つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

長谷川ひろ子さんの「生死」

2019-07-29 | 映画・TV・演劇

 昨日は、徒歩2分の医療クリニックで、長谷川ひろ子さん監督の「生死」という映画を見ました。全国を監督自身が映画を紹介しながらトークも交え、ピアノも演奏しながら回っておられるのです。昨日は、401回目。前日は同じ会場で400回目が公演されました。ある人は50回も見ておられます。この日も二度目以上の人が複数おられ、千葉からの人もありました。

 彼女は、フリーアナウンサー、シンガーソングライター、そしてジャズ体操インストラクター。映画製作も一人で出来ます。薬学博士(京大出) で研究者の夫君が、10年前47歳で耳下腺癌のため他界。15歳を頭に4人の子を残して・・・彼女は3年間は何もできなかったらしいのですが、プラス思考の生き方に変え、亡き夫君の映画を製作。夫君は癌告知を受けた後、ビデオを撮るよう遺言されていました。

 彼女は、昔から言われている「人は畳の上で死にたい」という願望を実現。救急車は拒否すべきことと言われています。ベッドでチューブにつながれた姿は見たくないということです。夫君の死後に遺体を囲んで寝られました。死後の顔を清めることも5人順番になされました。遺言も直接聞かれました。

 夫君の死後7年後の7回忌のDVDを拝見しますと、彼女の生き方が間違っていなかったことが証明されます。夫婦揃った家庭の子たちより、よほどよりしっかりしています。

 「生死」の、死の文字を一とタとヒに分けて読み、生きたひ、行きたひ、活きたひ、逝きたひ、生きた日、などと言われています。また、臨終は、臨命終時という言葉が略されたとか・・・彼女は公演中に死にたいそうです。ピンピンコロリで。

 全国巡回が何故か岐阜県が最多。夫君のお父上が岐阜の中津川市付知出身ということで、霊界からのメッセージを感じました。彼女は秋田市出身、埼玉県在住。映画は撮影禁止のため、撮っていません。

ちらし

午前中もトーク

ビアノ伴奏で故郷を手話で歌いました 手話も彼女の指導

映画の後のトーク

 

お二人の著書 アートヴィレッジ発行 164頁

 

コメント (4)
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