昨日は、奈良の前田様から奈良の初詣の写真が送られてきました。奈良に住むと、古刹の除夜の鐘は鳴らせるし、自由に写真が撮れるとはとても羨ましい特権です。確か、この時季だけ東大寺大仏殿の上の方の小窓が開いて、大仏の顔が外からも見えると聞いています。以下はメール。
一昨日、奈良の前田さまから「かぎろひ」の連続写真が送られて来ました。冬の早朝で、寒いのにたくさんの写真を撮られました。以下はメール。
「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂の有名な歌ですが、画家の中山正光さんが、「阿騎野の朝」と題して、この歌に基づいて軽皇子が父草壁の皇子が行った阿騎野の狩りを再現する絵を描かれています。中山画伯は気象台に照会する等して、この歌が詠まれた狩りの日を、陰暦の11月17日と突き止めました。
地元、奈良県宇陀市のかぎろひの丘では、毎年この日の朝4時から焚火を焚いて、かぎろひの出現を待ちます。
今では、ツアーバスで訪れる人もあって沢山の人が訪れます。
今年は12月13日がその日で48回目を数えました。私は、その日を待たず、快晴が予測される12月10日に、かぎろひの丘ならぬ葛城山麓道路に出掛け、大台ケ原から高見山まで見渡せる位置で夜明けをまちました。期待した程のかぎろひは見れませんでしたが、夜明け前の時の移ろいと風景の変化を目の当たりにして、素晴らしい夜明けを体験しました。
滋賀県にある大池寺(だいちじ) にGさんが行かれて、ラインで写真が送られて来ました。お隣の滋賀県に行基菩薩の建立した釈迦如来がある寺があるとは知りませんでした。火災に遭ったらしいのですが、仏像は運び出され、無事今日に伝えられたようです。建立は、743年。天平時代です。火災で焼失して長く風雨にさらされていたのですが、織田信長の甥が再興。寺紋は織田家の「織田モッコウ」となっています。パンフレットと美味しいおみやげまで頂き恐縮しています。 美味しかったです。
頂いたお菓子
一昨日は、東京の友人から東大の懐徳館庭園も見られる一般公開があると誘われたので、上京しました。以前にも学内のツアーがありましたが、あの時は入れなかったのです。旧加賀藩主前田公が明治時代、天皇や海外の国賓を招待するために建築。赤門も前田藩のものでした。東大と駒場の前田藩の敷地を交換する形で、文部省のものとなりました。
前田公は、戦災ですべてを失いましたが、広い敷地を戦災で家を焼かれた人たちの避難場所に提供しました。明治に建築された時は立派な洋館と和館が並んでいました。たった37年しか使用しなくて、戦争で焼失。和館だけ規模は小さくても再建されました。広大な池には滝もあり、モーターで低いところから水が揚げられていました。今は枯れています。超多忙のスケジュールの中にあり、学内にいるはずの孫とは、連絡しませんでした。
友人が神田明神にも行きたいということで、タクシーで向かいました。1300年の歴史があることを初めて知りました。その日は縁日にあたっていたらしく、特設舞台では雅楽が演奏され、ラッキーでした。
東大総合図書館
東大懐徳館庭園
戦後再建の和館
昼は薬学部14階でイタリアン
神田明神の特設舞台
昨日は台風19号で日本列島は大荒れ。飛行機は当然のこととして、新幹線、在来線も殆どストップ。今台風は東北沖を北進中です。当地方は進路の西側に位置していますので、風も雨もそれほどの強さはなかったです。昨夜、千曲川が長野市穂保地区で決壊して浸水。救助中です。多摩川をはじめ関東各地の河川が氾濫。浸水し、悲惨な状況になっています。被災された方にお見舞い申し上げます。
昨日は奈良の前田さまからたくさんの写真が送られてきました。発掘調査にもよく行かれて有難い報告です。以下は、メール。
写真説明 本薬師寺ホテイアオイは写真に名前を付けてあります。藤原京は NO①南門跡から大極殿跡NO②大極殿跡№③パネル説明NO④回廊建物復元図NO⑤現場説明風景№⑥調査区平面図№⑦~№⑩は藤原宮跡地に植栽されたコスモス畑で後方は天の香久山」
14日に前田さまからコメント頂き、記事を追加します。
写真⑪~⑮の説明が漏れていました。 ⑪本薬師寺周辺の休耕田に植栽されたホテイアオイ ⑫背景に映っているのは畝傍山で、右後方は二上山 ⑬彼岸花とホテイアオイとのコラボ ⑭本薬師寺金堂跡の礎石 ⑮本薬師寺東塔の基壇跡、後方は天香具山
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二日目は、宿より徒歩10分の東照宮と宝物館、輪王寺と宝物館、逍遥園などを拝観しました。27年前は宝物館は見ていませんでした。平成27年にリニユーアルされ、モダン。入り口は無人で、チケットのバーコードをかざすだけで自動的にドアがオープンします。陳列は家康遺愛のものを中心にしてあります。輪王寺の宝物館も素晴らしかったのですが、どちらも撮影禁止。カタログを求めました。
前回は宝物館に入らなくて知らなかったですが、日光は古く天平時代に遡ります。この時代に作られた千手観音は素晴らしいもので、国宝。家康の宝物ばかりに気をとられてしまいがちでしたが、この古き時代のものを関東でみられたのもよかったです。関西には多いのですが・・・
奈良時代勝道上人により日光山は開かれました。27年前には男体山を間近に見る、中禅寺湖畔の宿に泊まり、華厳の滝も拝観しました。この度は、東照宮と田母沢ご用邸に近い宿を取りました。このスケールの大きな寺院は一度では見らません。前回は家光を祀る大猷院も拝観しています。今回は修学旅行の時期らしく、外国人に交えて子供たちが多かったです。でも宝物館はガラガラ。この中も見る価値はありますが、次の行程があったのでしょう。
輪王寺 逍遥園 この時は雨
輪王寺宝物殿にあった天平時代の千手観音 国宝
修学旅行の生徒たちがあふれる陽明門 雨も上がりました
眠り猫
朝食
着いた時出された抹茶
宿のトイレの片隅にあった匂い袋 器は仙台彫
昨日まで1泊で日光田母沢御用邸と東照宮に夫と出かけていました。子供から旅行券を頂いて年内には行きたいと計画を立てていました。以前から友人のブログで日光田母沢御用邸のことが書かれてあったこともあり、候補にしていました。
御用邸の嚆矢は、明治時代、資産家小林氏の別邸。その後大正天皇の御用邸となりました。戦時中は上皇さまが疎開生活を送られていました。部屋が106室。広さは7000坪。自然に囲まれ、庭には水も流れています。
度々増改築が行われ、平成15年には国の重要文化財となりました。園内には上皇さま、上皇后さまお手植えのイチイの木もあります。金網で囲われているのは野生の鹿が侵入し食べてしまうということからでした。
日光は、27年ぶりですが、その頃はまだ御用邸は公開されていませんでした。東京に居たので、車で日光街道の杉並木を走りましが、今回は初めてのJR日光線。外人客も多いせいか、英語、中国語、スペイン語のアナウンスでした。東北新幹線は10年ぶりでしたでしょうか。
昨日の帰りはとんでもない場面に出くわし、帰宅が一時間の遅れ。JR名古屋から名鉄に乗り換えたとたん、下車予定駅の笠松駅で人身事故のアナウンス。電車は一宮でストップ。皆さんはJRに乗り換えて岐阜に向かわれましたが、私たちはタクシーで。家まで30分以上かかりました。岐阜に行き、タクシーに乗っても所要時間は殆ど同じなのです。岐阜・笠松間は電車で5分、一宮・笠松間は、7分です。
パンフレット
曇り空の富士山
東北新幹線
御用邸庭で
内部
庭のせせらぎ
夕食
デザート
リニューアルされたJR日光駅
日光駅二階の貴賓室
昨日は、放送大学の研修旅行で、大垣方面に出かけました。テーマは、「水害と輪中 伊勢湾台風から60年」。県内の資料館巡りで、半日コース。午後集合でした。輪中は県外の人には分かりにくいと思います。地区ごとに堤防を周囲にめぐらし、洪水を防ぎます。江戸時代には県内に80カ所くらいありましたが、今は一部だけ残ります。新しい道路網となり消えて行きました。
木曽川と長良川を分離する大工事はオランダのデレーケの指導によるものでした。その前に何度も木曽川、長良川、揖斐川は氾濫するので、薩摩藩が治水工事をしてくれました。これは16回に及びます。他の藩からも金銭的に多くの援助を受けました。今このことで岐阜県と鹿児島県は姉妹県です。
伊勢湾台風(昭和34年)の犠牲者は、ほぼ5000人。阪神淡路大震災が起こる前までは、第二次大戦後の自然災害第一位でした。犠牲者3000人以上の台風は、室戸台風(昭和9年)、枕崎台風(昭和20年)とともにこれは3大台風と言われています。伊勢湾台風の国際名がVeraであることを初めて知りました。バスの車内では岐阜大名誉教授の藤田裕一郎先生の話を聞きながら過ごしました。その資料の中に遠縁の安藤萬壽男先生の著書が引用されていました。亡父とは専門分野は違いますが、親友で輪中の本も頂いています。
8時前の今こちらは晴天ですが、早朝に千葉に上陸した15号台風が関東を北上中。周辺の皆様お気をつけください。
資料より 伊勢湾台風の規模
安藤先生の輪中に関する本の一部
大垣市輪中館館長さんの話
海津市歴史民俗資料館館長さんの話
右が木曽川で左が長良川 分離工事されました
川の水位を調整すための金廻四間樋の遺構 水中から発掘されたもの
3カ月ぶりに前田さまから、奈良だよりが届きました。藤原京跡の蓮の花の写真がたくさん送られてきましたので、報告します。以下はメール。
花の季節にふさわしい花だよりが奈良の前田さまから届きましたので紹介します。以下はメール。
カラー フリージア
ムギナデシコ コデマリ
クンシラン オオテマリ
フジ フジ2
シロフジ シロフジ2