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自立と依存:関係の網の目のなかに生きる

『よくわかる臨床発達心理学』

自立とはー人で立つことではない

 人は発達の過程をたどって力を蓄え、その先で「自立」に到達するかのように言われます。もちろん、それは発達の一つの面を捉えたものとして、ある意味で当然の見方なのですが、じつはこの「自立」という概念がけっこう曲者です。たとえばこれを「一人立ち」として、他者の助けなく、自分一人の力で立っという意味で捉えるのが一般的ですが、それを文字通りにとったのでは、人が生きている現実のかたちを捉えそこないます。じっさい、なんと言っても、人は一人で生きることはできないからです。

 あるいはこれを「巣立ち」と言いかえることもできます。ここでも、誰かから庇護されていた巣から出て、一人立ちするというイメージが中心です。巣に育った雛鳥が、やがて自分の翼でその巣を飛び立つ、文字通りそういう情景を思い浮かべます。人間の場合であれば、父母兄弟を軸にした家族という「巣」から「社会」に出て、自分一人の力で自分の人生を切り開いていく、そういうイメージでしょうか。これもまた、たしかに外形的にはそのとおりかもしれません。しかしその内実をよく考えてみると、実際のところ、人は一人で立てるものではありません。鳥も、巣立ったあと、今度は巣作りに向かいます。人間にしてもその基本的な姿は変わりません。

 人間にとっての巣とは、人どうしの関係の網の目です。そこに子どもは生まれ、そこから子ども自身が自らの周りに関係の網の目をはりめぐらせて、やがてその関係の網の目を身にまとったかたちで、生家(巣)を離れていきます。そしてその先に自分自身の巣を作って、新たな関係の網の目のなかに次の世代を生み、また育てていく。巣立ちの先にはそのまま巣作りが接続し、それによって世代が引き継がれていくのです。そうして見れば、人は一度として人どうしの関係の網の目を離れることはありません。人は一人で生きられないというのは、まさにこのことです。

自立を考えることは依存のかたちを考えること

 自立を単に一人で立つことと考えるのではなぐ、関係の網の目を新たに生み出していくことだと考えたときに自立の概念は大きく変わります。たとえば24時間介護の必要な重度の身体障害者にも、当然のこととして「自立」はあるということになります。現にたくさんの介護者グループに支えられながら、立派に「自立」生活を送っている人が少なくありません。

 他方で、大学を出て一流企業に就職し、経済的にしっかり自立して見える人が、じっは地球規模で広がる経済システムに依存しているということにもなります。じっさい、この経済システムが破綻して、勤めている企業がつぶれれば、その人の生活もまたたちまちのうちに成り立たなくなるからです。たしかに企業もまた人間の関係の網の目の一つ。排他的な利益集団であるこの企業が内部に多くの人をかかえ、その生活を支えている一方で、その外にいる人々を貧困の淵に追いやってもいる。そういうシステムに依存していながら、それがもっともメジャーな「自立」であるように見えるというのが現代の社会なのかもしれません。

 そう考えたとき、自立の問題は、一人で立って生きぬく力を個体のなかにどう蓄えていくかではなく、むしろこの社会のなかでどのような〈依存のかたち〉を選んでいくかであるというふうに、定義しなおしたほうがいいのではないかと思います。
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