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絶対自由

『はじめてのヘーゲル「精神現象学』より

近代以前、アンシャン・レジームの体制では、世界も人間もすべて「神の被造物」だと考えられていた。しかし、近代の啓蒙思想、そこから登場した「有用性」の思想は、むしろ一切を、人間にとって「有用なもの」とみなすことになる。宗教や王権といった「聖なるもの」の観念すら、人間にとっての有用性において再解釈されるようになる。

「有用性」の思想は、はじめのうちは、事物を「対他的」な有用性であるとみなすが、またこの有用性こそが、事物の「本質」自体(‥自体存在)でもあると考えている。だが、有用性(対他性)はすなわち「自体存在」でもあるという考えは、まだ未熟なものだ。

しかし近代の思想は、一方で「自己」とは何かという問いを推し進め、人間を、自分と他者(や事物)との関係をたえず対象化する「普遍的な認識主体」として理解するところにまで進んだ。近代精神が自らをそのような思惟する「自由な主体」として自覚するとき、これまでの「有用性としての存在それ自体」という概念は、より本質的な仕方で理解されることになる。

すなわち、さまざまな事物はそれ自体で「有用な存在」(自体的かっ対他的)なのではなく、むしろ、人間の意識こそがこの存在対象の二重性を作りだしていたということを、人は自覚するようになるのだ。

さて、そもそも社会制度の権威の実体は、ただ多くの人びとが世界をどのようなものと考えるかという点にしか根拠をもたない(『真実には意識だけが、もろもろの精神的実在と威力が自分の実体をもつ場(エレメント)なのである』。神や王が絶対的な存在ではなく、個々の主体としての人間こそ世界の本質なのだという考えが「有用性」の思想(啓蒙)から育つと、古い身分制度や宗教権威を支えていた幻想は崩壊し、もはや自分を支えることができなくなる。

いまや、個々人が社会や国家のために存在するという考えは完全に逆転され、社会や国家こそ個々人のために存在すべきだ、という考えがはっきりと現われる。なにより重要なのは、このような近代における「主体としての人間」という思想がいったん広範に自覚的となるや、もはや人びとは二度と世界の古い観念に後戻りすることができないということである。

人びとのうちに、「自己」の存在について、また「自由」についての本質的自覚が広がることによって、「絶対自由jの精神が現われることになる「自由」の精神は、「自己」こそが、あるいは「個人」としての人間こそが一切の本質である、という視点から世界を理解する。教会や権威が世界の中心なのではなく、個々の人間こそが、世界の真の主人公であるという意識が確固たるものとして現われる。
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メガネなしの生活

未唯へ

 まあ、それなりに刺激的な生活をさせてもらったから、いいでしょう。どの道、自分の行き方です。

 真っ赤なカーディガンです。よく目立ちます。

 生活編の中にも具体的なゲーム化とコミュニティ化を入れ込みます。

私の楽しみ

 別々に考えたものがつながる瞬間が楽しみです。だから、内なる外へ、内なるものにするために、社会に出て行ったのかもしれない。仕事もよく考えると、つながる瞬間を味わうために、やってきた。

 自分が居ることでつながることで確認する。メリットを受けるのは、つながる連中だけど、私はその瞬間だけです。存在する理由を得てきたのでしょう。

6年前のネットガイド

 2006年のネットガイドラインにこんなことができるのだから、やってくださいというのを載せました。電話は失敗した。それ以外のものは展開まで考えていない。当然、Hにニーズを聞くことも個別でした。それから6年です。発行日を見ると。6月7日です。

メガネなしの生活

 絶対孤立ならば、メガネがいらない。ということで、バス停への道をリストを未ながら、メガネなしで歩いています。人の思惑が関係ない。車は影で分かればいい。どの道、私は相手から見えていないから、何も心配する必要はない

デジタルライブラリ

 ヘーゲルの「歴史哲学」は以前、2回借りて読んでいます。歴史認識のところはOCRしています。本の履歴とデジタルブックとの関係は1万冊記念で行ったが、その後、やっていない。1万5千冊を記念して、行いましょう。

 今までためたものを使っていくこともやっていきます。膨大な資料になっています。

哲学的であるべき

 仕事でも人は哲学的であるべきです。自分の絶対自由のように守るべきものがあって、始めて、仕事が成り立つ。

3年でどう変われるか

 今後3ヵ年では、地域との関係はあまり変わらない。モノつくり、販売と収益で安定した雇用という従来の延長線です。その割には、地域から信頼を得たいと思っている。商品の意識を変えるつもりはない。

 地域はHに期待しているが、具体的な道具に至っていない。ネットワーク会社での個別ニーズを聞き出すことは必要になると感じた。

 3.11の考慮点で、ライフラインの提供は考えているけど、Hにつながっていない。消費者としてのお客様と生活者としてのお客様で期待が異なることは理解されているが、その先がまだない。

 社会で、コンパクトシティ化に触れているが、影響まで至っていない。技術でスマートグリッドという言葉は出てくるが、行政との関係などは出てこない。マーケットも超成熟化している認識はあるが、それ故に何をしたらいいかを考えるのは、3年は短すぎる。
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