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スマートコミュニティとはなにか

『スマートコミュニティの本』より

スマートコミュニティとは、いわゆる次世代送配電網(スマートグリッド)のような、新しい電力制御技術とIC丁を組み合わせた電気の有効利用に加え、熱や未利用エネルギーも含めたエネルギー全体の需要・供給体制の構築、さらには、地域の交通システムや市民のライフスタイルの変革までも幅広く含む、エリア単位での次世代のエネルギー・社会システムの考え方をいいます。スマートコミュニティを実現するには、その目的に応じてさまざまな技術が必要となります。スマートメーターや通信機器、電力機器、これらを制御するソフトウェアを上手に組み合わせて運用することで、例えば不安定なエネルギー源である太陽光発電などの再生可能エネルギーの導入がより安全かつスムーズに行うことができます。また、地域全体でのエネルギーの融通をコントロールすることで街全体として最適な省エネが図られるようにすることも可能です。さらには、大きな蓄電機能を有する電気自動車を交通システムの核にしつつ、家庭用電源としても活用すると災害に強い街づくりに貢献します。

ここで注意が必要なのは、スマートコミュニティには暮らしの快適さの概念も含まれることです。すなわち、我慢を強いたり、享受していた利便性を損なうことは一時的にはあっても長期的にあっては成立しません。スマートコミュニティは、そこに暮らす人、家庭、働く人、事業者が環境とエネルギーに優しい行動を自然にとることが促される街といえます。

日本経済の発展の基盤であるエネルギー供給を、より分散し、かつ安定したものに変革していくことは必要不可欠です。また、少子高齢化社会への対応や、経済活性化を通じた雇用増、すなわち新しい産業の創出を図ることも必要です。

さらに世界に目を転じれば、気候変動問題への対処として他の先進国と協調して少しでも低炭素な社会を築くこと、今後経済成長が著しい新興国のエネルギー制約を解除し、共存共栄の環境に優しいグローバルな社会を形成することに貢献することは日本の外交的使命ともいえます。

こうした我が国を取り巻く課題は相互に関連しており、これをエネルギーとICTを使って同時に解決していくのがスマートコミュニティです。

ここで、どうして「コミュニティ」での取り組みが有効かについて考えてみます。まずエネルギー供給面ですが、今後分散型による安定な体系、すなわち従来よりもより小型な電源であるコージェネや太陽光、風力などを組み合わせて地域単位で需給バランスが取れれば、大規模電源からの送電がなくても停電のない+分な暮らしが送れるでしょう。

また、少子高齢化社会では、地域単位での高齢者や子供のサポート体制やコミュニケーションが重要であり、医療も含めた便利で信頼性の高いサービスの供給がより重要になってきます。

省エネルギーについては、日本のエネルギー消費の伸びは民生部門が主体であることがはっきりしています。このため、例えば複数の家庭やビル単位でのエネルギーの有効利用といった取り組みが重要となります。

スマートコミュニティは、近未来のあるべき社会像を語るうえで非常に重要なまとまりであるといえます。
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経済成長と静止社会

『イギリスの不思議と謎』より

自然と人間の共存にかかわる「経済成長と静止社会」の問題である。

今、日本で一番大事なことの一つが東北の復興であることは言うまでもない。そして復興のためには、停滞する日本経済が成長しなければならないという声が一段と大きくなっている。震災はともかく、イギリスを含めてヨーロッパとアメリカも不況を脱すべく、経済成長を待望する声が高い。はたしてそれでよいのだろうか? この疑問に答えてくれる意外な提案がイギリスから発せられたことがある。一五〇年以上前のこと、人々が産業革命の成果に酔いしれ、さらなる成長を望むさなかに、おごれるイギリス人に冷や水を浴びせる哲学者・経済学者がいた。その名は、J・S・ミル。

ミルは『経済学原理』において、いつまでも経済成長を続けることは不可能だし、望ましくもないと説いた。先進国が間もなく必然的にたどり着く「静止状態」は、嘆くべきことではなく、むしろ喜ばしいとも。増大する人口を支えるためにどんどん自然を搾取して破壊し、何の楽しいことがあるものか。荒廃の中で貧富の格差が増大するばかりの状態より、欲望を抑制しつつかぎられた富の分配を配慮して静止状態に満足し、「生きる技」(art of living)を磨くことこそ、富を求めて競争するより好ましい。

この考え方はミルが『功利主義論』の中で述べた有名な言葉にも通じる。「満足した豚であるより不満足な人間であるほうが望ましい。満足した愚か者であるより不満足なソクラテスであるほうが望ましい」。その理由としてミルが挙げているのは、「尊厳の感覚」が不満足な人間とソクラテスにはあるということである。

ソクラテスは、本当に不満足だったのだろうか? むしろ、自然に生きる動物として限界を知り、分にあった暮らしをすることに充実感を覚えなかっただろうか? これは根拠のない憶測にすぎないが、現代の人類は七〇億を超えて、なお快適さをどこまで追求するべきか? ミルは先進国が「静止状態」に達すると述べたが、はたしてそれは終着点なのか? このままでは人類は絶滅危惧種の仲間入りをしないだろうか? 私たち日本人は震災を機に、人間の身の丈に合う生活とは何かをまず問うべきではないか?

ミルはアダム・スミス以来の古典経済学派の継承者だったから、競争と成長をこそ支持しそうなものだった。逆にそれを批判して静止社会を提案したことは、意外でもあり不思議でもある。けれど私たちがイギリスに見出したいことは、そういう人間的な側面ではないだろうか。

本書で取り上げた「不思議と謎」は、超自然的でもなければ非日常的でもない。イギリス人が日常的あるいは歴史的にかかわってきたものの中にある不思議さと謎である。そういうものをふだん人は当たり前と思いこみ、不思議さや謎が潜むとは夢にも思わないだろう。しかし、いったん不思議に思い始めると、それがどうして今そこにあるか、また過去にそこに現われたか、よけい気にならないだろうか? 少なくとも私はそうだった。

ミルの静止社会の提案をはじめ、本書では書けなかった事柄の中にも不思議と謎、あるいはイギリスらしさがたっぷりある。そういう問題を論じる日が来るかどうかは知らず、読者にイギリスの不思議さを感じてもらえたなら、うれしいこと、このうえない。
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本当のスマートコミュニティ

未唯へ

 食べ放題に、JURさん家族が居ました。幸せそうです。笑顔のある過程はいいですね。

 スタバにFMの季節です。今日は三方を囲まれていた。幸せでした。おかげで、6つも読んでしまった。

スマートコミュニティ

 『スマートコミュニティの本』:出だしは「コミュニティ」を作ると言うことでした。NEDOにしては珍しいアプローチです。行政などとの関係も書かれていた。NEDOの限界です。

 その後は、企業のお先棒担ぎになっている。スマートコミュニティ・アライアンスも企業中心です。真の意味のコミュニティを作る手段の一つにしていきましょう。

 『スマートコミュニティの本』 そこに暮らす人、家庭、働く人、事業者が環境とエネルギーに優しい行動を自然にとることが促される街といえます。最初はコミュニティのことが書かれていた。これなら、企業も参画でs着る概念になる。

 自動車メーカーもOne of themだ参加させるけど、主体は市民によるコミュニティです。それをどう作るのか、技術型の世界も視野にして、お金を出させよう。

哲学で仕事をする

 「哲学でニュースを見る」のはいいけど,哲学で仕事をすることです。生きている理由を常に考えること。やっていることが社会にどう影響するかを考えること。

 今の企業にとっても、その中のサラリーマンにとって、これは重要なことです。組織が変わろうとしている。

断片集

 『踊らされるな、自ら踊れ』の断片集だけをOCR化しました。3.11以降の断片です。こんなものを本として出して意味があるのか。リアルタイムのツイッターなら、少しはヒントになるかもしれないけど。

 『踊らされるな、自ら踊れ』 断片集のみをOCR化。ツイッターをそのまま、本にしただけ。こんなんでも、いいんだ・・・

 断片の問いとしては、以下のようなものです。「変わるべきときに変われ」「自責の念」「判断停止の甘い囁き」「音楽の力」「中途半端の強さ」「子どもたちの前で夢について語ること」etc.

おいしいお茶の淹れ方

 『お茶のある暮らし』の中に、10人の女子社員が居て、順番にお茶当番をしていた。10日に一回、おいしいお茶が入れられるケースが紹介されていた。気が利く女性のことを指していた。

 私が茶道を始めるきっかけは、ある女性のおかげです。彼女の淹れたお茶はおいしかった。皆と同じものを使っているのに。おいしくなるように淹れていると言うことを聞いて、茶道を始めました。日本的な感覚だけではない。ちなみに、お茶の精神をシステム設計にも流用した。

うつ病の本

 うつ病の本を連続で読んでいた。『「新型うつ病」のデタラメ』『うつ病になっても会社は辞めるな』です。うつ病を見ていると,組織への依存を感じます。

 自分のミッションを実現する過程には、欝は関係ない。自分の内部にモノを作っていくかです。だけど、死にたい気持ちはわかります。楽だから。

 うつはケースで述べることが多いですね。仕事がイヤだとか、きついとかです。元々、仕事を自分で定義するものと思ってきた私には、この感覚が理解しにくい。

 自分の能力を発揮できるところでなければ、下の潜っていればいい。人とは関係ないです。

 夜眠れないと言うことであれば、世界のことを考えなさい。考えることはいくらでもあります。存在だけを考えるから、虚しきなるのです。無から入れば気にならなくなる。
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