『情報を捨てるセンス 選ぶ技術』より 〝みんなの判断〟に同調していないか?
意見の相違は優れた意思決定のカギである。違いもまた同じこと。賢明な意思決定がしたいなら、意思決定メンバーに自分とは異なる経験やバックグラウンドを持つ人を加えよう。外見が違って見える人、言葉が違って聞こえる人、そして違ったスキルをもつ人。
優れた業績を出すグループは、違いが特徴とな。っている。たとえば、多くの女性を上級マネージャーや取締役に登用して収益をあげた企業があること、多様な人種に囲まれた学生は同じ人種が集まった環境にいる学生よりも成績がよいこと、周囲が多様なものの見方をしていると思考スキルが上がることなどが例にあげられる。
そうなると、イギリスでいまだ支配的な〝オックスブリッジ〟--オックスフォードやケンブリッ--の白人の学生を採用するよりも、多様な学位やバックグラウンドをもつ学生を採用するほうがより効果的な人事戦略ということにもなるだろう。
外見が異なるベネトンの広告のようなグループをまわりに置けば、それだけで業績の向上や優れた意思決定が可能になるというほど単純なことではない。〝違う〟ということのメリットを暗号の解読に取り組んでいた。この困難を極める任務に就いていた人たちの一部は想像どおりのタイプ--非常に複雑なデータの見きわめ、処理する訓練を受けてきた数学者とエンジニアだ。だが、なかにはごく少数だが〝ワイルドカード〟も含まれていた。作家、言語学者、エジプト学者、古典の研究者、道徳哲学者、ブリッジ・プレイヤー、古書商人といったメンバーだ。
アメリカの弁護士で情報将校だったテルフォード・テイラーは戦時中にブレッチリー・パークを訪れ、イギリスとアメリカのチームを比較した。ペンタゴンの暗号解読者はほとんどが弁護士なのに対し、ブレッチリーの暗号解読者は作家や教師、それに〝チェスのプレイヤー〟も含まれる「雑多な要員から成るが、刺激的なグループ」だった。
このオーソドックスとはいえない人員採用のアプローチに多くの人は懐疑的だった。民間の暗号解読者ジョン・コーエンは、ブレッチリー・パークから逃げだそうとした軍人を見張りの憲兵が見つけたときのことを、こう回想している--「将校も下士官も、軍人も民間人も、ありとあらゆる人間がそこらを歩きまわり、身振り手振りで議論しているので、彼らはここを精神病院だと思い込み、すぐに逃げ出すべきだと思ったようだ」と。
ウィンストン・チャーチルでさえ、奇妙な才能の集まりを眺めてこう言ったといわれている。 「私は君に人員集めにはあらゆる手段を講じてくれと言った。だが、その言葉を文字どおり受け取るとは思ってもみなかったよ」
けれども、究極の成功にきわめて重要だったのは、まさに知性の多様性である。「仕事に取り組むための新たなスキームをけっしてばかにしてはいけない」。ケンブリッジの卒業生で、一九四二年にブレッチリーに加わり、コントロールールームで働いていたジョイ・エトリッジはそう当時を思い出した。〝ワイルドカード〟たちはむしろ激励されていた。ケンブリッジ大学の二年のときにリクルートされ、ブレッチリーの海軍担当として働いていた歴史学者のハリー・ヒンズリーは、当時をこう振り返る。--和気あいあいとしたアマチュアのたまリ場だったのが、徐々にプロの活動をする巨大なミツバチの巣箱のような場所になった。ブレッチリーは、私が成功のカギだと考えていたものをけっして失わなかった--まうしく大学内のような場所だった。みんなが取り組むという意味で、そこには厳しい修行もなく、ヒエラルキーもない。本当に自由でアカデミックな仕事の雰囲気があった。
部外者もその配置に魅了された。アメリカのアルフレッド・マコーマック大佐は、ブレッチリーを訪ねた際、イギリス軍が堅苦しい軍隊の因襲を避け、「この仕事に最適な人員」を集めたことにとりわけ感銘を受けていた。
みなが集まり、知識を蓄えながらそれぞれの違いを表現することで、イギリス軍のシークレットチームはファシズムを打ち破るにあたり重要な役割を果たした。じっさい、クロスワードマニアやチェスのチャンピオンも加わったブレッチリー・パークの寄せ集め集団が情報を集めていなければ、戦争は少なくともあと二年は続いていただろうと考えられている。
ブレッチリー・パークの暗号解読者のなかでも、もっとも風変わりだといえるひとりが、T・s・エリオットの友人で隠花植物-花の咲かないシダやコケ、海藻など--の専門家ジェフリー・タンディである。タンディは海軍本部によって、ブレッチリーに派遣された。ある将校が〝Cryptogam(隠花植物)〟と“cryptogram(暗号文)〟とを混同し、タンディを暗号解読の専門家だと誤解したからだった。タンディは暗号解読について何も知らなかったが、彼の海藻についての研究がじつは貴重だったのだ。
ブレッチリー・パークが直面していた難題のひとつが、エニグマはたえず暗号化のシステムを変更しているという事実だった。それゆえ難破したUボートからひっぱりだしたコードブックは、貴重な貴重な資料だった。手がかりやヒント、それにエニグマの暗号を解くかもしれない具体的な内容の類も提供してくれていた。だが、回収時に海水でずぶ濡れになっていたコードブックは、はたして役に立つのだろうか? ここでタンディが大きな貢献をする。
隠花植物の専門知識と、藻類の専門家として働いていたロンドン自然史博物館で得た知識のおかげで、ダンディはイギリス海軍がドイツのUボートからずぶ濡れのコードブックを回収してきた際に、何をすればよいかわかっていた。海藻を乾燥させるのに使っていた特別な吸い取り紙を博物館から取り寄せて、タンディはその貴重な文献を乾燥させた。こうして、海軍は海から引き揚げた文献にあった暗号化されたメッセージを確保できた--そのメッセージはエニグマの暗号を破るうえで不可欠な役割を果たした。
意見の相違は優れた意思決定のカギである。違いもまた同じこと。賢明な意思決定がしたいなら、意思決定メンバーに自分とは異なる経験やバックグラウンドを持つ人を加えよう。外見が違って見える人、言葉が違って聞こえる人、そして違ったスキルをもつ人。
優れた業績を出すグループは、違いが特徴とな。っている。たとえば、多くの女性を上級マネージャーや取締役に登用して収益をあげた企業があること、多様な人種に囲まれた学生は同じ人種が集まった環境にいる学生よりも成績がよいこと、周囲が多様なものの見方をしていると思考スキルが上がることなどが例にあげられる。
そうなると、イギリスでいまだ支配的な〝オックスブリッジ〟--オックスフォードやケンブリッ--の白人の学生を採用するよりも、多様な学位やバックグラウンドをもつ学生を採用するほうがより効果的な人事戦略ということにもなるだろう。
外見が異なるベネトンの広告のようなグループをまわりに置けば、それだけで業績の向上や優れた意思決定が可能になるというほど単純なことではない。〝違う〟ということのメリットを暗号の解読に取り組んでいた。この困難を極める任務に就いていた人たちの一部は想像どおりのタイプ--非常に複雑なデータの見きわめ、処理する訓練を受けてきた数学者とエンジニアだ。だが、なかにはごく少数だが〝ワイルドカード〟も含まれていた。作家、言語学者、エジプト学者、古典の研究者、道徳哲学者、ブリッジ・プレイヤー、古書商人といったメンバーだ。
アメリカの弁護士で情報将校だったテルフォード・テイラーは戦時中にブレッチリー・パークを訪れ、イギリスとアメリカのチームを比較した。ペンタゴンの暗号解読者はほとんどが弁護士なのに対し、ブレッチリーの暗号解読者は作家や教師、それに〝チェスのプレイヤー〟も含まれる「雑多な要員から成るが、刺激的なグループ」だった。
このオーソドックスとはいえない人員採用のアプローチに多くの人は懐疑的だった。民間の暗号解読者ジョン・コーエンは、ブレッチリー・パークから逃げだそうとした軍人を見張りの憲兵が見つけたときのことを、こう回想している--「将校も下士官も、軍人も民間人も、ありとあらゆる人間がそこらを歩きまわり、身振り手振りで議論しているので、彼らはここを精神病院だと思い込み、すぐに逃げ出すべきだと思ったようだ」と。
ウィンストン・チャーチルでさえ、奇妙な才能の集まりを眺めてこう言ったといわれている。 「私は君に人員集めにはあらゆる手段を講じてくれと言った。だが、その言葉を文字どおり受け取るとは思ってもみなかったよ」
けれども、究極の成功にきわめて重要だったのは、まさに知性の多様性である。「仕事に取り組むための新たなスキームをけっしてばかにしてはいけない」。ケンブリッジの卒業生で、一九四二年にブレッチリーに加わり、コントロールールームで働いていたジョイ・エトリッジはそう当時を思い出した。〝ワイルドカード〟たちはむしろ激励されていた。ケンブリッジ大学の二年のときにリクルートされ、ブレッチリーの海軍担当として働いていた歴史学者のハリー・ヒンズリーは、当時をこう振り返る。--和気あいあいとしたアマチュアのたまリ場だったのが、徐々にプロの活動をする巨大なミツバチの巣箱のような場所になった。ブレッチリーは、私が成功のカギだと考えていたものをけっして失わなかった--まうしく大学内のような場所だった。みんなが取り組むという意味で、そこには厳しい修行もなく、ヒエラルキーもない。本当に自由でアカデミックな仕事の雰囲気があった。
部外者もその配置に魅了された。アメリカのアルフレッド・マコーマック大佐は、ブレッチリーを訪ねた際、イギリス軍が堅苦しい軍隊の因襲を避け、「この仕事に最適な人員」を集めたことにとりわけ感銘を受けていた。
みなが集まり、知識を蓄えながらそれぞれの違いを表現することで、イギリス軍のシークレットチームはファシズムを打ち破るにあたり重要な役割を果たした。じっさい、クロスワードマニアやチェスのチャンピオンも加わったブレッチリー・パークの寄せ集め集団が情報を集めていなければ、戦争は少なくともあと二年は続いていただろうと考えられている。
ブレッチリー・パークの暗号解読者のなかでも、もっとも風変わりだといえるひとりが、T・s・エリオットの友人で隠花植物-花の咲かないシダやコケ、海藻など--の専門家ジェフリー・タンディである。タンディは海軍本部によって、ブレッチリーに派遣された。ある将校が〝Cryptogam(隠花植物)〟と“cryptogram(暗号文)〟とを混同し、タンディを暗号解読の専門家だと誤解したからだった。タンディは暗号解読について何も知らなかったが、彼の海藻についての研究がじつは貴重だったのだ。
ブレッチリー・パークが直面していた難題のひとつが、エニグマはたえず暗号化のシステムを変更しているという事実だった。それゆえ難破したUボートからひっぱりだしたコードブックは、貴重な貴重な資料だった。手がかりやヒント、それにエニグマの暗号を解くかもしれない具体的な内容の類も提供してくれていた。だが、回収時に海水でずぶ濡れになっていたコードブックは、はたして役に立つのだろうか? ここでタンディが大きな貢献をする。
隠花植物の専門知識と、藻類の専門家として働いていたロンドン自然史博物館で得た知識のおかげで、ダンディはイギリス海軍がドイツのUボートからずぶ濡れのコードブックを回収してきた際に、何をすればよいかわかっていた。海藻を乾燥させるのに使っていた特別な吸い取り紙を博物館から取り寄せて、タンディはその貴重な文献を乾燥させた。こうして、海軍は海から引き揚げた文献にあった暗号化されたメッセージを確保できた--そのメッセージはエニグマの暗号を破るうえで不可欠な役割を果たした。
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