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個人は社会に対してどう責任を持つべきか

『世界で働くプロフェッショナルが語る』より 個人は社会に対してどう責任を持つべきか

□個人と社会の問題を数学的に分析する

 今、僕がやっている研究に強く関わってくるのが、個人と社会の関係です。社会の中で生きていくということは、自分一人でできることは限られていて、できなくて、さまざまな人たちと一緒に、決められた制度のもとでやっていかざるを得ない。税金を払わなければならないし、決められたルールには則るべきです。

 しかし、その制度は誰が決めたのか?

 もちろん、現在ではほとんどの国が民主的なルールで制度を決めています。ここにいる皆さんだって、1、2年すれば選挙で投票するようになるでしょう? たとえば、今、日本は原子力を使うべきなのかどうか。たくさんの人たちがさまざまな意見を戦わせています。推進派の人もいれば、反対派の人もいます。大飯原発を動かすかどうか、どういった方法で決めるべきだと思いますか? 僕が日本のニュースを見ている限りでは、あまり民主的な方法で決めているようには見えません。首相が「安全は確保された」と言い、近畿圏の首長たちを集めて何となく決めているように見えるからです。本当にそれでいいのでしょうか?

 ここで考えてほしいのは、社会でさまざまなことが決められていますが、個人は自分たちの意見を持っています。その個人の意見をどうやって反映させていくのかということが非常に大きな問題だということです。「決められたことだから仕方ないよ」と受け入れてしまうのではなく、どういった制度であれば個人の意見が反映されるのかを考えて欲しいのです。制度によって社会のありようが変わってきます。これはとても大切なことで、分析していかなければならない問題です。

 政治学ではそれぞれの文化に基づいて分析しますが、数学を使っても分析できます。多角的な分析はもちろんあるべきで、数学的な分析が飛び抜けてすごいというわけではないですが、数学的分析ではほかでは得られなかった答えが見つかるかもしれない……そんなふうに思っています。

 この思想の根底にあるのは、「個人は社会に対してどのような責任を持つべきなのか」「社会は個人に対してどのような責任を持つのか」という発想です。各国にはいろいろな制度があって、それを理想的に成し遂げようとするのは非常に難しい問題なんですね。民主主義が生まれたギリシャでさえ、とても苦しんでいます。日本でやっている制度も同じです。個人の意見を理想的に反映させるためにはどうすればいいか、選挙権があるということはどういうことなのか、選挙に対して自分たちはどういう声を出せるのか……。一人ひとりにとって非常に大切な問題だと、僕は思っています。

□多様な視点を獲得して自分を知るということ

 民主主義はヨーロッパで発展していきました。僕はヨーロッパやアメリカで学んで、一番よかったと思うのは、生活に染みこんだ民主主義の概念を感じられたことです。

 特に、フランスはストライキがしょっちゅうあることで有名です。毎年秋になると、必ずストライキによって電車が止まります。とっても不便で、みんなが文句を言っています。でも、ストライキは、一人ひとりの個人が何かを変えたいと思うとき、誰もが行使できる権利です。労働者として今の賃金に不満を持っていても、一人で変えることはできない。多数の人間が一緒に行動して、「俺たちは不満を持っているぞ」と言うことによって社会がようやく動き出すのです。僕はフランス人にいつも聞きました。「なぜフランスではこんなにストが多いの?」彼らはいつも「これは人民が歴史上勝ち取ってきた権利なんだ」と返します。「各個人が集まれば私たちは社会を変えることができる」と言います。だから、「ストライキはイヤだ」と文句を言いながらでも、どこかでプライドを持っている。

 フランスの全国の高校生が集まる高校生連盟というのがあって、ここもよくストライキをします。つまり、高校生たちが授業をボイコットするわけです。その状況を見たフランスの教育省は、「高校が機能しない事態は教育にとってゆゆしきことである。今度、高校生のためにこういう予算を作りましょう」と言うわけです。教師はまったくノータッチで、高校生自身が予算を勝ち取っています。僕は、さすがに民主主義が発展し、さまざまな哲学が生まれた国だなと思いました。個人対社会がどういった関係であるべきなのかを、いろんな戦争を起こした中から勝ち取ってきているんですね。これを肌で感じられたことはとてもよかったと思います。

 現地で生活したからこそわかることも多くありました。一つは「最適解はないかもしれない」ということです。もし最適解というものが社会と個人との関係にあるとすれば、それは実現されているはずです。でも、世のなかにそんな理想の国は存在しない。いろんな解かあって、状況に応じて、「たぶんこういう解かいいだろう」としているわけです。

 文化のなかにはよい面も悪い面もあります。フランス人はさかんに議論をしますが、議論しすぎて人と協調しないという面がある。日本のように人の輪を乱さないという協朧匯は持ち合わせていません。アメリカに行けば、協調性もないけれど、そこでイニシアチブをとって「じゃあ、こうしよう」と言い出す人はたくさんいる。だったら、いいとこ取りをして、自分か「これが一番いいんじゃないか」ということを学んでいけばいいんだと思うんです。僕はこれまで73カ国に行きました。さまざまな国にも住みました。楽しいことばか「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。皆さんは学業に向いている人なんだから、それにつきまとう義務というものをぜひ心にとめておいてほしいと思います。
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