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マーケット・バスケットの企業文化

『軌跡のスーパーマーケット』より

マサチューセッツ州チェルシーのエヴェレット通り一七〇番地にあるスーパーマーケットに、あなたが入っていくところを想像してみてほしい。そこは、ニューイングランド地域に店舗網を持つ大手スーパーマーケット・チェーンの旗艦店のひとつだ。ガラス張りの自動ドアが開くと、ショッピングカートが行きかう音や、レジ袋にシワを寄せる音が店内から聞こえてくる。店内が混み合っていることを除けば、典型的なスーパーマーケットである。

しかし、店の奥へと進むと、何かが微妙に違うことに気づき始めるだろう。売場は少し時代遅れの印象だ。白とピンクの格子柄の床は一九五〇年代風で、店内は簡素で飾り気はない。商品情報よりも価格を強調し、陳列はシンプルだ。

すべての男性従業員は白いワイシャツにネクタイを着用している。店長や各売場の売場主任は赤いジャケット、その他の従業員は青いジャケットを着ている。男性はひげを剃り、髪は襟よりも長くしない決まりだ。これについて、この店の創業者一族と近しいウィリアム・ポウリオは、旧世界の価値観を保つ社風なのだと説明した。名札には在籍年数が記されている。三十代半ばに見える従業員の中には在籍年数「二十年」の従業員もいる。ということは、彼らは十四歳か十五歳で仕事を始めたことになる。実際、そうなのだろう。

売場は老若男女、家族連れでいっぱいだ。さまざまなルーツの来店客かおり、母親が子供に母国語のスペイン語(あるいは、その他の言語)で話しかけるのをよく耳にする。

通路を進むと、納品されてすぐに売場に運ばれてきた段ボール箱をよけながら歩くことになる。この店では買物客がいる日中に商品の補充作業をする。これにはいい点がある。どの通路にも従業員がいるので、探している商品が見つからないとき、容易に尋ねられる。

レジに行くと、ほぼすべてのレジがオープンしていることに気づかされる。各レジは二人体制で、若い女性がレジを担当し、髪を短く刈り揃えた若い男性が袋詰めをするという組み合わせを最もよく見かける。他のチェーンで最近盛んに導入されている、買物客が自分で精算を行うセルフレジ機はここにはない。

CEOのアーサー・Tに言わせれば、単純に「血の通った接客をする」のがこのチェーンのやり方なのだ。

マーケット・バスケットとはこのような店である。

価格は安い、というよりも非常に安い。商品ひとつひとつを競合店と比べるとマーケット・バスケットの方が安いと誰もが口を揃える。あの抗議行動以前に、ニューハンプシャー・パブリック・ラジオが価格チェックのため、マーケット・バスケット、競合店のショーズ、ハナフォードでまったく同じ商品(同じブランドで同じ容量)十二品目を購入したことがあった。その合計金額は、ショーズでは四八・七四ドル、ハナフォードでは四〇・六○ドルだったが、マーケット・バスケットではわずか三五・八五ドルたった。一例を挙げると、マーケット・バスケットで売られているブレヤー社のアイスクリームの価格は、ショーズで売られている同商品の約半値たった。

マーケット・バスケットは、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、メイン州の三州に、七十数店舗。個人商店の雰囲気を残した総売上高四十五億ドルのこのスーパーマーケット・チェーンで、毎週二百万人以上の人々が買物をする。

マーケット・バスケットは家族経営で、それは約百年前の創業時から変わらない。

他社が毎年何百万ドルもかけて実施する企業ブランド戦略を一切行っていないにも関わらず、マーケット・バスケットは、全国的な消費者調査では上位にランクしている。『コンシューマー・レポート』誌が二〇一二年に実施した調査では、サービス、生鮮・乳製品の品質、価格、清潔さを消費者が評価した結果、全国の五十社以上の食品小売チェーンの中で第七位。価格だけを見れば最高評価で、総合百点満点のうち八十二点を獲得した。

今日のマーケット・バスケットの企業文化は、二十世紀初頭、二人のギリシャ移民がマサチューセッツ州ローウェルに一軒の小さな食料品店を創業し、近隣の低所得者や労働者階級の人々の生活を懸命に支えた頃から形成され始めたものだ。それが約一世紀かけて〝進化″を続け、今では独自の方法でスーパーマーケットを運営するまでになったわけだが、まずは約百年前のこの会社の創業期に立ち戻って、抗議運動にいたるまでの経緯をたどってみよう。独自の企業文化が生まれた背景もそこから見えてくるはずだ。
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あなたの心はどこにありますか

10.3「数学の世界」

 存在と無から始まった、私の世界。それを汎用化し、拡大できるのが数学。それは1=0の世界で点から全体を作り出す世界。つまり、リーマン面です。

 多重世界を表現できるのは数学だけです。そこは時空を超えて、いろんな次元なものが重なり合った世界です。局所での連続性をつなぎ合わせることできる世界。

 集合が点になり、点が集合になるならば、次元の圧縮は容易なものになる。宇宙で言えば、銀河系が点になり、点が銀河系になる これが我々の世界そのものなんです。

 「存在と無」という哲学的な課題を数学としてなら扱うことができる。ちなみに 私と世界の結論は存在の無です。

あなたの心はどこにありますか

 これらに気づいたのは 「あなたの心はどこにある」という問いに対して、瞬間的に描いた絵です。それは宇宙の外周と真ん中に同時にあるというものです。それは数学的には宇宙全体を取り巻くトーラスになる。

 それを他者の世界に適用すると、個人と超国家がつながることになります。新しい数学でその理論化ができます。できた空間をシュミレートすれば、今後、何が起こり得るのか予測できます。それが数学の強みです。

10.4「歴史認識」

 ここでは 四つの観点からまとめていきたい。一つは人間、そしてカリスマ。二つ目は進化のあり方。三つ目は<今>ということ。そして未来の歴史です。思いを形にできたのがカリスマです。アレキサンダーの ペルシャを超えた思い、ムハンマドの神への思い、毛沢東の、中華へのゆがんだ思いは顕著です。

 三度のアイスボールのように、破壊なくして進化はない 。そして今は進化の時です。個人の内なる世界から訪れる進化、その前の破壊の時です。

 歴史上で興味のある人物はマケドニアのアレクサンドロス、ムハンマドのおいのアリー、ハンニバルとスキピオ

 歴史上で興味のあることはスターリンとルーズベルトの緻密さ。毛沢東の潔癖感

 三度のアイスボール状態から、なぜ地球は蘇ったのか それを考えると、地球原理になる。それは人間原理であり、私の存在そのものになる。

なぜ<今>なのか

 なぜ<今>なのか、という重要な問いにどう応えるか。それは放り込まれた理由そのものかもしれません。137億年に対する未来の歴史。とりあえずは歴史の変節点はどこか、そこに迎えるにあたっての人類の心の変節点。

10.5「私の分化」

 10.5と10.6は、その変節点の単なる事例です

眠たくて、動けない

 眠たい、やたら眠たい。どうしよう出かける格好したけど、動けない。それにしてもどこに行くのか?

 寝ていても腰が痛くなるだけだから やはり出かけよう

10.7「全てを知る」

 未唯空間と未唯宇宙で知ることの準備を進めてる。生きているうちにまとまらないこと、持って行き先がないこと、それらは分かってるけど、放り込まれた以上、やれるとこまでやりたいだけ。

 大きな疑問がある。知ってどうするの。それとそんなこと知らなくても本当のことはは知ってるんじゃないの。そうなんです。「存在と無」から「存在の無」を認識したところで答えはできてしまった。なぜ手間のかかること、そんなことやってるの。

 この環境を用意してくれたもののためにやっている気がする。大いなる意思の望むものは何か。大いなる意思は本当に多くのものを用意してもらった。それらを超えたいといういう思いからかもしれない。このFBの環境にしてもそうです。スマホにしても未唯を介して、用意してくれた。大いなる枠組みの中の小さな自由。今、出かけるとか出かけないとか そんなことも含めて、どうしていくか。

10.8「私の世界」

 独我論の世界で生きると言っても、独我論自体が定義されてない。その言葉は前立腺で入院した時に思いついた言葉です。その場で奥さんにメールした。全然、理解できなかったみたい。まあそんな生き方みたいぐらいで考えていきましょう。どう考えても言葉では表現できません。

  内なる世界から宇宙に旅立つ。未唯宇宙へ。多重世界の一つとして他者の世界がある。そして存在の無にいたる。存在してる間は無為なんでしょう。積分で見ると0、微分で見ると無限大の空間を味わう。
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OCR化した8冊

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 バッハはお好き?

 ヨーロッパ音楽都市案内--バイエルンの音楽

『図解で早わかり 刑法のしくみ』

 自動車運転をめぐる法律

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 テロ等準備罪(共謀罪)

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  どのような内容の法律なのか

   「組織的犯罪集団」が関与すること

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  懸念される問題点

『ソニーはなぜ不動産業を始めたのか』

 事業が始まった瞬間

 正体不明のSRE事業準備室

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 これまでになく早い意思決定

 振り出しに戻った採用活動

 島津の首をタテに振らせたもの

『読みたくなる「地図」』

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  デルタの街・広島

  城下町から軍都へ

 松江

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『入門メディア/コミュニケーション』

 ソーシャルメディアと政治参加

  ソーシャルメディアと政治

   政治のメディア化

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  抗議運動の中のソーシャルメディア

   アラブの春

   怒れる者たち

   原子力発電所反対デモ

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  何が人々をつなぐのか

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  新たな「我々」の構築へ向けて

『あの明治大学が、なぜ女子高生が選ぶNo.1になったのか?』

 日本で唯一の数学の学部に学生は来るのか?

 1日5000人の学生が集まる図書館

 いまの大学図書館はこんなにすごいのか!

『軌跡のスーパーマーケット』

『スリップの技法』

 スリップとはそもそも何か

 役割は終わった?

 置かれた場所で咲かなくなっても

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スリップはショートメッセージ

『スリップの技法』より

スリップとはそもそも何か

 スリップはその形から「短冊」とも呼ばれています。縦に細長い紙片を中ほどで折り曲げ、その折り目から書籍の本文用紙の数枚にまたがるようにはさみ込まれています。現在、新刊書店に流通しているほとんどの書籍に採用されているこの短冊は、大正年間に書店の現場で開発され、昭和5年に岩波文庫に正式採用されたものの戦前にはまだ二般的ではなかった千―-と日本の出版流通の歴史を研究した『書棚と平台』(柴野京子、弘文堂)に書かれています。

 スリップを山折りにした中央には、書籍にはさみ込んだとき本の上部から飛び出すように半円の突起が設けられています。その形が坊主頭を連想させることから「ボウズ」と呼ばれるこの部分を、レジで会計をするときに指先でつまみスリップを引き抜きます(ボウズが小さすぎると、引き抜く際にボウズだけがちぎれてしまいます。大きすぎると、折り目の両端とボウズの幅が狭すぎて、棚に在庫している間に破れてしまいます)。

 折り目は、長い紙片を二等分する中央にではなく、二つ折りにしたときそれぞれに長短の違いができるようにつくられています。折ったスリップの下端には数センチの差が設けられています。このズレ幅は各出版社でさまざまなのですが、書店の現場での使用を考えたとき、ちょっと不便だなと感じるスリップに出くわすことがあります。下端の差が数ミリしかないスリップだと、一度抜いたものを本に挿し直すことが片手ではやりにくく感じます。長さが違いすぎて、折り返してまたがっている片方が5センチにも満たないものは、立ち読みの際にすぐに抜け落ちてしまいます。どちらもとても困るというわけではありませんが、このどちらでもなく使いやすいスリップを発見したときは、裏側の白紙面を再利用するために保管しています。

 現在流通しているほとんどのスリップには、長いほうに「注文カード」、短い方に「売上カード」と表記してあります。注文カードには、書名、著者名、出版社名、本体価格が印刷されています。加えて、ISBNコードが文字とバーコードの二通りで記載されています。

 注文カードの上部には書店のゴム印を押す欄と注文冊数を記入する欄が設けられています。ゴム印は「番線印」と呼び、書籍を卸す取次(問屋)から各書店に割り当てられている固有の「書店コード」や、取次内での各書店の管轄や倉庫から各書店への流通ラインを表す「番線」が刻印されています。

 オンラインで発注データを送信することが普及していない時代には、書店は注文カードに冊数を書き番線印を押して、取次の配送担当者に手渡していました。補充品が入荷したときには、手渡したスリップの現物が書籍にはさまれて戻ってきました。再入荷するたびにスリップに日付印を押しておくと、その商品の回転数や頻度がわかる仕組みでした。

 データで発注できるようになってからも、売上チェック、在庫管理、ジャンル担当者からアルバイトさんへの発注作業の申し送りなど、発注入力の直前までのほとんどの工程でスリップが使われていました。発注の際は、紙のスリップに印刷されたISBNコードを(ンディ・ターミナルのスキャナを使って読み取り、送信するのです。POSレジや取次の検索発注システムにアクセスするための機材がまだ高価で一式を揃えることが書店にとって大きな負担だったため、取次がハンディ・ターミナルをリースで提供していました。

 売上カードにも書名や著者名などが小さく表記されていますが、送り先(出版社)の所在地や報奨の条件などが大きく書かれているものを多く見ます。書店はスリップを注文カードと売上カードの2つにちぎって分け、売上カードを各出版社ごとに集めておき、定期的に出版社へ送ります。出版社は売上カードを集計して販売状況を推測し、各書店に対して集計枚数に応じた販売協力費(報奨金)を支払う場合があります。

 スリップには、それがはさまれているものは出版社や取次から正規に仕入れた新品であることを示す商品管理カードの役割があります。スリップがついていない書籍は、出版社や取次に返品しても受けつけてもらえずに送り戻されてしまうことがあります。僕のようにスリップの注文カードをちぎって手元に残し、売上カードだけを書籍本体に残して返品することや、書き込みをしたまま消していないスリップをつけて返品することは、もしかすると原則としては認められないことかもしれません。返品されたものを他店へ再出荷する出版社の側に立てば、迷惑なことかもしれません。しかし、今のところ苦情や返品の送り戻しといったことには出くわしていません。本書を読まれた出版社、取次の方々には、書店が1冊ごとに根拠をもって商品を扱っているひとつの証拠として、そのような使い方もやむを得ないと堪忍していただけると幸いです。

役割は終わった?

 現在では出版社、書店とも、売上管理や発注をオンラインで行うことが多くなり、書店が本を注文したり報奨金を得る、出版社が自社刊行物の売れ行きを把握するといった用途のためにスリップを使用する機会は随分と少なくなりました。売上集計や補充発注といった作業はもちろんデータ化されていたほうが効率がはるかに良く、そのために必要なPCや通信回線のコストが下がった現在は、多くの書店にPOSシステムが普及しています。当初想定された用途においてはスリップの役割は終わりつつあるのかもしれません。しかし、発注ツールとしてだけではなく、スリップには後述するように書店の現場で作りあげてきた活用方法があります。その役割においては、より優れた代替手段はまだないと僕は考えています。

 注文カードは、書籍のジャンルや担当者ごとに仕分けして束にするお店が多いかと思います。担当者が各自のスリップをチェックして補充発注に使う際に、他の担当者に構わず作業できるという理由が考えられます。規模の小さなお店で棚を見ている人がひとりか2人なら、仕分けをせずにただ売れた順に集めているかもしれません。

 現在では、日本出版販売(日販)のNOCSやトーハンのTONETS-Vなど、レジでの販売記録と店舗の在庫管理、書誌検索と取次への発注が一元管理できるシステムが取次で用意されていて、書店の側は安価なPCがあればウェブ上でそれを利用することができます。売れたものを担当者が判断する工程を経ることなく補充発注することができます。そのため、売上スリップはたまに参考に見る程度というお店が増えています。スリップをお会計が終わり次第、すぐに破棄するという書店もあります。書店の売上データは取次のシステムを経て出版社にも送ることができるため、売上カードを送付することも不要だからです。

 今、書店のPCの画面上には売れた書目と冊数が二覧で表示され、そこに店舗の在庫数、取次倉庫の在庫数や出版社の在庫状況も記載されていて、注文入力欄に数字を入れれば発注も完了します。出版社名や著者名にはリンクが張られていて、クリックすればそのまま書誌データベースにつながります。シリーズ作品の前巻や同じ著者の既刊を調べてついでに発注することもあっという間にできてしまいます。発注にまつわる作業がほぼすべて、ひとつのブラウザ画面上でこなせるとても優れたものです。

 しかし、あまりにスムーズに作業が流れてしまうため、手を止めて1冊1冊について売れた理由や、次にどんなものを仕入れて売場を構成するかといったことを考える機会が減ってしまいます。POSの売上一覧リストは通常、売上冊数の多い順に--同じ冊数なら発行元別に刊行時期が新しい順に--表示されます。そのため、店の時間に沿った売れ方がわからなくなります。画面上に同じフォントで並んだ情報はのっぺりとした印象で、スクロールし終えると理解したような気になり、本来読み取れるはずの情報すら見過ごしてしまいます。

 実際、レジで売れた順やまとめ買いの組み合わせがそのままの状態で東にしてある売上スリップのほうが表情豊かで、蓄積されたPOSデータを参照するのとは別の点で情報が多く読み取れます。スリップは1枚ごとに特徴があります。たとえ日付やメモが書かれていなくても、ボウズが日焼けして色あせているかクタクタに折り目がついていれば、随分長く棚に売れ残っていたものがようやく売れたとホッとします。スリップがカビ臭いか消毒薬臭いと感じるときは、この出版社の倉庫はどんなところなのか、この本はどのくらい出荷されずに倉庫に眠っていたのかと想像します。ボウズの脇から裂けてしまったスリップが何枚も続けて現れると、この時間帯はスリップを抜き取る手加減もできないほどレジが混雑したのかと察せられて、担当のアルバイトに労いの言葉のひとつもかけてあげたくなります。自分が期待をかけて仕掛けた書籍が売れたことは、スリップで手にしたときにより一層嬉しく感じます。実際、あゆみBOOKS高円寺店(現・文禄堂高円寺店)の佐々木修一店長は、全店舗で自分がいちばん多く売っている書籍のスリップを壁一面に貼っていくことで気分を高めていました。

 スリップは何通りもの仕分けや並べ替えを自由にできる点で、POS画面より便利です。「棚卸しが終わったら発注」、「発注しないが、このテーマで今後の新刊に期待」、「売れたことを来月の店長会議で自慢する」、「給料が出たら自分ち買いたい」など、すぐに発注する以外のさまざまな目的別グループに分けて保管することができます。売上スリップの束を「棚挿しと平積み」や「どの書店も一般的に在庫しておくべきだから仕入れたものと、自分が意図的に仕入れたもの」などに仕分けして、売れ方の比率を厚みで確認することができ。ます。POSデータでこれをやるには、エクセルにコピーしていくつもファイルを作ることになり、あとでふいに内容を見たくなったときにも何か端末が必要です。

 スリップを1枚ごとにめくり、書き込むといった自分の手を動かす行為をすることで、情報をより確かに記憶に刻むことができます。レジで販売した1日の順を追いながら、買った人のこと、売上スリップのなかでたびたび目にする「時短」や「フランス人に学ぶ」といった流行のキーワード、「孤独」や「死と向き合う」「親子」といった普遍的なテーマを組み合わせて想像していると、そのテーマと読者像に合う既刊を思い出し、その既刊が店にある新刊とうまく組み合わさるような平台の並べ方を考えるきっかけになります。僕の頭のなかに書籍の知識や並べ方のセンスが前もって備わっていたわけではなく、何かが売れるたびに次の手をスリップから考え、それを試してみた結果をまたスリップで記憶に刻み込んできたのです。スリップは「昨日売れた」という根拠となって次に売れそうなものや方法を考える道具になります。

 また、そのスリップを持って売場のどこへでも行けることも重要です。POS端末での作業が増えれば、それだけバックヤードに籠る時間が長くなります。実際には、売場でやるべきことがたくさん残されているはずです。店内は繰り返し整理していなければすぐに散らかってしまいます。整理しながら頻繁に平積みを触っていると、今しがた売上スリップで見かけたものがどう置かれているかを見直すことになります。ついさっきレジで見かけて、今、あなたの胸ポケットに入っているスリップにあるまとめ買いの例を参考にすると、もっと面白くてついで買いを誘いそうな並べ方に気づき、その場で並べ替えることができます。

 自店のPOSデータも取次が提供してくれる全国の売上データも、すでに売れたものしか示してくれません。もちろん、リストの上位に登場するような銘柄が自店で品切れしていないかチェックすることには役立ちます。しかしこういったデータからは、「売れなかったもの」、「まだ売れていないが、やり方次第でこれから売れるもの」が何なのかは読み取りづらいのです。

 POSシステムが普及し、売れたものをスリップで把握する習慣が消えつつあることで、まだ売れていないものを発見できるスリップの活用法まで一緒に消えてしまうのは、とても惜しいことです。平積みや棚挿しに挟んだスリップに数字やメモを書き込むことで、売場はもっとはっきりと読み取れるものになります。スリップに何も書かれていなければ、売場は「のっぺらぼう」のように感じます。書店という販売装置のなかで商品がどういう状況にあるかは、自分の手でスリップに数字やメモを書かなければわかりません。POSデータを参照できるハンディ・ターミナルを手に持って品出しをするのもひとつの手かもしれませんが、スリップを使うほうが作業の妨げになりにくく、費用もかかりません。

 まだ売れていないものを売れるように仕向けるにはどうすればいいのか。たった1冊棚から売れたものに目をつけてもっと売り伸ばすにはどうすればいいのか。それを考えることこそ、売上スリップを読み解くことのいちばん大切な意味だと思います。

 ここまでに「スリップとは何か」「スリップにはどのような機能やメリットがあるのか」、その概略をご説明しました。次章では、書店の日々の仕事のなかで、いつ、どのように、どんなスリップを挿し、数字やメモを書き込み、そのスリップを読むのかを、時間の流れに沿って説明します。
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