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今日から洞爺湖サミットです。歴史は変わるか?

未唯へ。今日も暑そうですね。今日は七夕です。東富士の時には、七夕の笹の木、クリスマスのモミの木などを取りに行ったことを覚えています。裾野の周りには自然が一杯ありました。

洞爺湖サミットです。そろそろ歴史を変えないといけないが、どういう世界を目指すのかのイメージがなかなか出てこなくて、数字だけの世界です。

枝廣淳子さんのダイアリーブログを見ると、昨日のうちに札幌に入ったみたいです。10mごとに警官が立っている厳戒体制のようです。インターナショナルNGOでのディスカッションに登壇するようです。ダイアリー(http://www.es-inc.jp/edablog/diary/index.html)を見ると、何度も札幌に足を運んでいます。日本というローカルな立場から、世界というグローバルが何をしないといけないのかを述べてもらうように期待します。言いたくても、その機会がこない人は多くいる。

だけど、キムタク総理のラス前の放映が今日というのも面白いですよね。changeを求める国民に対して、自らの権力を求める体制を描き切ったものにしてほしいですね。今までのところ、キムタク総理を通じて描かれているのは、ローカルのためにグローバルを使い切ることが国民の幸せにつながるということと、それがいかにグローバルの権力を脅かすかを描いている。

それを各国首脳が9時から一緒にテレビを見た方が、歴史に対する政治の役割がハッキリすると思います。この間の英語版のニューズウィーク?に、福田総理とキムタク総理の顔が並んだものが表紙になっていたので、ブッシュ大統領はこの番組の存在を知っているでしょう。

図書館戦争での検閲制度ではないけど、マスコミの自主規制は働くでしょうね。ロシアのジョークで、「スターリンはきちがい」と外人に話して、捕まった人の罪状は「侮辱罪」ではなく、「国家機密漏洩罪」であったように、「国の恥」を表に出さないのは日本人の心情とかの論理が働くでしょう。タブーはなくさないと、歴史は変わらない。枝廣淳子さんには、ローカルを代弁して、グローバルに要求してほしい。

私は低炭素化とか環境だけでなく、社会の循環のカタチをイメージすることに専念します。そのためには「未唯への手紙」で扱う歴史観を言葉と同時にイメージ化しないといけません。表現する手法自体も変えましょう。
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