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「認識論」の方法の基本的な構図

『はじめてのヘーゲル「精神現象学』より

この緒論は、『精神現象学』における「認識論」の方法のもっとも基本的な構図を示しているところで、とても重要だ。

第一に、ここでヘーゲルは、彼独自の新しい認識論の方法、つまり弁証法的認識論の方法を提示している。人間の対象認識は、決して一挙に対象についての「真」に到達することはない。それは見たように、「真」と「知」という二契機を交替しつつ進むという運動をくりかえす。認識はこの経験の運動に媒介されて、はじめてより高次な認識に進んでゆく。

つまり、こういった認識論の新しい図式を示すこの緒論は、ヘーゲル弁証法の方法をあざやかに示す象徴的な箇所である。

第二に、この弁証法的認識論によって、ヘーゲルは、デカルトやカントによって典型的に示されていた、近代認識論の「主観-客観」(意識-対象)という根本図式を、決定的な仕方で変更している。

なぜなら、「主観-客観」という認識図式は、「主観」と「客観」の一致こそ真理であるという考えを前提し、しかし同時に、「主観」と「客観」は決して一致しないという論理的に解けない難問を生みだすからだ。

デカルトもヒュームもカントもはっきり認めたように、この「主客の不一致」の原理は動かしがたいものであり、まさしくこのことから、「主客」一致の構図は、必然的にその対抗者として、相対主義や懐疑主義を呼び寄せるのである。

この緒論で、へーゲルは、なぜ認識における「主観-客観」図式が、相対主義、懐疑論の「真理の不可能」という袋小路へと進むのか、またこれをいかにして克服することができるかについて、決定的な議論をおこなっている。

つまりここで彼がおいているのは、「主観-客観」という構図ではなく、「主観〈知-真〉」という意識一元論の構図である。分かりやすく言うと、「主観-客観」という対立の構図は、じつはすっかりわれわれの「意識」のうちで生じている対立であることを示したのだ。したがって、「意識〈主観-客観〉」がヘーゲル認識論の基本図式であることが分かる。

「主観-客観」図式への対抗として、相対主義や懐疑主義をおくのは大昔からかこなわれている戦略だが、なにより重要なのは、そうではない根本方法を見出すことがいかに困難かということである。現代哲学においてもまだ相対主義や懐疑論が主流であることを考えると、この問題の意義はきわめて大きい。

つけ加えると、「主観-客観」図式を「意識」の領域に還元するという方法はきわめて根本的なもので、ヘーゲルの後、ニーチェ、フッサール、そして後期のヴィトゲンシュタインがこの構図をとることで、はっきりと相対主義や懐疑主義を超え出ている。ただし、へーゲルでは、その哲学体系の頂点に「絶対精神」という超越項が存在している。このために、ヘーゲル認識論の画期性はその力をそがれていると言わねばならない。
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なぜ、内なる世界を考えたか

未唯へ

 スタバのIさんが居ました。言いたかったのは、悲しみはかくのごとく。

 74.8です。木曜日より、0.7増。また、木曜日減量を目指さないといけない。

 こんなに腹が減っているし、おなかも凹んでいるのに、体重は増えています。土日を経た、月曜日は増えますね。日曜日は歩かなかったことも効いているのでしょう。血圧は測れないから、ウエストだけは測っておきます。

内なる世界を考えたか

 なぜ、内なる世界を考えたのか。割と単純です。

 絶対孤独の世界では、全てが外にあるので、関心がない。社会に関しても、関心がない。そこでおしまいです。それでやってきた。

 環境社会などをやってきて、このままでは社会は持たない。メーカーにも同じ感覚を持っていた。そんなことはどうでもいいという反面、そうでないでしょうということで、内側に入れた。

 外と内だと力関係が出てくるけど、共に内側に入れば、その中で答を出していけばいい。弁証法として、ヘーゲルもそう考えたのでしょう。デカルトのように、外と内では矛盾が出てくるだけで、答が出てこない。

 最終結論からすると、内側に入ると、どうでもいいことになります。殆どの人が生きることよりも、生活することが主になっている。食べていかないとしょうがない。他の人と取り合いしながら、やっていくしかない。その世界の規格がある以上、どうにも変わらない。

 変えていくことが目的ではないけど、幸せになるにはどうしていくかを考えないといけないし、生まれてきた以上、それを考えていかないといけない。そんなところから、内なる世界は生まれてきました。

問われたら、応えましょう

 ものごとを考えるために、自分のスタンスが先に来ます。だから、自分編が第1章です。私は全ての答を持っているだけにしましょう。

ホロン的な表現

 未唯空間の項目を一マスごとにします。それが個人の近傍系そのものです。それがホロン的につながっていく。そのイメージそのものです。その中に多くの事象がある。これは8月下旬までに片付けます。

 ホロン的な項目になったから、それぞれの独立性を守りながら、連係させましょう。その中で言っていることを、それぞれで現実にしていく。現実のところがわかるのは、多分、数学者だけでしょう。それで表現するのは私の役割です。理解するのはそれぞれのところで考えればいい。

ICレコーダーのある生活

 イヤホンでシャットダウンできるものがほしい。つまり、耳を塞ぎます。ICレコーダーからだけの入力にします。

 歩きながら、入力しているけど、車の騒音をかなり拾います。やかましいですね。大きな声を出しましょう。「胸ポケット」モードに戻しました。ただし、口は近づけます。

 30分掛かって話したことをOCRにしたけど、なかなか大変です。ICレコーダーのイージーサーチを設定しました。これはパソコンからの操作にしても一緒です。忍耐力で対応します。それにしても、同じことばかり話していた。それを除去したら、私が言いたいことが見えてきた。

 町は騒音に溢れています。わき道に入りました。音が少なくなる。住宅地ですね。歩くのは静かな道を選びます。

 ICレコーダは自分で聞いていても、思わないことを言っています。それと人の言うことを聞いていない。すぐに被せています。これは次回は気をつけましょう。

Hネット企画

 Hの企画もローカルとグローバルで考えれば、単純になります。ローカル自体で動き出せば、グローバルは支援すればいい。

ネットワーク会社の進め方

 ポイントとしては、流れができていない。一律展開するものに対して、個別展開するものをつくる。個別に作り上げていく。ネットワーク会社の付加価値を求める。判名売店のニーズの吸い上げ。ありモノを適合させる。本来の仕事の関係として、拡大か逸脱か。管理部署の先鋒としての位置付け。

頭にうかんだこと

 この最近、未唯に話し掛けることが少なくなっています。ぼやいているだけです。建設的にしていきましょう。

 だけど、頭に浮かんだことを、そのままiPadなどに入力することはできない。朝、2時半からの入力もなかなか大変だった。音声の速さと頭の早さはシンクロで来ます。

Think Locally

 Think Locallyが今後、大きな点なんでしょうね。ここでのThinkが本当に真剣なものになっていけるかどうかです。Think LocallyとAct Locallyでトーカルを完結させてしまうということ。

 Think Locally、Act Locally、Think Globally、Act Globallyの4つの言葉の中に、全てが入っている。意味合いは考えていくとドンドン変わってきます。そう変わってくれば、いいんです。変わってくれば、それは本物です。真理に近づいています。

 Think Locallyのローカルの単位は地域というものもあるけど、最終的には個人です。個人がどこまで考えられるのか。その考えをいかに行動に移すのか。

ヘーゲルの本

 ヘーゲルの抽象的な言葉を本として手に入れておきましょう。カントもそろそろ、取り掛からないといけない。長丁場です。だけど、インスピレーション化してあるので、少しは楽です。実務的なこと、パートナー的なことから大きく外れていきます。
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