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「未唯への手紙」の「数学」の四巡目 新しい数学 その1

未唯へ。「未唯への手紙」の中の「数学」編の最終ステージの中間報告です。あなたには、「数学者」になって欲しかった。
そのために、私にできることは何かを考えました。その時に思いついた一つが、数学者になった“あなた”に考える素材を渡すことでした。私が得た知見をあなたに渡して、新しい数学の理論を作り出すことに役立ててもらおうというものでした。
この「数学」編は素材提供というよりも、新しい数学のカタチを自分なりに考えてみました、というものです。「未唯」的な人に叩き台として使ってもらいたいのです。
ここはまだまだ消化不良です。そう簡単には“新しい数学”はできるものではありません。だけど、数学という強力は武器を使っていかないと、環境問題などは解決できないと信じています。
なぜ、「先が見えてない」のかを考えました。日本の政治も見えません。環境問題にしても、人口問題にしても、エネルギー問題にしても先が見えません。会社の中にしても、先が見えてきません。
この日本社会を「文科系」が支配しているからだと思っています。かれらは、ローカルでしか、ものごとを考えることができません。
理科系の発想は本質を求めるので、グローバルな視点とローカルでの行動を行います。どんなミクロなことをやっていてもマクロを考えてしまいます。
中国が変化したのは、北京大学[文科系]出身者が文化大革命でパージされて、精華大学[理科系]出身者に変わったことが大きく寄与しています。理科系は社会現象をハッキリ、捉えます。対アメリカ政策も、文科系は「中国3千年」に拘るが、理科系は「いいものはいい」で、どんどんアメリカに出て行きました。『中国の人的資源』334.32テイを読んでいても、人口問題・エネルギー問題・環境問題に対して、理科系のスタンスで解決策を見つけようとしています。
その後に、文科系が出てきて、アメリカのグローバル(ウォルマートなど)に、中国のローカルを売ってしまった。
理数系のいいところは本質的なところを中心にしていくことです。枝葉はほとんど関係しないということです。その意味では「知の世界」に近いものがあります。これを新しい数学の基本とします。
次に、「超アナログ」思考について述べます。社会を変えるために、デジタル思考を超えていきます。ITでは、デジタルの道具を使っているけど、「超アナログ」の世界に持っていかないといけません。
デジタルな世界は分かりやすいけど、皆を説得しようとするとリテラシーが必要だし、差別化の元になる。皆がわからないと、社会は変わりません。
アナログがいいのは、リテラシを求めないことです。そのために、プルからプッシュに持って行く、探しに来るのではなく、渡していく、取り組みのではなく、入り込む世界を創りだすことです。それでデジタルを超えていくということです。これは、ポータルからの知見で手に入れました。
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