『饗宴』より ⇒ ソクラテスとアテネの盛衰は一致しますね
紀元前四六九年
ソクラテス、アテネのアロペケ区に生まれる。父ソーフロニスコスは石工あるいは彫刻家であったと伝えられる。母ファイナレテは助産師であった。若いころのソクラテスの姿を伝える証言は少ない。一説では、自然哲学の研究に関心を持っていたという。やがて、デルフォイ神殿の神託が下ったことをきっかけに対話活動を開始するが、これがいつごろのことなのかは不明。
紀元前四六一年 ソクラテス八歳
前年に政敵キモンの追放に成功した政治家ペリクレスは、この年からアテネの政治の実権を掌握する。ベリクレスは平和政策を実施するとともに、パルテノン神殿をはじめとする数々の建築物を完成させ、都市整備をすすめた。また、芸術と文化を振興した。これらの政策により、アテネは黄金期を迎える。
紀元前四四九年 ソクラテス二○歳
アテネがペルシャ帝国と和睦を結び、ぺルシャ戦争が終結する。
紀元前四三二年 ソクラテス三七歳
ソクラテス、デロス同盟を破ったポテイダイアの包囲戦に参加する。
紀元前四三一年 ソクラテス三八歳
スパルタとの間にペロポネソス戦争が勃発。翌前四三〇年には、アテネに疫病が流行する。ディオティマが一〇年もの間、食い止めたと言われている疫病である。ベリクレスもこの疫病で死去する。このころから、アテネは次第に衰退に向かっていった。
紀元前四二七年 ソクラテス四二歳
プラトン、アテネに生まれる。父はアリストン、母はペリクティオネ。父母ともにアテネの名門出身であった。
紀元前四二四年 ソクラテス四五歳 プラトン三歳
ソクラテス、ボイオティア地方デリオンでの戦闘に参加する。この戦いにおけるソクラテスの様子は、本書一八三~一八四頁に描写されている。
紀元前四二三年 ソクラテス四六歳 プラトン四歳
アリストファネスの喜劇『雲』が上演される。この作品はソクラテスをソフィストとして揶揄する内容であり、この頃には、ソクラテスはすでに、保守的な人々から警戒されていたと考えられる。
紀元前四二二年 ソクラテス四七歳 プラトン五歳
ソクラテス、スパルタ軍に占領されたアンピポリス奪還のための遠征軍に参加する。
紀元前四一五年 ソクラテス五四歳 プラトン一二歳
この年の夏、ヘルメス神の石柱像が酔っ払いの集団によって壊される事件が発生。アルキビアデスに疑惑の目が向けられる。その後、アルキビアデスは、艦隊の指揮官としてシシリー島遠征に出発するが、到着後、帰国命令が出たことから、スパルタに亡命する。アテネは、その後、数年にわたり遠征を継続するが、敗北し、前四一三年に撤退する。
紀元前四〇七年 ソクラテス六二歳 プラトン二○歳
この頃、プラトンがソクラテスに弟子入りしたといわれる。一説では、プラトンは、悲劇のコンテストに参加しようとしていたが、ソクラテスの言葉に感動して、自分の作品をすべて焼き捨てたという。ただし、じっさいには、プラトンの親戚や兄がソクラテスと親しく交際していたことから、プラトンも、これ以前からソクラテスを知っていたと考えられる。
紀元前四〇四年 ソクラテス六五歳 プラトン二三歳
この年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結する。プラトンの親戚のクリティアスやカルミデスらにより、独裁政権が樹立される(翌年に崩壊)。このとき、ソクラテスは独裁政権に、サラミスのレオンという人物を逮捕するように命じられるが、これを拒否する。また、アルキビアデスが、小アジアで暗殺される。
紀元前三九九年 ソクラテス七〇歳 プラトン二八歳
ソクラテス、民主派のアニュトスを後ろ盾とするメレトスなる若者に、不敬罪および青年に害を及ぼした罪で告発される。裁判が行なわれ、死刑判決が下される。二月あるいは三月頃に刑死する。
その後、プラトンはアテネを逃れ、各地を遍歴した。この間に初期対話篇が執筆されたと考えられる。
紀元前四六九年
ソクラテス、アテネのアロペケ区に生まれる。父ソーフロニスコスは石工あるいは彫刻家であったと伝えられる。母ファイナレテは助産師であった。若いころのソクラテスの姿を伝える証言は少ない。一説では、自然哲学の研究に関心を持っていたという。やがて、デルフォイ神殿の神託が下ったことをきっかけに対話活動を開始するが、これがいつごろのことなのかは不明。
紀元前四六一年 ソクラテス八歳
前年に政敵キモンの追放に成功した政治家ペリクレスは、この年からアテネの政治の実権を掌握する。ベリクレスは平和政策を実施するとともに、パルテノン神殿をはじめとする数々の建築物を完成させ、都市整備をすすめた。また、芸術と文化を振興した。これらの政策により、アテネは黄金期を迎える。
紀元前四四九年 ソクラテス二○歳
アテネがペルシャ帝国と和睦を結び、ぺルシャ戦争が終結する。
紀元前四三二年 ソクラテス三七歳
ソクラテス、デロス同盟を破ったポテイダイアの包囲戦に参加する。
紀元前四三一年 ソクラテス三八歳
スパルタとの間にペロポネソス戦争が勃発。翌前四三〇年には、アテネに疫病が流行する。ディオティマが一〇年もの間、食い止めたと言われている疫病である。ベリクレスもこの疫病で死去する。このころから、アテネは次第に衰退に向かっていった。
紀元前四二七年 ソクラテス四二歳
プラトン、アテネに生まれる。父はアリストン、母はペリクティオネ。父母ともにアテネの名門出身であった。
紀元前四二四年 ソクラテス四五歳 プラトン三歳
ソクラテス、ボイオティア地方デリオンでの戦闘に参加する。この戦いにおけるソクラテスの様子は、本書一八三~一八四頁に描写されている。
紀元前四二三年 ソクラテス四六歳 プラトン四歳
アリストファネスの喜劇『雲』が上演される。この作品はソクラテスをソフィストとして揶揄する内容であり、この頃には、ソクラテスはすでに、保守的な人々から警戒されていたと考えられる。
紀元前四二二年 ソクラテス四七歳 プラトン五歳
ソクラテス、スパルタ軍に占領されたアンピポリス奪還のための遠征軍に参加する。
紀元前四一五年 ソクラテス五四歳 プラトン一二歳
この年の夏、ヘルメス神の石柱像が酔っ払いの集団によって壊される事件が発生。アルキビアデスに疑惑の目が向けられる。その後、アルキビアデスは、艦隊の指揮官としてシシリー島遠征に出発するが、到着後、帰国命令が出たことから、スパルタに亡命する。アテネは、その後、数年にわたり遠征を継続するが、敗北し、前四一三年に撤退する。
紀元前四〇七年 ソクラテス六二歳 プラトン二○歳
この頃、プラトンがソクラテスに弟子入りしたといわれる。一説では、プラトンは、悲劇のコンテストに参加しようとしていたが、ソクラテスの言葉に感動して、自分の作品をすべて焼き捨てたという。ただし、じっさいには、プラトンの親戚や兄がソクラテスと親しく交際していたことから、プラトンも、これ以前からソクラテスを知っていたと考えられる。
紀元前四〇四年 ソクラテス六五歳 プラトン二三歳
この年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結する。プラトンの親戚のクリティアスやカルミデスらにより、独裁政権が樹立される(翌年に崩壊)。このとき、ソクラテスは独裁政権に、サラミスのレオンという人物を逮捕するように命じられるが、これを拒否する。また、アルキビアデスが、小アジアで暗殺される。
紀元前三九九年 ソクラテス七〇歳 プラトン二八歳
ソクラテス、民主派のアニュトスを後ろ盾とするメレトスなる若者に、不敬罪および青年に害を及ぼした罪で告発される。裁判が行なわれ、死刑判決が下される。二月あるいは三月頃に刑死する。
その後、プラトンはアテネを逃れ、各地を遍歴した。この間に初期対話篇が執筆されたと考えられる。