goo

書物を処分する方法

『「いらないモノ』が教えてくれること』より 書物

 書物

 書物は人に勇気、希望、約束、解決策、救い、逃げ道など多くのものを与えてくれます。本には多くのことが書かれているので、なかなか捨てられないかもしれません。

 本を処分するための最高の方法は、あまり考えずに取捨選択することです。最初の段階でざっと本を選別することで、直観が働いてきます。直観はあなたの本当の関心を伝えてくれます。

 次のことを試してみましょう。

  1・一部屋に、できるだけ多くの本を集めてください。

  2・その本の山を、直観を利用して、「残す」、「人にあげる」、「どっちつかず」の3つに素早く選別してください。その際、さっと決断し、時間を使ってはいけません。この仕分けの過程は、直観を鍛えるための訓練になります。

  3・人にあげることにした本を箱に詰めたり、袋に入れたりして、ドアのそばに置いておき、次に外出する際に、持ち出せるよう準備をしてください。

   この時点で、あなたはすでに成功の感触を昧わっているはずです。あなたは人生のなかに神様にささげるために必要な空間を創り出すことができたので、神様にとって必要なものが何かを認識できるようになりました。

   もっと豊かで、充実した人生を手に入れたいという願望を後押ししてもらえたのです。神様はこの願いに応えてくれるでしょう。その際、突然、あなたに訪れてくる偶然の一致に注意を払うようにしてください。偶然の一致とは、例えば、妹のことをふと考えていたとき、その本人から実際に電話がかかってくるといったことなどです。または、護身術のクラスを受講しようと考えていた矢先に、郵便で護身術の教室のチラシが配達されてきたような場合です。または、何かを手放そうと決断した瞬間、偶然、人にそのモノを手渡せる機会が生まれてきたりしたときです。

  4・「残す本」の山を調べてください。その一冊―冊は本当にあなたという人物にとって、価値のあるものですか?

   人生のなかで与えられた物質的な場所やエネルギーの量は限られていて、すべての空間を占領しておくことはできません。これらの本の山のなかで残すかどうか迷ってしまうような本があれば、「どっちつかず」の分類に移してください。

  5・では次に、「どっちつかず」の山を調べてみましょう。

   ここに積み重ねられている本は、あなたがあなた自身をどう扱っているのかを教えてくれるかもしれません。

   すなわち、そこから、成功を妨げてしまう原因や影響を及ぼしている偏った信念に気付けることになるかもしれないのです。

   どうして、この「どっちつかず」の山に分類されたのか1冊ずつ考えてみてください。

   実際には読む気はないものの、人にもらった本なので処分することに罪の意識を感じてしまうものではないですか?

   大学で使った高価な教科書なので、捨てるのはもったいないと思っているのではありませんか?

   またはたぶん、考えに共感はしていても、問題がまだ解決には至っていないために、読み直したり、これから実践してみようと考えている自己啓発の本ではないですか?

   それとも、読もうと思って買ってはみたものの、手つかずのままで、必ず読むとは言い切れない本かもしれません。

   この「どっちつかず」の分類を、「残す」か「人にあげる」の部分に素早く移せないようなら、時間を使ってその理由を調べてみましょう。

   手帳を開いて、ページの最初の部分に、「私はこの本について一体どう感じているのか?」という質問の言葉を書いておいてください。

   次に、頭に浮かんだ考えを素直に書いてください。ここで検閲、編集、判断を下したりしてはいけません。頭のなかに浮かんだ言葉をそのまま書いてください。この心のなかの声を言葉にして表現してみます。それがあなたの英知の源、あなたの賢い自己で、まさしくあなたの核心なのです。

   次に、書いたものを少し脇に置いておきます(最低でも1、2時間、できれば一晩この文章を寝かせておきます)。

   その後、客観的な第三者の視点から、あなたが書いた文章を眺めてみてください。

    その本はどのような内容ですか?

    その本は一体あなたにどんな約束をしていますか?

    あなたとどのようなかかわりがありますか?

   この時点で詳しく検証してください。

   せっかく高いお金を払ったのだからという理由は外してください。自分にとってその本がまったく役に立たないのだったら仕方がありません。作者の意に従えなかったからといって、後悔などするのは止しましょう。

   その本を読んでも奮い立たされることも、励まされることもなく、かえって気分が悪くなってしまうようなら、その本にはさよならを言うべき時です。

   本(または本以外のモノ)が人から贈られたものだったとしても、あなたに贈った人は、あなたが手放したからといって呪いをかけようとは、考えてはいないはずです。あなたに贈られた小包は、罪の意識を植えつけるためにやってきたのではありません。

 本を処分する準備ができたら、新しい場所に本を送りだしましょう。そのためのヒントを次にいくつか出しておきます。

  コーヒーショップかカフェ

   私は3冊以上は店に持ち込まないようにしていますが、コーヒーショップの多くは、本を共有するための本棚が備えてあります。

  小さな無料図書館(訳注:小さな本棚を戸外に設置して、地域の人に読んでもらう運動) 家の形をした箱が、突然、世界中の町に出現してきました。近所にこのような箱を自分で作る人もいますし、購入してこの箱を組み立てる人もいます。

   誰もがこの箱のなかに入れてある本を借りることもできるし、いらない本はここに置いておくこともできます。調べて、この箱を手に入れる方法や、この「小さな無料図書館」を運営する非営利組織の歴史などについて学んでください。

  古本屋

   古本屋はまだまだ健在で、もっと寄付してもらえる本を探しています。新本にこだわる人もいますが、その場合は自分の大好きな本だけを買うようにして、ガラクタを増やさないでください!

  グッドウィル・インダストリーズ・インターナショナル

   グッドウィルは、寄付されたものを販売して得た収益で、職業訓練などのサービスを提供している素晴らしい組織です。

   (訳注:最近は日本でもこの形式の団体が増えており、収益を児童養護施設の子どもの自立支援に充てる団体や、支援先を選択できる団体などがあります)

   (訳注:日本の場合は図書館が書籍の寄付を募っている場合が多いので、お住まいの地域の図書館などに問い合わせてみると良いでしょう。大学や病院内に持ち寄り文庫を置いているところもあります)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サービスとしての電子国家

『さよなら、インターネット』より AIはプライバシーの夢を見るか?

エストニアの電子住民

 ケンブリッジ・アナリティカに端を発する個人データ・スキャンダルは、国家や国民というアイデンティティに疎外感を感じる人々を増大させた。福島の原発事故後にもかかわらず原発を再稼働させる国家の国民であることから逃れたいと思う人々にとっては、主権国家や国民国家でさえ、自身のアイデンティティとは相容れない。英国がEU離脱を決めたことで、アイルランド旅券に対する需要は50パーセント増加した。国民のアイデンティティと直接関係ない、地理的に決定された市民権の制約に人々は不満を感じている。

 国に支配されるアイデンティティではなく、真に自己主権アイデンティティを求める人々に対応する一部の政府は、これらの変化が国家の意味を再定義する絶好の機会であると捉えている。この混乱の主役は、バルト海とフィンランド湾に接し、デジタル政府で世界をリードするエストニアだ。

 2014年12月に電子住民登録制度が導入された。電子住民は市民権とは別で、エストニアに物理的に入国または居住する権利ではないが、エストニアで生まれた人と同じ方法で、エストニアに会社を登記し、ビジネスを実行する能力を人々に提供する。

 エストニアの電子住民プログラムのディレクターであるカスパー・コルジェスは次のように説明する。

  「エストニア政府の支援を受けた電子住民登録制度は、国境を越えたデジタルアイデンティティと、公共の電子サービスヘの完全なアクセスを提供します。これにより、誰でもEUベースのビジネスを構築し、高度なデジタル基盤を世界のどこからでも管理できます。これは、地球市民のための新しいボーダレス・デジタル国家をつくり出す、エストニアからの世界への贈り物なのです」

 2018年4月までに、世界154か国から3万3400人以上がエストニアの電子住民カードを取得し、5000社以上の企業が設立されている。これは、地理的領域が国家の境界を規定するという考えに挑戦するエストニアの斬新な政策の一部だ。2017年2月のデロイトの報告によると、電子住民登録は、1440万ユーロ(約18・9億円)の収入をもたらしている。エストニア政府は2025年までに、1000万人の電子住民の登録を見込んでいる。

サービスとしての国家

 電子的な仮想市民の潜在的影響は巨大であり、新たな政府を実現する可能性もある。デジタル革命は、世界のどこからでも、多くのオンラインサービスにアクセスすることを可能にする。現状の電子住民の利点は、別の法的管轄区域で事業を行う可能性だけだが、将来的には通貨、教育、さらには医療サービスの提供に拡大する可能性もある。

 電子市民は、フィンランドで子どもを教育し、マレーシアで医療を受け、ニュージーランドでビジネスを営むことを望むかもしれない。近い将来、EU居住者と同様に、GDPRで保護される電子市民登録もはじまるかもしれない。各国政府はこうしたサービスの提供を、長期的には財政的な持続可能性の手段とみなす。地理的な人口集約を対象とする集中課税制度ではなく、サービス自体をグローバル市民に販売することによって世界各地から収入を得る方法だ。

 このようなモデルは、「サービスとしての国家」と位置づけられる。利用されるサービスの数、または選択された市民権の各レイヤーに基づいて、異なる市民権サービスを提供する可能性もある。これは、新たな都市国家の可能性や複数の領域市民権を意味する。

 このような「国家」は、地方政府から実現するかもしれない。都市崩壊が進むサンフランシスコを脱出し、エストニアやベルリンに集まる世界中のスタートアップは、いまや口ンドンを抜いて欧州一となったベルリンの資金提供者とアクセラレータのエコシステムにアクセスしたいと望む。意欲ある都市では、エストニア同様、電子住民の政策は魅力的である。

 将来の地方政府は、世界中の人々にオンラインサービスを提供するインセンティブとして、地域の電子市民権を提供し、地方政府が運用するGDPR準拠のソーシャルネットワークで、重要な収入を得ているかもしれない。欧州の議会では、すでにバックオフィス・サービスを民間に売却しており、地方自治体が顧客サービス事業をGDPR準拠のオンライン・プラットフォームに委託するのも非現実的ではない。

 中央政府は、デジタル国家からの全面的な挑戦を真剣に受けとめる必要がある。電子IDとデータ管理から、シームレスなサービスヘのアクセスに至るまで、市民はよりよいデジタルサービスを求める。アゼルバイジャンでは、すでに電子政府の独自のバージョンを開発中である。いまやアマゾンのような大規模なインターネット・プラットフォームは、各国政府の機能を代替するための準備を進めている。

 国家の機能が民間企業に移譲されるのも想定範囲にある。

電子的人格

 2017年1月27日、EU議会に「ロボティクスに関する民法規則委員会の勧告を受けて」と題した報告書が提出された。報告作成者は、EUが世界に先がけてロボット法令を整備すべきと、早くから主張してきたルクセンブルクのマディ・デルヴォー議員である。この報告書は、主に製造されたロボットが原因となって、人間に対し何らかの損害を発生させた場合、損害賠償責任が問題となることから、EU議会が世界に先がけて立法化をめざす自動運転車や自己学習AIなどの広義なロボットを対象にした法規範の提言だった。

 ロボットが事故を起こした場合、ロボットは「人間」ではないので法的責任を負うことはない。ただ、ロボットの所有者、管理者、製造者、役務命令者などは人間なので、損害賠償責任が問われる。一方、自己学習により、人間による管理を拒絶する自己防御プログラムを自らのシステムの中に書き入れ、人間から自由の身となるAIロボットも成立しうる。

 当該報告書の中に静かに埋め込まれていた一文をめぐり、2018年4月、世界のAIロボット研究者、開発者など百数十名がEU議会に公開書簡で懸念を表明した。デルヴォーの報告書には、AIロボットに「電子人格」が付与される可能性が記述されていた。

 「長期的にはロボットのための具体的な法的地位を策定し、少なくとも最も洗練された自律型ロボットを、損害を発生させる主体であることも含めて、特定の権利と義務を持つ電子的人格を持つものとし、ロボットがスマートな自律的意思決定を行うか、独立して第三者との相互作用を行うケースにおいても、電子的人格を適用する可能性がある」

 電子的人格をAIロボットに付与することを示唆したこの一文は、世界のAI研究者たちを震憾させた。

 AIロボットに「法人」同様の権利や責任を付与することへのさまざまな問題が指摘された。倫理的かつ法的な観点から、ロボットの法的性格をつくり出すことは、法的モデルが何であれ不適切であり、ロボットの法的地位を「自然人」モデルから派生させることは、ロボットに尊厳の権利、報酬の権利または市民権の権利などの「人権」を付与することになるからだという批判である。ロボットの法的ステータスは、法人の背後にある人間の存在を示し、それを指示することだとし、ロボットを管理する責任と手段は、受託者としての人間の存在に帰結するという主張である。

 EU議会の報告責任者マディ・デルヴォーはSFの中に現れるロボットに過剰反応したアマチュアと鄭楡されたが、デルヴォーの提起した「電子的人格」はすでにSFの中の話ではない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

宗教改革からハイパー資本主義の暴走へ

『さよなら、インターネット』より ハイパー資本主義は宗教改革にはじまる

宗教改革からハイパー資本主義の暴走へ

 ルターの宗教改革をめぐっては、さまざまな議論がなされてきた。その代表的な論点はマックス・ヴェーバーの『フロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やジョルジュ・バタイユの著作『呪われた部分 有用性の限界』によって示された。

 ルターの宗教改革は、人々を教会の権威からは解放したが、教会より専制的な権威である神に人々を服従させる結果になった。宗教改革は、信仰においては聖職者も一般信徒も同じであるという「万人祭司」と、宗教的権威と政治的権威を持つ者が同等な「神権政治」を確立した。

 これを現代に置き換えれば、万人祭司は「誰もがクリエーター」で、神権政治は「プラットフォーム独占」かもしれない。ヴェーバーの指摘で重要なのは、ルターやジャン・カルヴァンの広めたプロテスタンティズムが、「浪費」を禁じ、「勤労(生産)」と「蓄積」を奨励したことだ。ルターとカルヴァンにとって、カトリック教会の権威より、すべての個人が神と聖書を通じて直接関わる、徹底した個人主義的信仰こそが「万人の神権」だった。

 宗教改革が決定づけたのは、生産の成果として蓄積された富は浪費されることなく、その蓄積を未来へと「投資」されるものとしたことだった。

 ヴエーバーによれば、「世俗内禁欲」(プロテスタンティズムの倫理)に基づく、富の蓄積と投資が「資本主義の精神」を生んだ。

 バタイユはさらに、ルターの宗教改革は経済活動の根本に作用し、宗教的祭儀を中心とした贈与経済の「蕩尽」を排除する社会を生み出したと指摘した。

 贈与や蕩尽より、生産と蓄財を重視する社会が形づくられ、社会に累積したエネルギーの消尽行為そのものが、社会から忌避され、呪われていった。「余剰」の「蕩尽」を実施する宗教祭儀によって支えられていた共同体は、富の「蓄積」と「投資」をめざす個人主義と資本主義経済に邁進する。社会に累積した余剰エネルギーの消尽は、民衆のための大規模な祭典の開催や荘厳な教会建設ではなく、軍事技術の発散と消尽の場となる戦争を拡大させた。

 現代であれば、金融工学に起因するバブル経済やサブプライムローンの破綻といった相次ぐ経済危機を繰り返すことが、「消尽」の新たな局面となった。もちろん、ソーシャルネットワークのプラットフォーム独占によって蓄積された世界の個人データが、AIに「投資」され、富が富を生むハイパー資本主義が根こそぎ「消尽」するのは、ほかならないわたしたちの個人データである。

 ナチス時代の神格にまで祭り上げられたルターをめぐる評価は、歴史の中で大きく揺れてきた。ルターの予見を遥かに超えて、その後の歴史が資本主義、ましてハイパー資本主義の暴走に至るなど、ルターは知る由もなかった。

プラットフォーム独占という悪夢

 社会的イノベーションは「創造的破壊」を伴う。ソーシャルネットワークの創始者マーク・ザッカーバーグが取り組んだ数十社を超える競合他社の買収や、「速く動いて破壊する」全方位展開が、民主主義までを破壊するパワーを備えたていたことを本人が意図していたかは定かではない。

 2012年4月、フェイスブックはベイエリアの従業員13名とともにインスタグラムを10億ドル(約1112億円)で買収した。同年、世界の写真業界を長らく牽引し、4万人を雇用していたコダックが倒産した。4万人が失職し、13人が超人になるデジタル経済に、何か起こっているのか?

 グーグルの検索チームが、ユーザーの検索クエリを手助けする方法としてオートコンプリートを追加したとき、そのアルゴリズムが「ホロコーストは存在しなかった」と主張するネオナチサイトに悪用される可能性があることに彼らは気づかなかった。

 歴史上の体制や秩序、価値観が大きく変動していくときに、ルネサンスの起源とされるルクレティウスの詩篇(写本)の影響力や、ルターの「論題」、そしてエドワード・スノーデンの内部告発に至るまで、人々の妄信を破壊させる啓示があったことが理解できる。

 もともとシリコンバレーにはカウンターカルチャーが内在されていたことを考えれば、1990年代初頭のインターネットは反商業空間で社会変革の最大の道具だった。いまでもそれは、わたしたちの社会を驚くべき仕方で形づくっている。しかし、それはかつてのカウンターカルチャーの夢ではなく、プラットフォーム独占の経済空間となった。

 ルクレティウスの詩篇には、「神と神話」の呪縛を絶ち、世界を原子に還元し、人々を人間であることの生きとし生ける「快」へと解放するチカラが込められていた。ルターが免罪符の購入によっては救済されず、聖書に立ち返るべきだと主張したことを、歴史的改革の端緒と見ることも、当時の人々の不安や不満と見事に合致したポピュリズムの勝利と見ることもできるだろう。

 ルネサンスの起源から600年、そしてルターの宗教改革から500年、符号めいた2017年に、デジタル社会変革という大変動はなぜ起こっているのか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

未唯宇宙7.6.1~7.6.4

恩赦絡みの事前策

久しぶりに新刊書が2/3。最近は満杯だった。TRCの息切れ

借りてきた新刊書のなかに『ヨーロッパ鉄道時刻表2018夏編』があるということ12月までに欧羅巴へ行け!ということかな。そのためのなにかが起こるはず。

発信と言っても、外に出すのではなく、内に出していく。

7.6.1「未唯空間で表現」

 未唯空間で何を表現する。池田晶子さんの言葉に「生きることは考えること」というものがある。それを体現することがキッカケ。

 雑記帳「未唯への手紙」は感じたこと、考えたことを書くのだが、先からそれらを見ていくのが、未唯空間。

 全てという境界線をもつ。論理性をもつために体系を作り出した。

 文章で書くのではなく、イメージのナカに漂わせるカタチが欲しかった。ウィトゲンシュタインの論考表現に憧れる。

 表現できないものを表現する手段かもしれない。文化系の線形表現では表せない。境界の向こう側をシリコとなくしては思考に境界線は引けない。未唯空間の向こう側には何があるか。今のところ未唯宇宙しか見えない。。

7.6.2「知のインフラ」

 知の世界に向かうために用意されているもの。本と図書館は別々に進化の時を向えている。

 本は電子書籍によって、コンテキストが独立していく。より本格的なメッセージに分化していく。

 図書館はバーチャル化すればするほど、リアルなメディアは必要になる。当然、教育委員会の配下から市民に主導権が移る。

 知の根本から生活への影響がましてくる。平等をめざす歴史観、独我論の伝播、そして、ベースとしての新しい数学でハイアラキーの呪いから離脱して、新しい社会を作り出す。

7.6.3「未唯宇宙」

 未唯宇宙は未唯空間の境界を超えて、旅をする。

 未唯空間で実証されたものから、拡張を図る。持続可能を維持するためのサファイア循環。ローカルとグローバルの間を思考と行動で昇華させていく。

 政治形態を含めて、家族制度、教育制度、会社制度を知が主導するカタチに移行させていく。

 社会の現象を含んだ形で、未唯宇宙を示すことになる。それはあまりにも膨大な世界になる。これをどう表現するか。そして、見えてきた歴史の変節点へのシナリオ。

7.6.4「家族制度」

 人類はお互いの弱さを補完するために家族制度を作ってきた。その家族制度が生まれてきたもの同士の不平等を拡大させている。

 変節点を向えるに当たって、家族制度の変革が必要。家族とは何か。あるものは都合が良く、他のものは一方的に扱われる。それはあまりにも小さな規模の国家のようなもの。

 この制度を守りたい人間が支配している。愛という言葉を含めて、サイレントマジョリティが刷り込まれている。

 不満は未婚率に現れている。未婚率が30%担った時に社会は変化する。生まれてきたものとして、制約の下での不平等に耐えられなくなる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

豊田市図書館の23冊

547.48『戦略的SEQ思考』Webプロジェクトを成功に導く

686.55『EUROPEAN RAIL TIMETABLE SUMMER2018』

548.29『できるiPad超入門』ゼロからはじめる

002.7『奇跡のメモ術』記憶力日本一を5度獲った私の

019.9『優雅な読書が最高の復讐である』

007.3『さよなら、インターネット』GDPRはネットとデータをどう変えるのか

314.12『帝国議会』--西洋の衝撃から誕生までの格闘

024.8『市場のことば、本の声』

518.54『ごみ収集という仕事』

597.5『「いらないモノ」が教えてくれること』散らかった部屋に隠されたメッセージを読み解き、人生を立て直す方法

910.2『なぜ古典を勉強するのか』近代を古典で読み解くために

319.04『世界はジョークで出来ている』

391.65『第二次世界大戦 アメリカの敗北』米国を操ったソビエトスパイ

253.07『アメリカの原爆神話と情報操作』「広島」を歪めたNYタイムズ記者とハーヴァード学者

290.93『湖水地方&スコットランド』

383.8『食の冒険 フィールドから探る』

396.21『昭和陸軍の研究 上』

396.21『昭和陸軍の研究 下』

375.32『歴史人物になってみる日本史』あなたならどうする?

778.8『「北の国から」異聞』黒板五郎独占インタビュー!

146.89『カウンセラー物語』心に寄り添う21人の軌跡

130.2『幸福とは何か』ソクラテスからアラン、ラッセルまど

293.46『ウィーン オーストリア』
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )