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過去に経験したことがつながっていくのは狭い世界にいるのか、偶然か

未唯へ。このブログを書いてきて、過去の色々なことがつながっていくことを感じています。過去に経験したことが、このように有機的につながっていくのが不思議です。このつながったものを自分の中で昇華するだけで、サファイア循環を作り出しています。もっと多様な世界があるとは思います。

本とかテレビとかから、大量に情報を入れながら、サファイア循環を試しています。新聞とインターネットの世界は膨大すぎるのと、あまりにも論理性を持っていないので、関心はありません。

もっと、多くの経験を積めば、もっと多くの見識を得られた気もします。100億年にたった一度の「人生」としては“もったいない”気がします。だけど、少ない情報で全体を構築する訓練にはなりました。

枝廣淳子さんのように、英語ができて、レスター・ブラウンのような人とコミュニケーションできれば、もっと多くのことを知ることができます。

図書館にしても、アメリカとかフィンランドの図書館だけでなく、公共図書館発祥の地であるイギリスとか、素晴らしいと言われたハンガリーの図書館、愛知万博で知ったリトアニアの図書館に行き、その文化の本質を知りたい。

また、この会社で偉くなって、自分のシステムとか思いを、多くの人に使ってもらう(これが一番、難しい。上に行くほど、実現性がなくなります)

その一つの憧れがデカルトの人生です。大学で学ぶものがなくなったときに、彼は放浪を開始しました。色々なものを見て、考え、ディスカッションしました。そして、囲炉裏の前で「真理」を見出すのです。

だけど、そんな生活をして、得られても、それ以外にこんなこともしたかったとデカルトが考えたであろうか? 多分、かれは一つの道で存在を賭ければよかっただけかもしれない。

時間に対しては、皆平等なんです。「おしごと」で時間をつぶしてもいいけど、一番はやりきったかどうかです。その充実感が足りません。ずっと考えていればいいのではないけど、やり切れるかです。

私の場合は人にふることはできません。なぜなら、自分の中に入れ込むものだから。多くの人を知っていなくても、友達がいなくても、自分が好きな人がいることで、情報は得られるものです。フルートにしてもお茶にしても、全てが「偶然です」。その中の共通項は好きな女性の存在です。「未唯への手紙」もそうです。
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