないのですが、
なかなかうまくいかないのが現実です。

しかし、それでも戦い続けるしかないと思っています。

私は、矢面に立つことなく、
客席からヤジを飛ばすような傍観者であるよりも、

矢面に立って無様な姿を晒しつつも、
敗れ去るまで戦い続ける勇気を持った
1人の誠実な人間でありたいと願っています。








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自立する心

2012年10月02日 | Weblog
若者たち子どもたちの「自立心」が弱くなって久しい。

大人が、
よってたかって
手をさしのべ過ぎるからである。
しかも、あろうことか自己満足のために・・・。

大人が
「失敗を見守る」という
「俯瞰した考え」を失ったからである。

こう書くと、
今度は手をさしのべず、
何もしないことが大切とばかりに、
すべてを子ども任せにしたり、
子どもにすべての責任を押しつけたりする
大人が出てくるから始末に負えない。

子どもたちのできること、できないことを見極め、
手をさしのべること、さしのべないことの選択をし、
失敗させること、失敗させてはいけないことの判断を行い、
大人としての厳しい責任を持って
子どもに向き合うことが大切なのである。

それが教育という営みなのだと私は思います。
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すっかりご無沙汰してごめんなさい!

2012年10月02日 | Weblog
10月に入りました。
皆様、すっかりご無沙汰して申し訳ありません。

ブログ再会です。
9月は怒濤のように毎日が過ぎていきました。

メルマガ配信もろくにできないあり様で、
メルマガ配信してからブログを書き始めようと、
妙な義理立て?をしていました。

メルマガ?届いていないぞ!
という方は、ご一報下さい。
今、データベース整理中です。

Vision&Education,Ltd.は、
次のステージに行けるよう、
仕込み中です。

7月に50歳になってから、
時間がとても大切に感じられます。
1日1日が惜しい感覚です。

この季節の変わり目には、
「あぁ。あと何度、秋を体験できるのだろう。」
とも思っています。

センチメンタルになっているのではありません。
むしろその正反対です。

戦う時間の短さを感じ、
死ぬまで戦い続けて、
いったいどこまで行けるのだろう?と思う感覚が、
皮膚にピリピリと突き刺さるようになってきた感じです。

自分を磨き続け、
自分の言葉を武器として戦い続けること。
つまり、教育を実践し続けること。
志操無き時代に、志操を貫き続けていくこと。
それが自分に課せられた使命なのだと思います。






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