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未唯空間歴史編の再構成 2

リーマンとフクシマ

 そこまで来た所で、リーマンショックとフクシマが世界を変えようとしています。ローカルとグローバルの関係を変えて、国の存在理由を見直すことが起きている。この部分で、コミュニティが前面に出てきて、社会編とラップしました。

 歴史がどう変わるのかということで、歴史での見方に戻しました。歴史を振り返って、国家以前、全体主義、専制主義、民主主義ときた。これが正しいかどうか知らないけど。そして、民主主義が方向を失っている。どの方向に向かうのか。毎回、これがテーマになります。

 リーマンとフクシマは皆が考える契機になりました。根底が変わることがあるということです。リーマンで市場が機能していないことを知った。フクシマで国に依存できないことを知った。

 では、どうするかということで、ローカルに向かう人は多いです。なぜ、ローカルなのか、ローカルをどういうカタチにするのか、そのための条件はなにか。それはやってみないと分からないという人が殆どです。

 NPOなどは行動に移ります。自分の周辺で、行政とか大学を使って、自分が真中にいる形で行動します。答は自分で決めているので、融通が利かないものになります。それ自体が抵抗勢力になります。つまり、考えることをしていない。考えることは大変なことです。その時には数学モデルとか歴史観も必要になってきます。

Local meets Global

 そこでのヒントは社会編でも出てきた、Local meets Globalです。日本は太平洋戦争で、アメリカに吸収されたのか。吸収されていない。歴史の偶然も感じます。日本はローカルのまま、アメリカのローカル市場に入り込んでいった。

 同じように、グローバルがグローバルであるだけでなく、先としては、Global meets Localに向かっていく。そこでは、ローカルでの再構成を前提とします。それによって、グローバルの役割が変わってきます。これを社会という立場ではなく、歴史という立場から見ていきます。

内なる歴史

 そして、最後は内なる歴史です。ここは、自分の世界だから、色々なシミュレーションして、どんな世界を目指すのか、そのための要件を出していきます。同時に、これ自体は予言です。だから、跳ばないといけない。ハイエクではないけど、何がどう変わるのかを予言しないといけない。

 その意味では、内なる歴史が一番、実体に近いのでしょう。概念を自分の中に持っておいて、その実体をどう変えていくのか、変わったものも含めて、書き出します。

 内なる世界の安定した世界像をどう描くかです。世界がどうなればいいのか、歴史がどうなっているのか。それが安定していること。

 その検討のために、未唯空間の7つのジャンルを使います。本と図書館は最初のところで、生涯学習などをいかにこなしていくかです。二番目が危機感です。インフラをどのように変えていくのか。仕事編が関係します。三番目は世界の情勢です。どういうシステムになっているかどうか。ギリシャの問題とか、歴史の国に関することはここに入れます。中国がどうなっているのか。

 四番目が未来像です。コンパクトシティなどもあるけど、ここでのポイントは数学編の最終項目です。つまり、グローバルのグローバル、ローカルのローカルで安定させる方法です。

 新しい歴史観です。個人が完全に独立して、国がない状態です。あるけど、遠い存在です。これは完全な位相空間です。

無からの歴史観

 絶対的な孤独なのだから、歴史を考えられる。そんな気がします。中に入っていないし、外にも居ないです。私を無にしている張本人は歴史です。世界です。そこに対して、無からのメッセージです。それが意味を持つとは思えないけど。だから、予言でしかない。実行するとしたら、それぞれの人たちでしょう。
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未唯空間歴史編の再構成 1

未唯へ

 今日は病院に行くはずです。クルマで予定していたが、なぜか歩き出しています。5時過ぎに家に帰って、そこから診察券を持っていけば十分でしょう。

 3時過ぎに帰るために、地下街を歩いていたら、Iさんとバッタリ合いました。5分ぐらい、話していた。

 二か月ぶりに病院の行ってきました。体重は前回よりも▲2.5ぐらいです。前回は吹っ切れていた時だから、血糖値は高いです。そのあと、血糖値の薬を飲んでいない。今回がどんな値がでるかです。

 それにしても、あの医者はいい加減です。この際、面倒だから、70まで下げようか。

 スギ薬局は相変わらず、レジ袋がないです。インチキです。血圧を測りました。138の82です。

問われれば応える

 問われれば応える、この意味の大きさ。自分が考えている全てをまとめておく。相手の立場で応えられるようにします。その部分について。

 次のプロセスは、これが本当に関係しているかどうか。

未唯空間歴史編の再構成

 歴史編の再構成に入ります。あまりにも、社会編により過ぎています。時空間で見て、各国の歴史みたいなものを主にしましょう。歴史として、ローカルから変わるイメージが社会と一緒になってしまう。

 歴史の自明の理として、国を超えていると言うことを強調しましょう。政治形態も含めて、どちらに向かうのかも示します。

 『グローバル化の終わり、ローカルからのはじまり』も地域から変えていくと言っているけど、国家まで変えるとは言っていません。そこまでしか考えが及ばないからです。歴史で考えるとこんなことは何回もありました。

 ムハンマドはローカルから始めて、国を転覆させて、世界を変えてしまった。未だに、ムハンマドの戒律は残っています。今後ともその戒律が世界に対して、重要な概念になります。イスラムの互助の精神です。ローカルで生きる民に知恵です。

 それを歴史の中でやっていた方が社会編よりもはるかに広くできます。ギリシャの問題も歴史編では大きなテーマです。

ナチ以降の歴史

 歴史に関心を持ったのは、ナチです。なぜ、ドイツがナチに支配されたかです。それ以降のグローバル化とテロの時代、超国家になっていくプロセスです。過去はあくまでも参考です。

 歴史の中に仮説を入れます。仕事で作り上げてきたサファイア循環です。数学で分かってきた、循環の先、ローカル主体の世界も入れ込みます。それらが歴史の中でどのようにつながっていくのか。

 歴史はローカルから始まって、コミュニティができた。そのコミュニティをバラバラにされて、国ができて、国での分配に依存してきた。国という分配が機能しなくなった。次に行かないとどうしようもないところに来ている。

 消費税にしても、どう分配するのかではなく、どう集めるかを先に考える。赤字の国家では循環できない。日本の場合は殆ど、国に依存している。新しいコミュニティはまだ、できていない。本当に分岐点です。

歴史が向かう方向

 気になるのは、歴史がどちらに向かっていくのかです。グローバルの限界をどう突破するのか、どちらの方向に向かうのかで4.3まで終わっています。

 4.4で次の世界を考えているけど、そこでのベースはサファイア循環です。ローカルからどうやって再生していくのか。4.4の最後の項目は「幸せへの道」です。ちょっと、いい加減ですけど。
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自立と依存:関係の網の目のなかに生きる

『よくわかる臨床発達心理学』

自立とはー人で立つことではない

 人は発達の過程をたどって力を蓄え、その先で「自立」に到達するかのように言われます。もちろん、それは発達の一つの面を捉えたものとして、ある意味で当然の見方なのですが、じつはこの「自立」という概念がけっこう曲者です。たとえばこれを「一人立ち」として、他者の助けなく、自分一人の力で立っという意味で捉えるのが一般的ですが、それを文字通りにとったのでは、人が生きている現実のかたちを捉えそこないます。じっさい、なんと言っても、人は一人で生きることはできないからです。

 あるいはこれを「巣立ち」と言いかえることもできます。ここでも、誰かから庇護されていた巣から出て、一人立ちするというイメージが中心です。巣に育った雛鳥が、やがて自分の翼でその巣を飛び立つ、文字通りそういう情景を思い浮かべます。人間の場合であれば、父母兄弟を軸にした家族という「巣」から「社会」に出て、自分一人の力で自分の人生を切り開いていく、そういうイメージでしょうか。これもまた、たしかに外形的にはそのとおりかもしれません。しかしその内実をよく考えてみると、実際のところ、人は一人で立てるものではありません。鳥も、巣立ったあと、今度は巣作りに向かいます。人間にしてもその基本的な姿は変わりません。

 人間にとっての巣とは、人どうしの関係の網の目です。そこに子どもは生まれ、そこから子ども自身が自らの周りに関係の網の目をはりめぐらせて、やがてその関係の網の目を身にまとったかたちで、生家(巣)を離れていきます。そしてその先に自分自身の巣を作って、新たな関係の網の目のなかに次の世代を生み、また育てていく。巣立ちの先にはそのまま巣作りが接続し、それによって世代が引き継がれていくのです。そうして見れば、人は一度として人どうしの関係の網の目を離れることはありません。人は一人で生きられないというのは、まさにこのことです。

自立を考えることは依存のかたちを考えること

 自立を単に一人で立つことと考えるのではなぐ、関係の網の目を新たに生み出していくことだと考えたときに自立の概念は大きく変わります。たとえば24時間介護の必要な重度の身体障害者にも、当然のこととして「自立」はあるということになります。現にたくさんの介護者グループに支えられながら、立派に「自立」生活を送っている人が少なくありません。

 他方で、大学を出て一流企業に就職し、経済的にしっかり自立して見える人が、じっは地球規模で広がる経済システムに依存しているということにもなります。じっさい、この経済システムが破綻して、勤めている企業がつぶれれば、その人の生活もまたたちまちのうちに成り立たなくなるからです。たしかに企業もまた人間の関係の網の目の一つ。排他的な利益集団であるこの企業が内部に多くの人をかかえ、その生活を支えている一方で、その外にいる人々を貧困の淵に追いやってもいる。そういうシステムに依存していながら、それがもっともメジャーな「自立」であるように見えるというのが現代の社会なのかもしれません。

 そう考えたとき、自立の問題は、一人で立って生きぬく力を個体のなかにどう蓄えていくかではなく、むしろこの社会のなかでどのような〈依存のかたち〉を選んでいくかであるというふうに、定義しなおしたほうがいいのではないかと思います。
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地域住民参加型のエコツーリズム

『ボツワナを知るための52章』より

国連が国際エコツーリズム年と定めた2002年、ボツワナ政府はいち早く「国家エコツーリズム計画」を策定している。この計画の中ではエコツーリズムの定義を、国際エコツーリズム協会が定める定義を引用し、「エコツーリズムとは、対象となる地域の自然環境および地域住民の生活を持続的に保全することにつながる責任ある旅行」としており、その基本的な考え方を「社会、文化および自然環境への負のインパクトを最小限に抑え、住民に利益をもたらす観光開発を推進し、自然、文化資源を保護することの大切さを観光者と地域住民がともに学ぶ」としている。この計画のもと、ボツワナのエコツーリズム開発は進められている。その内容から、ボツワナにおけるエコツーリズム開発の方向性は「持続的な自然環境保全」と「地域住民に利益をもたらし、彼らの文化を保全するための持続的な観光開発」の二つの目標を掲げているということができる。

「持続的な自然環境保全」については、たとえば、国立公園に入るための料金を高くすることによる入込客数制限を設定したり、ロッジなどの宿泊施設を公園内に新設することを規制するなど、政府による積極的な施策がとられている。その結果、野生生物を観光資源としている他のアフリカの多くの国々とは異なり、一度に大勢の観光客が押しかけるような観光地というよりも、個人で訪れる観光客を受け入れる観光地と位置づけられるようになった。しかし、近年観光地の局地化やそれにともなう観光施設の増設などにより、観光と自然環境との調和が崩れつつあるといえる。あるエコロジストは、「ボツワナヘの観光客はチョベ国立公園とオカバンゴーデルタに集中しすぎているため、公園内の野生生物の生態が変化している」と報告している。とくにチョベ国立公園は、南部アフリカの中で最も多くの観光客が訪れるヴィクトリア・フォールズから車で90分程度の距離にあり、日帰りのサファリも可能であるため、日数の限られたツアーでは時間的に便利であることから観光客が集中し、その結果「チョベのサファリツアーは混み過ぎている」との批判も観光客から聞かれる。しかしそれでもエコツーリズムを商品としているボツワナの民間旅行会社、ロッジなどの観光関連業者の多くは、自然環境を保全することは、自分たちに持続的な利益をもたらすことを認識していることから、自分たちの売りものである野生動物や自然環境の保全に最大限の注意を払っているといえる。以上のような結果から、目標のIつとして掲げられている「持続的な自然環境の保全」については、ある一定の成功をすでに遂げているといえる。

一方、「地域住民に利益をもたらし、彼らの文化を保全するための持続的な観光開発」についても、いつくかの成功例といえるものがある。その代表的なものが、おもにボツワナ西部の町ハンシー周辺で行われている「ブッシュマン・ツアー」である。ボツワナを中心としアフリカ南部に住む人類最古の民族とされるサン、通称ブッシュマンの暮らすコミュニティに数時間から3日間滞在し、彼らの生活を体験しながら学ぶツアーである。彼らをガイドとして、罠の仕掛け方、狩猟の方法、火のおこし方、動物の足跡の見きわめ方、そして古くから伝わる遊びや音楽などを、草原(ブッシュ)を歩きながら教えてもらうブッシュマン・ウォークも体験することができる。サン人は、アフリカ南部で多く発見されている岩絵を描いたとされており、その描写表現は彼らの描く現代絵画にも受け継がれている。このサン・アートと呼ばれる絵を含め、ダチョウの卵の殻で作ったネックレスや狩猟道具、皮革製品、木工品などの伝統工芸が文化センターなどで販売されており、観光客から高い評価を得ている。この文化センターは、その伝統的な工芸技術を守るための人材育成活動も同時に行っている。

このほかに、チョベ国立公園観光の拠点であるカサネ市内にあるいくつかの口ッジでは、野生動物を楽しむサファリツアーだけではなく、ボツワナの伝統文化の魅力を知ってもらおうと、地域コミュニティによる伝統的なダンスや結婚式の様子などを見ることができる文化交流イベントを提供している。

このように、ボツワナの伝統文化を観光資源とすることにより、地域住民に経済的な利益をもたらし、それを通じて伝統文化を継ぐ者が現れ、伝統文化の保全にもつながるようなエコツーリズムもごくわずかではあるが存在している。

しかし、以上のようなエコツーリズムは、野生動物や自然環境を観光資源としたエコツーリズムに比べ、観光関連業者の認識や関心はまだまだ低いといえ

ボツワナ政府は、これまでいくつかの地域住民を巻き込んだエコツーリズムのプロジェクトを行ってきたが、プロジェクトが終了すると資金不足やマーケティング不足の結果、大きな成果は出せないでいる。つまり、政府や地方自治体のみでいくら努力しても、資金や期間に制限があり、地域住民に経済的利益をもたらし、彼らの文化を保全するためのエコツーリズムをビジネスとして成立させることはきわめて難しい。
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