日本の未来は、客観情勢として明るくはない。
国の多額の借金、少子高齢化、縮小するマーケット…。
しかし、活路はある。
それは、一人一人が危機感を抱き、
真剣に学び、自分の強みを磨き、
子どもも大人も志高く生きる社会を実現させることである。
しかし、現実の壁は厚い。
なぜなら、もう子どもたちの心の底にまで、
「損か得か」という価値基準がしみこんでいることを痛感するからである。
勉強をするにしても、
それをすることが「損か得か」。
理解するより考えずに暗記する方を選ぶのも、
受験を考えると「得」だから。
覚えた方が「楽」だから。
掃除をするにしても、
ボランティアをするにしても「損か得か」。
人の話を聞くか聞かないかも「損か得か」。
もはや、
そんな子どもや若者たちの心を磨いていくのは、
ほぼ不可能に近い、至難の業である。
一体、なぜ、そんな悲惨なことになったのかをよく考えて欲しい。
生まれたときの赤ん坊は、
「損か得か」などで行動してはいない。
誰がこの「損か得か」という価値観を
子どもたちの心に先入主として植え付けたのかと言えば、
それは、やはり大人でしかあり得ないのである。
思考力や志や気概を失った子どもたちは、
やがて成人して、国家が破綻していく
断末魔の姿に立ち会うことになったとしても、
眼を覆って見ないようにするか、
かつての父祖の世代への
呪いの言葉を発することぐらいが関の山ではないかと思う。
何としてでもこの困難を克服しようという気概、
その方法を試行錯誤して考え抜く思考力、
社会のために力を尽くそうという志は、
もはや社会全体から失われてしまったのである。
そうしたかけがえのない大切なものは、
残念ながら今の子どもたちの手の中にないのである。
それを大人たちは、
持たせてあげることができなかったのである。
自分自身が、
目先の「損得」という価値観でしか、
子どもを育ててあげられなかったから…。
私のやっていることなど、
もはやごまめの歯ぎしりにもなりはしません。
無念であり、痛恨の極みであります。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。
この絶望的な状況は直視しなければなりません。
しかし、絶望を語るのは、
絶望しているからではありません。
絶望的な状況を語り続けることが、
一人でも新たな希望への道を歩んでくれる同志を集める
道しるべとなるのではないかと思うからなのです。
国の多額の借金、少子高齢化、縮小するマーケット…。
しかし、活路はある。
それは、一人一人が危機感を抱き、
真剣に学び、自分の強みを磨き、
子どもも大人も志高く生きる社会を実現させることである。
しかし、現実の壁は厚い。
なぜなら、もう子どもたちの心の底にまで、
「損か得か」という価値基準がしみこんでいることを痛感するからである。
勉強をするにしても、
それをすることが「損か得か」。
理解するより考えずに暗記する方を選ぶのも、
受験を考えると「得」だから。
覚えた方が「楽」だから。
掃除をするにしても、
ボランティアをするにしても「損か得か」。
人の話を聞くか聞かないかも「損か得か」。
もはや、
そんな子どもや若者たちの心を磨いていくのは、
ほぼ不可能に近い、至難の業である。
一体、なぜ、そんな悲惨なことになったのかをよく考えて欲しい。
生まれたときの赤ん坊は、
「損か得か」などで行動してはいない。
誰がこの「損か得か」という価値観を
子どもたちの心に先入主として植え付けたのかと言えば、
それは、やはり大人でしかあり得ないのである。
思考力や志や気概を失った子どもたちは、
やがて成人して、国家が破綻していく
断末魔の姿に立ち会うことになったとしても、
眼を覆って見ないようにするか、
かつての父祖の世代への
呪いの言葉を発することぐらいが関の山ではないかと思う。
何としてでもこの困難を克服しようという気概、
その方法を試行錯誤して考え抜く思考力、
社会のために力を尽くそうという志は、
もはや社会全体から失われてしまったのである。
そうしたかけがえのない大切なものは、
残念ながら今の子どもたちの手の中にないのである。
それを大人たちは、
持たせてあげることができなかったのである。
自分自身が、
目先の「損得」という価値観でしか、
子どもを育ててあげられなかったから…。
私のやっていることなど、
もはやごまめの歯ぎしりにもなりはしません。
無念であり、痛恨の極みであります。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。
この絶望的な状況は直視しなければなりません。
しかし、絶望を語るのは、
絶望しているからではありません。
絶望的な状況を語り続けることが、
一人でも新たな希望への道を歩んでくれる同志を集める
道しるべとなるのではないかと思うからなのです。