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皆、絶対的な孤独にある

未唯へ

 答が見えてくると、行き詰まる。思いも届かないし、呪いも届かない。

 未唯空間の持って行き先は、私の存在そのものに関係するし、生まれてきた理由にも関係する。ゆっくり考えます

どうやって変わるか

 今の問題ではない。どういう順番にするのか。システムから変わるわけはない。その心からです。では、どれだけ変えるか。どうやって変わるのか、変わっていくのか。そのための危機感なのか。やはり、幸せ感なのでしょう。そうでないと変わった後の維持ができない。

 そして、それらはどうでもいいことなのか。どんなことがあろうとも、イザとなったら、目を開けます。これは夢と一緒です。別の空間に跳べます。

絶対的な孤独にある

 皆、多分、絶対的な孤独から逃げるはないです。あるとしたら、内なる世界をそれぞれが持つことです。そこから、どうつながっていくのか、つながる必要はない。それぞれが主役になればいい。今日のバタバタが終わったら、また、未唯空間に戻りましょう。

 とりあえず、夜中の2時半に豊田市図書館の新刊書で、皆、絶対的な孤独にいるという本を予約しました。そのためにどうするのか。そこから立ち入ります。

社会編の持って行き先

 社会編は浮ついています。私の範囲というものは元々、ないですから。それを言ったところでどうなるの、と言う気分になります。だから、もういいです。

 世の中で社会のことを考えても、あまり変わらないでしょう。首相がやっても。仕事編にしても、Hが変わったとしては、地域とつながることはないでしょう。そうなると、未唯空間はアダ花です。

 やはり、当初の目的の観察に留めましょう。行動するのは疲れます。予言するのも、面倒くさくなっています。内なる世界と言っても、空っぽです。何もありません。では、どちらの向かいましょうか。今さら、方向はありません。

 だけど、未唯空間を捨てるわけにはいかない。これを自分のためだけに完成させよう。その分、思い切ったカタチにします。行動計画にも立ち入ります。自分の内なる世界だからいいでしょう。他の存在を認めてない以上、その結果どうなるかを考えていないから。

 だから、この社会の観察日記です。単に見るだけでなく、先を考えたものです。見て、考えを変えて、見て、考えを変える。一種の弁証法です。それで真理に近づくのか、遠ざかるのか、よく分からない。今は、あまりにも人の感情で振り回されている。自分勝手だけど。自分の中だけで動きましょう。今は、あまりにも人の感情で振り回されている。必ず、真理に近づきます。
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フィンランドでは大勢の男子生徒が社会から落ちこぼれている

『フィンランド教育の批判的検討』より

北フィンランドの小都市カヤーニでの滞在の3日目、私は午後の汽車で再び首都のヘルシンキに戻ることになっていたので、午前中、ハッカライネン教授が街の周辺、郊外などをドライブで案内してくれました。

朝、私が宿泊しているホテル(彼が予約しておいてくれたホテル)に迎えに来てくれて、その日の新聞を広げて、「今日の新聞に、ヘルシンキの小学校教師たちに対するアンケートの結果が載っている。これを見ると、彼女達は、生徒の数が少なければ少ない程良い、と答えている。理想としては、教師一人に生徒が一人が最善と考えているのだ。子どもたちは集団の中でこそ成長して行くのだということがまったく分かっていない。自分の家庭での子育ての意識で公教育を行っているのだ」と苦り切った顔をして言いました。これまで何回も指摘してきましたが、フィンランドでは教師という職種は非常に人気が高いので、大学の教育学部は医学部と並んで入学試験が超難関の学部です。従って、合格者のほとんどが女子で、フィンランドでは医者と教師の大半が女性です。

ヘルシンキ大学のナベリさんやタンペレ・ポリテクニクのJr、リクソン3んも、「Boys are lazy」と言っていました。衆目の認めるところのようです。ナベリさんの息子さんたちは工学部の出身で、2人とも携帯凧話会社のノキアに勤めているそうです。

ハッカライネン教授が語るところに依れば、フィンランドでは才’川・たち約5万人が中等教育、高等教育、就職活動から落ちこぽれて、「人心負け組」となり、あらゆる社会的セーフティネットからもこぼれ落ちて、ドラッグ漬けに陥ったり、果ては自殺を試みる者も希ではない(フィンランドは青年世代の自殺率が世界でもトップレベル)という状態になり、彼らはひたすら20歳になる日を待ち望んでいるのだそうです。 20歳になっても無職のままならば、最低限、食って生きていけるだけの失業保険金がもらえるから、経済的には親の下から自立できるのです。

フィンランドの人口は約520万人(2006年統計)で、その内15歳~19歳が約50万人を占めています。従って、「落ちこぼれ人口」は同世代の約10%ということになりが、「落ちこぼれ青少年」の大半が男子であるということを考慮すると、15歳~19歳の男子の20%近くが「人生落ちこぼれ」状態になっているということになります。

その上、これまではフィンランドがヨーロッパの北の外れにあるという地理的条件から、アフリカからの難民が非常に少なかったのですが、フィンランドの高福祉を求めて近年アフリカからの難民が急増し、長期定住許可を求めて、一時滞在用の待機施設が溢れかえっているそうです。特に、この数年間はソマリヤからの難民が急増し、移民審査に時間がかかって、ますます待機状態の家族が増え、当然のことながら、これらの待機中の難民の子どもたちも小学校や中学校に通ってくるのに、フィンランドの教育機関は必要な手当をほとんど行っていないし、ほとんどの教育関係者はフィンランドが直面しているこの重大問題にまったく無関心である、とハッカライネン氏は嘆いています。
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生まれてきた理由と仕事

未唯へ

 73.7。節食に嫌気がさして、土日に食べ放題などをやったけど、0.4Kgしか増えていない。また、木曜日を目指しましょう。

存在と未唯空間の関係

 生きている理由、存在を未唯空間との関係で考えましょう。未唯空間で言っていることは、時代遅れなのか、時代を先取りしているのか。それとも、本来、関係ないことなのか。答としては、皆には関係ないことですね。自分の問題です。原点に戻して、自分編の再構成を行います。

考える時間

 決して、自分が勝つとは思っていません。勝ち負けがない世界に入り込んでいる。考えるベースは、夜中の2時半からの思考です。中だるみの社会編も入れます。メインは自分編です。今まで、自我という領域があったけど、その分も超えるしかないでしょう。

孤独に耐える

 他人がいないと言いながら、承認されることを求めています。なぜ、そのような心理になっているのか、なぜ、孤独に耐えられないのか。今まで、これを何回、推敲したのか。決めたい以上は、という次元ではない。そんなものはわかりきっていると言う次元です。

生まれてきた理由と仕事

 人間には生まれてきた理由とか、絶対的な孤独がありながら、仕事という、意味ないものに専念できるのか。専念することで、生活を安定させるというのは、いい訳です。元々、生まれてきた理由はどんな状況でも考えないといけない。これは死と同じ次元です。

 Gから指示があったから、全体としては良くないことが分かっているけど、それをやっていくと言うのが大人の姿勢? 違うでしょう。自分が全体を考えることが重要です。

 にもかかわらず、言う人に対して、圧迫を加える。生きている理由はどうなっているのか。そんなことを内緒で考えています。

独我論

 存在と無を同時に考える以上は独我論にはなりません。存在だけなら、独我論になるけど、無を意識すると、そんなちっぽけなこと。両方とも考えることが答に近いのでしょう。

存在と無

 哲学の本を読むと、存在とか無は多いですね。だから、存在と無というのは自然な思考なんでしょう。自分の中に、これだけの認識があることを、世の中の人は知らない。

 これも不思議です。逆もいえるけど、どういう認識でやっているか分からない。分かるつもりではない。人の心理はすぐわかるけど、あまり使いたくない。

 そういう人は、学校で習ったこと、歴史的な事実、親との感覚を疑いもなく、暮らしている。仕事についても、付き合いのことも当たり前のようにやっている。だけど、違うんですよ。

 世の中で決められたことを、鵜呑みにしていては、使われるだけです。進化しません。本当は違うんです。自分の頭で考えて欲しい。

私の社会との関係

 私の中で大きいのは、社会との関係です。社会というものが本当にあるのか分からない世界。就職というものも、偶然に決まってしまった。あそこで哲学というものもあったかもしれないが、そんな世界は近くになかった。

 会社に入ってからも、考えているだけで、何の苦労もなしに、成果につながっていった。ある意味では考えていればよかった。周りが動いてくれた。だから、「宇宙人」と言われた。お前は考えていればいい。その内容を翻訳して、皆に伝えるといわれた。

 社会とか組織を感じなくてもすんだ。だけど、ここは組織しかない。考えることが無視されている。悪になっています。指示に従うにしても、指示を出すだけの見識を持っていない。考えている人間にとっては、これは不幸です。

 それでも成り立っていく、この組織と社会。だから、組織とか社会を変えるということが一つのテーマになりました。自分編、社会編、仕事編でも。よく考えると、社会は私には存在しないのです。組織の枠も20年前に超えてしまったので、存在しません。年だけは経っていきます。
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