昨日は、奈良の前田さまから新緑の葛城山と、芍薬の写真が送られて来ました。ここでは芍薬は花ではなく薬剤として根が目的で栽培されています。コロナの影響で観光客もないようです。以下は、メール。







昨日は、奈良の前田さまから新緑の葛城山と、芍薬の写真が送られて来ました。ここでは芍薬は花ではなく薬剤として根が目的で栽培されています。コロナの影響で観光客もないようです。以下は、メール。
昨日奈良の前田さまより、花だよりが寄せられました。いつも丹精こめられています。8種類の花を送信下さいました。どれも過去には我が家にもありましたが、全部ダメにしてしまいました。懐かしい花ばかりです。以下はメール。
先日に続いてまた奈良の前田さまより花だよりが届きました。以下はメール。
『春の大和は何処へ行っても桜が眺められます。吉野山は山桜で、今は下の千本から上の千本まで満開ですが、新型コロナの影響で観光バスが70%ほどキャンセルされて、山はガラガラのようです。ソメイ吉野の桜は奈良の佐保川が一番素晴らしいと思います。奈良奉行「山路聖謨」の先見の明が今日の景色を伝えています。弥生遺跡の唐古・鍵史跡公園も、池の周囲に植栽された桜が見頃を迎えていました。紀元前1世紀の壺の破片に描かれていた、楼閣の絵画を基に刻み梯子で登る、高床式建物が復元されています。
写真の説明をしておきます。
① 唐古・鍵史跡公園入口 ② 楼閣の絵画が描かれた紀元前1世紀の壺の破片 ③ ④ 桜の花の中の楼閣 ⑤ 高床へ登る刻み梯子 ⑥ 池の面には花筏が出来ていました。 ⑦ 唐古池の東方に見える、「三輪山」』
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3月末に続いてまた奈良の前田さまから花だよりが届きました。葵徳川三代の大河ドラマはよく覚えています。最初の字幕のシーンのバックに又兵衛桜が使われていました。以下は、メール。
昨日は、奈良の前田さまより古都の春のたよりが寄せられました。藤原宮跡は、40年位前、前田様に姫路の友人と共に案内していただきました。以下はメール。
昨日は、奈良の前田さまから、メールが来ました。大相撲初場所で優勝した徳勝龍は奈良県出身。前田様と同郷です。以下はメール。
昨日は、奈良の前田様から奈良の初詣の写真が送られてきました。奈良に住むと、古刹の除夜の鐘は鳴らせるし、自由に写真が撮れるとはとても羨ましい特権です。確か、この時季だけ東大寺大仏殿の上の方の小窓が開いて、大仏の顔が外からも見えると聞いています。以下はメール。
一昨日、奈良の前田さまから「かぎろひ」の連続写真が送られて来ました。冬の早朝で、寒いのにたくさんの写真を撮られました。以下はメール。
「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂の有名な歌ですが、画家の中山正光さんが、「阿騎野の朝」と題して、この歌に基づいて軽皇子が父草壁の皇子が行った阿騎野の狩りを再現する絵を描かれています。中山画伯は気象台に照会する等して、この歌が詠まれた狩りの日を、陰暦の11月17日と突き止めました。
地元、奈良県宇陀市のかぎろひの丘では、毎年この日の朝4時から焚火を焚いて、かぎろひの出現を待ちます。
今では、ツアーバスで訪れる人もあって沢山の人が訪れます。
今年は12月13日がその日で48回目を数えました。私は、その日を待たず、快晴が予測される12月10日に、かぎろひの丘ならぬ葛城山麓道路に出掛け、大台ケ原から高見山まで見渡せる位置で夜明けをまちました。期待した程のかぎろひは見れませんでしたが、夜明け前の時の移ろいと風景の変化を目の当たりにして、素晴らしい夜明けを体験しました。
滋賀県にある大池寺(だいちじ) にGさんが行かれて、ラインで写真が送られて来ました。お隣の滋賀県に行基菩薩の建立した釈迦如来がある寺があるとは知りませんでした。火災に遭ったらしいのですが、仏像は運び出され、無事今日に伝えられたようです。建立は、743年。天平時代です。火災で焼失して長く風雨にさらされていたのですが、織田信長の甥が再興。寺紋は織田家の「織田モッコウ」となっています。パンフレットと美味しいおみやげまで頂き恐縮しています。 美味しかったです。
頂いたお菓子
一昨日は、東京の友人から東大の懐徳館庭園も見られる一般公開があると誘われたので、上京しました。以前にも学内のツアーがありましたが、あの時は入れなかったのです。旧加賀藩主前田公が明治時代、天皇や海外の国賓を招待するために建築。赤門も前田藩のものでした。東大と駒場の前田藩の敷地を交換する形で、文部省のものとなりました。
前田公は、戦災ですべてを失いましたが、広い敷地を戦災で家を焼かれた人たちの避難場所に提供しました。明治に建築された時は立派な洋館と和館が並んでいました。たった37年しか使用しなくて、戦争で焼失。和館だけ規模は小さくても再建されました。広大な池には滝もあり、モーターで低いところから水が揚げられていました。今は枯れています。超多忙のスケジュールの中にあり、学内にいるはずの孫とは、連絡しませんでした。
友人が神田明神にも行きたいということで、タクシーで向かいました。1300年の歴史があることを初めて知りました。その日は縁日にあたっていたらしく、特設舞台では雅楽が演奏され、ラッキーでした。
東大総合図書館
東大懐徳館庭園
戦後再建の和館
昼は薬学部14階でイタリアン
神田明神の特設舞台