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一九八〇年代の日本のバブル経済

『バブルの歴史』より カミカゼ資本主義--一九八〇年代の日本のバブル経済

日本の株式市場の価値

 一九八〇年代の終わりには、日本の株価は企業収益(財テクからの非持続的な利益を含む)の三倍の速さで上昇した。東京の株式市場にはこれまで類を見ないほど高値を付けた株式がわがもの顔で閑歩していた。繊維セクターの平均のPER(株価収益率)は一〇三倍、サービス業は一一二倍、海運業は一七六倍、漁業・林業はなんとご二九倍という高さだった。民営化過程にあった日本航空のPERは四〇〇倍を超えた。こういった株価が正当化されるはずがないと信じていた欧米投資家は一九八〇年代の中ごろから日本株の保有率を徐々に減らしていった。彼らが日本株から離れていったことで日本市場はもはや割引キャッシュフローや信用分析といったドライな「欧米合理主義」に束縛されることはなくなった。権力によって広められた「現実を処理する方法は人によって異なる」という考え方を受け入れる傾向の強い日本人にとって、株式の高い価値を正当化することに何らの問題もなかった。

 高い株価を説明するのに、日本の会計実務は実質所得を実態よりも低く評価するとか、株式の持ち合いによってPERが上昇したとか、都合の良い話がいろいろと語られた。しかし、日本は「世界の成長の原動力」になりつつあるとか、消費者需要が急増するのは時間の問題だといった主張にも動じないもっと保守的な分析によって、株価のさらなる卜昇を正当化するための「お金の重み」議論が持ち上がった。この議論によれば、金利が低く維持され、円高によって投資家はお金を海外に持ち出さないため、日本人は国内の株式市場への投資を続ける以外に方法はなかった。マル優が一九八八年四月から高齢者などの貯蓄以外は原則として廃止され、三〇〇兆円を超えるお金が新しい投資に向けられたことでこの議論は説得力を増した。日本人の貯蓄の巨大な流れが株式市場へと向かい、株式の持ち合いが徐々に増加したことで、株式不足に陥ったというのが株価の上昇を説明するのに頻繁に引き合いに出されるようになった。

 バブル時代、ファンダメンタルズが無視されたが、これはいろいろな形で現れた。同じセクターの銘柄は収益やビジョンが異なるにもかかわらず同じように動き、市場は収益性の向上よりも市場シェアの増加を重視した。何百万円もするNTT株との関連で手ごろな価格で入手できるというだけで誇大広告される株もあった。安い株はいつかは高くなるとも言われた。株式は新株の発行(既存の株主の持分の価値が希薄化される)で上昇するだけでなく、既存株主への株式の無償交付(単に株式分割するだけであり、会社は真の価値を生みだしてはいない)が発表されると急上昇することもあった。日本の輸出業者の収益性が低下し、製造業の空洞化が進んでいても、株価は上昇し続けた。一九八九年一月に昭和天皇が崩御しても、株価は上昇し、半年後に東京を小地震が襲っても株価は上昇した。

 上昇する株価の背景には異常な不動産ブームがあった。信用供給量がかつてないほどに増加することで不動産価格は上昇した。五年後の一九九〇年三月には銀行融資は総額で九六兆円も増加した。この半分以上は小企業向け融資で、彼らは不動産セクターに多額の投資を行った。規制の緩い消費者金融、いわゆる「ノンバンク」の不動産担保ローンは一九八五年の二二兆円から一九八九年末には八○兆円にまで増加した。時には不動産担保価値の二倍の融資が行われることもあった。不動産価格が上昇するにつれ、大卒のサラリーマンの平均生涯賃金では東京の都心に小さなマンションさえ買えなくなった。家を買う人は数世代にわたる一〇〇年ローンを組まざるを得なかった。

 一九九〇年には、日本の不動産市場は二〇〇〇兆円を上回った。これはアメリカ全体の不動産価値の四倍に相当する。東京の皇居の敷地はカリフォルニア全体(あるいはカナダ)の不動産価値を超えると言われた。低い空室率と外資系金融機関からのオフィススベースに対する需要とによって東京では建築ブームが起こった。ビルの上に立ち並ぶクレーンの数が熱心に数えられたほどだ(アナリストはこれを「クレーン指数」と呼んだ)。NTTが東京の都心にハイテク高層ビルを建造すると、外資系銀行が一平方メートルが三〇〇〇ドルもするオフィスを借り、このNTTビルは「バブルタワー」と呼ばれるようになった。銀座一等地の土地価格は一平方メートルが五〇〇〇万円にも上昇したため、東京に深さ一〇〇メートルの地下都市を作る計画が持ち上がった。

 不動産セクターの上昇は株式市場にもろに影響を与えた。アナリストの間では会社の「含み資産」(所有する土地と株式の持ち合い価値を含む)の調査が流行した。そんな折、東京大学のある経済学者はトービンの「q」(会社の資産の市場価値に対する株価の比率)を復活させた。バランスシート上の「含み資産」は簿価を四三四兆円上回っていたため、この測度で言えば日本の会社は安く評価されているように思えた。

 投機フィーバーではよくあることだが、トレンドが反転すると、ハイテク企業の業績見通しは無視され、バランスシート上の不動産価値が重視されるようになった。証券会社はこれを「ランドプレー」と呼んだ。NTTでさえ最初は電気通信会社としてというよりも土地の価値で評価された。拡大する土地所有に駆り立てられるように、一九八六年、東京電力の市場価値は香港証券取引所の全上場株の価値を上回るまでに上昇した。別の「ランドプレー」である全日空のPERはおよそ一二○○倍に上昇した。企業が所有する土地の四分の三以上は値上がりを期待して保有された。株式の持ち合いと「含み」土地資産を持つ日本の企業は、投資信託と不動産会社を混合したようなものになった。そういった状況の下、通常の事業活動など無意味、最悪の場合、市場価値の足手まといとまで言われるようになった。

日本市場の株価操作

 日本の株式市場が崩壊することについては多くの人が予測していた。最も有名なのはヘッジファンドマネジャーであるジョージ・ソロスが一九八七年一〇月一四日にフィナンシャル・夕イムズ紙に記事を書いたが、その数日後に発生した世界規模の株式市場の大暴落を最もうまく切り抜けたのは東京だった。一〇月の大暴落の翌日、日本の四大証券会社--「ビッグフォー」と呼ばれた野村、大和、山一、日興--の代表が大蔵省に召集された。彼らはNTT株をマーケットメータし、日経平均を二万一〇○○円水準以上に維持するように要請された。この要請を受けて、各証券会社は最大の顧客を再び市場に参入させるために彼らに損失補填を約束した。それから数カ月のうちに日経は元の水準を回復し、新高値を付けた。大蔵省の高官は株式市場の操作は外為を操作するよりも簡単だと密かにほくそえんだ。

 ビッグフォーは東京証券取引所の売買高の半分以上を占めていた。なかでも断トツだったのは野村澄券で、バブル期には日本のなかで最も利益を上げる企業になり、その流動資産は四〇〇〇億ドルを超えていた。野村は五〇〇万人の忠実な国内顧客を擁していた。顧客は主に主婦で、彼らは貯めたお金を毎日せっせと野村の特別貯金箱に入れ、野村のソフトウェアで株式ゲームをプレーし、野村の選んだ銘柄に忠実に従い(野村は「売り」推奨はけっして出さなかった)、何千という野村のセールスマンの一人に毎週お金を手渡した。野村の社員には毎月販売ノルマが課され、推す銘柄を毎朝言い渡された。

 一九八○年代の後半、およそ八○○万人の新しい投資家が市場に参入し、投資家の総数は二二〇〇万人を超えた。彼らの取引が総時価総額(大部分の銘柄が会社の株式持ち合いと関連があった)に占める割合はほんの数%だったが、個人投資家が売買する株は毎年一〇〇〇億株を超えた。証券会社に投機を勧められた個人客は株式の三分の一を信用口座で運用していた。

 中国人はギャンブル好きとよく言われるが、日本人にも似たような国民的特徴がある。ギャンブルは昔から怖いものとされてきたが、特に日本人は株式市場に魅了されやすい傾向がある。それはなぜか。まず第一に、日本人はある活動--仕事でも遊びでも--を追求するとき群れて行動する傾向がある。群れの行動は稲作農業という共同社会で必要だったからと言われている。稲作農業によって「集団帰属意識」というものが生まれた。戦時中、日本は「一億総玉砕」という政府のスローガンの下、戦争に突き進んだ。一〇月の大暴落のあと、ある証券会社の社長は、日本がこの不安定な時期を乗り越えることができたのは、日本が「合意社会」、つまり同じ方向に動くことを好む国だからである、と豪語した。第二に、日本人は気分が変わりやすいという特徴を持つ。高揚していたかと思えば、次の瞬間には絶望の淵に落とされ、絶望していたかと思ったらすぐに元気になる。こうした日本人の弱みにつけこんだのが証券会社だった。証券会社は投資家たちに投機の対象となる株式市場の「テーマ」を次から次へと示した。大衆は目の前にぶらさげられた「ちょうちん」銘柄を何も考えずに買った。

 テーマのなかでもひときわ目立ったのが、会社の不動産の将来性を目玉にした東京湾の再開発だった。これに続いて、リニアモーターカー、超電導、常温核融合、奇跡のガン治療法などこれまで試みられたことのないテクノロジーが誇大広告された。一九八七年初期に神戸の売春婦がエイズで死んだあと、コンドーム株に関心が集まった。日本人成人の四分の三がすでにゴム製のコンドーム(経口避妊薬は禁じられていた)を使っていたという事実にもかかわらず、相模ゴムエ業の株価は四倍に上昇した。また日本(ムが抗エイズ物質を鶏の肝汁から抽出することに成功したという噂が流れると、日本(ムの株価は急騰した。エイズが恐れられているときにポルノ映画会社の株価が上昇したのは、ポルノ映画が安全なセックスの代替として期待されてのことだったのだろう。「テーマ・チェイシング(Thema Chasing:The Engine of the Tokyo Stock Market)」と題するリポートのなかであるアメリカの投資銀行は顧客に次のように助言した--「群本能は流動性が過度の状況下では健全な生存本能である」。

 マスコミの株を大量に保有していたビッグフォーは顧客に与える情報を操作することなど朝飯前だった。週一回行われるミーティングでは、ビッグフォーは推奨銘柄をこっそり結託して選んでいたと言われている。株式市場そのものが噂や耳寄り情報にあふれていたため、証券会社は自分たちの顧客が操作の影響を受けやすいことに気づいていた。ファー・イースタン・エコノミック・レビューの言葉を借りれば、「世界で最もひねくれていて、投機や操作がしやすい市場は東京証券取引所をおいてほかになら」。

 市場は止めようがないくらい上昇しているにもかかわらず、平均的な個人客はほとんど儲からなかった。彼らはアウトサイダーであり、証券会社や彼らのお気に入りの顧客の餌食でしかなかった。「客に回転売買させて手数料を搾取する」のが野村の暗黙の了解だったと言われている。個人客の多くは大手証券会社の系列会社が運営する投資信託にお金を投じた。これらの投資信託は手数料を取るために回転売買が行われ、市場が毎年二〇%以上上昇していたにもかかわらず、一九八〇年代後半の投資信託の平均年次リターンは四%を下回っていた。バブル期にお金を儲ける唯一の方法はインサイダーになることだった。お気に入りの顧客--銀行、官僚、政治家、裕福な個人、そしてヤクザ(暴力団)--には証券会社が推している銘柄が事前に教えられた。証券会社はインサイダーに対しては利益を保証し、損失は補填した。市場で大負けしたお気に入りの顧客には彼らの損失を補うために「アンビュランス銘柄」--確実に上昇する銘柄--が与えられた。証券会社は新株発行が発表される前に株を推奨するのが慣例なので、ある会社が資金繰りに困っている、という情報が入れば儲かってしょうがなかった。インサイダー取引は法律で禁止されていたが、そんなことを気にする人などだれもいなかった。
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地域密着性の高いシェアサイクルサービス

『シェアリングエコノミーがよ~くわかる本』より 移動のシェアリングの可能性

「スマートフォン」と「IoT」の組み合わせでシェアサイクルを事業化

 世界的な規模で通信事業を展開するソフトバンクグループ(孫正義氏率いる)がグループ企業の社員のアイデアを広く募集して事業化を行う新規事業提案制度「ソフトバンクイノベンチャー」の中から起業した4社のうちの1社が、2016年11月に発足したOpenStreet株式会社(代表取締役 横井晃)です。

 ソフトバンクの経営理念「情報革命で人々を幸せに」を軸に多種多様な事業展開を進めているソフトバンクグループ会社は、勢いに乗り始めているシェアサイクルサービスの事業を独自の戦略で展開しています。

 地域住民の声を重視し、地域密着型の高い新規ビジネスで、自転車シェアリングシステム「HELL CYCLING」による、IoTを活用したシェアサイクル事業です。

 ここ1、2年「シェアリング経済」「シェアリングエコノミー」が騒がれ始めていますが、もともとシェアするというのは昔からあったビジネスです。例えば、農業組合の農機具を始め、近所のおすそ分け、子供服、衣類(着物)の貸し借りなど、シェアの発想はもともと私たちの生活、ビジネスの世界に根付いていました。人間はもともと社会性を大事にするところがあり、“シェアの発想”は存在していたということになります。

自転車の非稼働率の効率化の解消にシェアサイクル

 急成長する中国を始め、欧州、米国の各主要都市でのシェアサイクルの普及拡大は続いています。「世界の都市に比べれば、日本は後れを取っている」といわれながらも、日本のシェアサイクルの普及拡大の動きも活発になってきています。全国のコンビニエンスストアや自転車のシェアサービス拠点が増えています。

 国内のシェアサイクル市場を見てみると、国内の自転車の保有台数は、ここ数年横ばい状態が続いています。放置自転車数も、自治体の放置自転車対策費が膨大になり、社会的な課題の一つにもなっています。また、通学・通勤での自転車利用の場合、自転車の1日の稼働時間はごく限られた時間で、残りは自宅か、駐輪場で眠っていることになります。

 この自転車の非稼働率の効率化が、シェアサイクルで解消されることも期待されています。シェアサイクルの特徴はとこでも借りられて、どこでも返却可能な短距離交通インフラです。

 同社の横井晃社長は「シェアサイクルの市場が爆発的に拡大していますが、圧倒的な普及を後押しする理由が『スマートフォン』と『IoT』の二つのファクターです。国も始動しています。2017年5月に自転車の活用の一層の推進を図るために『自転車活用推進法』が施行され、普及の後押しになっています」と話しています。

 同社が展開する自転車シェアリングシステム「HELLO CYCLING」は、世界初のオープンプラットフォーム(製品やサービスの基本を構成する技術仕様を公開する)で、企業や自治体が自転車に、短距離交通インフラの可能性を高めたシェアサイクルです。IoTデバイス(スマートフォンで鍵を開け締めるシステムのスマートロック)を取り付けて、「HELLO CYCLING」に参画する企業や自治体を増やしていくことで、ユーザーは各地域で展開されるシェアサイクルブランドを「一度きりの会員登録で、エリアに縛られす利用できます。“11D1 PASS" で利用できるのが特徴です。

 スマートフォンの普及がシェアビジネスでリアルタイムの情報を得られる即時性(RealTime)、今欲しいという要求(On Demand)、決済(Credit)が完結でき、IoTにより利用者のデータの取得、分析、可視化かできるようになります。

仕組みは「BtoBtoC」のシステムサービス

 「HELLO CYCLING」の仕組みは「BtoBtoC」のシステムサービスです。最初のBはOpenStreet (プラットフォーム)であり、次のBは(シェアサイクルの運営事業者)です。最後のCはエンドユーザー(カスタマー)です。

 各地ではそれぞれのブランドでシェアサイクルが運営されています。例えば、埼玉県さいたま市の街づくりを目的とした「エコモビ」(美園アーバンセンターの美園地区の街づくりの短距離交通インフラ)、栃木県小山市の観光などを目的とした「らく一る」(観光地の回遊や市民の手軽な足として)などが挙げられます。また、都内では、民間運営による「シェアペダル」などが展開されています。なお、同社の事業は全国展開といっても、パートナーとの連携により地域密着型を実現しており、それぞれの地域性を考慮したシェアサイクルの展開を目指しています。

 シェアサイクルに必要となるのは、ソフト面では利用アプリ、HP・販促、決済システム、会員管理、分析ツールなどが必要になり、八一ド面では自転車、スマートロック、駐輪場「ステーション」の設置物なども必要になります。加えて、運用面では、ステーション開拓、ステーション管理、コールセンター、バッテリー交換、再配置、車輛メンテナンス、保険サービスなども必要になります。「HELLOCYCLING」が提供する範囲は、ソフト面とハード面および運用面の一部です。具体的にはソフト面では利用アプリ、HP・販促、決済システム、会員管理、分析ツールです。そしてハード面ではスマートロック、運用面では保険サービスです。

利便性が高く、手軽なノーライセンスの乗り

 シェアサイクルが注目を集めている理由の一つが、自転車の持つ特徴です。車と違い免許が不要であり、手軽に利用できる乗り物です。都心部で実験してみたところ、湾岸エリアから東京駅まで約20分、新宿から四谷まで約15分、高輪から六本木まで約10分という短時間で移動できたということでした。

 また、観光スポットが点在する観光地を回遊するとなれば、電車を利用するよりも、はるかに自転車のほうが便利であることも多い、ということです。

 自転車の拠点(ステーション)が増えれば、借りたところと別なステーションに返却する「乗り捨て」がどんどん便利になるため、今後、ステーションは増えていくことは間違いありません。

 シェアサイクルの普及の一方でレンタサイクルが普及しなかった理由としては、無人の拠点を置く場合には、利用料を支払うための機器を事業者が設置しなければならす、高額の設備投資が必要であること、また導入に手間がかかることが挙げられます。また、シェアサイクルと異なり乗り捨てができないため、利用者にとっても利便性に欠けるという現実がありました。

どこでも“乗り捨てができる”「11D1 PASSWORD」方式

 「HELLO CYCLING」では、アプリ、またはWebサイトから簡単に自転車の予約が可能です。予約した自転車に取り付けられているディスプレイに、暗証番号を入力することでスマートロックが開錠し、自転車を利用できるという流れです。また、ディスプレイに交通系ICカードをタッヂするだけで、自転車を借りることができます。

 シェアサイクルを運営する事業者や地域が異なっても、「HELLO CYCLING」に登録されたステーションであれば、どこでも利用でき、「1ID1 PASSWORD」方式を導入しています。「HELL CYCLING」に参画する事業者をプラットフォーム化しているようなイメージです。

 現状では日本のシェアサイクルは海外に後れを取っています。「グローバルでのシェアサイクル市場は海外がダントツで膨れ上がっています。米国、中南米、欧州、中国と世界的な規模でシェサイクルのグローバル化が進んでいます」(横井社長)

ユーザーの利用履歴が次のサービスアイデアを生む

 地域密着性の高いシェアサイクルブラッドフォームを目指す同社は、「HELLO CYCLING」を活用してシェアサイクルを運営する事業者をネットワーク提携企業とし、各地域の事業者とステーションづくりを展開しています。

 横井社長は「当社は地域密着型でユーザーの二-ズに的確に対応したステーションづくりを重要視しています。ですから、地域によって、自転車の車種なども異なります。地域活性化のためのシェアサイクルサービスに徹します」と話します。

 例えば、坂道の多い地域と海岸沿いの地域では自転車の車種が違って当然です。販促の面でも地元企業のネットワークを活用しています。

 「HELLO CYCLING」の自転車に取り付けられているスマートロックには、GPSが搭載されているため、自転車の走行データの収集と分析が可能です。つまり、ビッグデータの分析と活用による可能性も非常に高いということです。 GPS情報からユーザーがどういう回遊ルートでどこに立ち寄ったか、などを分析してステーションの設置場所などを工夫することでサービスのレベルアップにも役に立ちます。

 日本のシェアサイクル市場をめぐっては勢いのある海外勢のシェアサイクル事業者の進出などにより競争化か始まっています。同社が展開する「HELLOCYCONG」は「短距離の交通移動インフラ」への挑戦です。
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量子力学 スマホの武器は配られた!

『量子力学が描く希望の世界』より

「量子力学は人間を炎り出している」

 鳥から飛行機を引き算した残滓」に話を戻そう。「AからBを引き算した残滓CからAの本質を探求する」という手法は、Bは設計した人工物だから未知を内蔵していないという前提に立っている。熟知の操作吋能なBによって、Bに解消できないAの本質を哭り出そうというp法である。

 量子力学は「人間の思考様式というものの特殊性を爽り出している」と、二〇年ほど前から、私はいっている。

 「筆者は数学的に明確に定式化されている量子力学のほうが、逆に物理学者の直感の変革を迫っているのだと思う。我々は理論でもって鍛えられなければならない。思い込みをイデオロギーというなら、我々はまだ古典物理のイデオロギーから量子力学を見て不思議と言っているのである。直感的理解に思い込みが必要であるというなら、我々は量子力学のイデオロギーとは何であるのかを考えるべきであろう。このことは人間の思考様式というものの特殊性を炙り出してくるものだと考える」(拙著『物理学の世紀』集英社新書、二九九九年、第四章)。

 ここでの「炙り出している」と冒頭の「引き算の残滓が災り出している」の関係はいささか複雑である。まず残滓Cが正であるとして、「人間の思考様式」と量子力学のどちらがAでどちらがBなのかも自明でない。「人間の思考様式」を「問題解決・選択」のように局限してみても簡単ではない。漠然と、一方が他方に包含される関係にはないことが分かるので、共通部分の大きさに関心が行くのかもしれない。議論をより論理的にするには「古典物理学」と「人間の思考様式」の関係も整理しておかねばならない。

「素朴物理学」

 認知科学の一つの手法は子供の発達に着目するものである。例えば子供は自らが出会う周囲の状況把握のために様々な「素朴理論」を立ち上げているという。物理的環境にたいする「素朴物理学については、特に理科教育の分野で多く研究が行われてきた。例えば、ニュートンの法則によれば力=質量×加速度だが、これは真空中のことで、現実の世界では空気や水の粘性のために、力=質量×速度と考えたほうがデータに合う傾向がある。この擬似的な法則に基づく素朴物理学は、創始者の名を冠してアリストテレス物理学と呼ばれる。アリストテレス物理学のほうを自然に受け入れる子どもたちにニュートン物理学の知識をどう教えるべきかという問題は、昔から理科教育の基本的課題の一つであった。学習の過程で心の中の知識がどう変化するかという問題は、前の項で述べた概念の変化の問題と深い関係にある」(安西祐一郎『心と脳』岩波新書)。

 ニュートン物理学は物体の地上での運動と天体の運動の統一理論として登場したものであり、これが天の世界と地の世界の位置付けをめぐるガリレオらの思想闘争を経た後の、数理職人的な達成であったことはよく知られている。

「第一の飛躍」と「第二の飛躍」

 この話を持ち出しだのは、物理的状況把握の「人間の思考様式」にふれるためである。当然ではあるが、ニュートン後の人間でも身体的認識のフレームは素朴物理学である。子供のアリストテレス物理学の身体が「第三の世界」の文化遺産の学習を経て世界像を変える。古典物理学でさえ決して人間的ではないということである。だから、「空気中から天空へ」の世界の拡大のように、「マクロからミクロヘ」世界を拡大したら、そこにニュートン物理学でない量子力学が立ち現れてきたというのは、歴史の進展を実感させるだけであり、素直に受け入れてよさそうである。

 「ニュートン物理学から量子力学へ」の第二の飛躍は学習の難易の程度の話であって、「アリストテレス物理学からニュートン物理学へ」の第一飛躍の方が身体を離れる意味ではるかに革命的であったともいえる。確かに、この物理学の「第一の飛躍」は、人類の社会文化全体の近代化という強大な歴史的転換と随伴する形で定着したものである。自然や天空のワールドビューだけがとの巨大な人類史の転換を駆動したわけではないが、発火点の一つであり、技術への波及を通して巨大な駆動源になったことも事実である。

量子力学への「第二の飛躍」は「第二の近代化」か?

 この「第一の飛躍」の歴史的広がりを想起することは「第二の飛躍」も「第一の飛躍」に匹敵する「巨大な人類史の転換」に連なるのか? それとも「転換」が既に始動しているのか? といった問いかけを喚起する。量子力学の登場を、物理学内の「革命」とみるか、物理学と数理情報学の関連の進展とみるか、IoTが吐き出すビッグデータをAIに喰わせる情報化時代の技術基盤とみるか、どのレベルで捉えるべきかという新課題が気になる時代になったといえる。

 「第一の飛躍」は生体を含むモノ世界における物質変造とエネルギーの革命であり、「第二の飛躍」は情報革命を推進しつつある。これが多数の民衆を社会の主人に登場させた。「第一の飛躍」が随伴した「近代化」に匹敵する次なる「転換」の潜在的な「発火点」や「駆動源」として量子力学があるのか、単なる当該専門家の「学習難易度の程度問題の話」なのか、という課題である。物理学の好事家の話題なのか、それとも、「第一の飛躍」のように人類全員を巻き添えにするものなのかでもある。物理現象の把握に限っても、スッピンの人間=アリストテレス物理学が数理をツールにニュートン物理学へ「第一の飛躍」をはたしてしまった後では「第二の飛躍」などは単なる成り行きに過ぎないのかも知れないからである。こうした問題意織も学間諭の一端である。

「何から、何をみる」

 学問論というと難しそうだが、手法としては次の二とおりである。「世界を自分をとおして知る」と「自分を世界をとおして知る」である。ここでは「自分」とは間主観的には「我々=人間」のことであり、「知る」は伝搬可能な公共性をもつ知識のことである。これらは、各々、「人間を世界に外化する」と「世界を人間に外化する」と言ってもよい。一見すっきりしている分類法だが、いま風には「人間」も分子機械だから、「人間」と「世界」の二元論は古臭いとされ、現代の自然科学はむしろ「世界を世界をとおして知る」であり、偶然的存在の「人間」は排除され、分割された「ある世界」と「べつ世界」をつないで見せる。

 「ここで「AをBをとおして知る」とは、使い慣れたBをホームベースにして対象Aを解明する、の意味である。自己言及に陥らぬように、他者Bの中にAを描く。Bは既知・制御可能・操作可能・表現可能、などの機能面において対象Aとは異なるが、同じ現実の存在がAにもBにもなり得るものである。

 最後に組み合わせを完結させるには、「人間を人間をとおして知る」という営みもある。ここでも「人間」を切り分けてつなぎ直すのだが、別に引っ付ける技術が進むから要素還元主義は強力なのである」(拙著『科学者、あたりまえを疑う』青土社、第2章)。

 冒頭の「引き算」論議も「量子アニーリング」も「AをBをとおして知る」の手法であり、人工Bの出現が新たな学問論を駆動するのである。

黄昏のモスクワ

 いまから三〇年以上前の一九八六年秋、モスクワの物理研究所に二週間ほど滞在した。ソ連崩壊まであと五、六年という「黄昏のモスクワ」といった感じの頃である。物理の議論をしていてテーマに興味があったので彼が手にしていた計算用紙を「コピーしてくれないか」といった。すると居合わせた者たちがロシア語でザワザワし出しが、結局、コピーは不可能だった。内容が秘密であるとか、アイデアの先取件で私を警戒したとか、そういうことでは全くない。理由は七〇年も前のロシア共産革命に由来するようだった。なんでも印刷(複写も印刷)は許可制だという。もちろん相対論の物理の内容自体の公表には何も問題がなく、許可を申請すれば許可される。しかしこのプロセスは結構重いので、みな嫌がっているのである。

 ここからは推測も入るが、こういうことだと思う。当時、印刷という行為は、攻撃の意味でも防護の意味でも、政治活動の最大の武器であった。このために印刷という行為が別格な位置付けとなったのであろう。つまり印刷許可制は一種の刀狩りであったのであり、その大原則がしり年後の研究所内でも貫徹していたということである。

「スマホの武器は配られた!」

 印刷による広報のメディアは帝政を打倒した自らの武器でもあったし、政権獲得後では反体制派の芽を摘む上でも大事な制御の手段であった。自分らの成功体験に引き寄せても、自由な政治的発言が印刷で広がることの危険性は熟知していたのである。これを緩めればアリの一穴になることを恐れて革命以来残っていたものと思う。実際、一九六〇年代までは、風刺を織り交ぜた反体制的言動の印刷物のインテリ層への広がりを止めるのはソ連の現実的に重要な政策だった。無人の部屋に置いてある印刷機は為政者の不安の種であったのだろう。

 天安門事件で亡命を余儀なくされた私の友人(故人)、方励之は学生に民主化を訴えていた一九八〇年代中頃、彼の演説を録音したカセットテープが、学生たちの手により次々とダビングされて広がったという(拙著『歴史のなかの科学』青土社、第9章)。いまそのお隣では「クマのプーさん」とかがネット検索の禁止用語になっているようだ。よもや足元で「森友」や「昭恵」が禁止用語にはなるまいと思うのだが……。つまり、ハードの上でのソフトの争奪戦が始まっているのだ。

 印刷やカセットテープといった情報メディアは武器なのである。スマホは民主主義の武器を人民に配ったようなものである。もちろん使いこなせなければ権力者のコントロールの手段に脱する可能性もある。どちらの主導権になるのかのせめぎ合いが始まっているのかも知れない。

 本章の冒頭に記したイベントも終わって「昭恵」「森友」絡みの土地である豊中から京都への帰途、電車の中で必死にスマホを操作している乗客たちを見ていると、ふと「せめぎ合い」を戦う勇姿に見えてきたが、チラッとみえた画面は「貴乃花騒動」だったりで、独りよがりの錯覚の夢から覚めたのであった。
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コンビニは家族制度を崩壊させる

私は何をしたいんだろう

 誰もいない世界に存在している。やはり、知ることに存在をかけるしかない。

メールを確認し損なった

 スマホのフロント画面でEメール着信フラッグが立たない。パートナーからのメールに半日後に返答。体調を心配されていた。

未唯の二人目も男の子

 明日から未唯が入院。24日に出産予定。今日は生まれてくる子の名前を一生懸命考えていた。

 小さな誕生日用のホールケーキを何十年ぶりに購入。あーちゃんの残りを乃木坂食い。つまり、各自がフォークを持って、取り合うスタイル。飛鳥が真っ先に飛びついて、松村が残りを平らげる。

コンビニは家族制度を崩壊させる

 セブンイレブンのサンドイッチ、ハンバーグ などをテレビで点数付けしていた。各家庭で料理を作るよりもはるかに合理的で無駄も少ない。選択肢はこちらを進めること。家族制度はこうして、崩壊していく。

 未唯空間第三章社会編の出だしをファーストフード、コンビニにした理由が分かった。単に便利にするだけでなく、社会を根本的に変える要素なのです。 それらはシェア社会のインフラとなる。

コメント文化から将来を描けるか

 割と気になってるのはコメント文化の混乱。やっと皆が発信できる環境を作ったのに退歩している。自立できてない。相変わらず、依存状態にある。何をどう間違えたのか。

 生ちゃんのように先を見てないからでしょう。考えることを生活すること。生活することは考えること。そんな池田晶子さんの世界。
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