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FBはメモになる

全てが関係なく見えてくる

 全てが関係なく見えてくる。実際、関係ない。一つ一つに理由を求める。

FBはメモになる

 ノートに書くためにスタバにやってきたけど、面倒になって FBに書きこんでいる。

 FBは「未唯との対話」をいつでもできるようにしてくれた。無線LANがあれば、

らじらー!の感想

 やっぱり、ひめたんは心に馴染む。さゆにゃンはスタイルが安定しない。

生活習慣

 会社に通っていた頃、5時起きで、6時に家を出て、7時半にスタバに到着。そして、8時から席で考えていた。

 今の生活からとても考えられない。気がつけば、10時、気がつけば、12時。せめて8時から考えるようにしたい。席に座る必然はないけど。

 明日こそ8時に家を出ないと。ゴミが3袋も溜まってます 一度で持っていけないので、とりあえず今日一袋を車に持ち込みました。さて、朝、行けるだろうか。

吉野家の肉の日

 昨日の昼飯は豪華だった。吉野家で29の日と言うことで4倍の肉だけのすき焼き鍋。生卵なしで980円。肉は十分だった。すき焼きには卵が欠かせないことを痛感した。1日1000円の生活費ではギリギリですね。

今年もわずか

 モスレキンの今年のダイアリーに、今日だと思って5日にマークをつけた。あと、これしかないんだと思った。ところがそれは11月5日だった さらにびっくりした。
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縄文の思想 平等と暴力

『縄文の思想』より 平等と暴力

神のまえの平等

 南九州の漁村で生まれ育った谷川健一は、幼いころ地引き網をみにゆき、そこで小魚をわけてもらったといいます。

 南九州では、狩猟や漁の獲物を分配する際、その単位をタマスとよびます。このタマスは「賜る」「賜わす物」の意であり、柳田國男によれば霊魂の「タマ」も意味しました。実際、八重山ではタマスをタマシイとよびます。そしてこのタマスは、家で寝ている赤ん坊にも、あるいはゆきずりの旅人にも一人分が与えられました。

 アイヌの場合も、贈与や物々交換を、ラマツ(タマシィ)の贈与や交換であると考えていました。

 海民やアイヌのあいだでおこなわれていた贈与や分配が、本来はタマシイの贈与や分配を意味するものだったというこの事実に、私の心は強く揺さぶられます。

 谷川は、平等とは分配の平等のことであり、なぜ漁民が惜しみなく分配することができたのかといえば、それが神からの授かりものだったからだ、とのべます。

 そのうえで谷川は、神を抜きにした分配の平等は可能か、と問いかけます。

 一九一八年、武者小路実篤は宮崎県の山間に「新しき村」を建設し、人道主義にもとづく平等の生活をめざしました。しかし、「あの家はコーヒーに入れる砂糖の量が多すぎる」といった些細なことまで話題にのぼる、喜劇的な状況が生じたといいます。

 そこで谷川は、神を抜きにして、あるいは生活者の思想から遊離した神によっては、平等は生まれないとのべています。海民の平等は、水平的な贈与だけでなく、神からの贈与という垂直的な関係をくみこむことによって、はじめて実現するものだったのです。

共産主義者の村

 海民と平等といえば、日本列島の海浜部ではいたるところで分配と平等がみられました。

 たとえば、下北半島の太平洋側に位置する青森県東通村尻屋の漁村では、アワピやコンブなどの漁が共同でおこなわれ、利益は平等に分けられていました。そのため第二次大戦中には「共産主義者の村」と噂されることもあったといいます。

 このような分配と平等は、丹後半島の京都府伊根町蒲入の漁村などでも認められ、それらの集落も周囲から「共産村」といわれていました。

 さらに漁獲物の平等な分配は、沖縄県の津堅島、沖縄本島の大宜味村、本部町、北谷町などでも知られています。

 縄文時代の遺跡に強い階層化はうかがえません。分配と平等は縄文の思想でもあったとおもわれます。ただし、縄文時代や旧石器時代に不平等が存在しなかったわけではありません。ヒトが個体差をもって生まれてくる以上、そのことによって生じる不平等は本源的に存在するとしても、それを発現させない機制が、縄文時代や旧石器時代には強く働いていたといえそうです。

 古代の海民についても、横穴墓などかれらの墓には、目立った階層性がうかがえないことが大きな特徴とされています。また近世アイヌの場合、神に出自をもつとされ、実際神とよばれて王に近い存在であった首長もいましたが、かれらは権力とは無縁でした。

 いずれにしても、神からの贈与はタマシイでもあったのですから、そのタマシイを商品として売り払い、あるいは一人占めすることなど、容易にできるものではなかったのです。

排除される野心

 ただし、この縄文的な世界の平等は、現代の私たちがイメージするような牧歌的なものではありませんでした。

 名寄アイヌの北風磯吉は、アイヌ社会では能力のある者が疎まれ、村を出ていくことが少なくなかったとし、「同族人がなぜもっと寛大な心で、伸び行く者の芽を愛し得ないのだろうかと思えた」とのべています。アイヌ社会における平等は、個人の自立性にたいする足伽という一面をもっていました。

 むかわ町に伝わっていたアイヌの伝説には、次のようなものがあります。

  ある若い夫婦が、松前へ交易にでかけて財をなし、昔から建ててはいけないと禁じられていた大きな家を建てます。しかしこの禁を犯したため、集落の人びとは庖盾によって死に絶えたというのです。

 この伝説が、人より大きな家を建てる行為、つまり不平等を戒めるものだったのかといえば、単純にそうとはいえません。たとえばアイヌ社会では、宝もちが首長の条件であり、才覚に乏しい貧乏人はウェンクル(わるい人)とよばれていました。宝もちであることは威信と名誉をもつことであり、首長は立派な家、大きな家に住まいしていたと語られるのです。

 ここで重要なのは、大きな家を建て、大量の宝物を秘蔵していたのが「若い」夫婦であったという事実です。この伝説は、社会が許容する不平等は「若者」であってはならないこと、宝もちにふさわしい人格者として社会から認知された人物でなければならないことを物語っていそうです。

 しかし、次節でものべるように、アイヌ社会では狩猟しながらひとりで山中を放浪し、何年も村に帰らなかった若者たちや、山中に孤立して暮らす人びとなどがみられました。アイヌ社会は本来、個人の自立性と遊動性をその基礎にもつものだったのであり、野心ある若者の排除が、かれらの自立性そのものを閉ざすことにはなりませんでした。

自由と自治

 海民とアイヌは、農耕民と同じ時代を生き、農耕民との共存のなかで生きてきました。

 第一章でのべたとおり、イレズミや抜歯という縄文習俗の残存は、縄文的な生業への特化によって農耕民との共存をはかろうとした、かれらの選択の結果といえるものでした。縄文の思想の残存についても、時代にとり残された結果や未開性のためなどではなく、かれら自身が選びとってきたものにちがいないのです。

 では、かれらはなぜ縄文の思想を選びとったのでしょうか。

 海民とアイヌは、漁携・狩猟・海上交通という移動性に富む生業をもつ人びとでした。アイヌは、一一世紀前後にはサハリン南半、一五世紀には北千島とカムチャッカ半島南端へ次々領域を拡大し、最終的には環オホーツク海世界の南半を占めながら、その広大な世界のなかを往来していました。かれらは大陸のアムール川下流域へおもむき、中国の元、明、清の歴代王朝と朝貢交易も繰り広げていたのです。

 海民についても、たとえば沖縄の糸満漁民の場合、太平洋側では黒潮にのって高知、愛媛、伊豆諸島、房総半島へ、また日本海側では五島列島から山陰方面へ、さらにフィリピンやサイパンまで出漁や分村をおこなっていました。

 潜水漁民の拠点であった筑前鐘ケ崎の場合、壱岐、対馬、山陰から能登半島まで出漁や移住を繰り返しており、志摩半島の海女は島根県の竹島、北海道の利尻島、礼文島までテングサ採りにでかけ、韓国の済州島の海女は房総半島や伊豆諸島でアワビ漁をおこなっていました(浅川二〇〇三)。

 海民とアイヌの暮らしの前提であるこの移動性は、境界を定める国家や権力の支配と鋭く対立するものにほかなりません。そのことからすれば、かれらは支配からの自由を価値とせざるをえない人びとであった、といえます。

 さらに、かれらの社会は贈与をつうじてむすばれる閉じた系でした。この閉じた系が閉じた系として成立するには、かれら自身による自治が不可欠です。国家令権力と相容れないこの自治も、かれらの社会の大きな特徴だったことになります。

 海民とアイヌが縄文の思想を選びとってきたのは、それがみずからの社会を成立させるうえで不可欠な、自由と自治のイデオロギーでもあったからにちがいありません。

 ところで中世以降、北海道には多くの和人が渡海してきました。

 一一八九年、源頼朝との戦いに敗れた奥州藤原氏四代の泰衡は北海道へ逃走を試み、津軽十三湊を拠点としていた安藤氏は、一四三二年に南部氏との戦いに負け北海道へ敗走します。北海道は鎌倉幕府の重罪人の流刑地にもなっており、この罪人を監督していたのは安藤氏でした。

 さらに一六二〇年、宣教師のカルワーリュは、秋田から渡航する一〇名ほどのキリシタンに加わって北海道へ渡りましたが、宗教上の理由で本州から逃げ渡った和人も少なくなかったとおもわれます。

 アイヌの自由と自治の世界は、日本から排除された罪人、敗者、異教徒なども加わって、アナーキーな状況をみせていたのです。
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原発事故の裏で深刻化 太陽光発電の乱開発問題

『文藝春秋オピニオン2018年の論点』より

福島原発事故以降、環境にやさしい電源として普及が進められてきた太陽光発電に疑問が持ち上がっている。

太陽光発電は災害に強い分散型電源であり、エネルギーの自給率向上や地域経済の活性化にも寄与するとして、もっぱらプラス面が強調されてきた。しかし、収材を通じて目撃した実態は、そうした好イメージとはかけ離れたものだった。

八ヶ岳を望む山梨県北杜市の高原地帯でいま、環境破壊、が深刻化している。太陽光発電のパネルを敷き詰めるために山林が丸裸にされ、別荘地の至近距離では、重機がうなりを上げて土を掘り返している。完成した発電設備のすぐそばの別荘で暮らす住民は、反射光や気温の異常な上昇に苦しめられている。

経済産業省の調べによれば、2017年3月末時点までに導入された太陽光発電設備約271万件のうち、圧倒的多数を占めるのが、電気事業法で「低圧」(出力規模50キロワット未満)に分類される小規模なタイプだ。

「アンダー50」といわれる50キロワット未満の設備約269万件のうち、主に住宅の屋根に設置されている10キロワット未満が約224万件。残る約45万件の大半が、事業目的で地上に設置きれた「野立て」タイプと見られている。

経産省は10月12日、新たに改正した固定価格買取(FIT)制度に基づく個別事業計画の認定情報を初めて公開した。

今回、明らかにされたリストから北杜市内での太陽光発電設備の認定状況をピックアップして調べたところ、アンダー50が97%を占めていた。49・9キロワットといった基準すれすれの設備も目立つ。同じ場所に建てられていて、所有者の名義が同じである場合も多い。

「その多くは規制逃れを目的としたものだと見て間違いない」

地元在住で、「太陽光発電を考える巾民ネットワーク」の弘旧山欠’Lさんがそう断言する。太陽光発屯の乱開発を監視する弘田さんは、「その多くは法令で禁止されている『分割案件しに該当するのではないか』との疑いを強めている。

分割案件は、実際には出力が50キロワットを超える事業でありながら、50キロワット未満の設備に小口分割して申請しているものをいう。電柱が立ち並んでいる様子などから見分けることができる。

50キロワット未満である場合、設備の点検など保安業務に従事する電気主任技術者の選任も、保安規程を作成する必要もない。事故が起きても、監督官庁に報告する義務もない。

国が定めた技術基準に設備が適合している必要こそあるものの、第三者のチェックが入らないため、安全性に問題のある施設が建設される可能性が高い。

実際、アンダー50の施設では、太陽光パネルを載せる架台を、工事現場で仮設用足場として用いられる単管パイプで組み上げている例が多い。基礎工事がずさんで、パイプを地面に突き刺しただけのものも珍しくない。

「強風にあおられた場合、パネルが単管パイプとともに吹き飛ぶ恐れがある」(太陽光発電設伽に詳しい設計会社)クリーンエネルギーの信頼が揺らぐ

いったいなぜ、ずさんな施工が横行しているのか。その原因として、行きすぎた規制級和がある。

12年7月のFIT制度導入と前後する形で、太陽光発電施設に関してさまざまな規制緩和が実施された。

とりわけ問題物件の乱立につながったのが、11年6月の電気事業法施行規則の改正だった。電気主任技術者の選任や保安規程の届け出を必要としない「一般用電気工作物」の対象となる太陽光発電設備について、出力規模を従来の20キロワット未満から50キロワット未満へと大幅に引き上げたのである。

そして12年7月のFIT制度創設により、1キロワット時当たり40円(非居住用)という高額の売電価格が決められたことで、事業用太陽光発電のブームが全国に広がった。それまで太陽光発電といえば、住宅の屋根に載せて、余剰電力を売電する家庭向けが主流だったが、FIT制度創設を皮切りに、全国各地で投資目的の設備が乱立するきっかけになった。

FIT制度により、立地地域にも金が落ちるようになった。それまで無価値に等しかった山林や耕作放棄地が突然、金のなる木に化けた。土地を手放したり賃貸するだけでなく、自らも太陽光発電を手掛ける地権者が相次いだ。

 「長期不労所得型の資産運用。先行者メリットの大きい投資です」

 「驚異の高収入をお約束いたします」

インターネット上には、あたかもゼロリスク・高リターンであるかのような事業者による売り文句が並んでいる。

山林を皆伐しながら、C02削減をPRしている企業もある。

14年4月に分割案件の禁止に踏み切るなど、経産省は手をこまぬいているわけではない。15年8月に九州を襲った台風では太陽光発電設備が倒壊する被害が続出。太陽光パネルや架台が隣接する民家を直撃した。事態を重く見た経産省では、事故報告義務を従来の500キロワット以上から50キロワット以上に引きドげるなどの規制強化に転じた。

しかし、行政のマンパワー不足もあり、認定件数の大部分を占めるアンダー50に対する規制強化はほぼ手付かずの状態だ。分割案件禁止後も、時期をずらして申請するなど規制逃れは後を絶たない。

地方自治体の首長や幹部自身が投資していたり、地権者に首長の有力後援者がいることから、地元自治体も対策強化には及び腰だ。将来、解体廃棄物の扱いが大きな問題になる可能性も高い。

FIT制度が再生可能エネルギー導入拡大に大きく貢献したことは確かだ。ただ、このままの状態が続けば、クリーンなエネルギーとして原発や火力発電を代替するどころか、太陽光発電の信頼そのものが失墜しかねない。
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米中覇権争い「第二次太平洋戦争」

『文藝春秋オピニオン2018年の論点』より

アメリカの中東での後退、そして北朝鮮への対応などをめぐって、国際社会におけるアメリカの影響力低下がしばしば指摘されます。

しかし、結論からいえば、少なくともこの十数年間でアメリカの国力自体は低下していません。問題は、アメリカのリーダーシップの低下にほかなりません。イラク戦争を起こしたジョージ・W・ブッシュから、現在のドナルド・トランプに至る大統領が、いずれも米国の国力を適切に行使する能力がなかったことが現在の危機の本質でしょう。

そして、その背景には、アメリカという国の抱える大きな矛盾があるように思います。

そもそも歴史的にみても、アメリカという国は初めから一体的な強大な国として出来たわけではありません。まず北部には、イギリスから逃れた清教徒(ピューリタン)、すなわち理想主義的なキリスト教原理主義者が入植します。そして、ほぼ同時期に、南部にはプランテーション経営を行う、現実主義的で重商主義的な植民地主義者たちが入植してくる。大きくいえば、この二つの勢力のせめぎあいがアメリカの歴史の根底にあるといっていい。

一方に、北部的な理想主義、すなわち自由や民主主義などのアメリカ的理念を国際社会に広めていこうとする普遍主義があり、もう一方に、南部的な現実主義、アメリカだけの繁栄を考えるべきだという、まさにアメリカ・ファーストの内向的な孤立主義がある。この二つが激しくぶつかった例としては、一八六一年からの南北戦争、が挙げられます。北部の勝利に終わったこの戦争によって、アメリカは統一的な強大な国家を確立しました。

しかし、実質的には、この二つの対立は今も続いている。たとえば一九六〇年代の公民権運動は、形を変えた〝第二の南北戦争〟だったといえるでしょう。また「アメリカ・ファースト」を標榜するトランプ政権下で、白人至上主義運助が活発化しているのも、両者のせめぎあいが今も解消されていないことの一つのあらわれだと思います。

では、アメリカが内向的な自国中心主義に偏るのは、どんな時でしょうか。それは、アメリカ国民が自信をなくしている時です。具体的にいえば、第一次大戦後にウィルソン大統領が提唱した国際連盟への加盟を、議会が拒否したこと。さらに、世界恐慌に陥った際には、保護主義へ傾斜し、世界経済を不安定化させました。

最近で言えば、やはり二〇〇八年のリーマン・ショックの後遺症は、いまなお尾を引いています。さらには冷戦以後のブローバリゼーションによって、アメリカ国内でも空洞化が進んだことも、アメリカ人、ことにマイノリティ優遇政策からも漏れた白人層に深い不満と自信喪失をもたらしました。

その意味では、アメリカの政策が内向きになったのは、トランプに始まったことではない。ブッシュの中東政策の失敗を受けて、中東からの撤退政策を進め、ウクライナ危機、シリア危機にも毅然とした態度をとらなかったバラク・オバマもやはり内向き志向の大統領だったといえます。

もっとも「アメリカが世界の警察であることをやめた」という見方は、私は正確ではないと思います。そもそもアメリカは「世界の警察」だったことなど一度もありません。いまのアメリカの影響力は、世界一の米軍を軸とした、各国との相互安全保障条約に基づいています。それはNATOであり、日米安保条約であり、韓国、オーストラリアなどとの「約束」によるものです。「強大なアメリカが一方的に世界に正義を押し付けている」というイメージは間違いで、アメリカには条約に基づいて、同盟国を守る義務(守られる権利)があるわけです。

話を「アメリカの抱える二つの方向」に戻しましょう。普遍主義と内向き志向という、相反する勢力がぶつかり合い、周期的に主導権を握ってきたのがアメリカという国なのですが、興味深いのは、これまでは独立戦争、南北戦争といった歴史の大きな節目では、つねに普遍主義を掲げる北部が勝利を収めてきたことです。もしも南部が勝ち続けてきたら、まったく別のアメリカになっていたはずです。これは単なる「歴史のIF」ではありません。今後、トランプのような大統領を選び続けたら、そうなる危険性は十分にあるのです。

アメリカは今も資源豊富で広大な国土に、世界中のあらゆる分野のクリエイターたちが集まり、世界一過酷な競争を繰り返している国です。その勝者たちが世界一の経済・技術大国を牽引するのです。多くの敗北者が存在します、が、国家としてのダイナミズムには圧倒的なものがあります。そして先進国では珍しく、若年労働人口が増加しています。こうした国は世界でも他にありません。

アメリカにチャレンジしている大国、すなわち中国やロシアには、アメリカほどの潜在的な国力はないのです。

ロシアの泣きどころは経済です。国土は広大ですが、その多くはシベリアの森林地帯で、資源だけは豊富ですが産袁には適していません。逆に言えば、貧弱な経済力にもかかわらず、プーチンという類稀なリーダーによって、強い存在感を示しているといえるでしょう。

中国の人口、経済力、そして軍事力の増強はたしかに脅威ですが、人口に対して資源が少ないことと、今後、急速に人口減少を迎えることが弱みになっています。

こうした基本的な視点から、これからの国際情勢を読み解くと、何が見えてくるでしょうか。

現在、アメリカが、そして日本や韓国が直面している北朝鮮問題について考えてみましょう。

私は、一言でいうならば、北朝鮮問題は、世界の大局を動かすような重大要素ではなく、それに付随するエピソードに過ぎないと考えています。

もちろん、アメリカにとって、北朝鮮が核弾頭付きICBM(大陸間弾道ミサイル)の矛先をアメリカ本土に向けた場介、それは単なる束アジア問題ではなく、アメリカの自衛権にかかわる問題となります。そして、現在行われている交渉が行き詰まれば、いつかMoment of Tuth(真実の瞬間)が訪れる。その時には非常に苛酷な選択を迫られることになります。

ひとつは戦争です。北朝鮮が核弾頭付きICBMをアメリカに向けて撃てば、極めて限定的な局地戦や金正恩暗殺計画のょうな外科手術的な対応で事態を収束させる保証はどこにもありません。どういった過程を辿るにせよ、全面戦争が始まってしまえば、北朝鮮は崩壊、朝鮮半島は焦土と化し、日本への影響も小さくないはずです。

もうひとつは北朝鮮の核を黙認することです。しかし、これは韓国や日本にとっては、今後永久にあらゆる政治的問題において北朝鮮から核の恫喝を受けることを意味し、到底容認できるものではありません。戦争は起こらないが、戦争と同義の悪夢なのです。

今のところ、先制攻撃の出来ないアメリカ、北朝鮮を現状のまま延命させたい中国、そしてアメリカとの直接対決を望まない北朝鮮という構図で、真実の瞬間は先延ばしされています。だが、どこかで誤算が生じたら--たとえば北朝鮮がアメリカが侵攻してくると勘違いしたり、「今なら勝てる」とかつての日本のように誤った選択をするなど--、先に挙げたいずれかの選択を、アメリカは行わざるを得ないでしょう。

しかし、世界にとってより根本的な問題は、やはり米中の覇権争いです。その意味では、北朝鮮問題は、その前哨戦に過ぎません。

今後も中国の経済発展は続きますが、そう遠くない将来に「中所得国の罠」に陥るはずです。新興国は、低賃金の労働力を武器に経済成長を果たしますが、それによって賃金が上昇し、中所得国となると、その強みが失われてしまう。これが「中所得国の罠」です。しかも先にも述べたように、労働人口も頭打ちになります。そうした壁に突き当たる二〇二〇~三〇年あたりが中国の経済・軍事力のピークとなると予測されています。逆に言えば、それまでにアメリカに挑戦しなくては、覇権争いに敗北してしまう、ということにもなるのです。

もし中国が強引にアメリカに刈権争いを挑めば、最悪の場合、「第二次太平洋戦争」を引き起こす可能性もあるのです。

そうした状況の下、アメリカ国内の潮流は、いま、明らかに孤立主義的な内向性に偏っています。しかし、一方でアメリカには、普遍主義的な世界の秩序を維持する流れも--トランプ政権の内部においても--存在しています。

今後アメリカには、自らが抱える、普遍主義と内向き志向の振り子の振れ幅を見極めつつ、中国といかに向き合うかという舵取りが迫られるでしょう。中国が、国際社会における普遍的な価値を受け入れるような枠組みを築くことが、アメリカのリーダーシップに求められます。
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