みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

心を翻す王

2020年11月04日 | エレミヤ書

エレミヤ書 34章

「それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚した。」16節

 日本で長い間福音のために労しておられたスイス人宣教師夫妻を描いたドキュメンタリーを観ました。先生には神学校の時にドイツ語を教えていただき、当地に来てから夫人にお目にかかりました。「ダマリス〜蒔かれた種、結ばれた実」という作品です。 https://youtu.be/dXpks2OlVvQ

 34章は、バビロンに攻め込まれてユダの町々、そしてエルサレムが危機に瀕している様子を描いています。7節に登場するラキシュ、そしてアゼカはエルサレムの南西にある城壁のある町。ここが落とされたらエルサレムの落城は目の前だと言われていました。

 そのような中で主はエレミヤによって、ゼデキヤ王に「平安のうちに死ぬ」と語られます。バビロンがエルサレムに迫った時に、ゼデキヤ王は奴隷の解放を宣言します。主はゼデキヤがご自分の目にかなうことを行ったので、「安らかに死ぬ」とのことばを届けられたのです。 

 しかし、バビロン王はエジプトが北上したと聞いて一旦エルサレムの包囲を緩めます。ゼデキヤはその機に乗じて奴隷解放の契約を撤回します。それは神との契約を踏みにじることでした。

 ゼデキヤに限らず、機会を捉える、あるいはもっと縮こまった表現では、空気を読むなどということがあります。自分の周りの状況によって対応を変えるということです。だからといって、だれかとの大切な約束や契約を反故にしても良いということはありません。

 だれとの関係、どのような関係を最優先にしているのかは、信仰者がいつも自分に問うべきことなのだということを、ゼデキヤの姿から考えます。


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