車から所有権をなくした世界の夢
3年前か! 社会は進んでないな-。人類は間に合うのか。
3年前、この日の思い出を見る「今、夢を見ていた。車から所有権をなくした世界の夢。移動する目的に対して、自動選択する、そんな社会。」
今週の新刊書は22冊しかなかった
月の中間としては少なすぎる。そのうちの6冊のOCR化は昨日一日で終わった。来週は今年最後だし、20冊まで可能になっている。40冊を取込む体制を採ります。
いくちゃんは死から<今>を見ている
いくちゃんのピアノ伴奏は、相手に合わせられる。欲しがってる音を楽譜通りでなくても的確に出していく。それがピアノ以外の会話でも成り立ってる。演じてる。演じられるということは自分を上から見ている。いくちゃんの言葉の中で、未来から見てる、というものがあった つまり死から見てる。だから自分中心でいられる。哲学に向かえば池田晶子さんのようになれる。それは哲学とアイドルの融合。それを乃木坂というコミュニティから発信していく。
「菩薩」から池田晶子さんを見つけた
なんとなく「菩薩」という言葉が浮かんで、未唯空間で調べてみた。その結果、出てきたのは、2012年5月31日『私とは何か』池田晶子だった。
「ひとりひとりが考えるしかないでしょう。精神というのは自分がそこに存在して、なにゆえに生きているのかを考えるためのものです。ひとりひとりが自分で考えて、それを知る以外にないのです。一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。」
ついでに「人間は皆、ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。単独の精神性をひとりひとりが自覚する。自分とは誰かということをひとりひとりが考えるところから新しい人類の歴史ははじまるし、変わるんです。」この辺が存在力の発想の原点になっている。
「私とは誰かと問いつづけることが、哲学なんです。たんに考えることといってもいいでしょう。哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」
さらに「だから時間がかかる。とにかく時間がかかる。ひとりひとりの人間の精神を確実に変えていくんですから。だって、いま六十億人いるわけでしょう。すべての人が目覚めるまでには六十億年かかります。」
「つまり、弥勒菩薩の救済と同じこと。永久革命って、私が言うのはそういうことなんです。無限に時間がかかるけど、道はそれしかない。それだけは断言できます。」
「本棚システム」からオリジナルを探せる
オリジナルを私の「本棚システム」から、「私とは何か」で検索して、見つけてきました。雑記#621 104イケ『私とは何か』池田晶子。これって凄い! 寝ながらスマホ一台でできてしまうんだから。
本をバラバラにして、それを自分の中で統合させるという世界は デジタルライブラリでは可能です。その証明です。
ヘーゲルを読むことは波乗り
さらに、ヘーゲルを読むようになったフレーズもこの本の中にありました。
「哲学書は、ひと通り読んだけれども、私はなんといってもヘーゲルが、面白い。彼の著述には、いつも、血湧き肉躍る快感を覚える。なるほど日本語の言語感覚からすると、妙ちきりんな用語、造語の奔流で、どう手をつけてよいかわからないまま、哲学辞典片手に、たどたどしく読まれることが多かろうと思う。が、ヘーゲルの著作ほど、辞典を片手の読書から遠いものは、じつはないのだ。私は邦訳でしか読んだことはないが、それでも、あれを読むのは一種の波乗りの要領であることは、すぐに気づいた。一旦コツをのみ込んでしまうと、大波小波を滑走することじつにリズミカルで、およそ考え込むということもなく、(考えていては沈没する!)、あんなに楽しい読書はめったにあるものではない。ヘーゲルは、肉体で読まれるべきで、考えながら読むべきすじの書物では、絶対にない。」
ヘーゲルの『歴史哲学』
ヘーゲルの『歴史哲学』を見つけた。歴史への意識が変わった。そうなんだ。全ては池田晶子さんの性なんだ。
ヘーゲルの歴史哲学では、自由を求めて、歴史は民主主義と国民国家を作り出した。平等を求めることで全体主義と共産主義を生み、世界大戦でその限界を向えた。
池田晶子さんの後継者はいくちゃんです
池田晶子さんが亡くなったのは47歳。その半年後に、私は著作と名前をを知った。すれ違い。だけど、いくちゃんまだ20歳です。どう変わっていくか。新しいジャンルを作り出すことは確かです。ということで、結局いくちゃをにもどってきました。
個人の自立から始まる世界
ハイアラキーの下では、「自由と平等」はトレードオフなんです。
個人の自立から始まる、配置の世界にインフラを変えていくしか方法がない。その覚悟が人類にあると思えないけど、ゆっくりした変革を今始めていくしかない。新しい歴史哲学を必要としています。
個人の自立のためには、家族制度から変えていく。それが一番難しいでしょう。それができれば、仕事のあり方、教育制度も変わっていく。個性を生かすことで、それが生まれた理由そのものにフィードバックする。
直接入力の弊害?
直接入力に馴染んでくると、書き起こししないので、いつまでたっても手帳が埋まらない。バーチャルの世界だけで済んでしまう。存在の意識からするとその方が軽くて助かります。全てが夢の中のような感覚になる。
年寄り扱いされる快感
奥さんに連れられて火災保険の契約。署名するだけの役割。こういう時の楽しみは、相手のスタッフが私を年寄り扱いすること。今日も「Tabletにポチって打てますか」なんて言っていた。
ナノを数学者にしよう
未唯に第二子が来年7月に生まれるみたい。是非、女の子にしてもらって、「ナノ」とつけてもらおう。そう出なくても、女の子なら、勝手に「ナノ」と呼ぶことにします。ギリシャ語でμ[ミュー:未唯]の次の単語はn[ニュー:ナノ)だから。
とりあえずナノの貯金箱を作ります。世界を変える数学者になってほしい。未唯で叶えられなかった、私の夢です。
3年前か! 社会は進んでないな-。人類は間に合うのか。
3年前、この日の思い出を見る「今、夢を見ていた。車から所有権をなくした世界の夢。移動する目的に対して、自動選択する、そんな社会。」
今週の新刊書は22冊しかなかった
月の中間としては少なすぎる。そのうちの6冊のOCR化は昨日一日で終わった。来週は今年最後だし、20冊まで可能になっている。40冊を取込む体制を採ります。
いくちゃんは死から<今>を見ている
いくちゃんのピアノ伴奏は、相手に合わせられる。欲しがってる音を楽譜通りでなくても的確に出していく。それがピアノ以外の会話でも成り立ってる。演じてる。演じられるということは自分を上から見ている。いくちゃんの言葉の中で、未来から見てる、というものがあった つまり死から見てる。だから自分中心でいられる。哲学に向かえば池田晶子さんのようになれる。それは哲学とアイドルの融合。それを乃木坂というコミュニティから発信していく。
「菩薩」から池田晶子さんを見つけた
なんとなく「菩薩」という言葉が浮かんで、未唯空間で調べてみた。その結果、出てきたのは、2012年5月31日『私とは何か』池田晶子だった。
「ひとりひとりが考えるしかないでしょう。精神というのは自分がそこに存在して、なにゆえに生きているのかを考えるためのものです。ひとりひとりが自分で考えて、それを知る以外にないのです。一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。」
ついでに「人間は皆、ひとりで生きて、ひとりで死ぬ。単独の精神性をひとりひとりが自覚する。自分とは誰かということをひとりひとりが考えるところから新しい人類の歴史ははじまるし、変わるんです。」この辺が存在力の発想の原点になっている。
「私とは誰かと問いつづけることが、哲学なんです。たんに考えることといってもいいでしょう。哲学というと、難しい学問みたいですから。自分とは誰かとか、生きて死ぬとはどういうことかとか。それだけなんです。」
さらに「だから時間がかかる。とにかく時間がかかる。ひとりひとりの人間の精神を確実に変えていくんですから。だって、いま六十億人いるわけでしょう。すべての人が目覚めるまでには六十億年かかります。」
「つまり、弥勒菩薩の救済と同じこと。永久革命って、私が言うのはそういうことなんです。無限に時間がかかるけど、道はそれしかない。それだけは断言できます。」
「本棚システム」からオリジナルを探せる
オリジナルを私の「本棚システム」から、「私とは何か」で検索して、見つけてきました。雑記#621 104イケ『私とは何か』池田晶子。これって凄い! 寝ながらスマホ一台でできてしまうんだから。
本をバラバラにして、それを自分の中で統合させるという世界は デジタルライブラリでは可能です。その証明です。
ヘーゲルを読むことは波乗り
さらに、ヘーゲルを読むようになったフレーズもこの本の中にありました。
「哲学書は、ひと通り読んだけれども、私はなんといってもヘーゲルが、面白い。彼の著述には、いつも、血湧き肉躍る快感を覚える。なるほど日本語の言語感覚からすると、妙ちきりんな用語、造語の奔流で、どう手をつけてよいかわからないまま、哲学辞典片手に、たどたどしく読まれることが多かろうと思う。が、ヘーゲルの著作ほど、辞典を片手の読書から遠いものは、じつはないのだ。私は邦訳でしか読んだことはないが、それでも、あれを読むのは一種の波乗りの要領であることは、すぐに気づいた。一旦コツをのみ込んでしまうと、大波小波を滑走することじつにリズミカルで、およそ考え込むということもなく、(考えていては沈没する!)、あんなに楽しい読書はめったにあるものではない。ヘーゲルは、肉体で読まれるべきで、考えながら読むべきすじの書物では、絶対にない。」
ヘーゲルの『歴史哲学』
ヘーゲルの『歴史哲学』を見つけた。歴史への意識が変わった。そうなんだ。全ては池田晶子さんの性なんだ。
ヘーゲルの歴史哲学では、自由を求めて、歴史は民主主義と国民国家を作り出した。平等を求めることで全体主義と共産主義を生み、世界大戦でその限界を向えた。
池田晶子さんの後継者はいくちゃんです
池田晶子さんが亡くなったのは47歳。その半年後に、私は著作と名前をを知った。すれ違い。だけど、いくちゃんまだ20歳です。どう変わっていくか。新しいジャンルを作り出すことは確かです。ということで、結局いくちゃをにもどってきました。
個人の自立から始まる世界
ハイアラキーの下では、「自由と平等」はトレードオフなんです。
個人の自立から始まる、配置の世界にインフラを変えていくしか方法がない。その覚悟が人類にあると思えないけど、ゆっくりした変革を今始めていくしかない。新しい歴史哲学を必要としています。
個人の自立のためには、家族制度から変えていく。それが一番難しいでしょう。それができれば、仕事のあり方、教育制度も変わっていく。個性を生かすことで、それが生まれた理由そのものにフィードバックする。
直接入力の弊害?
直接入力に馴染んでくると、書き起こししないので、いつまでたっても手帳が埋まらない。バーチャルの世界だけで済んでしまう。存在の意識からするとその方が軽くて助かります。全てが夢の中のような感覚になる。
年寄り扱いされる快感
奥さんに連れられて火災保険の契約。署名するだけの役割。こういう時の楽しみは、相手のスタッフが私を年寄り扱いすること。今日も「Tabletにポチって打てますか」なんて言っていた。
ナノを数学者にしよう
未唯に第二子が来年7月に生まれるみたい。是非、女の子にしてもらって、「ナノ」とつけてもらおう。そう出なくても、女の子なら、勝手に「ナノ」と呼ぶことにします。ギリシャ語でμ[ミュー:未唯]の次の単語はn[ニュー:ナノ)だから。
とりあえずナノの貯金箱を作ります。世界を変える数学者になってほしい。未唯で叶えられなかった、私の夢です。