「本来無一物」
私たちは何も持たずに生まれてきて、
何も持たずにこの世を去っていく。
本来、執着すべきものは何も無い。
一切は、空である。
本来の心(仏性)にはもとより塵や埃はなく、
「空」や「無」と云う悟りにさえもとらわれない。
無一物の境地は、そのまま「無一物中、無尽蔵」の世界。
私たちは何も持たずに生まれてきて、
何も持たずにこの世を去っていく。
本来、執着すべきものは何も無い。
一切は、空である。
本来の心(仏性)にはもとより塵や埃はなく、
「空」や「無」と云う悟りにさえもとらわれない。
無一物の境地は、そのまま「無一物中、無尽蔵」の世界。
茶席の床にもよく掲げられています....。一見難解そうな禅語も、ふとした瞬間にドーン!と体の中に入ってくることがあります。そういった意味でも茶道のお稽古を始めてよかった、と思います。
茶道を習っている、と言うと「いいなぁ。そんな非日常の世界に憧れるよ」といった反応が返ってくることがあります。
しかし、先生の教えはそうではありません。「日常に活かしてこその茶道」。襖の開け閉め、茶碗の持ち方、布巾の絞り方、会話やちょっとした心遣いまで...すべてにおいてそれが日常生活に活かされるような茶道を目指すように言われています。なかなか難しいですが、ひとつずつ理解し、身につけていくしかありません。
★話は変りますが
駅に置いてあった薄い月刊誌を手に取りました。「特集 人はなぜ勉強するのか」。中高生兄妹の家庭を舞台に、わかりやすいドラマ仕立てで「なぜ勉強するのか」を考えるものです。
子どもから「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」と問われて、ズバリ回答できる大人がどのくらいいるでしょうか。自分でも襟を正しながら読み進みました。
あとがきとして岩橋文吉氏著「人はなぜ勉強するのか 千秋の人吉田松陰」が紹介されており、『私たちは、自分の内にある純金を自分の手で探し出し、それを一生磨き上げ、その輝きを社会のため、人のために役立てていきたいものです』という結びの言葉が印象に残りました。