みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

どうしても伝えたいこと

2020年11月06日 | エレミヤ書

エレミヤ書 36章1−20節

「ユダの家は、わたしが彼らの下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪を赦すことができる。」3節

 この時期にはありがたい晴天が二日ほど続きました。陽が差し込んでぽかぽか気持ちの良い室内。そのつもりで、夕方外に出ると、寒かったです。太陽が沈む頃になると急激に気温が下がります。

 昨日書きましたが、「みことばの光」の本日の箇所には誤りがあります。冊子を用いておられる方は、14頁9行目の「ここからは、ゼデキヤの時代である」を削除してください。まことに申し訳ありません。

 1節にエホヤキム王の第四年とありますので、エルサレム陥落はまだ先のこと。この時に神はエレミヤに、ご自分のことばを書き記すようにと命じられます。預言者エレミヤは主の宮で神のことばを伝えてきましたが、「私は閉じ込められていて、主の宮に行けない」とバルクに言っていることから、エレミヤが主の宮で語るのを禁じられていたとも考えられます。

 主はそれでも、人々に伝えなければならないことばをエレミヤに託されました。そのために主が用いられたのは、書き記させてだれかが主の宮で語るということでした。どうしても主が民に語らなければならなかったわけは、悪を行っているユダの家が「悪の道から立ち返るかもしれない」そうすれば、主も彼らの咎と罪を赦すことができるからだというのです。

 神にはどうしても伝えたいことがあると、ここから教えられます。それは、ここでエレミヤに託し、エレミヤが口述によってバルクに書かせ、主の宮で読んだことばはもちろん、聖書全体がそうなのだということに、改めて気づかされます。


お詫びと訂正


明日11月7日の「みことばの光」には、編集者である私の錯誤による誤りがあります。「みことばの光」エレミヤ書の解説を書かれた松原智師と読者の皆様にお詫びいたします。

冊子をご使用の方は、次のように訂正をお願いいたします。

 1)11月7日 エレミヤ書36章21-32節 16頁3行目

「ゼデキヤ王」を「エホヤキム王」に訂正をよろしくお願いいたします。

なお、PDF版の「みことばの光」については、修正版を送らせていただきました。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki