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ひめたん最後のブログ

世界って何だよ

 世界から絶賛される日本人。世界って何だよ。日本人って何だよ。前提ができていない。

 寝起きで乃木坂をチェックすると一時間半かかってしまいます。

未唯宇宙の果てしなさ

 3年前から「未唯宇宙」って言ってるんだ。いつになったらまとまるんだ。それにしても Google音声認識は「未唯」を覚えてくれない!

 3年前 この日の思い出を見る。未唯宇宙の果てしなさを実感している。これで五日目です。

ひめたん最後のブログ 本当に泣けてくる

 最後の更新にします。クローズまで時間があるので、よかったら、今までの記事も読んでみて下さい。

 バナナムーンGOLDヒムペキ兄さんのコーナーにて、歌出演しました!

 サプライズだったので、事前に告知できずすみません。

 バナナマンさんに今年言いたいことがある、女の子たちで集まって歌いました! 番組公式サイトに写真上がってるので見てみて下さい。

 前回のらじらー!サンデーで、ソロ曲「自分のこと」音源一部解禁されました~~

 メイキング映像も楽しみにしていて下さい。懐かしの景色に心揺さぶられました。

 頃安監督がSNSで紹介してくださってました! お世話になりました!

 「僕だけの君~Under Super Best~」よろしくお願いします。

 結局ひめたんいつまで活動するの? と沢山聞かれました(笑)すみません。

 そして今も最後の更新と言いながら、最後らしい言葉が見つかりません。笑

 最近は沢山時間があります、私にとって必要な時間だと感じています。

 いろんなことを考えます。お世話になった人の顔も浮かぶし、思い出なんかも蘇ります。

 振り返ってみて、やっぱり、私のした選択に何一つ後悔はありません!

 全部正しかったと思いたい。それを証明するのは自分自身の、これからの行いですよね。

 気がついたら、私はアイドルという職業に惚れてました。

 仕事が恋人とはこのことで勉強する時間も、寝る時間さえも惜しいと思ったほどでした。

 なんでこんなに夢中だったか、最後にお話ししても良いですか。

 綺麗な衣装が着られて楽しい、お写真撮られるのが楽しい、ステージに立つのが楽しい、全部本当です。

 でもそれ以上に、私はここにいていいんだって、認めてもらいたかった、その一心で走ってきたような気がします。

 この世界にいると、私を必要としてくれる人が沢山いる。私だけを見てくれている人が沢山いる。

 それが嬉しくて今日まで続けてきました。

 がむしゃらに進む姿勢というのは、それだけで人の胸を打つもので

 特別な才能があるわけではない私でも勇気なのか、癒しなのか、希望なのか、色んな感情を与えられる。

 アイドルの一番のウリは素のキャラクターと仕事への"姿勢"なんだと思います。

 シンガーには敵わないし、ダンサーには敵わないし、芸人には敵わない。

 パフォーマンスが完全でない分、いかに目の前のことに真摯に取り組むかが求められている職業かなと考えた時、

 私はアイドルとして何事にも全力でぶつかってきたつもりです。

 あくまで私のアイドル論ですが、語れと言われればいくらでも語ります。それだけこのお仕事が好きでした。

 忙しいのが幸せな私には正直、次への準備期間が心穏やかではありません。今の宙ぶらりんな状態は落ち着かなくて。

 ですが私の進みたい方向性は一応プランはあります。

 説得力のある人間に。そのための経験をこれからの時間で沢山していきたいと思っています。

 アンダーライブお疲れ様! 紅白3年連続出演おめでとう!

 親愛なるメンバーひとりひとりにこの言葉を贈ります。声を大にして言いたい。

 あなたは乃木坂に必要な存在だよ。ここに至るまでに誰か一人でも欠けていれば、今の乃木坂はなかった。本当にありがとう。

 スタッフの皆様、ファンの皆様。今までお世話になりました。本当にありがとうございました。

 またどこかで。
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キリスト教的共同体の目的としての神の国

『神の国とキリスト者の生』より キリスト教的共同体の目的としての神の国

第五節

 神の国は、キリストにおける啓示によって建てられた共同体の共通の目標である。その構成員は、共通の行動様式によってひとつに結び付けられているので、共通の行動様式を生み出す。

第六節

 キリストの共同体の構成員は、神への、そして隣人への普遍的な戒めと人格的動機をもつ義に基づいた行動によって、神の国をもたらす。隣人への愛は、神がイエスのうちに啓示した愛によって触発される(第一三節、第二二節)。隣人という概念は、人類として、すなわち霊的な本性をもつすべての人間に適応されるので、神の国は、人間の能力や活動によって定義された、狭い倫理的共同体を超えるものである(八節)。また、隣人への愛の戒めは、私的な権利によって打ち立てられた人間社会の諸慣習とは違なり、それと対立するものとして示されている。この点で隣人愛は、モーセの十戒によって確立された他者への配慮という原理の枠を超えるものでもある。

第七節

 神の王としての支配というキリスト教的な思想によれば、神の国は正義に基づく行動によって結ばれたその王国の臣民によって構成される。この考えは、イスラエル宗教でも同じように表現されているが、そこでは神の王としての支配という思想の本来的な目的のみが明らかにされている。イスラエルの預言者たちによると、神の支配は、歴史のなかで倫理的に浄化されたイスラエル民族の正義のうちに実現され、最終的には異教徒たちにも及ぶ。このような神の支配は、神々を彼らの王とみなす〔民族主義的な〕異教徒たちの考えと同じものではない。なぜならイスラエルの神は、自由な意志によって世界を創造し、その戒めは〔全人類に対する〕人道的な内容を持っているからである。ここから、イスラエルの宗教による、諸民族の宗教的、倫理的な一致という期待が引き出されているのである。このような考えは、キリスト教では、旧約聖書の形式を超えてより洗練されたものとなっている。なぜなら、キリスト教では神の支配の倫理的な目的は、旧約聖書的な思想では単にユダヤ人の希望であった政治、儀礼的な支配という不純物から、より自由なものとされるからである。

第八節

 これまで見てきたような、精神的、倫理的な任務を人類に与える神の国は、超自然的なものである。神の国が超自然的であるのは、人類の自然的な属性(性差、出生、階級や国籍)によって条件づけられた社会の倫理的な形態、すなわち自己追求にチャンスを与えるもの(結婚、家族、職業、私的二公的な正義、あるいは国家など)を超越しているからである。また、神の国は、愛によって動機づけられた行動の結果として、この世界にすでに現在存在したとしても、やはり超現世的なのである。なぜなら、現世的という言葉は、あらゆる自然的なもの、つまり自然によって条件付けられ、組織立てられた存在とのつながりを意味しているからである。それゆえに、神の国は、精神的生の今日的、現世的な課題として、存続し得るものとして理解されるべきである。

第九節

 愛によって生み出された行為、慈愛に満ちた人間の行動が、具体的に知覚され得るとしても、愛という動機は他者の目には必ずしも明らかではない。それゆえに神の国の存在は、キリスト教共同体においてつねに不可視的であり、それは宗教的な信仰に属する。特に、神の国がキリスト教的共同体と同一視できないことに注意が払われねばならない。キリスト教的共同体は、公同の礼拝を行う教会として可視的なものである。

第一〇節

 国籍や階級にかかわらず、人間の平等、普遍的な兄弟愛を重んじるという義務は、古代の異教世界でも認められていた。たとえば、ギリシアの詩人は、奴隷と自由人の平等を認めている。ストア派の哲学者は、すべての人間に共通する同族性を提唱した。また彼らは神の概念に基づくことなく、人間本性についての考察から、人間同士のもっとも包括的な連帯を可能にするような美徳を導きだしている。しかし、これらのストア派の見解に基づいて人間社会を実際に変革したのは、ストア派自体ではなく、むしろキリスト教であった。これには二つの理由が考えられる。第一に、人間本性についてのストア派の考えからは、状況によって正反対の結論をそこから導きだすことが可能だからである。第二に、普遍的な倫理原則についての認識だけでは、その原則に従った行動をそこから引き出し、それを体系化するには不十分だからである。そのような行動を引き起こすには、何らかの具体的、宗教的な動機、あるいは義務の根拠が、普遍的な原則の認識に結びつくことが必要で、それが出来た時にはじめて可能になるからである。それゆえにストア派の哲学とキリスト教には、ある程度の共通する原理が存在しているが、実際にはキリスト教の土壌においてのみ実りがもたらされたのである。そのために〔人類同士の普遍的な同族性に基づく連帯や平等を生み出す〕普遍的な原理は、宗教共同体の具体的な責務と結びつくことになった。そのような責務のもっとも高い基準こそが、超自然的で、超現世的な神の思想である。それゆえに人間性を尊重するための共通した実践は、不確定で、歴史の中で変化する人間本性について思いめぐらすことではなく、超自然的な神について思いをめぐらすことと結びついている。その意味で人類としての人間の連帯は、超自然的で、超現世的なしるしを帯びることになる。
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本屋の話をしよう

『この星の忘れられない本屋の話』より ある会話

一人目の男(F)‥本屋の話をしようか?

二人目の男(S)‥そんな必要があるのかい?

S インターネット大手のひどい本屋に注文するより、よっぽど早く手に入る。それはともかく、ドウスマンの店員は、私情を挟まないという点でも非常に優れている。かだ口をたたかず、質問に答えてくれて、わからないことがあれば代わりに調べてくれる。場合によっては、買わないほうがいいというアドバイスまでしてくれるんだ。つい最近も、息子のためにあるオーディオブックを買おうとしたら、それはやめておいたほうがいいって、子供の本の売り場にいた店員に言われたよ。「七歳のお子さんには怖すぎる内容ですから」ってね。つまり、店員は自分でそれを聞いていたんだ! それから児童文学のコーナーで、ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズがどこにあるか訊ねたら、特に調べたりせず、即座に在庫切れだと答えてくれて、英語版の『ドクター・ドリトル』なら英語の本のコーナーにあると教えてくれた。訊いてもいないことを押しつけがましく教えられる感じがなくて、必要なことにはいつでも答えてもらえるということだ。

F ドウスマンに本屋の未来があるといってもいいのかな?

S ぼくはそう思うよ。巨大チェーンという業態はうまく機能していない--柔軟性に欠けて、魅力に乏しく、品揃えが間違ってて、店員は知識不足だ。でも、小さいけれど居心地がよくて、限られたスペースと熱心な店主の本屋が未来の本屋かといえば、そういうわけでもない。みんな、欲しい本がすぐに手に入ることに慣れてし圭った。つまり、大きいけれどチェーン店ではない本屋がいい、ということになる。コーヒーショップがあってもいいね。ぼくはなくてもいいんだけれど、そういうのが好きな人は多いはずだし、それはそれでかまわないと思う。それから、もうひとつドウスマンのいいところを挙げておくと、音楽が流れていないことだよ! 静かなんだ! 何も聞こえない! 読書をしたり集中力を高めたりするのに相応しい環境だし、ぼくの場合、そのおかげで予定外の買い物をしてしまうこともあるんだ。ところで、ドウスマンが深夜まで営業してることは言ったっけ? しかも毎日、土曜日も!

F やけに熱心じゃないか。

S 熱心にもなるさ。音楽が流れてなくて、深夜まで開いてるんだぜ? ノー・ミュージック! とにかく静かなのが素晴らしい! ほんとうに静かなんだ!

F ドウスマンでは作家の読書会なんかもやってるのかな?

S もちろんだよ。

F 例えばどんなふうに?

S それは知らない。本の売り場から離れたところにある、特設のイベント会場でやってるんだ。買い物中でも作家のおしゃべりが聞こえないって、素晴らしいと思わない?

F 読書会は好きじゃないのかい?

S そりゃそうさ。読むなら自分で読むよ。学校で読み方を習ってからは、自分で本を読むのに、特に問題を感じたことはないね。

F 読書会といっても、本を読むだけじゃないんだけどね。作家の解説もあるんだ、書いているときに何を考えていたかとか、仕事をするのは朝か夜かとか--。

S そんなことはこれっぽっちも知りたくないってときはどうするんだい? 作家が仕事をするのが朝だろうと夜だろうと関係ない。完成した本が読めればそれで十分だ。それに、作家が読書会でしゃべることなんて嘘八百の作り話に決まってると思ってる人がいたらどうするんだよ?

F そうは言うけど、きみだって読書会をやってるんだろ!

S もちろんやってるよ。

F なぜやってるんだい?

S さっきも言っただろ。ぼくの書いた本が売れないからさ。

F 理由はそれだけ?

S それだけだよ。

F ドウスマンでもやるの?

S とんでもない。ぼくはドウスマンが大好きなんだ。そのぼくがドウスマンで読書会なんかやるもんか。ぼくは作家としてではなく、客としてドウスマンに行きたいんだ!

F ドウスマンから読書会の依頼を受けたことはないのかい?

S ある。そのことは誇りに思ってるよ。自分の好きな本屋から読書会の依頼がなかったら悲しいだろうな。

F その依頼は断ったの?

S もちろん。

F でも、ほかのところでは読書会をやるのかい?

S そうさ。

F きみって、変わったやつたな。

S メモ用紙、ペン、吸取紙など、作家に必要な道具もすべてドウスマンで買ってることは言ったっけ? あそこは本だけじゃなくて、文房具の店としても最高なんだ!

F 前から知りたいと思ってたことがひとつあるんだけど。

S なんだい?

F 手書きする者がほとんどいなくなった時代に、どうしてノートがこんなにたくさん売られているんだと思う? どの本屋にも文房具売り場があるし。

S 書くことが、文化的行為からライフスタイルヘと変化しただけのことさ。

F それはちがうよ。もう書ける人なんていやしない、ペンと紙を使った手書きはね。もはやそういう運動能力すら持ち合わせてはいないんだ。手の筋肉を書くことに使えなくなってる。ライフスタイルになっているのは書くことじゃなくて、ノートを買うことだよ。そして、買ったノートは使わないで家に置いてあるんだ。

S どの家にも真っ白のノートがある世界か。興味深いテーマだね。スラヴォイ・ジジェクに話を聞いてみたいところだ。どこへ行けば会えるのかな?

F おいおい、ぼくが話したいのは本屋の未来についてだよ。ドウスマンはチェーン店じゃないから、あの店だけで支店はない。ここが重要な点だ。それから、ペルリンのことも話したかったんだ。

S どっちも同じようなものだよ。

F ベルリンとドウスマンが同じものだって?

S 雰囲気という点では、まちがいないね。冷たくて人間味がない。そして魅力に乏しい。それでも行くだけの価値はあるし、居心地がよくて、メインストリームの文化もマニアックな文化も充実している。おまけに教育レベルが高くて、全般的にさりげないかっこよさってものがある。肝心なのは、都市のイメージを頭の中に思い浮かべるとき、たいていの人は特定の都市を思い浮かべるわけで、都市という概念だけを思い浮かべることはできないという点だ。そして、その都市について詳しければ詳しいほど、思い浮かべることがより具体的で、個人的なものになる。だから、ぼくが頭の中にベルリンを思い浮かべるときは、赤いカーペットが敷かれた文化のデパートが真っ先に思い浮かぶだろうね。

F だけど、みんなはベルリンがクールな都市だと言うけれど、ドウスマンは全然クールじゃないだろ。

S そもそも、そのクールってやつがいったい何を意味しているのか、ぼくにはさっぱりわからないんだけどね。仮にそれがわかったとしても、都市がクールでなきやいけない理由がわからないし、クールな都市を具体的にイメージできたとしても、ベルリンがクールだとする意見は、この町を過剰に美化した主張だと言わざるを得ない。実際のベルリンは、人間味がなくて醜悪だけど、それでも最高に楽しいんだ。人は誰だって、いろんなものや人や場所や生き方の中から、自分に必要なものや、興味を惹かれるものを見つけ出すものなんだよ。

F つまりきみは、ドウスマンにはそれがあると言いたいわけだね。

S そういうこと。派手さはないけれど、多彩さと静けさ、客観的な機能性と幅広い品揃えがあるんだ。

F だけど、雰囲気と魅力が完全に欠如している-- 。

S 雰囲気が欲しい人は、ろうそくに火を灯して風呂に入ればいいのさ。魅力は、ぼくが自分で持ってるからなくてもいいんだ。

F 本当にそう思うのかい?

S 思うね。ものすごく魅力的だよ! そして、それ以外のものは……。

F それ以外のものは?

S すべてドウスマンに揃っている。
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アレクサンドロスの遠征

『アレキサンドロス大王 東征路の謎を解く』より アレクサンドロスの遠征を追う

前三三四年

 アレクサンドロスが東方遠征に出発したのは前三三四年の春のことである。本国を発ったマケドニア軍は、アンフィポリスでギリシア同盟軍と合流し、二〇日後にケルソネソス半島のセストスに到着した。本隊は副将パルメニオソのもと、ヘレスポソトス(現ダーダネルス海峡)を船で渡り、アレクサンドロスは少数の部隊を率いてトロイヘ上陸した。こうして全軍は無事にアジアヘ渡り、二年前フィリッポス二世によって派遣されていた一万の先発部隊と合流して、遠征軍は総勢四万七一〇〇となった。

 マケドニア軍を待ちうけたのは、小アジアの総督たちが指揮するペルシア騎兵の大軍である。ペルシア軍は一万の騎兵部隊をグラニコス川の右岸に並べ、ギリシア人傭兵五〇〇〇は後方の丘に置いた。マケドニア軍は先手をとって川を渡り、激戦の末にペルシア軍は敗走した(グラニコスの会戦)。ギリシア人傭兵は降伏を申し出たが、アレクサンドロスはこれを拒否、三〇〇〇人を殺戮した上、捕虜は本国に送り返して強制労働につかせた。

 マケドニア軍はまっすぐ南下して、かつてのリュディア王国の首都サルディスに到達した。ここは属州リュディアの首都で、小アジアにおけるペルシア支配の拠点であり、首都スーサに至る「王の道」の起点でもあった。市民代表はマケドニア軍に都市を明げ渡し、城砦守備隊のペルシア人隊長も城砦と財貨を譲り渡した。

 港湾都市ミレトスでは、ロドス出身のギリシア人メムノンとペルシア人指揮官たちが傭兵部隊をもって抵抗した。しかしマケドニア艦隊がペルシア艦隊に先んじて港を確保したためミレトスは陥落、メムノンらは属州カリアの首都ハリカルナッソス(現ボドルム)へ移った。マケドニア軍は攻城兵器を駆使してハリカルナッソスを包囲攻撃、メムノンらは寵城は不可能と判断し、都市に火を放って退去した。一部の部隊は城砦に立てこもった。

 ミレトス陥落後、アレクサンドロスは艦隊を解散した。その理由は「陸から海を制する」との方針を採ったことにある。陸上で優位にある以上、沿岸諸都市を占領すればペルシア艦隊は港を失い、乗組員も食料も補給できずに解体すると考えたのである。それゆえ冬の間に沿岸地方を制圧しておく必要がある。まず小アジア南西部の沿岸地方を制圧し、北上して大フリュギア地方へ入り、首都ゴルディオンで冬を越した。ゴルディオンは「王の道」が通り、ダーダネルス海峡方面を経由する補給路の要をなす。こうして遠征一年目で、マケドニア軍は小アジアの西半分を占領した。

前三三三年

 春になると、指揮官メムノンが傭兵部隊と三〇〇隻のペルシア艦隊を率いて現れた。彼はキオス島およびレスボス島の大半を奪還し、豊富な資金で多くのギリシア人を味方につけた。これを見て、エーゲ海中部のキクラデス諸島も彼に使節を派遣した。

 大王の冬営地ゴルディオンにはパルメニオンの別動隊が合流し、本国からの増援軍も到着した。エーゲ海の情勢を知ったアレクサンドロスは、海軍の再建を命じた。遠征軍は七月頃に進発してアンキュラ(現アンカラ)を通過、南に転じてキリキア地方へ向かった。その途中、メムノンがレスボス島で突然病死したとの報告が届く。最強の敵が姿を消したのだ。だが後任のペルシア人指揮官は海上作戦を継続し、レスボス全体を制圧したばかりか、キオス、ミレトスといった大陸側のギリシア諸都市をも奪い返した。ハリカルナッソスの城砦に立てこもったペルシア軍も、カリア地方の諸都市を奪回した。さらにスパルタ王アギスは反乱を計画し、ペルシア側と秘かに連絡をとっていた。エーゲ海の制海権の行方は依然として不透明であった。

 マケドニア軍はタウロス山中のキリキア門を通過し、八月末から九月初め頃、タルソスに到着した。ところがアレクサンドロスが水浴後に高熱を発し、人事不省に陥った。一命は取りとめたが、回復まで二ヵ月近くも病床に臥せってしまった。

 一方、ペルシア王ダレイオス三世はバビロンに大軍勢を集め、八月末にバビロンを出発、一〇月下旬、アマノス山脈の東に広がる大平原に到着した。ここなら大規模な兵力を展開でき、少数のマケドニア軍に対して優位に立てる。キリキア地方沿岸へはアマノス山脈の北または南の峠を越えて五日の行程で、マケドニア軍がどちらの峠から進出して来ても対応できた。

 アレクサンドロスはようやく一〇月に病から回復した。まずパルメニオンの部隊がイッソス湾沿岸地方を制圧し、海沿いに南下してシリア門と呼ばれる峠を手に入れた。アレクサンドロス自身は沿岸諸都市を獲得したのち、イッソスから海沿いに南下して、ミュリアンドロスに至る。アマノス山脈南側のシリア門でペルシア軍を待ち受けるつもりであった。ところが意外にもペルシア軍が北から現れ、イッソスを占領したとの報告が入る。翌朝直ちに北上すると、ペルシア軍はピナロス川(現パヤス川)の北側に布陣していた。海と山の間隔は二・五キロで、大軍を展開するには狭すぎる。この狭さが勝敗を分けた。

 戦闘が始まると、マケドニアの近衛歩兵部隊、次いで騎兵部隊が川を渡り、ペルシア軍の左翼を攻撃して崩す。それからアレクサンドロスは、全騎兵と共にダレイオス三世めがけて突進した。ダレイオスの周囲で激戦が交わされ、まもなく彼は戦車で逃走した。中央部ではペルシア側のギリシア人傭兵が頑強に戦い、海側でもペルシア騎兵の大部隊がマケドニア軍左翼を圧迫したが、いずれも撃退され、ペルシア軍は総崩れとなった(イッソスの会戦)。ダレイオスは夜通し走り続げてユーフラテス川を越え、バビロンヘ帰還した。

 戦闘後、ダレイオスの財宝三〇〇〇タラントンが捕獲された。戦場に取り残された彼の母・妻・三人の子供たちは捕虜となった。ダレイオスは非戦闘員や軍資金・調度品をあらかじめダマスカスに送っていたが、こちらにはパルメニオンが派遣され、貴族の女性だちと大量の財貨を捕獲した。アレクサンドロスが財政難を脱することができたのは、これら戦利品のおかげである。

 イッソスの会戦後、アレクサンドロスは直ちに南下してフェニキア地方へ入った。フェニキア諸都市はキプロス人と共にペルシア海軍の主力をなしていたが、ほとんどの王は艦隊を率いてエーゲ海にあり、本国には不在だった。このため諸都市は次々と城門を開いて降伏する。しかしテュロスだけは臣従を拒否した。

前三三二年

 テュロスを放置するわけにはいかなかった。これからペルシア帝国の心臓部へ侵攻するには、エーゲ海を含む東地中海を我が物とし、背後の安全を確保せねばならない。それゆえ強力な海軍を有するテュロスを何としても制圧する必要がある。こうして前三三二年一月から丸七ヵ月に及ぶ大包囲戦が始まった。

 テュロスは大陸から約八○○メートルの海に浮かぶ、鉄壁の海上要塞都市である。マケドニア軍はまず大陸側から島に向けて突堤を築き、その先端に攻城兵器を牽き出して島を攻撃した。その後、エーゲ海にあったフェニキア艦隊八○隻とキプロス艦隊一二〇隻が臣従した。陸から海を制するという戦略が見事に効を奏したのだ。こうしてテュロスは海上から完全に封鎖された。それから島の南側で城壁を突破し、兵士たちが二斉に市内へなだれ込んだ。捕虜は三万人に及んだ。

 九月、アレクサンドロスはエジプトに進路をとった。途中には要衝の町ガザがあり、ペルシア人でアィスが龍城していたが、ニカ月の包囲戦の末にこれを陥落させた。

 一二月にエジプトの東の防衛拠点ペルシオンに着いた。総督代行のペルシア人マザケスは軍隊を持っておらず、無抵抗でペルシオンを明け渡した。エジプトは前四〇四年に独立を回復して以来、何度もペルシア軍の攻撃を退けたが、前三四三年に再び服属させられた。それゆえエジプト人はアレクサソドロスを解放者として歓迎し、エジプトは無血で平定された。大王は古都メンフィスで聖牛アピスに犠牲を捧げ、事実上のエジプト王=ファラオとなった。ナイルデルタの西端カノボスは、地中海とマレオティス湖に挟まれ、涼風の吹く健康的な土地だった。彼はここが都市建設に最適な場所であることを見抜き、自ら図面を引く。アレクサンドリア、のちにヘレニズム世界最大と謳われた都市の誕生である。この時までにエーゲ海の島々はすべてマケドュア海軍が奪回し、今や東地中海は完全に「マケドュアの海」となった。

前三三一年

 二月、アレクサンドロスはリビア砂漠を越えてシーワ・オアシスを訪れ、エジプトの最高神アモンの神殿で神託を受けた。ギリシア人はアモンをゼウスと同一視しており、大王ぱ神託によって自分が神の子であることが証明されたとの公式発表を流した。これは大王神格化への第一歩である。四月七日にアレクサンドリアの起工式を行い、六月にメンフィスを発つ。タプサコスでユーフラテス川を渡ってから、メソポタミア北部の山沿いを東へ行進した。

 ダレイオス三世も決戦に向げてバビロンを進発、アルベラを本拠地とし、そこから北へ九〇キロのガウガメラの大平原を戦場に定めた。すでに帝国東方からは、バクトリア人をはじめ最強の騎兵部隊を召集していた。マケドュア歩兵の長槍に対抗するため槍を長めに改良、騎兵と戦車のために土地を入念に整地するなど、ダレイオスは万全の準備を整えていた。

 会戦は一〇月一日に行われた。緒戦でマケドニア軍右翼の騎兵がペルシア軍左翼の騎兵と交戦する。そしてペルシア左翼の戦列に切れ目が生じたのを見るや、アレクサンドロスは騎兵と近衛歩兵、さらに密集歩兵の右側の部隊でもって巨大な襖形隊形を作り、自ら先頭に立ち中央部めがけて突進した。ダレイオスは退却し、その後右翼のペルシア騎兵も敗走に転じた。アレクサンドロスはダレイオスを追撃したが捕獲はならず、翌日アルペラに到着して、財貨をすべて接収した。ダレイオスは首都エクバタナに落ち延びた(ガウガメラの会戦)。

 ガウガメラから南下して、一〇月二〇日、アレクサンドロスはメソポタミア最大の古都バビロンヘ到着した。マケドニア軍が接近すると、総督マザイオスと住民代表が大王を出迎え、都市と財貨を引き渡した。住民たちの大歓迎の中で華麗な入城行進が行われ、アレクサンドロスは伝統に従って主神マルドゥクに犠牲を捧げた。またマザイオスをバビロニア総督に任命したが、これはペルシア人貴族を高官に登用した最初の事例である。広大なペルシア帝国の領域を治めるには、旧支配層との協調が不可欠だったのだ。

 一一月二五日頃、マケドニア軍はバビロンを発ち、一二月一五日、スーサに到着した。スシアナ総督アブリテスは都市と財貨を譲渡し、スーサも無血で開城した。

 一二月末、アレクサンドロスはスーサを出発し、真冬のザグロス山脈を踏破してペルセポリスヘ向かった。本書の主題はまさにここから始まる。途中には二つの溢路があり、マケドニア軍の侵攻を阻止すべく、まずウクシオイ人が、次いで総督アリオバルザネスが大軍を率いて布陣していた。ケドニア軍はスーサ進発後、いかなる経路をたどってペルセポリスヘ到着したのか。その経路はアカイメネス朝の「王の道」といかなる関係があるのか。ペルシア門はどこにあり、マケドニア軍はどのようにしてこれを突破したのか。総督アリオバルザネスはいかなる戦略を立てていたのか。本書の主要部は、これらの問題の究明にあてられる。

前三三〇年

 ザグロス山脈の南東部、パールサ地方(現ファールス州)は、古代ペルシア王国発祥の地である。ペルセポリスの都は、前五一〇年代にダレイオス一世が建設に着手した。アパダーナ(謁見殿)、玉座の間(百柱殿)などの宮殿群は、「諸王の王」たるペルシア大王の権威と威信を象徴し、ペルシア人の精神的な支柱ともなった。

 スーサを出発したアレクサンドロスは、山地ウクシオイ人を制圧してからペルシア門を突破し、一月末、遂にペルセポリスを占領した。そして宮殿を除く居住区域で兵士の略奪を許した。ようやく略奪の機会を得た兵士たちは欲望を作裂させ、都市は強欲の犠牲に供された。ペルシアヘの報復という大義名分は、こうして十全に果たされたのである。宮殿に収められた莫大な財宝もすべて接収された。マケドニア軍のペルセポリス滞在は四ヵ月の長きに及んだ。冬の間、ペルセポリスからザグロス山脈の東側を通って現エスファハーンに至る道は氷に閉ざされる。それゆえダレイオス追撃には春の終わりを待たねばならなかったのである。ギリシアでは前年の夏にスパルタ王アギスが反乱を起こしたが、アテネなど他の有力諸市は同調せず、この年の春、本国の代理統治者アンティパトロスによって鎮圧された。

 五月下旬、出発を前にしてアレクサンドロスは宮殿に火を放った。ペルセポリス炎上は東方遠征における最も劇的にして最も謎めいた事件である。大王伝の多くは、アレクサンドロスが宴会で酪酎し、アテネ出身の遊女タイスにそそのかされて衝動的に火をつけたと伝える。しかし発掘報告書によれば、アパダーナの大広間は可燃物が床一面に敷き詰められてムラなく燃えていた上、アパダーナと玉座の間で大半の柱が壊されていた。このように放火は意図的・計画的になされたのである。

 アレクサンドロスはあらかじめ宮殿から金銀の塊や貴金属製品を接収しておき、エクバタナヘ運ぶ準備をした。五月末、彼は兵士たちに一日だけ宮殿の略奪を許し、その翌日に放火した。それからマケドニア軍はペルセポリスを発ち、ダレイオス三世の滞在するエクバタナに向かって進軍を開始した。六月中旬、ダレイオスは東へ向けて逃走し、これを知ったアレクサンドロスは全力で彼を追撃する。逃走中にダレイオスは側近によって捕縛され、大王が追いつく直前に最期を遂げた。逃走と追撃はいかなる経路でなされたのか、ダレイオス終焉の地はどこか。これか本書第六章の主題である。
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