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未唯への手紙

未唯への手紙

フィリピン市民社会 NGOの活発な政治参加

2017年01月22日 | 3.社会
『フィリピンを知るための64章』より

東南アジア諸国においては、都市中間層や社会運動体、メディアなどから構成される市民社会の諸集団が、伝統的なエリー卜に対峙する存在として注目されてきた。フィリピンも例外ではなく、キリスト教会から左派組織、社会運動体、NGO、草の根の住民組織、メディアといった多様な市民社会のアクターが、今日まで、大きく二つの役割を担ってきた。

その一つは、サービスの提供である。国家による社会福祉サービスが十分ではない開発途上国では、国内外の民間団体が、政府に代わって社会的弱者への慈善事業を展開する例が多くみられ、こうした団体の多くはいわゆる「非政府組織(NGO)」と呼ばれる。

二つ目は抗議活動などの政治的活動である。毎年2月25日のエドサ革命記念日、5月1日の労働者の日、7月最終月曜日の大統領施政方針演説の日、その他、大規模な国際会議の前後にフィリピンの各地で繰り広げられる大規模な路上デモは、この国の風物詩となっている。

他の東南アジア諸国と比べ、フィリピンでは、「NGO業界(NGO Industry/ NGO Society)」という言葉があるほどNGOの絶対数が多い。フィリピン政府はNGOに対し、政治的にも経済的にも、活動制限を課すことはほとんどない。

フィリピンで「NGO業界」が発達した背景・理由としては二つのことが挙げられる。

第一は人材である。マルコス政権下では、高等教育を受けた20~30代(当時)の若者らがフィリピン共産党を中心とする左派運動と結びついた民主化運動に共鳴し、都市スラムや農村、山岳地帯の僻地に住み込みながら大衆動員の方法論を学んだ。1986年のエドサ革命後、これらの「学生運動世代」が一斉に社会に戻った際に、彼らの受け皿となったのがNGOであった。

第二は資金である。他の東南アジア諸国に先駆けて民主化を達成した1986年以降、欧米のドナーからのフィリピンヘの資金援助は激増した。国際社会の称賛を受けながら社会復帰を果たした「元活動家」らは、洗練された英語でフィリピンの社会問題を世界に向かって発信し、さらなる資金を呼び込んだ。彼らはNGOの幹部や理事に就任し、やがてはフィリピン社会のオピニオンリーダーになった。彼らをリーダーに据え、欧米からの潤沢な資金を受け取ったNGOは、多国籍企業や国際機関での職務経験があり、先進国の大学院で学んだ有能な職員を雇用してきた。フィリピンでは、国家公務員やフィリピン大学の教員よりもNGO職員の給与のほうが高い、という話は現在でもよくきかれる。

このようにフィリピンNGOは日本よりもはるかに人材の層が厚い。それに加えて、アメリカ型大統領制のもとでの官僚制度は、フィリピンのNGOをさらにユニークなものにしている。

アメリカ同様にフィリピンでは、選挙職によって任命される(いわゆる「政治的任命職」の)高級官僚、公務員の割合が高いため、大統領や知事、市町村長の采配によって、NGO経験者が一時的に公務員として採用されるケースは少なくない。エストラーダ政権下で農地改革大臣に任命されたホラシオ・モラレス、アロヨ政権とアキノ政権下で社会福祉開発大臣に任命されたコラソン・〝ディンキー〟・ソリマン、アキノ政権下で国家貧困対策委員長に任命されたジョエル・ロカモラらはいずれもNGO幹部の経験を買われて入閣した。彼らはそれぞれ、各省庁の№2や№3である次官や次官補に腹心のNGO職員を任命する。いうなれば、市民社会の組織が政治社会に一時的に「出向」する形になる。日本では想像しがたいことであるが、これも先述の通り、NGO人材の相対的な優秀さに起因する。NGO職員が突然に閣僚や高級官僚に任命されて行政職をつかさどることができるのだから不思議である。地方自治体レペルでも、「NGO事務局」の長には、市長とかねてから懇意のNGO団体の職員が就任し、そのNGOに近い住民グループがそっくりそのまま、清掃員や警備員として臨時職員として市庁舎で雇われている例は珍しくはない。つまり、政府組織と民間との垣根が低く、6年ごとの大統領選挙、3年に二度の地方選挙のたびに、政府とNGOとの間で人材の交換が行われるのである。

もちろん、こうした人事はしばしば、公平性の観点から批判を受けることもある。「あの大臣は自分がかつて勤務していた系列NGOばかりを優遇する」「某市のNGO事務局に出入りできる『NGO』はもっぱら市長のお抱え団体だ」--NGO業界内では、こうした噂話が日常的に交わされる。NGOが政治力をもつことが可能な社会においては、NGOの命運は、資金や組織力だけでなく、政治家や政府組織への属人的なネットワークに決定的に依拠する。これが、NGOによる政治活動に拍車をかける。選挙が近づくと、日頃の活動はそっちのけで選挙活動に邁進するNGO職員も多い。「あの政党が勝利すれば、我が団体の理事が社会福祉省の次官あたりに任命され、結果的に我が団体の提案も通りやすくなる……」と考えるのである。

こうしたNGOの政治化は、アメリカ型の官僚制度だけでなく、歴史的な左派運動とも大いに関連がある。86年の民主化後にNGOに転向した活動家らは、90年代前半の共産党の分裂を受けて派閥化した。その流れを受け、NGOもまた派閥化していった。もちろん、日本や他の国と同様にフィリピンの左派運動も70年代当時から、一枚岩としての政治的党派を築いていたわけではない。毛沢東主義に啓蒙されて農村でのゲリラ活動によって革命を目指していたグループもあれば、マルコス政権の人権弾圧に異議を唱えるグループ、貧困層に寄り添いながら国家の富の再配分の失敗やひいては社会システムの矛盾を批判するようになったカトリック教会の基礎共同体、そして後年のマルコス大統領の汚職を糾弾するグループまで、左派運動の出自はさまざまであった。そして、そのような経歴をもつNGO幹部らは、左派運動時代の大衆動員の手法をNGOの活動に転用したり、貧しい住民に対して啓蒙的な態度をとったりしがちである。実際にNGOは貧しい人びとの側から、「押しつけがましい」「中立ではない」として批判されることがある。

ここに、フィリピンNGOのジレンマがある。社会正義を標榜し、豊富な人材と人脈を駆使して政策提言を行ってきた彼らだが、政治に参画すればするほど、市民社会のエッセンスであるべき「国家からの中立」や「公正性」が侵犯されるという事態が生じるのである。

欧米の資金を基盤とした組織の絶対数の多さ、NGO業界を支える人材層の厚さ、そしてアメリカ型官僚制度に基づく政府との「人事交流」。民主化後、これらは長らくフィリピン市民社会の強みであった。しかし、フィリピンは世界の中でも東南アジアの中でも「中進国」となりつつあり、ミンダナオの紛争地域を除いては、すでにドナーも撤退しつつある。政治的不偏性や中立性、サービス受益者への説明責任という点において、フィリピンNGOは厳しい監視の目にもさらされている。

こうした政治条件は、NGO間の健全な競争に繋がるのだろうか。あるいは、政治社会と市民社会の両方で経験を蓄積した人材は、異なるセクター間の風通しの良さに貢献できるのだろうか。フィリピンのNGO業界もまた、新しい時代を迎えている。

フィリピン アメリカ植民地期 作られた「恩恵」の物語

2017年01月22日 | 4.歴史
アメリカ植民地期はおよそ二つの潮流の結節点だった。第一には、北米大陸の東部から西への膨張である。アメリカ人はインディアンを殺戮し、土地を奪い、移住を繰り返すことにより西海岸まで領土を拡げていく。19世紀末には、ハワイ、グアム、北マリアナ諸島、さらにはサモアの一部を領有し、環太平洋帝国になっていく。その延長として、フィリピンを植民地化した。第二には、旧帝国スペインから新興帝国アメリカヘの覇権の移行である。フィリピンでは1886年8月にそれまでの植民地支配者スペインに対する独立革命が勃発し、その後は革命運動が優位に進行していた。しかし世界史の皮肉とも言えようが、革命運動が独立を勝ち取る前に、フィリピンはもう一つの帝国アメリカによって再植民地化されるのである。

フィリピン革命は、フィリピン諸地域の統合も統一国家の樹立もできなかったものの、その過程においては近代的な共和制を柱とする憲法が制定され、一部では行政改革も行われた。東・東南アジアでは先駆的に近代国家の建設が着手されていた。アメリカ軍は圧倒的な武力により革命軍を破り、数万、数十万とも言われるフィリピン人を殺し、革命を挫折させた。歴史において「もし」は答えようがないので、アメリカが介入しなければ、この革命運動がどのような国家を作りだしたのかは分からない。ところがアメリカ植民地主義は、自らの正当性を打ち立てるために、この革命運動の近代的意義を否定する。

アメリカは、革命運動をルソン島タガログ地方の反乱と決めつけた。そしてフィリピン人だけでは民主的な近代国家を確立できないという前提の下で、アメリカによるフィリピン植民地化は近代をもたらす「恩恵」であるという物語を作りだそうとした。この物語は、アメリカ人統治者のフィリピン社会観に合致するものだった。彼らは、フィリピン社会とは農村に根ざした小規模のボスと徹底的に搾取された小作人から構成されると理解した。そして、そのような小作人に教育を与えれば、彼らを農村のボス支配から解放でき、民主的かつ近代的な社会を構築できると考えていた。

植民地の状況は、「恩恵」の物語にとって好都合な側面もあった。たとえば、植民地においてはアメリカ人による人種差別は厳然と存在したが、初期を除けば、アメリカ人の総数は極めて少なく、ほぼアメリカ人不在の植民地が成立する。マニラのような都市の外では、フィリピン人が出会うアメリカ人といえば、学校の先生くらいだった。そのため人びとを人種別に区分し、有色人種を差別するカラーラインはアメリカ本土では明確に引かれる一方、フィリピンにおいては曖昧だった。それでいて都市にあってはアメリカ化が進んだ。アイスクリーム・パーラーができ、ジャズが流行し、映画館ではアメリカ映画が上映された。一部にはアメリカの中産階級を真似た消費生活が誕生した。

さらにアメリカの植民地政策は、表面上はこの物語に当てはまるものだった。アメリカ植民地主義はフィリピン人に自治を行わせる政治体制を確立していった。1907年には植民地議会を設置し、アメリカ人が否決する権限を有したものの、一応はフィリピン人による立法を行わせた。1916年には「安定した統治が確立され次第」独立を与えるとした「ジョーンズ法」が可決される。この法に基づき、アメリカ人優位の立法・行政機関「フィリピン委員会」はフィリピン議会上院に改変され、同じ時期に植民地行政の管理職レベルにおいてもフィリピン人に権限を委譲していった。加えて、それまで軍事政府の統治下にあった少数民族が住むルソン島の山岳部やイスラーム教徒がいるミンダナオ島が、植民地政府の管轄地域に編入された。植民地フィリピンはアメリカ人の下で、国家の統一がなされ、フィリピン人が近代国家の運営を学ぶ、壮大な社会実験の場となったのである。ただし1920年代になると、実力をつけたフィリピン人政治エリートが、アメリカ人植民地総督との衝突を繰り返すようになる。

このような植民地フィリピン社会のアメリカ化をさらに推し進めたのは、各地に設けられた学校だった。英語での教育が行われ、アメリカを舞台にした説話が教えられた。歴史教育ではフィリピン革命の意義はあえて看過され、アメリカはフィリピンに近代的な組織と社会の発展をもたらした勢力として描かれた。さらには、1904年に始まった官費渡米留学生制度は、有能なフィリピン人の若者をアメリカの大学に送り込んだ。留学から戻ってくると、彼らは教育官僚をはじめ、植民地官僚制度の中核を担うようになっていった。

しかし、この「恩恵」の物語が意図するように、アメリカ植民地主義はフィリピン社会を変えていったかというと、そのようなことはなかった。アメリカ植民地政府によってトップダウンで作られた植民地教育制度の下で、教育を受ける機会を生かすことができた人びとは英語を話す中間層を形成していく。その半面、そうした教育を受けられない人びとにとっては、新たな言語を使えないことが社会上昇の障害になった。学校を介し英語を習得できた中間層と十分な教育を受けられず英語習得ができなかった大衆の間には、深い溝が作りだされた。

つまり、アメリカ植民地主義の「恩恵」は多くの大衆には十分に浸透せず、フィリピン社会の深部にまで到達することもなかった。不満は社会の通奏低音となり、革命を望む意識はくすぶり続け、それは不穏な噂や千年王国的な反乱という形で間歇的に噴出した。アメリカの価値観を広める学校も農村部には十分になく、学校があったとしても多くのフィリピン人には3年ほどの初等教育を与えるに留まった。植民地教育は、農村での人びとの意識や生活、権力関係を大きく変えるものではなかったのである。

それにもかかわらず、フィリピンの政治的独立はアメリカ植民地主義の「恩恵」の物語を改めて強調することになった。1930年代前半にはフィリピン人政治エリートはワシントンDCに交渉団を送り、フィリピン独立を求めた。アメリカ連邦議会議員や高級官僚との交渉で、双方が納得できる独立の条件を調整していった。その結果、1934年5月に「独立法」がフィリピン議会で承認され発効し、1935年11月には独立準備政府「コモンウェルス」が発足する。外交・軍事関係はアメリカが引き続き権限を持つものの、内政においてはフィリピン人が統治する政体が出来上がる。そして「独立法」に従い、コモンウェルス成立から約10年、日本のフィリピン侵略を経た後の1946年7月にフィリピンは共和国として独立する。つまり、合意と調整の上でなされた独立は、フィリピン人の成長とそれを可能にしたアメリカ植民地主義の「恩恵」という物語に回収されていくのである。

20世紀史の中でのフィリピンの経験は、植民地の「近代」が侵略者の苛烈な暴力と共に生じ、一度もたらされてしまった近代に抗うことがいかに困難であるかを示している。また東・東南アジア史においては、19世紀末から20世紀初頭のフィリピンの経験は先駆的なものだった。対スペイン独立運動は、アジアでもっとも早く革命運動にまで発展した脱植民地化ナショナリズムだったし、中国の辛亥革命(1911年)より前に共和主義を標榜していた。さらにフィリピン植民地化は、軍事介入と「民主化」という、21世紀に至るアメリカの世界戦略の源流に位置している。フィリピンは沖縄・日本・韓国に先んじてアメリカに占拠され、アメリカの軍事基地が築かれた社会でもある。その意味において、アメリカ植民地期のフィリピンは、近隣アジア諸社会を尻目に半歩先を行く歴史の先導者だったのである。

知的自由と図書館の自由

2017年01月22日 | 6.本
『新しい時代の図書館情報学』より 「知的自由」(図書館の自由)概念の構造 ⇒ 総務省による図書館クラウド

市民と公権力

 ここで図書館の世界における固有の理念である「図書館の自由」、つまり(アメリカにおける)知的自由の概念について、図式化して考えることにしたい。一般にアメリカの連邦憲法修正1条や日本国憲法21条が保障している表現の自由と、表現の自由を行使するための前提となる知る権利は、図12-1のように市民に対峙する国家権力に対して、出版や報道などの事前検閲や公表差止め、出版物の押収や廃棄を含む事後の制裁、公的情報の秘匿などが国民主権の国家では許されないことを明らかにしている。表現の自由、知る権利は、一般に腐敗もしくは機能不全の統治権力に対抗するための基本的人権で、市民←→公権力の二面関係のなかで論じられ、透明度の高い政治行政過程を確保し、政府の説明責任を果たさせる仕掛けといえる。

市民の図書館利用にかかわる公的権利

 一方、「知的自由」(図書館の自由)という概念は、一定の反社会的事件をめぐって、誰からも干渉されない自由な読書を享受すべき市民である図書館利用者と、社会防衛を掲げて刑事捜査にあたる公権力との間」に介在する図書館のあり方を規律するものである。すなわち、市民(=図書館利用者)←→図書館←→公権力という直列三者関係の文脈において機能する。図書館利用者である市民は、知る権利を行使し、「公の施設」「教育機関」である図書館を平等に、かつ平穏に利用する法的権利をもっている。図書館は、利用者の知る権利に応えて、ありとあらゆる事柄に関する情報資料、対立するものの見方や考え方があるときにはそのいずれの立場の見解にもアクセスする自由をも尊重し、利用者市民の「知的自由」を確保しなければならない責務を負う。限られた資料費のなかで、これまでの人類社会の知的資産の箱庭を造成しなければならない。利用者が求める情報資料を所蔵していない場合には、図書館協力により、その欠を埋める。

 反社会的事件の捜査や公安・政治警察活動に従事する行政機関は、事案解決・予防のために必要な手がかりとなる情報を執念深く追及しなければならない。その過程においては、その活動により得られる社会防衛という公益に比例する範囲内で、また関係者の基本的人権など相互に抵触する諸利益との慎重な比較衡量をしつつ、捜査活動が展開されることが期待される。一般にその蓋然性は高いとはいえないが、関係する反社会的行為、反体制的活動をする者、またはしようとする者は、それらの行為、活動に必要な情報・知識、スキルを調達しなければならず、その大きな部分は文献情報を通じて獲得される。関係する文献情報およびデジタル情報は、図書館を通じて得られることが少なくない。公安・捜査機関の活動が図書館を射程に入れるのにはそれなりの合理性がある。

 しかし、殺人事件を素材とする推理小説を楽しむ者の多くは自らの手で他人を殺めることはしないし、銃器や刀剣、兵器に関する資料を読む者の多くがそれらを現実に使用しようとするわけではない。反体制派の思想に親近感をもつ人たちの大半もまたその思想を行動に移そうとすることもない。市民に安心して図書館を利用してもらうためには、図書館は公安捜査機関の相手を定めぬ闇夜の射撃のような行為を許し、無事の良民を拘束させることは断じて避けなければならない。違法不当な公権力の公安捜査活動に対抗する根拠となる理念が「知的自由」(図書館の自由)なのである。

図書館の主体性・独立性

 「知的自由」(図書館の自由)の理念を確立しようとすれば、図書館の主体性・独立性が必須不可欠である。ここでは、『アメリカ図書館法』(レイデンソン、1988)を参照しつつ、アメリカの公共図書館の法制度的構造を確認しておきたい。日本の図書館行政にとっても示唆するところは小さくないと考える。

 アメリカでは一般に、制度として、地域の名望家や図書館専門職の経験のある人たち数名のメンバーからなる図書館委員会(libraryboard ; 日本の関係書では「理事会」と訳されることが少なくないが、いわゆる独立行政委員会のひとっであり、図書館委員会と訳すべきものと考える)という合議制行政庁を構成する。徴税事務は地方公共団体に委任していても、この図書館委員会は独自の目的税を課し、図書館を管理しているため、図書館は組織外の圧力から一定程度遮断され、一応の独立性が確保されているとされる。日本の場合には、公立図書館は一般に教育委員会の内部の一部局にすぎず、教育委員会は事務局長である教育長の人事を通じて首長部局とつながるだけでなく財政的にも従属しており、法的に認められるとされる合議制行政庁としての独立性は形骸化していると見ざるをえない。教育委員会の公的審議は公開されているが、その議事録から教育委員たちの白熱する丁々発止の議論のようすをうかがえるとは言いがたい。

 公立図書館の設置主体である地方公共団体は少なからず財政危機の状態にあり、公財政の立て直し策のメニューのなかから公立図書館の運営に関して、部分的に業務委託されるだけでなく、なじまないとされている図書館経営への指定管理者制度の導入に踏み切る地方公共団体も後を絶たない状況にある。公設民営の実質をもつ指定管理者が運営する図書館のなかには、個人情報の蓄積・利用を本業とする企業が経営する図書館も登場するありさまで、「図書館の自由」という日本の図書館界で育てられた理念が緊張感を失い、希薄化しているような印象はぬぐいがたい。

レコメンドエンジンと「図書館の自由」

 図書館が所蔵している膨大な資料を的確に検索するために用いられるのは、かつては辞書体もしくはカード目録、現在ではOPACである。しかし、この図書館利用に不可欠なOPACであるが、現在のOPACの仕様ではいささか時代遅れだと感じる人たちが少なくない。1文字間違って入力するとヒットしない不便さは論外で、情報検索についても高度情報通信ネットワーク社会の今日にふさわしい図書館サービスを期待する人たちも多い。アマゾン(Amazon)に限らず、「この本にアクセスした人の多くはこの本にもアクセスしています」「この本と同じジャンルの本にはこんなものもあります」という付加的サービスを提供するレコメンドエンジンを搭載したサイトはインターネット上では珍しくない。これは図書館のすべての蔵書をデータペース化し、発注から貸出・返却、廃棄までの図書館業務の自動化を実現している図書館としては技術的には困難なことではない。障害になるのは、「図書館の自由」の理念である。とくに利用者の個人情報、アメリカの図書館でいわれるところのライブラリープライバシーが問題となる。図書館利用をめぐって図書館のコンピュータ、設置するサーバに蓄積されたデジタルデータの取扱いに関しての方針がそれぞれの図書館で、もしくは図書館界で確立されなければならない。図書館とはそういう場所、そういう人たちが集まる職場なのである。

ビッグデータと図書館サービスの向上 VS. 利用者の秘密

 紙の本の売上げを電子書籍の購読料金が上回っているアメリカのような先進者国に比較すれば、既存のビジネスモデルをなかなか更新できない日本はまだまだの感があるが、国際的な産業のつながりに想到すれば、このギャップもいつかは劇的な形で埋められるように思われる。

 アメリカではほとんどすべての図書館で電子書籍・電子ジャーナル提供サービスが実施されている。電子書籍の‘本体’は図書館ではなく契約した提供業者のサーバのなかにあり、図書館利用者は図書館ポータルを経由してこの業者のデータペースにアクセスしているのである。図書館と業者との契約が介在するが、利用者が今どの電子書籍(ファイル)のどこをどれくらいのスピードで読んでいるか、サーバの管理者には筒抜けである。クッキーが利用者の端末に送り込まれることもある。そこでログとして残される利用記録情報は、ビッグデータとして、業者がシステムの、そして図書館がサービスの向上のために利用しうる余地がある。

図書館に期待されている役割

2017年01月22日 | 6.本
『新しい時代の図書館情報学』より ⇒ 図書館に求められているのは、シェア社会の先駆け

民衆の大学としての図書館

 市民が図書館に対して期待している社会的役割について考えてみよう。 2006 (平成18)年の暮れに物議を醸しながら成立した改正教育基本法に新設された3条は、「生涯学習の理念」という見出しを掲げ、「国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」と定めている。そして、続く同法4条1項は「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」としている。

 しかし、この国の学校教育の現状は就職難、いじめ問題などの寒風が吹きすさぶだけでなく、正規教育を補完するダブルスクール、塾教育も含め、一定の資力と財産がなければ、現実には一定水準の学校教育サービスは受けられない。これは日本だけでなく、学校教育を無償としている一部の国を除き、ある程度は世界の国々に共通する学校教育の壁である。

 無産市民とその家庭に生まれた人々は、学校教育に頼らず自分の力で一人前の教養と学識を身にっけなければならない。現代社会において、自分で自分を育てるところが図書館である。近代公共図書館の無料原則は、日本の図書館法17条にも「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」と定められており、生活上の必要と主体的な知的好奇心を満たす利用に対して、授業料を払わなくてもよい‘民衆の大学’が図書館である。

教育的役割

 図書館は、すべての人にとって、生涯にわたり、身近な場所に存在し、その気になればいつでも利用できる学習センターである。教壇に立つ教師ではなく、手に取った資料の著者を師として、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習ができる。図書館が果たす第1の役割は、教育的役割である。アメリカのような移民の国では、図書館は学齢を超えた人々に対して公用語である英語に関する識字教育だけでなく、公民権取得に向けての支援も行う。

情報提供の役割

 教育機関であると同時にコミュニティの拠点施設でもある図書館は、市民に対して衣食住を含む生活に必要な情報提供をするとともに、旅行者や観光客など非日常的な訪問者に対しても、風光明媚な景観スポット、歴史的遺産や無形文化財などの固有のコミュニティ資源についての情報を提供する。イギリスでは、コミュニティライブラリアンという地域情報に精通した専門的職員を置いているところがある。図書館の第2の役割は、インターネットや電話で照会してくる人たち、および図書館を訪れ利用する人たちに対して、各種の情報を提供する機能である。

 ひるがえって、利用者の求めに応じて文献情報を提供したり、生活や職業、観光やレクリエーションに関する情報を提供するだけであれば、それらの情報をデータペースに格納した電子図書館でもよさそうなものである。確かに21世紀の図書館は着実にデジタルライブラリーの方向に進んでいる。しかし、インターネット上に各種の有用なデータベース、電子図書館やデジタルライブラリーと称したり、実際そのような役割を担うサイトが少なからず存在しているが、街のシンボル的施設でもある建造物としての図書館は、依然として市民に親しまれている。

場を提供する役割

 図書館のなかには市民生活のオアシスでもある都市公園のなかに設置されているものも少なくない。そのような場合には都市公園と一体的空間を構成する図書館という場所を楽しむ人たちもいるであろうし、図書館の敷地、館内を待ち合わせの場所として利用する人たちもいる。

 館内での待ち合わせについては、新聞・雑誌・CD・DVDなどを利用していれば、駅の改札口やシンボル的建物の前、喫茶店で待ち合わせる場合などと比較すれば、待たされるイライラ感は少ないように感じられる。それだけではない。日本の図書館の世界では喜ばない人たちが少なくないが、受験勉強をする場所を提供したり、サラリーマンの週末の仕事場、ルールを守ってさえいれば、働く女性が児童室を託児所代わりに利用するのも悪くない。

 図書館には、地域の文化的活動に活用してもらうべく、集会室も必ず設置されている。公設無料貸本屋としての図書館にの機能はすぐれて大切なものである)は、子ども連れの買い物帰りの主婦が楽しみにしている小説と子どものための絵本を借りて、すぐに出ていくところにとどまらず、近年では、時間をかけて研究調査や学習、調べ物をする滞在型の施設としての性格をよりいっそう濃厚にしつつある。‘うさぎ小屋’と拓楡される日本の住宅事情も手伝い、図書館のもつ「場」の提供という役割も看過できないものとなっている。図書館は、自宅や職場・学校とは異なる、居心地のよい‘第三の場所' (third place)のひとつでもある。

 したがって、飲食禁止を絶対としてきた日本の図書館でも、最近では、利用者はジュースの自動販売機では満足せず、館内にコーヒーが飲め、軽食が可能なコーナーが設置されるようになってきた。多数の市民の交流の場として機能する図書館は、入り口に近いところで小規模ながら地域の農家の生産物や地元商工業者の製造した商品を販売するところもある。ちなみに、世界の図書館では、博物館に必ずショップがあるように、図書館にライブラリーショップを設置しているところも少なくない。

ひめたんは先から今を見る視点が欠けている

2017年01月22日 | 7.生活
数学と本・図書館と車の未来

 数学と本・図書館と車の未来が見えてきた。そして、その先にある教育・仕事・家庭のあり方も。それらは歴史そのものです。

 未唯空間7層のジャンルの内、2.数学、5.仕事、7.生活の関連です。3.社会と4.歴史は総合面です。入っていないのは、1.自分編だけです。自分編は他者の世界ではなく、私の世界の観点だから、別のモノです。

 28歳の時から考えてきた7つのジャンルがつながったことになります。

 キーワードは分化と統合。今あるものから分化して、新しいカタチに統合されていく。それでもって、人類(他者)は生き延びていく世界を提示します

 数学でトポロジーで先のカタチになっている。図書館の存在そのものは次のカタチの先行事例になりつつあることに気づいた。

デジタル化で個人の武器を作る

 本と放送はデジタル化して、バラバラにすることが可能になった。それを個人レベルで統合する動きが見えてきた。未唯空間もその例です。それによって、個人は武器を作り上げることができ、覚醒する。それに絡んできます。

クルマの未来

 一番分かりやすいターゲットは車です。1%しか使われていない道具。クルマの未来はスタイルとか性能ではなく、交通、または移動すること変えていくから生まれる。それが社会を変革させるためのヒントになり得る。

ひめたんの精神分析

 ひめたんのことで言うと、12月の成人の5人の集いの時に、生ちゃんから言われた言葉「あんた、目標を持たなきゃダメですよ」。それと自ら発した「中間管理職」という言葉からの推察。

 生ちゃんとかすぅちゃんが輝いているのを目のあたりにしている。自分が一番発揮できる握手会とらじらーを体調不良で欠席したこと。これらがマイナスにつながっている。元々、マイナスの感情に支配されやすい体質でブログもモバメも発信できない状態が続いている。

 ひめたんを救えるのは、トリガーとなった生ちゃんと妹のすぅちゃん、そしてオリラジだけだが、そのままでは、今が限界と思っているひめたんに通じない。生ちゃんにひめたんを慰めることは出来ない。自分の生き方を見せるだけです。すぅちゃんも同じでしょう。全てはひめたんに掛っている。視点を変えるしか救われない。

先から見る視点

 生ちゃんのように先からの視点で今を見ることができない。

 過去を振り返ってもしょうがない。なぜなら、過去は変えられないから。今を過去だと思うことが出来れば、大きな可能性があります。今は変られるから。

 生ちゃんは15歳の時に、ピアノとアイドルの両挟みになって、動けなくなった時に、アンジェラの歌「15歳の君へ」で、先から見る視点に変えられて、笑顔になったと述べている。

 先から今を見る視点を作ってきたから、いつも陽気でいるし、言い切ることが出来る。

 ひめたんにはそういうものがない。三期生も入ってきて、若さと才能を見せつけられる。選抜のこともあり、ファンを裏切ることになることに思い悩む。

 アイドルを目標とすることは難しい。先が見えない。ミュージカルとか舞台は大きな世界から見ることが出来る。若い頃からあこがれ手があれば、さらに今、やっていることの意味が分かる。

分化し、覚醒し、伝播する過程

 これが個人が分化して、覚醒して、近傍を作って行く伝播する。それが、全体を考えて、先を見ていくことの意味です。これらのロジックを集約したのが、未唯宇宙です。私の他者へのメッセージであり、提案です。

ロジックを渡す相手

 これを渡す相手はいない。他者という思いが出来た時から、いなくなった。片思いの相手に渡すしかない。ネットの空間にばらまくのも一つの手です。今は居ない人に渡していく。これはロマン以外の何物でも無い。ガロアとかウィトゲンシュタインにしても、そういうカタチで渡そうとした。当時は小さなメモの端だったけど。

死から考える強さ

 先から考えるということは、当然、死から考えることになる。逆に言うと、死を考えたくないから、先から考えることをしない。

 死が生ちゃんの原点になる。自分の死以外は怖れるものはないし、今に賭けることが出来る。

 答えがないものについて、皆に聞いて、感想を求める。これは正解です。調べて分かるものは少ない。私が全てを知りたくて、本を処理しているのは、聞く相手、聞いてくれる相手が居ないからです。自分の中で、自分の内なる世界で答えを作り上げていくしかない。

 これが本当の哲学です。先から考える。自分が生まれてきた理由に反映させていく。

ガラスを割る行為

 反トランプ活動でワシントンのスタバのウィンドウガラスが割られた。アテネでの反米活動でもスタバは襲撃された。ナチ時代の11/9のクリスタルナハト〈水晶の夜)を想起させる。

 次はレクサスのお店で、それは行なわれる。割り甲斐がありそう。

内なる世界と外なる世界

 内なる世界と外なる世界を変えます。内なる世界は私の世界で、外なる世界は他者の世界。私の世界は他者の世界と比較するものではない。

 今、考えているのは、他者の世界をどうするのかが中心です。本来、関与していない部分です。私の世界をどうしていくかを本格的に見ていかないといけない。

 未唯空間はあくまでも内なる世界です。外から持ち込んでいます。ドンドン内に入っていく増す。そこで起きていることを位置づけて、全体の構成の中で何が重要なのか、人類はどうあるべきか、クルマの未来の姿などをそこに示します。

 ベースには、私の全てを知りたいと言う願望がある。そこには他者も含まれている。前提としては、他者が居て、その関係で全て終わるのではない。それを全てを知りたいに関係させます。

自分の定義

 最初から他者の世界との間にいる自分という定義をしようとすると、そちらに引っ張られてしまう。自分の覚醒が起こりません。他者に対する関心も起こりません。自分の内から入っていきます。

 全体を見たり、先から見たりします。自分を考えることで自分をなくすこと。

今なら、中国に勝てるという米国の認識

 米国が中国に勝つということは、1億人を殺すということ。毛沢東以来の中京の戦略です。1億人の殺戮に米国の世論が耐えられるはずがない。絶対に日和る。ホーチーミンの戦略も根本は同じ。

OCR化した本の感想

 『新しい時代の図書館情報学』

 図書館に期待されている役割が限定されている。

  民衆の大学としての図書館

  教育的役割

  情報提供の役割

  場を提供する役割

 公共図書館は物理的な本を皆でシェアできるモノで、大量の読書には欠かせない。年間、1千冊を購入すると200万円必要だし、保管する場所と取り出すシステムを個人が持たないといけない。

 今後の電子書籍に至っては、図書館クラウドから自由に取り出せ、自分が重要である部分を逆流させて、大量情報処理が可能になる。

 『フィリピンを知るための64章』

 アメリカ占領期間はかなりの圧政を敷いたが、日本ほどに目立っていない。日本占領期と同様にアメリカのうまさを感じる。

 現時点でのNPOとかNGOの状況を見ると、フィリピンの方が日本より多くに可能性を持っているように思える。開放的とクローズの差が出てきている。

 『経済大変動』

 「情報技術によって実現したシェアリングエコノミー」だけが気になった。

「内乱に関する罪」って、刑法にあるんだ

2017年01月21日 | 3.社会

『講義刑法学・各論』より

内乱に関する罪

 1 総説

  内乱に関する罪(77条以下)は、いわば国の内部から国家を攻撃し、暴力により基本的な統治組織・体制を破壊しようとするものである(また、外患に関する罪〔81条以下〕は外部から日本国に対し武力攻撃させ、その存立を危うくするものである)。その行為が「成功」するに至れば、それは革命やクーデター、外国による占領・国家併合として正当化されることとなり、もはやその実行者が罪に問われることはない(むしろ、それらの者たちはヒーローとなる)であろう。そこには、これらの犯罪の政治的性格(すなわち、政治体制のあり方・その変化によりその法的評価が大きく異なってくるという性格)が明確に示されている。

 2 内乱罪

  内乱罪は目的犯である。同じように集合犯である騒乱罪(106条)も、多数者による暴行を実行行為の内容とし、関与者の関与形態により刑を区別している点では類似しているものの(→364頁以下)、内乱罪においては、国家の存立そのものを害しようとする目的(憲法の定める統治の基本秩序を壊乱する目的)が本質的に重要であり、その目的実現のために組織化された集団により実行される点において特色がある(たとえば、首謀者の存在は‥騒乱罪にあっては不可欠ではないが、内乱罪においては不可欠である)。目的の内容である「国の統治機構を破壊」することと、「その領土において国権を排除して権力を行使」することは、(憲法の定める統治の基本秩序を壊乱すること」の例示である。このうち、「国の統治機構を破壊」する目的とは、内閣総理大臣を殺害するなど、個々の具体的な政府ないし内閣を倒す目的では足らず、たとえば、代表民主制のような憲法の予定する統治の基本制度そのものを否定する目的でなければならない。

  意図された目的実現との関係では、本罪は常に危険犯にとどまる。具体的危険の発生も要件とされず抽象的危険犯にすぎない(それでも、本罪については、未遂、さらには予備・陰謀も処罰される)。

  暴動とは、多数人が集団的に暴行・脅迫を行うことで、少なくとも一地方の平穏を害する程度のものであることを要するとの見解が一般的であるが、それでは不十分であるとし、国家の基本組織に動揺を与える程度の強力なものでなければならないとする学説も有力である。暴行は、有形力を行使する対象が人であると物であるとを問わない(最広義の暴行。脅迫についても、人に害悪を告知することの一切をいい、その害悪の内容・性質、告知の方法のいかんを問わない。

  本罪においては、構成要件上、多数人の関与が予定されている。必要的共犯のうちの集合犯(ないし多衆犯)の一種である。関与者は、①首謀者(77条1項1号)、②謀議参与者、群衆指揮者、その他の職務従事者(1項2号)、③付和随行者、その他の単なる暴動参加者(1項3号)の3つに区別され、それぞれ異なった刑により処断される。首謀者とは、内乱を主唱・画策し、暴動を主導する者のことであり、謀議参与者とは、内乱を主導するグループにいて首謀者の参謀役を務める者のことである。群衆指揮者とは、暴動にあたり多衆の全部または一部を指揮した者、その他の職務従事者とは、一定の責任ある地位にあり兵姑(前線の部隊のための物資の供給・補充等の後方支援活動)等の任務を行う者、付和随行者とは、付和雷同的な暴動への参加者のことである。これらの行為者は、それぞれが「憲法の定める統治の基本秩序を壊乱する目的」をもたなければならない。内乱罪が成立するためには、これら各種の関与者のすべてが存在する必要はないが、首謀者は必ずいなければならない。

  政治犯であることが考慮されて、法定刑には懲役ではなく禁鋼が規定されている。付和随行者等の単なる暴動参加者を除き、未遂も可罰的である(77条2項)。集団に担われた暴動が実際に開始された時点で実行の着手が認められる。暴動の内容として行われた殺人・傷害・放火などは、内乱罪に吸収され別罪を構成しない。

 内乱罪規定について、総則の共犯規定(60条以下)の適用があるかどうかをめぐっては見解が対立す乱ここでは、同じ集合犯である騒乱罪と同様に考えることができよう。すなわち、集団内の者については、本条自体がすでにその役割に応じて処罰を定めていることから、重ねて総則の共犯規定を適用することはできない(たとえば、付和随行者を群衆指揮者の幇助犯として処罰することはできない)。これに対し、集団の外にあって本条に掲げられた行為に関与した者(集団の非構成員)については、一般的な共犯規定の適用を否定する理由は存在しない。たとえば、集団の外部から内乱への参加を教唆したり、首謀者や職務従事者などを幇助することなどは可能であり、それらは幇助犯として可罰的であるといえよう。

  内乱罪とその共犯

 ただし、破壊活動防止法(1952〔昭和27〕年7月21日法律第240号)38条は、内乱を実行させる目的をもってせん動することのほか、これを教唆する行為を独立の犯罪として処罰の対象としている。また、刑法79条は、一定の形態における内乱の幇助を処罰の対象としている。したがって、総則の共犯規定を適用することが必要となる事例はそれほど多くないといえよう。

 3 内乱予備・陰謀罪、内乱等幇助罪

  内乱の予備・陰謀(78条)や、内乱または内乱予備・陰謀の幇助(79条)も処罰される。ここに予備とは、内乱を行う目的で行われる(物理的)準備行為のことであり、陰謀とは、2人以上の者が内乱の実行を協議・計画し、かつ合意することをいう。その犯罪としての性格が明らかでないのは、内乱等幇助罪(79条)である。それは、内乱等の罪の実行を幇助する行為のうちの一定のものについて特別な扱いを規定する。暴動に直接に役立つ物理的幇助行為のみを取り上げて職務従事者(77条1項2号)に準ずる重い刑を定めたものといえよう(したがって、この規定の存在が、内乱罪について総則の共犯規定の適用が予定されていないことの根拠にはならないと解する。独立幇助罪を規定したもの(したがって、正犯の実行を待たずに独立に処罰される)とする学説もあるが、この種の幇助行為のみ、処罰時期を早めて独立に処罰する理由はないから、通常の幇助犯と同様に正犯の実行がある場合にはじめて可罰的とされるべきである。

  78条・79条の罪については、暴動に至る前に自首すれば、その刑が免除される(必要的免除〔80条])。暴動を未然に防ぐための政策的規定である。

外患に関する罪

 1 外患誘致罪・外患援助罪

  外患に関する罪は、外部から日本国の安全を脅かす罪であり、外患誘致罪(81条)と外患援助罪(82条)とがある。前者の外患誘致罪は、外国と通謀して日本国に対し武力を行使させる罪である。通謀とは、外国政府と(単なる私人ではなく、外国の国家機関と)連絡をとることであり、その結果として(因果関係が必要である)、その国からの武力行使が行われることにより既遂となる。通謀によりはじめて武力行使を決意させた場合に限らず、既存の決意を具体的に促進させたという程度でも足りる。後者の外患援助罪は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えることにより成立する。外国による武力の行使以前に、外国に軍事上の利益を与える行為が行われたとしても、本罪の未遂にもならない。

  外患誘致罪と外患援助罪のいずれの罪についても、未遂が処罰される(87条)。外患誘致罪の未遂は、通謀そのものが未完成の場合と、通謀はしたが武力行使に至らなかった場合の2つの場合がある。外患誘致罪は、死刑のみが法定刑とされている唯一の例である(いわゆる絶対的法定刑)。外患援助罪について見ると、内乱罪と同じく政治犯ではあるが、外国と協力して自国を脅かす(いわば「祖国を裏切り、外国に自国を売る」)という犯罪の性質が考慮され、法定刑には禁鋼ではなく、懲役が規定されている。

 2 外患予備・陰謀罪

  外患誘致罪・外患援助罪については、予備および陰謀も可罰的である。予備・陰謀の意義については、内乱予備・陰謀罪についての説明を参照。

大地溝帯から広がる世界 人類史の99%を過ごした空間

2017年01月21日 | 4.歴史
『中高6年間の世界史が10時間でざっと学べる』より 大地溝帯から広がる世界 ⇒ 5年くらい前に、「大地溝帯」を空から眺めるというツアーがあった。行きたかった。アフリカのテロ騒ぎでなくなってしまった。本当にこの下を彷徨っていたのか。

大地溝帯から世界に拡散する人類

 氷河の進出による生活条件の悪化を避けて、人類は「故郷」の大地溝帯を北上。多くが大地溝帯を出て西アジアに滞留しましたが、一部は狩猟・採集の生活をしながら極めて長い歳月をかけて、広い範囲に移動しました。氷河期の海水面の低下で、大陸から大陸への移動も可能だったのです。

東アフリカでの人類の登場と進化

 東アフリカの大地を南北約7000キロにわたって貫く大地の割れ目、大地溝帯(GreatRift Valley)。ここが人類史の99%を占める長期間、人々にとっての「世界」であり、「世界史」の舞台でした。

 最古の人類は、今のところエチオピアのラミダス猿人とされています。愛称はアルディ。身長120センチ、体重50キロ。私たちと同じように、すでに直立二足歩行をしていました。人類への進化は約450万年前に始まります。約250万年前になると、大地溝帯の東部、タンザニア草原でアウストラロピテクス(南の猿人の意味)類が出現し、大地溝帯に広がります。アウストラロピテクス類は、人類初の道具となる磯石器をっくったことで知られています。

 そして約20万年前、大地溝帯にホモ・サピエンスげ知恵ある人」の意味)と呼ばれる現生人類がついに出現。現在、世界中に広がる人類の直接の祖先になります。彼らの一部は、自然環境の悪化に対応し、約10万年前頃、大地溝帯の北の出口、シリアからアフリカ北部、西アジアの乾燥地帯に移住。そこが新たな世界史の舞台になります。さらには「グレート・ジャーニー」により、現在のように地球規模で居住空間を拡大しました。

 1万5000年前には海水面の低下により、当時陸続きだったベーリング海峡を越えて、厚さ3000メートルの氷が堆積する北アメリカを南下。同様に陸続きのオーストラリアにも移住しています。

農業革命」が世界史の第一歩

 約1万年前、最後の氷河期が終わり、温暖化が始まる時期に、北アフリカから西アジアのユーラシアの大乾燥地帯が世界史の新たなステージになりました。世界史と「乾燥」との運命的な出会いです。

 大乾燥地帯は、赤道付近で発生した積乱雲が雨を降らしてカラカラに乾き、北緯30度、南緯30度付近に通年降下し続けることで生まれました。私たち人類は自然の循環のなかで生きています。地球規模の大気循環は、海水を蒸発により脱塩し、淡水を雨として各地に配達する巨大な淡水製造・分配装置といえます。しかし、この恩恵を受けられない広大な地域があり、そこが大地溝帯とつながっていたのです。

 大乾燥地帯での生活を強いられた人々は、氷河期が終わり、乾燥が激しくなる約1万年前から、大型動物の絶滅による狩猟・採集の危機に対応するため、シリア、ヨルダン地域から乾燥に強いイネ科植物のムギを栽培し、その種子(穀物)に頼る生活を広めます。それは危機に対するやむを得ない対応だったのですが、農業という新しい生活のスタイルを生みだし、「畑」を誕生させました。

 「畑」は収穫までの「定住」を必要とし、人類社会はF移住]を基本とする生活から「定住」生活へと大転換を遂げます。農業の誕生にともなう社会変化を、「農業革命」「食料生産革命」「定住革命」と呼びますが、それだけ大きな変わり目なのです。この時代を道具の変化から、新石器革命という場合もあります。

都市革命」が文明を誕生させた

 農業革命から数千年が経過すると、人口の増加で「畑」不足が深刻になります。そこでインフラを整備することにより、河川の「水」をコントロールし、大規模に「畑」(2次的農地)がっくり出されます。日本列島のように水が豊かな場所で生活していると、水の切実さは感じられないのですが、乾燥地帯では多くの民衆を組織して大河の水をコントロールすることが、どうしても必要になったのです。

 人々は、「神」あるいは「神の代理人」を名乗る世襲の「王」の下で力を合わせて水路、排水溝、堤防などのインフラを整備して濯漑農業を行い、人口密集地域をっくり出しました。「濯漑」とは植物を生育させる目的で人工的に水を引き、畑をつくることです。

 王や神官の権威、官僚の技術と計画により、多数の人々が粗末な道具による人海戦術で「川の水」を大規模に農業に利用する仕組みをっくりあげました。やがて濯漑工事を指揮するセンターは、城壁を持つ都市に成長します。都市の成立にともなう社会変化を「都市革命」、都市を中心とする広域文化を「文明」と呼びます。

 都市は農村にF水」を提供しましたが、食糧の自給はできませんでした。そこで農村は食糧を税として納め、都市と周辺の諸集落はギブ・アンド・テイクの関係で結び付くようになります。都市は法律・軍隊・宗教・官僚制などを整備し、周辺の諸集落を支配するシステムをつくりあげたのです。約5000年前、国家が誕生した瞬間でした。

日本経済の課題 国家の役割と市民社会

2017年01月21日 | 3.社会
『日本経済史』より 日本経済の課題 国家の役割と市民社会

社会保障制度の設計と実態

 介護を含めた福祉の提供に関して、家族類型の変化、世帯規模の縮小などに規定されて家族の役割が相対的に後退し、企業が提供する福利厚生制度の意義も低下する中で「国家」に対する期待は高まらざるをえなかった。表終-2にあるように「福祉元年」(1973年)直後の75年の日本は欧米各国と比較して租税負担率も社会保障負担率もともに低く、「福祉国家」とはいいがたかった。しかし1990年には英米の社会保障負担率と肩を並べるようになり、2004年度の日本の社会保障負担率は英米とヨーロッパ諸国の中間に位置した。一方、日本の租税負担率はスウェーデンの約半分、アメリカとほぼ同水準で推移した。

 第6章でみたように、1973年改正によって厚生年金の給付水準は男性の標準報酬月額(月収)の約6割を目途とすることとされ、過去の標準報酬を現在の価格に評価し直して計算する標準報酬の再評価制度(賃金スライド)が導入された。また年金額の実質的価値を維持し、公的年金制度に対する信頼性を確保するため、物価変動に応じて年金額を改定する物価スライド制も導入された。

 年金財政には生産活動に従事する現役世代が収入を失ったその時代の高齢世代を支えるという世代間扶養の考え方に立つ賦課方式と、1人の個人(ないし1つの世代)が老後のための金を自らが働いている若い段階において何らかの形で積み立てておく積立方式かおるが、1973年改正は積立主義から賦課主義への移行を宣言した。しかしその直後に石油危機に襲われ、また予想を超えた少子高齢化の進展によって公的年金制度はたえず制度設計を問われることになった。1985年改正において、全国民共通の基礎年金の導入、将来に向けた給付水準の変更、サラリーマンの妻(所得のない専業主婦等)の年金権確立などを内容とする改正が行われた。1989年の合計特殊出生率は1.57となり、66年(ひのえうま)の1.58を下回り、少子化の進行が広く認識されるようになった。将来現役世代が減少することに対応して、94年改正では厚生年金の定額部分、2000年改正では厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢の引き上げが決定された。厚生労働省編『国民生活基礎調査』(2005年度)によると、高齢者世帯1世帯当たり平均所得金額は296万円であったが、その内訳は公的年金・恩給が69.6%、稼働所得が20.4%、財産所得が4.5%、仕送り・その他の所得が4.2%であり、公的年金・恩給を受給している高齢者世帯の約6割が年金所得だけで生活していた。公的年金制度をどのような形で維持運営していくのか、「国家」の役割が問われている(厚生労働省編[2006b])。

ナショナル・イノベーション・システムの強化と国家の役割

 1990年代後半になっても景気低迷が続き、製造業の空洞化が深刻化する中で、日本では欧米各国における産業競争力強化の動きに対する危機感が高まり、ナショナル・イノベーション・システムの強化・見直しを目指す科学技術政策が打ち出された。1995年11月に議員立法である科学技術基本法が成立し、96年6月から科学技術基本計画が開始され、同計画には5年間で17兆円の予算がっいた。景気回復、雇用拡大の切り札として、科学技術に対する期待がますます高まった。2001年1月にはそれまでの科学技術会議(総理府)は総合科学技術会議(内閣府)となり、経済財政諮問会議と並ぶ存在となった。

 1970年代以降いくつかの産業領域で日本企業は世界のフロント・ラインの位置に立つようになった。1980年代には日本はアメリカから基礎技術のフリーライダーとして糾弾される場面もあったが、日本企業の強い国際競争力の基盤は、①機電複合領域の開発能力、②日本的生産システムの形成過程を通して蓄積されたシステム化能力、③メーカーとサプライヤの共同開発などであり(液晶ディスプレイに関する日本企業の経験にっいて、沼上[1999]参照)、それらは戦後日本の産業技術の借吐ともいうべきものであった。

 しかし、一部の領域で先頭に立った現在、追いつくべきモデルは存在しない。「効率」の悪い、世界的連関の深い、創造的な研究開発活動を試行錯誤の中から前に進めるしかない。地球環境問題、原発事故を契機とする脱原発問題、高齢化社会の危、速な進行、人口減少など日本はさまざまな課題に直面している。ナショナル・イノベーション・システムの設計に際して、改めて国家の役割が問われている。

「市民社会」のいま

 家族と「国家」の間ではさまざまな組織、団体、地域社会が「市民社会」を形成する。内閣府『社会意識に関する世論調査』から、近所付き合いについて「よく付き合っている」と回答した者の割合を1975年と2004年で比較すると、町村部では68%から34%、大都市では35%から14%にそれぞれ低下し、自営業主と雇用者では前者は68%から33%、後者は38%から15%に低下した。一般には近所付き合いの程度が大きいと推測される町村部や自営業主でも地域社会の関係が希薄化していることをうかがわせる(厚生労働省編[2006b])。

 地域社会における付き合いは、もちろん自治会や町内会のような公式組織に限定されない。1981年以降になると新設分譲住宅に占めるマンションの割合が50%を超えるようになり、80年代の新設マンションの着工戸数は毎年10万戸を上回り、89年度には約19万戸に達した(建設省編[1987]、[1990])。1991、92年にはマンションの発売戸数が10万戸を割り込むものの、93年以降は10万戸を一貫して上回るようになり、2005年の全国着エベースでは分譲住宅約37万戸のうち約23万戸がマンションであった(国土交通省編[1995]、[2006])。分譲住宅戸数に占めるマンションの割合は、全国で62%、首都圏で64%、近畿圏で56%、中部圏で55%、その他地域で66%であった(国土交通省編[20061)。大都市圏・地方を問わず、マンションでの生活か地域社会の中で大きな存在感をもつようになったのである。

 こうした生活基盤の大きな変化の中で新しい「共同性」、さまざまな共同性に立脚した市民社会形成のための努力が続けられている。本書でみてきたように、江戸時代における小農社会の成立以来、現在に至るまで、日本社会は個人と共同性の具体的なあり方についてさまざまな経験を重ねてきた。私たちにとってこの400年の経験はかけがえのない「資産」である。

図書館の本当の役割

2017年01月21日 | 1.私
国民国家としてのフィリピンの歴史

 アメリカの米西戦争がなかったら、フィリピンの国民国家としてのあり方はどうなっていたか。日本が盟主国になっていたのか。アメリカから約束された独立。その間に日本の占領期があったが、その後に果たされた。

 フィリピンの歴史を見ても、日本とは異なり、どこか、開放的です。英語で階層が分断されているけど。新しい可能性が出来ている。NPOにしても、NGOにしても行政に縛られていない。

アメリカの方向には日本がいる

 閉じこもる世界。アメリカは日本の方向を目指している。グローバル化に反抗しようとしている。人種的に白人の世界を維持できるのは今しか無いと思っている。自分たちが権力を持つことで、流れを食い止めようとしている。それは自ら開けたパンドラの箱です。

 自分の武器を自らの向ける。それは矛盾を起こす。その実験がどうなるか。答えを見ていく。その時間感覚だけです。

東京に偏っている

 なぜ、こんなにも東京に偏っているのか。乃木坂の琥珀の開催地を見ていて、そう感じた。たまには、豊田スタジアムでやって欲しい。がら空きですよ。3万人はは収容できます。ローカルなSKEのお別れコンサートをしています。

 人は集ることで生きていけるように出来ている。そこから阻害が生まれる。田舎はもっとすごいけど。

 集中は格差を生むだけです。集中から分散ではなく、分散から集中。そして、分化から統合に変えていかないと。

「経済大変動」

 「経済大変動」にしても、次の時代を分かっていない。今の継続でしかないと思っている。経済は1/10にしないと伸びない。いつまでも、消費者資本主義としてあると思っている。メーカーとしては、作ればいいから有り難いでしょうけど、その時代が終わりを迎えようとしている。

電子書籍から始まるシェア

 本でもデジタルの本と物理的な本があるが、シェアしようとすると、デジタルの方が主流になる。本がリアルである限りは、シェアは無理です。現行の公共図書館が限界です。本をバラすことも出来ません。デジタル化することで軽くなります。コンテンツが独立できるし、所有権も変わってくる。

 貨幣と電気(電線)が軽くなれば、社会は変わります。

提供するモノと提供されるモノ

 労働力不足と行っても、コンビニ、松屋とか介護などの労働力が対象です。それらは考え方を変えるだけですべて新しいものになる。

 提供するモノと提供されるモノを一体化する。ファーストフードをシェアすれば、家庭での料理がそちらに移ります。家庭で作ることがなくなれば、奥さんの存在、買い物・料理がなくなり、労働の格差がなくなる。いかにして、皆が分け合うかという話になります。

記者会見

 囲みの記者会見の記者がほとんど女性です。狩野の趣味なんですかね。

図書館の本当の役割

 図書館の本当の役割はシェアの概念を世の中に示すことです。その結果で、教育自体を変え、仕事の意味を変え、家庭のあり方を変えていく。

 シェアが特別なものではなく、中間の存在をベースにすれば、当たり前の世界であることを示す。それで、社会コストを大幅に下げる。そこからシェア社会に向かう。

 電子書籍でもって、分化と統合を果たす。それぞれが本でいかに自分の世界を創り出すか。それを金を掛けずに行ない、その結果を皆とやりとりする。今、何を望まれているのか、どういう世界を作ればいいのかから覚醒をなす。

中間の存在の場

 知に関しては、図書館は中間の場です。色々な面で中間の場が設定される。会社のあり方も変わりうる。ヘーゲルをもう少し、調べましょう。

長年の課題の答え

 28歳からの課題の答えがやっと、見えてきた。なぜ、数学なのか、図書館なのか、そして車なのかが分かってきた。これらから、次の社会を描きます。

ひめたんが隠れている

 ひめたんが幕張の個握欠席のニュースがあります。心理的に弱っているみたいです。この時点でのニュースと言うことは、ギリギリまで頑張ったんでしょう。ファンにはその様子が見えているみたいです。

OCR化した本の感想

 『日本経済史』

  国家の役割と市民社会というけど、日本に国家も市民社会もなかった気がする。消費税で社会保障を確立するタイミングだったけど、方向を失った。

 『中高6年間の世界史が10時間でざっと学べる』

  大地溝帯で人類史の99%を過ごした。そして旅立って、〈今〉があると言うことだけど、ここへ来て、時間の進行速度がおかしくなっている。私に合わせることでは無いと思うけど。

  地中海の生まれた瞬間と同様に、大地溝帯は空から見たいものの一つです。当然、その時は人類が立ち上がる瞬間です。

 『講義刑法学・各論』

  内乱罪はあるけど、刑が書かれていない。むしろ、それ以前の内乱予備・陰謀罪、内乱等幇助罪の方が詳しい。題材になっているケースも日本に内乱を生じさせるような規模ではない。

  本当の内乱は明治指針のようなカタチなのか、ナチとかトランプのように選挙を利用するカタチなのか。その時は皇室が絡んでくるでしょう。だけど、その時点では、明治維新の時のように効力は発揮しないだろう。

哲学で心のあり方を学ぶ

2017年01月20日 | 2.数学
『格差社会を生き延びる〝読書〟という最強の武器』より ⇒ 私の場合は「生き方」だけです。女性だと、アーレント、池田晶子、ヒュパティアです。 

偉人の言葉はそれ自体が哲学

 私は今でこそ独立して、自分のやりたかった講師の仕事をして全国を回り、本も出版して、夢が実現できた人と言えるかもしれません。しかし、ここまでくるのに、非常に苦労してきました。

 大きな壁が何度もあり、人生を何度もあきらめかけました。

 毎日毎日、生きるだけで精一杯で、何のために自分が存在しているのだろうと考えたことは、一度や二度ではありません。

 なぜ、「自分の好きなことをして生きてはいけないのか?」「なぜ、嫌なことで我慢をしないといけないのか?」という疑問は、なかなか解決できませんでした。

 そんなときに、私を救ってくれた本が、偉人の言葉、哲学だったのです。

 「偉人の言葉が集められた本」を、何度も何度も読みました。

 私は当時、偉人と呼ばれている人の本を読んでいるとき、その偉人の言葉が集められた本だとしか考えていなかったのですが、今考えると、その本の中にある考え方そのものが、哲学の考え方だったのです。

哲学とは物事の本質を探求する営み

 では哲学とは、一体どういうものなのでしょうか?

 山口大学国際総合科学部准教授で日本の哲学者である小川仁志氏の著書『世界のエリー卜が学んでいる教養としての哲学』(PHP研究所)ではこのように述べられています。

  「欧米を中心に、世界では西洋哲学が当然のように学校で教えられ、フランスなどでは大学受験の必須科目にすらなっています。したがって、グローバルに活躍する世界のエリートは哲学の基礎知識があるのが当たり前なのです」

 同じくこの本によると、「哲学とは、物事の本質を批判的、根源的に探究する営みだといえます」とも書かれています。

 哲学には、世界史で習ったことのある人物が出てきます。

 例えば、古代ギリシャでは、ソクラテス、プラトンという人を聞いたことがあるでしょう。

 ソクラテスが、哲学という学問を始めたと言われています。

 ソクラテスの弟子が、プラトンで、その弟子がアリストテレスなのです。

 アリストテレスは、さすがに誰でも聞いたことがある名前なのではないでしょうか。

 ソクラテスの名言の中では、このようなものがあります。

  「本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ」

  「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い」

  「財産や名誉を得ることのみに執心し、己の魂を善くすることに努めないのを恥とは思わないのか」

 というようなものがあります。

 また、アリストテレスは弁論術などで知られるように、スピーチの天才だったようで、私たちのような講師業をする者は、いつもこの教えを守っています。

 それは、

  ・ロゴス(論理) 何を伝えたいのか。

  ・パトス(情熱) 人に伝えたい! という情熱。

  ・エトス(倫理) 人は、言葉以外のものを見ているということ。

 というところにも例えられたりしています。

 そして、哲学は、古代から中世、近代、現代と流れていきます。

 近代では、デカルト、マルクス、ニーチエなどが、聞いたことがある名前でしょう。

 また現代では、実存主義のサルトルなどが、多くの人が耳に覚えがあるのではないでしょうか。

哲学には絶対的な答えがない

 では、実際に、哲学がなぜ大切なのでしょうか?

 先述のドリームインキュベータ代表取締役会長である堀紘一氏の著書である『自分を変える読書術 学歴は学〈習〉歴で超えられる!』では、このように述べられています。

 「哲学はシンプルにいうなら、『人間について深く知り、どう生きるべきかを徹底的に考える学問』である。絶対的な答えがないことをあえて考えるのが哲学であり、哲学書の学びを介して答えのないものを考える訓練を重ねているとビジネス上の選択にも役立つのである」

 また、評論家である加谷珪一氏の著書『お金持ちはなぜ、「教養」を必死に学ぶのか』では、哲学を学ぶ利点についてこのように述べられています。

  「お金儲けは人とのコミュニケーションですから、人はどのような存在なのかを問う哲学の知識が役立たないわけがありません」

 ビジネスマン、中でもお金儲けを考えている人には、必須の学問なのです。

 格差社会を生き延びるには、この哲学の考え方が、特に必要になるはずです。

 非正規労働者で働いていたとしても、リストラされたとしても、哲学の考え方を持っていれば、人生を前向きにとらえられるようになるはずです。

 なので、名言集や入門書を読みながら、自分について、人間について、どう生きるかなどを、徹底的に考えるだけでも、人生が違ってくるはずです。

 ぜひ、哲学書を読んで、人間の心のあり方を学んでください。