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クルマはパソコンと異なる特異性を持つのか

未唯へ。今日も岡崎市立図書館・老人ホームと回ったのですが、ICレコーダーを持っていくのを忘れました。思いついたことをすぐ忘れてしまいます。運転しながら、モノを考えることが多いので、ICレコーダは本当に便利な道具です。

この最近、忘れ物が多いですね。心の中を軽くしたい願望が表れかもしれません。老人ホームの母の部屋で、無印で購入した、筆ペンでメモを作成していました。これも超アナログの一環です。

スタバで、個人用のデジタルライブラリで、『製品開発力』537.09フジを読み込んでいました。この間の「電気自動車になったら、社会が変わる」という仮説への反論を見つけました。パソコンと異なり、クルマには特異性があるという論点でした。以下、抜粋です。

統合型製品開発力の構築は続く

 改良された将来の電気自動車は、機構部分が簡素化され、急速にモジュラー化する可能性がある。世界の自動車産業を一気にモジュラー・アーキテクチャの世界、さらにはコモディティ化の世界に引き込む力を持っているのだろうか。
 筆者は、そう単純にはいかないと予想する。モジュラー化が即、急激な価格低下につながった多くのデジタル財とは異なり、自動車は、簡単にコモディティ化できない特性を持っている。
 電気自動車の場合、仮にモジュラー化はしても、電池が高額な希少金属を含む材料費の塊であり、したがって変動費の占める比率が大きいため、モジュラー化と大量生産により価格が一気に数分の1になる、といった事態は、当面考えられない。
 パソコンなど電子機器からの安易な類推で、自動車がモジュラー化、コモディティ化し、電気自動車や新興国の低価格車が世界を席巻するといった過剰反応的な言説に振り向される必要もない。必要なのは、設計論、ものづくり論の基本に立ち戻った、冷静な議論である。

電気自動車で一気に変わると、私は言っているのではなく、今のような「作る」「売る」が主体では、クルマのバリエーションが増えてきたときに、対応できないと主張しています。早く、お客様と一緒になって、「使う」「聞く」に重点を移す必要があります。

あくまでも、製品開発力だけにしているけど、製品開発とモノとの分離ができる可能性が十分にあります。そうならないことを願っている気持ちはわかるけど。中心が変わると一気に変わることはあります。
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