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未唯宇宙8.2.1~8.2.3、6.6.4~6.7.4

墨田川花火大会を見ていた

 花火大会を見ているいくちゃんをテレビで見ているオタクがツイッターに上げたのとリアルタイムで見ていた。

 花火よりもかわいくて、天然。花火はいいから、いくちゃんに絞ってくれ。

「ひめたん」のトレンド入り

 卒業宣言して、一年。卒業してから8ヶ月経つのに、ツイッター件数が「いくちゃん」に次いでいる。乃木中での一枚の写真だけど、トレンド入り。

8.2.1「売ること」

 車は売ることでやってきた。方向を失った。単純なら売ってもいいけど、クルマは単独では意味をなさない。

 インフラがあって、初めてのもの。インフラはシェアの存在。インターネットのように、その瞬間だけ占有するなら、混在できるが、車は人の何十倍も占めて、二次元にへばりついている。

 結局、差別化で売っている。作るのも差別化している、矮小な人間中心に存在している。エネルギーを含めて、移行コストは論外。

 社会的負担はカバー不可能。なぜ、こんんあ中途半端なモノを作って、売っているのか。買った人間も禄に使ってはいない。

8.2.2「地域を圧迫」

 車は資本主義を代表している。消費資本主義、格差インフラ、公共との対比。

 地域を圧迫しているが、メーカーは作り続ける。メーカーはしがみついている。自行程完結は悪の煩悩。

 メーカーは人類の幸せを願うという役割を果たしていない。

 2005年以降、日本国内では車は売れていない。その原因を知りたくて、技術から販売に異動希望。

 分かったのは、名古屋は昭和陸軍と同じ体質。自分のことを考えて、全体のことは考えない。そして、今の状態は続くと思っている。

 販売店は地域の現状は分かっているので、先行販売店はメーカーに依存しないようにしている。その他の販売店は目をつぶって、メーカーに依存している。

8.2.3「進化の方向」

 車の進化の方向は技術ではない。自動運転とか電気自動車とかではない。車の存在そのものを変えること。メーカーの台数発想の役割は終わっている。

 いかにクルマを使うかという活用技術をいかに開発するか。コレに気づいたのは、30年前の東富士の頃。

 当時から、自動運転、電気自動車などが試されていた。ハイブリッドの直前に、それでどうなるかを考えていた。

 そんなモノを作ったところで、台数が増えたら意味がない。商品という考えではなく、仕組みで考えた。クルマの本来の役割を考えた。

 どうしたら、多くの人が幸せになれるのか。そこを考えるには、東富士ではダメだ。自動車研究所が生活研究所になった時に戻ってこよう。

6.6.4「教育の見直し」

 図書館が知の入口として、知の出口は教育そのもの。今の学校制度でも、生涯学習というモノではない。

 教育の根本を見直す。自立した市民をいかに意識させ、いかに進化させていくのか。家族とか国家に依存しない。

 会社のあり方を変革させるための教育。それにしても「教育」という名前はえげつないですね。

 家族と一体化した教育は崩壊しているし、国家に帰属する洗脳教育は自滅する。

 市民の覚醒とそれを支援する力で新しいカルチャーを創造していく。

6.7.1「ザナドゥ空間」

 本の未来を示したのが、ザナドゥ空間。ビルゲイツのMSOSと同じ時期に提唱された。エジソンに対するテスラのようなザナドゥ。

 本は参考文献からできている。個々に対する著作権は存在しない。全体で見ていくための空間。

 本がデジタル化され、連鎖検索が可能になって、やっと現実的になってきた。東富士の時はハイパーカードでイメージを作っていた。

 知の体系であり、新しい著作権のあり方を求めていた。歴史の文献では欠かせない。哲学は連鎖して欲しくない。

 未唯宇宙は内なる世界にザナドゥーを作り、外延する。

6.7.2「本棚システム」

 図書館の新刊書25000冊からOCR化した3000冊を2つの体系にしている。

 ①図書館コード:NDC

 分類0:総記532冊、分類1:哲学588冊、分類2:歴史541冊、分類3:社会科学1786冊、分類4:自然科学297冊冊、分類5:技術321冊、分類6:産業247冊、分類7:芸術53冊、分類8:言語51冊、分類9:文学94冊

 ②雑記帳No:時系列

 625冊目(2012.6)~1095冊目(2018.7)

 これを知識ベースとする。スマホでのオフラインでの検索可能。OCRの一部はブログ化しているので、ネットワークでの検索を可能にしている。

 これらは問われたら応えるためのモノ。膨大なデータベースの使い方はコレに限る。電子図書館のクラウドサービスのイメージを先行させる。

6.7.3「知の体系」

 知の体系はNDCのように標準として与えられるものではない。本もメディアもバラバラにした上で、好き嫌いで統合されるモノ。

 デジタル化されることが前提です。本のようにカタチに拘るのではなく、コンテンツを本質で絞り込んでいく。

 そのようにしてできたデジタル空間にメッセージ、映像などの思いとか考えを詰み込んでいく。

 コンテンツそのものはきれいなモノでなくても言い。連鎖の塊が意味あるものになればいい。問われたら、再編集して答えを出していく。それがECHOソクラテスとなる。

6.7.4「コンテンツ」

 コンテンツの拡大はメディアの多様化で可能になる。全思考過程をコンテンツ化できる。参考資料とも連携できる。これらは思考を飛躍させるのに重要なファクターになる。

 コンテンツは拡大させると同時にコンパクト化させる仕組みが必要になる。持っているだけで、使えなければ、先に進めない。

 ブログそのものはコンテンツだが、全ては表現できない。新聞のデータ量をはるかに超える。

 グーグルサーチは1つの解を出したが、あくまでも1つの方法であって、状況は更に進んでいる。

 情報の集約はAIに頼るしかない。そのために出てきたと思っている。情報の連鎖を把握した後の集約。

 問われたら応える環境作り。知のカプセルにつながる。それが教育をも変えていく。人がつながることの意味。
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