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「菩薩」から池田晶子さんを見つけた

車から所有権をなくした世界の夢

 3年前か! 社会は進んでないな-。人類は間に合うのか。

 3年前、この日の思い出を見る「今、夢を見ていた。車から所有権をなくした世界の夢。移動する目的に対して、自動選択する、そんな社会。」

今週の新刊書は22冊しかなかった

 月の中間としては少なすぎる。そのうちの6冊のOCR化は昨日一日で終わった。来週は今年最後だし、20冊まで可能になっている。40冊を取込む体制を採ります。

いくちゃんは死から<今>を見ている

 いくちゃんのピアノ伴奏は、相手に合わせられる。欲しがってる音を楽譜通りでなくても的確に出していく。それがピアノ以外の会話でも成り立ってる。演じてる。演じられるということは自分を上から見ている。いくちゃんの言葉の中で、未来から見てる、というものがあった つまり死から見てる。だから自分中心でいられる。哲学に向かえば池田晶子さんのようになれる。それは哲学とアイドルの融合。それを乃木坂というコミュニティから発信していく。

「菩薩」から池田晶子さんを見つけた

 なんとなく「菩薩」という言葉が浮かんで、未唯空間で調べてみた。その結果、出てきたのは、2012年5月31日『私とは何か』池田晶子だった。

 「ひとりひとりが考えるしかないでしょう。精神というのは自分がそこに存在して、なにゆえに生きているのかを考えるためのものです。ひとりひとりが自分で考えて、それを知る以外にないのです。一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。」

 ついでに「人間は皆、ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。単独の精神性をひとりひとりが自覚する。自分とは誰かということをひとりひとりが考えるところから新しい人類の歴史ははじまるし、変わるんです。」この辺が存在力の発想の原点になっている。

 「私とは誰かと問いつづけることが、哲学なんです。たんに考えることといってもいいでしょう。哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」

 さらに「だから時間がかかる。とにかく時間がかかる。ひとりひとりの人間の精神を確実に変えていくんですから。だって、いま六十億人いるわけでしょう。すべての人が目覚めるまでには六十億年かかります。」

 「つまり、弥勒菩薩の救済と同じこと。永久革命って、私が言うのはそういうことなんです。無限に時間がかかるけど、道はそれしかない。それだけは断言できます。」

「本棚システム」からオリジナルを探せる

 オリジナルを私の「本棚システム」から、「私とは何か」で検索して、見つけてきました。雑記#621 104イケ『私とは何か』池田晶子。これって凄い! 寝ながらスマホ一台でできてしまうんだから。

 本をバラバラにして、それを自分の中で統合させるという世界は デジタルライブラリでは可能です。その証明です。

ヘーゲルを読むことは波乗り

 さらに、ヘーゲルを読むようになったフレーズもこの本の中にありました。

 「哲学書は、ひと通り読んだけれども、私はなんといってもヘーゲルが、面白い。彼の著述には、いつも、血湧き肉躍る快感を覚える。なるほど日本語の言語感覚からすると、妙ちきりんな用語、造語の奔流で、どう手をつけてよいかわからないまま、哲学辞典片手に、たどたどしく読まれることが多かろうと思う。が、ヘーゲルの著作ほど、辞典を片手の読書から遠いものは、じつはないのだ。私は邦訳でしか読んだことはないが、それでも、あれを読むのは一種の波乗りの要領であることは、すぐに気づいた。一旦コツをのみ込んでしまうと、大波小波を滑走することじつにリズミカルで、およそ考え込むということもなく、(考えていては沈没する!)、あんなに楽しい読書はめったにあるものではない。ヘーゲルは、肉体で読まれるべきで、考えながら読むべきすじの書物では、絶対にない。」

ヘーゲルの『歴史哲学』

 ヘーゲルの『歴史哲学』を見つけた。歴史への意識が変わった。そうなんだ。全ては池田晶子さんの性なんだ。

 ヘーゲルの歴史哲学では、自由を求めて、歴史は民主主義と国民国家を作り出した。平等を求めることで全体主義と共産主義を生み、世界大戦でその限界を向えた。

池田晶子さんの後継者はいくちゃんです

 池田晶子さんが亡くなったのは47歳。その半年後に、私は著作と名前をを知った。すれ違い。だけど、いくちゃんまだ20歳です。どう変わっていくか。新しいジャンルを作り出すことは確かです。ということで、結局いくちゃをにもどってきました。

個人の自立から始まる世界

 ハイアラキーの下では、「自由と平等」はトレードオフなんです。

 個人の自立から始まる、配置の世界にインフラを変えていくしか方法がない。その覚悟が人類にあると思えないけど、ゆっくりした変革を今始めていくしかない。新しい歴史哲学を必要としています。

 個人の自立のためには、家族制度から変えていく。それが一番難しいでしょう。それができれば、仕事のあり方、教育制度も変わっていく。個性を生かすことで、それが生まれた理由そのものにフィードバックする。

直接入力の弊害?

 直接入力に馴染んでくると、書き起こししないので、いつまでたっても手帳が埋まらない。バーチャルの世界だけで済んでしまう。存在の意識からするとその方が軽くて助かります。全てが夢の中のような感覚になる。

年寄り扱いされる快感

 奥さんに連れられて火災保険の契約。署名するだけの役割。こういう時の楽しみは、相手のスタッフが私を年寄り扱いすること。今日も「Tabletにポチって打てますか」なんて言っていた。

ナノを数学者にしよう

 未唯に第二子が来年7月に生まれるみたい。是非、女の子にしてもらって、「ナノ」とつけてもらおう。そう出なくても、女の子なら、勝手に「ナノ」と呼ぶことにします。ギリシャ語でμ[ミュー:未唯]の次の単語はn[ニュー:ナノ)だから。

 とりあえずナノの貯金箱を作ります。世界を変える数学者になってほしい。未唯で叶えられなかった、私の夢です。
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OCR化した5冊

『日本問答』

 ヒエラルキーにならない社会

 プリンシプルのない日本

 循環型の経済システム

 日本の共同体はどうなるか

『トポスの知』

 箱庭・その哲学的パフォーマンス

 場所(トポス)の論理

 箱庭表現のなかの時間性

 シンボルとイメージが生命

 「触れること」の哲学

 コスモロジーとしての箱庭

 言語を超えて--無意識の責任

『ごまかさない仏教』

 仏教の不思議

 釈迦はなぜ他人を救う決意をしたのか

 仏教の基本OS

 無常とは何か

 未来から過去に流れる時間

 組織化の功罪

『図書館の著作権基礎知識』

 図書館にとって著作権とは何か?

  図書館職員は著作権思想の最高の伝道者でなければならない

  図書館の各種サービスと著作者の権利との関係

 2000年代の図書館に関わる著作権法改正

  平成12(2000)年改正

  平成15(2003)年改正

  平成16(2004)年改正

  平成18(2006)年改正

  平成21(2009)年改正

  平成24(2012)年改正

  平成26(2014)年改正

  平成28(2016)年改正(2017年10月現在未施行)

 著作権とは?

  著作権法と知的財産権の関係

  なぜ著作(権)者を保護するのか?

  著作権法の目的とは何か?

 著作物とは?

  著作物として保護されるものとは?

  著作物の種類

  その他の著作物

 著作者とは?

  著作者とは誰か?

  著作者の推定(法第14条)

  法人(団体)が著作者になる場合(法第15条)

  映画の著作物の著作者は誰か?(法第16条)

『バテレンの世紀』

 ポルトガル、アフリカヘ

 海外進出を可能たらしめた国王権力

 セウタ攻略のメリット

 黄金掌握を目指したアフリカ西岸南下策

 「+字軍」的発想と奴隷獲得

 「世界支配者」たるべきキリスト教徒

 「文明化」の論理

 ポルトガル人出現が煽り立てた黒人首長たちの奴隷狩り

 「プレスター・ジョン」国の探索
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ポルトガルが日本に来た理由

『バテレンの世紀』より

「十字軍」的発想と奴隷獲得

 和辻哲郎の『鎖国』は、「世界的視圏」の拡大をめざす近代人というエンリケのイメージを流布するうえで、最も力あった著作といってよかろう。「サン・ヴィセンテ岬サグレスの城に住み、そこに最初の天文台、海軍兵器廠、天文現象世界地理などを観察叙述するコスモグラフィーの学校などを創設して、ポルトガルの科学力を悉くここに集結しようと努力した」というのは、当時の通説に従ったまでだが、このような航海王子エンリケのイメージは、今日では根本から覆されている。

 第一に、エンリケが創設したとされるサグレス航海学校は、史料の裏づけをもたぬまったくのフィクションである。この学校伝説は英国で生れてポルトガルにもたらされたもので、一九世紀末にはポルトガル学界ですでに否定されていた。第二に、エンリケが天文学・地理学等の学識に富んでいたという証拠もない。同時代人のカダモストの記録に「親王は天文学と占星術の学識が豊かなことで、世にその名を知らぬものはなかった」とあるのは、後世の出版者の加筆にすぎない。学識というなら、むしろ兄のペドロの方が、ヨーロッパ各地を遍歴しただけあって、よほどルネサンス的知性のもちぬしだった。第三に、エンリケが周りに集めたとされる科学者や技術者も、同時代の史料によってその存在を確認することはできない。さらに、一四六〇年のエンリケの死までに行われた探検航海のうち、彼の手によるのは三分の一にすぎず、逆に摂政ペドロの積極的な関与が目立つという。                          

 モロッコ征服の意欲で明らかなように、エンリケはイスラムに対する聖戦にわが身を捧げる中世的騎士であったのだ。しかしその彼がなぜ、後世になって「航海者」の異名を奉られるようになったのだろうか。何もかも後世の作為とするわけにはいかない。彼が度々船を送ってアフリカ西岸を南下させ、アジアヘ至る航路を開拓する端緒を作ったのは、否定できぬ事実なのである。

 先にも名を挙げた年代記作者アズララは「なにゆえ親王殿下がギネー(ギニア)地方の探検を命ぜられたか」と問うて、五つの理由をあげている。第一はボジャドール岬を越えた未知の地域への好奇心、第二はその地域の人々との交易への意欲、第三はイスラムの勢力がその地方にどの程度及んでいるかを知る敵情視察、第四は対イスラム戦で味方をしてくれそうなキリスト教君主の探索、第五にその地方の住民をキリスト教に帰依させて、「迷える魂」を救おうとする使命感である。いくらエンリケの資質が中世的だからといって、第一の理由を否定する必要はなかろう。彼のなかにもルネサンス的知性はやはりうごめいていたと考えたほうがむしろ自然だ。しかし、圧倒的動機はイスラムに対する聖戦にある。モロッコにキリスト教の旗を樹てるのと、アフリカ西岸を南下するのとは、レコンキスタのおなじ一環なのだ。エンリケのギネー地方探検がこのようなキリスト教世界の拡大という動機によって圧倒的に導かれていたことは、いわゆる大航海時代の真実を明らかにするうえで忘れてはならぬ事実だ。それは欧米の教科書でいまだにそう書かれているような、地理的発見などというきれいごとではない。

 エンリケはインディアスのどこかにあるというプレスター・ジョンの国を探し出すつもりだった。プレスター・ジョンとは当時ひろく西欧で信じられていた伝説的なキリスト教君主である。エンリケのいうインディアスとは実在のインド亜大陸のことではない。当時はアフリカの一部と考えられていた漠然たる土地のことである。プレスター・ジョンが見つかれば宿敵イスラムをはさみ撃ちすることができるのだ。結局エンリケを動かしたのは、イスラム世界の背後を衝くという十字軍的発想と交易の意欲だったといってよい。交易とはもちろん、モーロ人の仲介なしに西スーダンの金を入手しようとするものだが、実は金にならぶ魅力的な商品がアフリカにはあった。奴隷であって、エンリケが派遣する航海者たちはもっぱら金と奴隷の獲得に血眼になる。

 しかもこの奴隷という交易品目は、異教徒の魂の救済という十字軍的目的にも適うのが話のおそろしいところだった。「殿下は多大の労苦と出費を惜しまず、これらの魂をまことの道へ導くことを願われ、主に捧げる供物でこれにまさるものはあり得ないことを理解しておられた」とアズララは書く。「これらの魂」とは西アフリカ沿岸で捕獲もしくは交易され、ポルトガルヘ送られてキリスト教に改宗させられたベルベル人あるいは黒人の奴隷のことである。ポルトガル人は一〇〇年ののち日本へ到達して、そこで見出した「迷える魂」をおなじように救済しようと努めることになる。彼らは日本で奴隷交易を行いはしたが、日本人を捕獲して奴隷化する行為を犯したわけではない。しかしそれは、当時の日本の軍事的実力がそのことを許さなかったのと、彼ら自身の内部でその間奴隷問題について論争や反省のあった結果であって、イエズス会の宣教師はたとえ奴隷であろうともキリスト教徒でありさえすれば、異教徒にとどまるよりはるかに幸福なのだとする観念を、胸に秘めつつ日本人に教えを説いたのである。

「世界支配者」たるべきキリスト教徒

 つまり、ポルトガル人による西アフリカ住民の捕獲は、大航海時代の前半を主導するキリスト教世界拡大の意欲の底にあるものが何であったかを、赤裸々に物語るものといわねばならない。それはキリスト教徒のみが真に人間の名に値する存在であって、それ以外のイスラム教徒と異教徒(この二者は区別されていた)は悪魔を信じる外道である以上、世界支配者たるべきキリスト教徒に教化され支配されるしか救いの道はないという盲信である。西洋人は主人であり、非西洋人は潜在的な奴隷であるという命題がここからひき出される。その命題が現実化されるのは、むろん大航海時代を越えて一九世紀の到来を待たねばならない。だが西洋の世界支配を正当化する論理が、早くも一五世紀におけるポルトガルの西アフリカ進出のうちに見られるのはなんと戦慄的な事実であることだろう。西洋の世界支配の完成は一面を見れば、まさにレコンキスタの完了だったのである。

 先走った話を引きもどそう。一四四一年に再開された航海は初めて現地住民の捕虜をポルトガルにもたらした。エンリケが捕虜の入手を命じたのは当地の情報を得るためであったが、航海者たちはただちに奴隷として売るためにベルベル人を捕獲し始める。彼らは一四四三年にはブランコ岬に達し、この岬以南の沿岸が絶好の奴隷狩りの地となった。最大の成果が挙ったのは翌四四年で、六隻のカラヴェル船の遠征が二三五人の奴隷をもたらす。第一の目的だったはずの金はどうなったのか。砂金が手に入りはしたが、量は微々たるものにすぎなかった。産金地はポルトガル人が近づけぬ奥地にあったし、奴隷狩りによって住民の敵意をかきたてておいて、交易など成り立つ算段ではなかったのである。

 アフリカ西岸の探検航海の目的がまるで奴隷捕獲であるかのような様相を呈するに至ったのは、レコンキスタの過程でポルトガル人が、北アフリカのイスラム勢力との間に、相互に捕虜を奴隷化する行為を習慣化していたからだろう。相手がイスラムであれば、闘って捕虜とするのはローマ教皇が奨励するキリスト教徒の義務である。アフリカ西岸のベルベル人は航海者の見るところ、あまり筋金のはいった信心は持っていないらしいが、それでもイスラム教徒に違いはなかった。

 航海者たちは住民を求めて上陸し、彼らを視認するや追跡して捕獲し、集落のありかを白状させると、部隊を編成して襲撃した。ベルベル人たちはむろん闘った。彼らは人数でまさっていたし、彼らの唯一の武器である投槍が航海者を貫くこともあった。一四四二年、ゴンサーロ・シントラは一二名の手勢で二〇〇人の敵と闘い、ゴンサーロほか七名が戦死した。しかし、これは例外というべきで、ほとんどの場合住民は、「サンチャゴ」と聖人の名を唱えて襲いかかる航海者たち、対イスラムの聖戦で鍛えられたポルトガルの戦士に抗すべくもなかった。彼らはひたすら逃げた。せっかく集落を包囲したのに、人っ子ひとりいない。それでも航海者たちは気落ちせず、しつこく集落を探し求めた。

 恐慌と荒廃の嵐がブランコ岬以南の沿岸を吹き荒れた。この地の住民であるゼナガ族は国家形成以前の部族的生活をいとなみ、首長も存在しなかった。彼らは丸木舟のほか船というものを見たことがなかった。初めてポルトガルの帆船を海上に認めたとき、彼らは白い翼の怪島と思い、それが岸に近づくと巨大な魚と思い込み、その神出鬼没な行動を見て幽霊と信じた。いつ、どこを襲うか知れぬ船影は、彼らにとって恐るべき怪物だったのである。
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図書館にとって著作権とは何か?

『図書館の著作権基礎知識』より

図書館職員は著作権思想の最高の伝道者でなければならない

 2002年3月、政府に「知的財産戦略会議」が設置され、その秋には「知的財産基本法」が制定されるなど、にわかに「知的財産」がクローズアップされてきた。政府が強力に進めようとしている知的財産の大部分は産業財産権(工業所有権)に関する発明、特許等に関わる部分であるが(著作権の方では、ビデオ映画、アニメーション、ゲームソフト等デジタルコンテンツに力が注がれている)、どのような形であれ、人間の頭で考えられた知的な財産の創造・保護・活用が推進されることは、その知的財産の一つである「著作権」に長年携わってきた者としても素直に喜びたい。

 一方、図書館と著作権についても、林望氏の「図書館は『無料貸本屋』か」という『文骸春秋』の記事(2000.12)に端を発していろいろな人がいろいろなところで発言している。全国図書館大会でも2002年から著作権の分科会が開かれるまでになった。

 「図書館」という文字が著作権法の中に書き込まれたのは、1970年の著作権法の全面改正の時からである。それまでの明治時代に作られたカタカナまじりの著作権法では、自分の手で書き写すのは、著作権侵害にならないけれど、機械で複製するのは著作権侵害になることとされていたので、図書館において、もし、機械を入れてコピーサービスをしていたならば、権利者に断ってからコピーをしなければならなかった。

 それが、著作権法の全面改正により、著作権法第31条という著作権の制限規定が導入され「図書館等における複製」ということで、手で写しても機械でコピーしてもその条文に定める条件を満たせば権利者に無断でコピーができるようになった。

 そして、正にその年から、図書館の職員の方々が、著作権について深い関心を持つようになった、あるいは、持たざるを得なくなったとも言えよう。図書館で著作権法(以下「法」という)第31条に基づくコピーサービスを行おうとすれば、司書又はこれに相当する職員として図書館等職員著作権実務講習会を修了した人がいることが政令によって義務付けられているからである。

 文化庁が主催する「図書館等職員著作権実務講習会」は現行著作権法が施行された1971年夏に第一回目が実施され、以来毎年開催されてきている。現在は東京と京都を中心に毎年2~3ヵ所で開催し、600~700人近い人が参加しているそうであるから、40数年間に3万人近い人がこの講習会を受講していることになる。真夏の3日間、朝10時から夕方5時まで、テストあり、レポート提出ありの講習なのでかなり中身の濃いものであるのは間違いない。

 図書館においては、次に述べるように、法第31条だけでなく著作権法に基づく様々な権利と関わる。法第31条をきっかけに、そのような著作権の講習を受けている人たちが全国に3万人近くいるという職能集団は他にはない。

 デジタル時代、ネットワーク時代になって、全ての人が情報を発信する時代、全ての人が著作者になり、出版者になる時代にあって、学校や地域で、著作物やコンテンツの接点にいるのが図書館職員であるとすれば、このような講習を受け、著作権の正しい知識を得た上で、時には権利者の味方になり、時には利用者の味方になって、文化の発展をめざす著作権法の真の伝道者に相応しいのは図書館職員の方々であろうと確信しているのは私だけであろうか。

図書館の各種サービスと著作者の権利との関係

 図書館においては、複写サービスだけでなく各種のサービスが行われているが、それは、ほとんどの場合、後で詳しく述べる著作者の権利と関わっている。しかし、多くの場合は、図書館が非営利・無料であることや、その学術的又は公共的奉仕的機能に鑑みて、権利者に無断でやってもよい、いわゆる著作権の制限規定に合致するものである。各種サービスがどのような権利と関わるかを見てみよう。

  1)利用者への複写サービス、資料の保存のための複製、点字・録音サービス、インターネットからのダウンロード、チラシやポスターヘのキャラクターの絵の掲載、絵本の拡大、機関リポジトリヘの登録 → 複製権

  2)レコード・CDコンサートの開催 → 演奏権

  3)映画・ビデオ・DVDの上映会の開催 → 上映権

  4)ファクシミリによる文献送付、図書館ホームページヘの著作物の掲載、機関リポジトリヘの登録 → 公衆送信権

  5)対面朗読、お話会の開催 → 口述権

  6)絵画等の展示会 → 展示権

  7)本やCDの貸与 → 貸与権

  8)ビデオ・DVDの館外貸出 → 頒布権

  9)翻訳サービス、講演の要約作成 → 翻訳・翻案権

2000年代の図書館に関わる著作権法改正

 前述のように、1970年の著作権法の大改正の際に、法第31条に「図書館等における複製」、法第37条に「点字による複製等」の条文がこの時新たに規定され、図書館において利用者の求めに応じて複写サービスができたり、資料保存のための複製ができたり、点字による複製や点字図書館などでの録音サービスが権利者の許諾を得ないでも行えるようになった。

 著作権法の改正は、その後は、何十回と行われているが、かなりの年月、この二つの条文は手付かずであった。

 そして、2000年代になり、デジタル化、ネットワーク化が進む中、改正で動き出したのは、専ら福祉を目的とする制限規定の拡大に目が向けられたための第37条の方で第31条の方は2009年からの国立国会図書館がらみのものである。

 2000年代の著作権法改正を簡単に振り返ってみよう。

 (1)平成12(2000)年改正

  著作権の制限規定のうち法第37条(点字による複製等)の規定に第2項が新たに追加され、コンピュータによる点字とその記録媒体から公衆送信(インターネット配信を含む)することが認められた。

  更にこの時の改正で、法第37条の2という新しい条文が追加され、「聴覚障害者のための自動公衆送信」つまり、聴覚障害者福祉施設が聴覚障害者に字幕をリアルタイムで送信することが認められた。

 (2)平成15(2003)年改正

  映画の著作物についての保護期間が、公表後50年から70年に延長された。

 (3)平成16(2004)年改正

  レンタルコミックにも貸与権が働くようになった。(ただし、図書館の場所は、通常、非営利・無償なので貸与権は働かない。)

 (4)平成18(2006)年改正

  法第37条第3項の改正により、視覚障害者福祉施設が音声データを視覚障害者のために配信することも許諾なしで行えるようになった。

 (5)平成21(2009)年改正

  平成の大改正と言われるごとく以下のような大幅な改正が行われている。

  図書館に主に関係するものとしては次のような3点が挙げられる。

   1国立国会図書館における所蔵資料の電子化(第31条)

   2視覚障害者等のための複製等(第37条)

   3聴覚障害者等のための複製等(第37条の2)

  国立国会図書館における資料の電子化は、デジタル時代の反映であろうし、福祉関係の制限規定の大幅見直しは、2013年に批准した「障害者の権利に関する条約」の趣旨に沿った「障害者基本法の改正」など国内法整備の一環であろう。

 (6)平成24(2012)年改正

  平成21年改正で認められた国立国会図書館の電子化された一部資料を公共図書館等へ送信して全国的にネットを使って利用ができるような改正が行われた。

  *国立国会図書館法の改正という変則的な形ではあるが著作権法の改正が2009年と2012年に行われ、国立国会図書館が官公庁等のインターネット資料や民間のオンライン資料を同館の記録媒体に記録することが権利者の許諾を得ずに行えるようになった。

 (7)平成26(2014)年改正

  主として電子書籍に関しての出版者の保護が図られた。

 (8)平成28(2016)年改正(2017年10月現在未施行)

  TPP関連法の関係で著作権法の改正が行われ、著作権の保護期間が、欧米並みに著作者の死後50年から70年に引き上げられたこと、著作権侵害が発生した場合、全て親告罪(侵害された人が告訴等をするかしないか決定する仕組み)としている現行法を変えて、一部を非親告罪にして、権利者の意思とは関係なく警察等が動きだすことができるようになった。

 なお、法改正まで至らずに、当事者の話し合いで解決を見ている事項もある。

 例えば、第31条の「図書館資料」に、他の図書館等から借り受けた図書館資料を含めることに関しては、当事者の協議で、「図書館間協力における現物貸借で借り受けた図書の複製に関するガイドライン」(国立大学図書館協会HP「関係資料集)参照)が作成され、2006年1月以降、相互貸借で借り受けた図書については、自館所蔵の資料と同様に取り扱うことができるよう運用がなされている。

 また、ファクシミリ及びインターネットによる図書館間の文献の送信についても、大学図書館問のみではあるが、当事者の協議に基づくガイドラインが作られて運用されている(「大学図書館間協力における資料複製に関するガイドライン」国立大学図書館協会HPr関係資料集」参照)。

 更に、2017年4月に公表された文化審議会著作権分科会報告書によれば、法第31条第1項第2号の「保存のための複製」で疑義が生じていた問題に関して「美術の著作物の原本のような代替性のない貴重な所蔵資料や絶版等の理由により一般に入手することが困難な貴重な所蔵資料について、損傷等が始まる前の良好な状態で後世に当該資料の記録を継承するために複製することは、法第31条第1項第2号により認められると解することが妥当である。」とのことでこの問題の解決を見ている。

 「図書館等に設置されたインターネット端末から利用者が著作物を例外的に許諾を得ずにプリントアウトできること」という要望については、Q13に書いているように、ほとんど問題ならないとしている。ただ、「官公庁作成広報資料及び報告書等の全部分を複写による提供ができるようにすること」という要望については、Q1に書いているように未だはっきりした解決策は講じられていない。
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