29日と30日は、放送大学面接授業があり、テーマは「岐阜の歴史と文化ー信長&鵜飼」。5人の講師により、フロイスと信長、発掘調査跡見学、鵜飼の歴史とか盛り沢山の内容で話されました。来年は大河ドラマで岐阜にゆかりのある明智光秀が登場するからか、聴講生の半分以上は、県外でした。二日間の講義ですから、場合によると二泊しないと間に合いません。
一日目の信長公居館跡発掘調査跡の見学が一番よかったです。前に夫と行きましたが、肝心の滝を見逃していました。やはり専門家のお話を聞きながらの見学は有意義でした。ブラタモリでも放映していた庭園に取り入れられた岸壁とか、500年前からの滝とか・・・
鵜飼の歴史は、幕末から明治にかけて大きな変化があり、鵜匠宅に残されている古文書も学習。長良川の鮎をなれずしにして江戸に飛脚で運んでいた時代から、観光鵜飼に変遷してゆくのも時代の流れ。尾張藩の支援が幕末に途絶えると鵜匠たちの生きる道は観光。こうして1300年間引き継がれています。
フロイスが4通も同じ内容の手紙を布教報告として出していたのは、難破の恐れがあったこと。幸い難破せずすべてポルトガルに届けられ、信長居館がどんなに豪華であったことかがうかがえる重要な証拠資料になり残りました。4種類の翻訳本も出ています。3階建ての居館の二階は濃姫が素晴らしい部屋に住んでいました。6つの庭に6つの池があり、居館は金箔の瓦でまばゆいばかりでした。バーチャル映像はまるで夢の国です。
岐阜が信長に統治される前までの歴史の流れも詳しく講義され、土岐家と斎藤家の確執は1970年代に放映された大河ドラマの「国盗り物語」を思い出しました。ところがこれを見たのは、ほんの僅かの人で、年齢を感じました。
以前ある東京のブロガーが岐阜の歴史の記事を書く中で、斎藤妙椿と斎藤道三の区別を何度説明しても分かってもらえなかったことがありましたが、この講義を伝えたいと思いました。
4回分あるフロイスの手紙
ポルトガル語の手紙
ブラタモリでも紹介された信長居館跡 絶壁が庭に取り入れられ滝も流れていました。
居館跡の滝 500年前と同じ流れ