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知っておきたい降圧薬の知識

『高血圧の最新治療』より

高血圧の治療のために降圧薬を飲む場合は?

 血圧を下げて、脳や心臓の障害を予防するのが目的

 高血圧の治療は、まずは日常生活、食事の改善と運動の習慣化から始めます。しかし、これらの方法で血圧が下がらない場合は、医師の診断によって降圧薬を飲み始めることになります。

 降圧薬投与の目的は血圧を下げ、脳や心臓、腎臓などの臓器障害の進行を予防することです。

 降圧薬を使い始める時期は、生活習慣の改善後、リスクの度合いによって違います。

 高リスク群の場合は、診断後、ただちに降げ薬による治療を開始します。

 中等リスクのグループでは1ヶ月程度、生活習慣の改善を行い、経過を見ます。それでも140/90mmHg未満に下がらない場合に降圧薬治療を始めます。

 低リスク群ではもう少し長い期間、3ヵ月ほど生活習慣の改善を試み、それでも下がらない場合には降圧薬治療を開始します。

 降圧薬には市販の薬はありません。必ず医師の処方によって服用します。降圧薬にはいくつかの種類があり、初めに使用する薬はカルシウム措抗薬、ARB(アンジオテンシンⅡ受容体措抗薬)、ACE阻害薬、利尿薬、β遮断薬のいずれかです。これらのうちから個人の病態や症状に合わせて降圧薬を処々するわけです。

最初に出されることが多いカルシウム桔抗薬

 狭心症や不整脈の薬として開発され、その後、降圧作用を発見

 カルシウム桔抗薬は、もともと狭心症や不整脈の薬として開発されたものです。その後、偶然、降圧作用が発見され、現在では降圧薬として最も多く使われています。

 動脈の血管壁の平滑筋にカルシウムイオンが流れ込むと、血管の平滑筋が収縮します。すると血管が細くなり、血圧が上がります。カルシウム措抗薬は、このカルシウムが流れ込む細胞の〝穴〟にはまり、細胞内へのカルシウムの流入を防ぐことによって血管の収縮を抑え、血管を広げて血圧を下げます。 末梢の血竹だけでなく、心臓の血竹も広げる働きがあるため、狭心症にも有効な薬です。

降圧効果が最も高いジヒドロピリジン系

 カルシウム措抗薬は構造と作用によっていくつかの種類がありますが、降圧薬として使われているものには、ジヒドロピリジン系とベンゾジアゼピン系があります。

 ●ジヒドロピリジン系

  現在使われている降圧薬の中で、降圧効果が最も高い薬です。日本で最も多く使われています。動脈を拡張させることで降圧作用をもたらします。

  また、臓器の血流が保たれるので、臓器に障害がある場合や高齢者にもよく使われます。

  副作用は、頭痛、動悸、頻脈(心拍数が増加している状態)、顔のほてりや足のむくみなど。しかし静脈は拡張させないので、立ちくらみなどは起こしにくい薬です。

 ●ベンソジアゼピン系

  ゆるやかな降圧作用を期待するときに処方されることがあります。ジヒドロピリジン系と異なり脈拍を抑える働きがあり血管よりも心臓に強く作用する薬です。

  副作用は徐脈(不整脈の一種)や、まれに房室ブロック(心房と心室の間のパルスの伝達障害)が起こることがあります。

降圧薬はやめられる? 一生飲み続けるの? という疑問に答える

 血圧の数値の安定と生活習慣の改善が鍵

 降圧薬を服用している人にとって、最も気になることの一つが、一生、飲み続けなければいけないのか、ということではないでしょうか。

 できれば薬は飲みたくないというのが、ほとんどの人の本音だと思います。しかし、「薬をやめられるなら脳卒中や心筋梗塞を起こしてもかまわない」という人はまずいないと思いますので、安易に降圧薬の中止を希望しないでいただきたいと思います。

 血圧が高い状態というのは、そうした病気の可能性が高まる状態であり、薬をやめて血圧が高い状態になるのであれば、やはり薬をやめることは得策ではないといえるでしょう。

 でも、ご安心ください。すべての人ではありませんが、なかには、薬をやめてもよい人がいます。それは、以下のような場合です。

  ・脳や心臓、腎臓などに障害がなく、令併症の心配もない

  ・生活習慣の改善が進んでいる・飲んでいる薬が一種類で、血圧が安定して低めである。外来血圧でいえば、120/80mmHg未満である

 このような人は、食事や運動などによる生活習慣の改善がうまくいき、血圧のコントロールに成功しているといえますので、降圧薬を中止できるケースがあります。

 ただし、薬をやめられた人であっても、再上昇しないとは言えません。家庭での自己血圧測定を必ず行い、血圧の再上昇がないことを確認しましょう。生活習慣が乱れると、再び血圧が上昇し、降圧薬のお世話になるということもあります。
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現代社会と企業組織

『よくわかる現代経営』より

 ①個人と組織体との関わり

  現代社会において、若年層は教育を受けたのち、企業や各種組織での仕事に就く。なかには、自分で会社を創業する者、地方自治体や政府の公務員として働く者、さらに教員になる者、NPO法人で働く者もいる。どのような仕事を選ぶにしても、何らかの組織体のメンバーやリーダーとして働くことになる。ただし、学生の間は、在学中に学資を得るためのアルバイトとして、外食チェーン、コンビニ、テレビ局などで働くこともあるかもしれないが、その場合はある組織体の一時的なメンバーとして働いている。また、学生が大学に通学するには、電車やバスを利用するが、それらの電車やバスは、鉄道業、バス業界に属する企業組織体によって運営されている。さらに休日には、テーマパークやシネマ・コンプレックスなどへ遊びに行くであろうが、そのような施設も企業組織体によって運営されている。このように個人は、仕事を得るにも、通勤や通学にも、あるいは余暇の遊びにおいても、組織体を活用している。個人の生活にとって、組織体の活動は必要不可欠なものとなってきている。

 ②様々な組織体の生成と活躍

  現代社会では、ビジネスの領域だけでなく、行政、大学、病院など、様々な領域で大規模で複雑な組織体が活躍している。このような事態は、組織革命と表現されるが、それは何か原因で生じたのであろうか。まず、第1の原因は、複数の人々が協力して物事に取り組むことにより、1人ではできないことが実行できるという集合的合理性のためである。第2の原因は、組織体で活用する技術の関係で本来、大規模な取組みが必要とされることが多いが、より大規模化を可能にするような通信技術を始めとする各種の技術変化が生じてきたためである。さらに第3の原因は、高度に発達した社会を生成させ、維持・発展させていくには、様々な機能が必要であり、そのため、種々の分野で、それぞれの機能を果たすための組織が生じてきているからである。社会の発展のためには、様々な機能についての分化、すなわち、機能的分化が必要なのである。例えば、社会の存続と発展には、経済的な生産・流通・消費に関わる機能の遂行がまず必要であるが、文化を育み、健康を増進する機能も必要である。さらに法律や行政の仕組みによって、紛争や対立を調整する機能も必要である。ただし、それぞれの機能の効果的な遂行には、組織体の活躍が有効なのであり、このように機能的分化が求められる結果、各分野で大規模で複雑な組織体が形成されてきている。なかでも企業組織体は、その利用可能資源や情報・知識を活用して有用な製品・サービスを作り出し、社会に貢献しているといえよう。

 ③組織体の活動をサポートし、活性化する仕組みとしての市場

  組織体は、製品やサービスの提供を自社だけで行えることはまずない。そのためには、他組織体のサポートが不可欠である。そのサポートには、原材料・部品の提供、電力・ガスなどエネルギーの提供、販売チャネルの提供などがある。ただし、そのようなサポートは無償で得られるのではなく、それを提供する業者をみつけ出さなければならない。必要な各種サポートについて、最も効果的と思われるものをみつけ出し、取引することを可能にするのが「市場」という仕組みである。ただし、市場を通じて、そのようなサポートが安定的かつ効果的に得られないとき、企業組織は当該領域を自社で相当しようとする。自社の得意分野や戦略的に重要な分野については自社が担当するが、他の多くの分野については、市場を通じたサポートの確保を行うのである。また、企業組織は、自らの製品・サービスの提供においても製品市場の仕組みを通じて販売先をみつけ出す。その市場においては、活発な競争が行われ、よりよい製品・サービスの提供を行うようにさせる圧力が作用している。そのような切磋琢磨の刺激のはたらきを備えた市場という仕組みを通じて、組織体は様々な分野でのサポートを得ながら、自社の製品・サービスを改善して、販売先を確保しているのである。

 ④社会による組織体の規制

  企業が効果的に分業して、生産を行い、市場競争していく場合、様々な社会制度によって枠がはめられる。例えば、企業組織が従業員を雇い入れるには、労働基準法、労働組合法、労働関係調整法などの労働関係法規の遵守(コンプライアンス)が必要である。また、企業は、ライバル企業との激しい競争をできれば避けたいと考え、競争制限のための企業間で締結する協定(カルテルなど)への誘惑に駆られることもあるが、そのような競争制限的行為は、独占禁止法によって禁じられている。このように、企業の活動は、法律によって規制されているだけでなく、社会に内在する文化や伝統によっても規制されている。例えば、わが国では、ライバル企業の製品を攻撃し、自社製品の優越をアピールするような攻撃的な広告は風土に合わないとして敬遠されている。現代社会において、企業は、社会から規制を受けつつ、活動を行わなければならないのである。
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ブリュッセル計画

未唯

 歩いて、豊田市までいきます。ウエストを下げるためです。

ブリュッセル計画

 HISでブリュッセルのカタログを貰いに行きます。昨日、ネットで見つけた案で、奥さんとも一応の合意が取れました。

 奥さんは在留の友達とクルマで遊びに行くことになります。私はヨーロピアンパスです。ブリュッセルを基点で、どこまで行けるかをクック時刻表で確認します。

 5月にハワイに行ってきたばかりなので、秋にしたい、ということで、9月にすることにした。私は、日本には居たくないので、早く行きたいけど。

 最低でも4日間居るためには延泊になります。スーペニアクラスで1日2万円です。多分、6日間になるでしょう。

 HISのプランはザックリしています。航空券とホテルとタクシーの送迎だけです。タクシーの送迎を在留の友達にしてもらうと、航空券とホテルだけになる。二人だと、パックの方が安いです。それと燃油サーチャージが込みなので、リスク回避できます。

 8月末までに、未唯空間を完成させます。帰ってこなくてもいいようにしましょう。

 HISをやっと見つけた。新豊田の駅の近くは閑散としている。土日は11時からです。

個人が変わることで社会が変わる

 歩きながらのテーマは個人が変わることで社会が変わるということです。池田さんによると、個人が変わるためには考えるようになることです。周りの人と見ていても、あまりにも考えていない。考えるとしても何を考えるのか。

 生きるというのはどういうことかを考えることらしい。生きるとは、生活ではなく、存在です。生存ではなく、存在だそうです。

 まあ、それもあるけど、ゆっくり歩いて考えましょう。頭に浮かんだものを出していきます。

 考えるとは何かの結果としての未唯空間を示すだけでお終いになりそうです。そこまでできれば十分、責任を果たしたことになります。

 歴史からすると、個人の存在の意味が変われば、認識が変わっていく。最近まで、生活だけで、存在を考えることはしなかった。ギリシャ・ローマ時代は奴隷制度のお陰で生活にゆとりができたので、ソフィストが存在できた。そこで存在を考えていた。その後は、生活に囚われてきた。技術と平和で、存在を考えられるようになった。

 次の世界は存在を考えて、社会を作っていくことになる。個人が主体で、考えることが主体の世界です。今のように、恰好つけたり、束縛されて、仕方がないというカタチで依存している。

 自分の中の余分なものを捨てれば済むのに、余分なことをやっている。金を儲けて、車を買って、それでどうするのか。車をシェアすることで、余分なものが減ります。ローコスト・ローエネルギー社会です。

 個人が考えられるようにするために、コミュニティが必要なのかどうか。個人が考えるための道具立てをしていく。それはライブラリに繋がっていく。地域の活性化があって、個人の活性化が達成できるというシナリオでしょう。

個人の近傍化のイメージ

 数学の点の近傍を拡張した、個人の近傍化のイメージが一番、近いかもしれない。点に繋がるための接触点を周りに付けると同時に、点に対して、全体との位相を合わせる。全体との位相合わせというのが、「考える」というところです。

 点でそういうカタチで持てば、触手で、近くの同一価値観をもった人と近傍を作り上げることができる。その時に、合わない人は特異点として除去できます。その近傍系で、他の近傍系をチェーンでつながります。それは両方の近傍系を共通の人がつなげていくカタチです。Facebookとも似ています。

人が変わる要素

 人が変わる要素があるのか。今のやり方では、政治とか教育では変わらないです。『ハーバード白熱日本史教室』の北川さんのような歴史観に則り、ワークでの展開を図るやり方なら、考えられる可能は出てきます。

 一番変えないといけないのは、歴史認識でしょうね。現状をあまりにも知らない。だから、先も知ろうとしない。生活は見ているけど、存在はみていない。生きることを考えていない。やはり、ここに戻ります。

Facebookの本

 『Facebookバカ』の本を予約して借りたけど、役に立ちません。友達の居ない、私には関係ないことばかり書かれていた。

 Facebookでバーチャルコミュニティの道具にしていきましょう。具体的にはバーチャルエコットです。iPadでボランティアの戦力化を図ります。それで考えられることができるのかを考えると、ライブラリがポイントになります。

 Facebookで会社と大学名を入れたけど、私に帰属意識がありません。そんなところから友達がわかるのかな。

 誰を信頼しているのか。今は哲学者ぐらいしかない。考えている人しか信頼しません。

 考えている人以外、友達はいません。
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