Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

日本の橋

2012年06月20日 | Weblog
てんしやう十八ねん二月二十八日に、
をたはらへの御ぢんほりをきん助と申、
十八になりたる子をたゝせてより、
又ふためともみざるかなしさのあまりに、
いまこのはしをかける成、
はゝの身にはらくるいともなり、
そくしんじやうぶつし給へ、
いつかんせいしゆんと、
後のよの又のちまで、
此かきつけを見る人は、
念佛申給へや、
卅三年のくやう也。

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天正十八年二月十八日に、
小田原への御陣堀尾金助と申。
十八になりたる子を立たせてより、
又ふため とも見ざる悲しさのあまりに
今この橋を架けるなり。
母の身には落涙ともなり、
即身成仏し給へ。
逸岩世俊と後の世のまた後まで、
此の書付を見る人は、
念仏申し給へや。
卅三年の供養也。

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私はこの文章を故益田勝美先生から教わった。
日本の最も美しい文章として。

その時には、あまりよくわからなかったが、
今は、痛いほどよくわかる。

これほど深い母の愛はない。
そして、日本的な、極めて日本的な、
深い悲しみの表現でもある。

名古屋の熱田を流れる精進川に架かった、
裁断橋の銘文である。

小田原の陣に豊臣秀吉に従って出陣し、
戦没した十八歳の堀尾金助という若者の
三十三回忌の供養に母が架けた橋の銘文なのだが、
詳しくは保田輿重郎の『日本の橋』をお読みいただきたい。

ただ、
十八歳で命を落とした子どものために、
年老いた母が、
橋を架け、
息子のために念仏を唱えて欲しいと願う心を刻みつけた
その思いに触れたとき、
その心の深さに、
私は思わず身震いする。

野口英世の母シカが、
息子のために文字を習い、
初めてたどたどしい文字で息子に当てた手紙にも
心揺さぶられたが、
この銘文にはまた違う重さがある。

私たちは、人間の死に、
いや、人間の生に、
どこまで真剣に向き合っているのだろうか。

この母の気高さ、美しさには、及ぶべくも無いどころか、
このことの意味さえわからなくなってはいないだろうか?

死んだ息子があの世で成仏できるように、
橋を架け、橋を渡る見ず知らずの人たちからも
逸岩世俊という名前と念仏を唱えて欲しいと願う心が、
私にはとてつもなく切なく響く。






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