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スリップはショートメッセージ

『スリップの技法』より

スリップとはそもそも何か

 スリップはその形から「短冊」とも呼ばれています。縦に細長い紙片を中ほどで折り曲げ、その折り目から書籍の本文用紙の数枚にまたがるようにはさみ込まれています。現在、新刊書店に流通しているほとんどの書籍に採用されているこの短冊は、大正年間に書店の現場で開発され、昭和5年に岩波文庫に正式採用されたものの戦前にはまだ二般的ではなかった千―-と日本の出版流通の歴史を研究した『書棚と平台』(柴野京子、弘文堂)に書かれています。

 スリップを山折りにした中央には、書籍にはさみ込んだとき本の上部から飛び出すように半円の突起が設けられています。その形が坊主頭を連想させることから「ボウズ」と呼ばれるこの部分を、レジで会計をするときに指先でつまみスリップを引き抜きます(ボウズが小さすぎると、引き抜く際にボウズだけがちぎれてしまいます。大きすぎると、折り目の両端とボウズの幅が狭すぎて、棚に在庫している間に破れてしまいます)。

 折り目は、長い紙片を二等分する中央にではなく、二つ折りにしたときそれぞれに長短の違いができるようにつくられています。折ったスリップの下端には数センチの差が設けられています。このズレ幅は各出版社でさまざまなのですが、書店の現場での使用を考えたとき、ちょっと不便だなと感じるスリップに出くわすことがあります。下端の差が数ミリしかないスリップだと、一度抜いたものを本に挿し直すことが片手ではやりにくく感じます。長さが違いすぎて、折り返してまたがっている片方が5センチにも満たないものは、立ち読みの際にすぐに抜け落ちてしまいます。どちらもとても困るというわけではありませんが、このどちらでもなく使いやすいスリップを発見したときは、裏側の白紙面を再利用するために保管しています。

 現在流通しているほとんどのスリップには、長いほうに「注文カード」、短い方に「売上カード」と表記してあります。注文カードには、書名、著者名、出版社名、本体価格が印刷されています。加えて、ISBNコードが文字とバーコードの二通りで記載されています。

 注文カードの上部には書店のゴム印を押す欄と注文冊数を記入する欄が設けられています。ゴム印は「番線印」と呼び、書籍を卸す取次(問屋)から各書店に割り当てられている固有の「書店コード」や、取次内での各書店の管轄や倉庫から各書店への流通ラインを表す「番線」が刻印されています。

 オンラインで発注データを送信することが普及していない時代には、書店は注文カードに冊数を書き番線印を押して、取次の配送担当者に手渡していました。補充品が入荷したときには、手渡したスリップの現物が書籍にはさまれて戻ってきました。再入荷するたびにスリップに日付印を押しておくと、その商品の回転数や頻度がわかる仕組みでした。

 データで発注できるようになってからも、売上チェック、在庫管理、ジャンル担当者からアルバイトさんへの発注作業の申し送りなど、発注入力の直前までのほとんどの工程でスリップが使われていました。発注の際は、紙のスリップに印刷されたISBNコードを(ンディ・ターミナルのスキャナを使って読み取り、送信するのです。POSレジや取次の検索発注システムにアクセスするための機材がまだ高価で一式を揃えることが書店にとって大きな負担だったため、取次がハンディ・ターミナルをリースで提供していました。

 売上カードにも書名や著者名などが小さく表記されていますが、送り先(出版社)の所在地や報奨の条件などが大きく書かれているものを多く見ます。書店はスリップを注文カードと売上カードの2つにちぎって分け、売上カードを各出版社ごとに集めておき、定期的に出版社へ送ります。出版社は売上カードを集計して販売状況を推測し、各書店に対して集計枚数に応じた販売協力費(報奨金)を支払う場合があります。

 スリップには、それがはさまれているものは出版社や取次から正規に仕入れた新品であることを示す商品管理カードの役割があります。スリップがついていない書籍は、出版社や取次に返品しても受けつけてもらえずに送り戻されてしまうことがあります。僕のようにスリップの注文カードをちぎって手元に残し、売上カードだけを書籍本体に残して返品することや、書き込みをしたまま消していないスリップをつけて返品することは、もしかすると原則としては認められないことかもしれません。返品されたものを他店へ再出荷する出版社の側に立てば、迷惑なことかもしれません。しかし、今のところ苦情や返品の送り戻しといったことには出くわしていません。本書を読まれた出版社、取次の方々には、書店が1冊ごとに根拠をもって商品を扱っているひとつの証拠として、そのような使い方もやむを得ないと堪忍していただけると幸いです。

役割は終わった?

 現在では出版社、書店とも、売上管理や発注をオンラインで行うことが多くなり、書店が本を注文したり報奨金を得る、出版社が自社刊行物の売れ行きを把握するといった用途のためにスリップを使用する機会は随分と少なくなりました。売上集計や補充発注といった作業はもちろんデータ化されていたほうが効率がはるかに良く、そのために必要なPCや通信回線のコストが下がった現在は、多くの書店にPOSシステムが普及しています。当初想定された用途においてはスリップの役割は終わりつつあるのかもしれません。しかし、発注ツールとしてだけではなく、スリップには後述するように書店の現場で作りあげてきた活用方法があります。その役割においては、より優れた代替手段はまだないと僕は考えています。

 注文カードは、書籍のジャンルや担当者ごとに仕分けして束にするお店が多いかと思います。担当者が各自のスリップをチェックして補充発注に使う際に、他の担当者に構わず作業できるという理由が考えられます。規模の小さなお店で棚を見ている人がひとりか2人なら、仕分けをせずにただ売れた順に集めているかもしれません。

 現在では、日本出版販売(日販)のNOCSやトーハンのTONETS-Vなど、レジでの販売記録と店舗の在庫管理、書誌検索と取次への発注が一元管理できるシステムが取次で用意されていて、書店の側は安価なPCがあればウェブ上でそれを利用することができます。売れたものを担当者が判断する工程を経ることなく補充発注することができます。そのため、売上スリップはたまに参考に見る程度というお店が増えています。スリップをお会計が終わり次第、すぐに破棄するという書店もあります。書店の売上データは取次のシステムを経て出版社にも送ることができるため、売上カードを送付することも不要だからです。

 今、書店のPCの画面上には売れた書目と冊数が二覧で表示され、そこに店舗の在庫数、取次倉庫の在庫数や出版社の在庫状況も記載されていて、注文入力欄に数字を入れれば発注も完了します。出版社名や著者名にはリンクが張られていて、クリックすればそのまま書誌データベースにつながります。シリーズ作品の前巻や同じ著者の既刊を調べてついでに発注することもあっという間にできてしまいます。発注にまつわる作業がほぼすべて、ひとつのブラウザ画面上でこなせるとても優れたものです。

 しかし、あまりにスムーズに作業が流れてしまうため、手を止めて1冊1冊について売れた理由や、次にどんなものを仕入れて売場を構成するかといったことを考える機会が減ってしまいます。POSの売上一覧リストは通常、売上冊数の多い順に--同じ冊数なら発行元別に刊行時期が新しい順に--表示されます。そのため、店の時間に沿った売れ方がわからなくなります。画面上に同じフォントで並んだ情報はのっぺりとした印象で、スクロールし終えると理解したような気になり、本来読み取れるはずの情報すら見過ごしてしまいます。

 実際、レジで売れた順やまとめ買いの組み合わせがそのままの状態で東にしてある売上スリップのほうが表情豊かで、蓄積されたPOSデータを参照するのとは別の点で情報が多く読み取れます。スリップは1枚ごとに特徴があります。たとえ日付やメモが書かれていなくても、ボウズが日焼けして色あせているかクタクタに折り目がついていれば、随分長く棚に売れ残っていたものがようやく売れたとホッとします。スリップがカビ臭いか消毒薬臭いと感じるときは、この出版社の倉庫はどんなところなのか、この本はどのくらい出荷されずに倉庫に眠っていたのかと想像します。ボウズの脇から裂けてしまったスリップが何枚も続けて現れると、この時間帯はスリップを抜き取る手加減もできないほどレジが混雑したのかと察せられて、担当のアルバイトに労いの言葉のひとつもかけてあげたくなります。自分が期待をかけて仕掛けた書籍が売れたことは、スリップで手にしたときにより一層嬉しく感じます。実際、あゆみBOOKS高円寺店(現・文禄堂高円寺店)の佐々木修一店長は、全店舗で自分がいちばん多く売っている書籍のスリップを壁一面に貼っていくことで気分を高めていました。

 スリップは何通りもの仕分けや並べ替えを自由にできる点で、POS画面より便利です。「棚卸しが終わったら発注」、「発注しないが、このテーマで今後の新刊に期待」、「売れたことを来月の店長会議で自慢する」、「給料が出たら自分ち買いたい」など、すぐに発注する以外のさまざまな目的別グループに分けて保管することができます。売上スリップの束を「棚挿しと平積み」や「どの書店も一般的に在庫しておくべきだから仕入れたものと、自分が意図的に仕入れたもの」などに仕分けして、売れ方の比率を厚みで確認することができ。ます。POSデータでこれをやるには、エクセルにコピーしていくつもファイルを作ることになり、あとでふいに内容を見たくなったときにも何か端末が必要です。

 スリップを1枚ごとにめくり、書き込むといった自分の手を動かす行為をすることで、情報をより確かに記憶に刻むことができます。レジで販売した1日の順を追いながら、買った人のこと、売上スリップのなかでたびたび目にする「時短」や「フランス人に学ぶ」といった流行のキーワード、「孤独」や「死と向き合う」「親子」といった普遍的なテーマを組み合わせて想像していると、そのテーマと読者像に合う既刊を思い出し、その既刊が店にある新刊とうまく組み合わさるような平台の並べ方を考えるきっかけになります。僕の頭のなかに書籍の知識や並べ方のセンスが前もって備わっていたわけではなく、何かが売れるたびに次の手をスリップから考え、それを試してみた結果をまたスリップで記憶に刻み込んできたのです。スリップは「昨日売れた」という根拠となって次に売れそうなものや方法を考える道具になります。

 また、そのスリップを持って売場のどこへでも行けることも重要です。POS端末での作業が増えれば、それだけバックヤードに籠る時間が長くなります。実際には、売場でやるべきことがたくさん残されているはずです。店内は繰り返し整理していなければすぐに散らかってしまいます。整理しながら頻繁に平積みを触っていると、今しがた売上スリップで見かけたものがどう置かれているかを見直すことになります。ついさっきレジで見かけて、今、あなたの胸ポケットに入っているスリップにあるまとめ買いの例を参考にすると、もっと面白くてついで買いを誘いそうな並べ方に気づき、その場で並べ替えることができます。

 自店のPOSデータも取次が提供してくれる全国の売上データも、すでに売れたものしか示してくれません。もちろん、リストの上位に登場するような銘柄が自店で品切れしていないかチェックすることには役立ちます。しかしこういったデータからは、「売れなかったもの」、「まだ売れていないが、やり方次第でこれから売れるもの」が何なのかは読み取りづらいのです。

 POSシステムが普及し、売れたものをスリップで把握する習慣が消えつつあることで、まだ売れていないものを発見できるスリップの活用法まで一緒に消えてしまうのは、とても惜しいことです。平積みや棚挿しに挟んだスリップに数字やメモを書き込むことで、売場はもっとはっきりと読み取れるものになります。スリップに何も書かれていなければ、売場は「のっぺらぼう」のように感じます。書店という販売装置のなかで商品がどういう状況にあるかは、自分の手でスリップに数字やメモを書かなければわかりません。POSデータを参照できるハンディ・ターミナルを手に持って品出しをするのもひとつの手かもしれませんが、スリップを使うほうが作業の妨げになりにくく、費用もかかりません。

 まだ売れていないものを売れるように仕向けるにはどうすればいいのか。たった1冊棚から売れたものに目をつけてもっと売り伸ばすにはどうすればいいのか。それを考えることこそ、売上スリップを読み解くことのいちばん大切な意味だと思います。

 ここまでに「スリップとは何か」「スリップにはどのような機能やメリットがあるのか」、その概略をご説明しました。次章では、書店の日々の仕事のなかで、いつ、どのように、どんなスリップを挿し、数字やメモを書き込み、そのスリップを読むのかを、時間の流れに沿って説明します。
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