サムエル記第一 7章
月曜日、昼ご飯を買いにいつものスーパーに。お肉売り場でSpießbraten(焼き豚)をパンに挟んでもらっていたら、隣では日本の方がお肉を薄く切ってもらっていました。肉屋さんや肉売り場でお肉を薄く切ってもらっているのは大抵は日本人。私たちもその一人です。ご挨拶をすると、「公園でお目にかかりましたね」と一言。あ、そうだった! 嬉しい出会いでした。
イスラエルに戻った神の箱は、キルヤテ・エアリムの祭司アビナダブの家に20年安置されていました。イスラエルにとって大切な20年でした。サムエルは、この間イスラエルで、預言者、そして士師として人々を教え裁いていました。2節後半には、「イスラエルの全家は主を慕い求めていた」とあります。目には見えない,けれども神の民として欠くことのできない大きな変革が民の間に進められていたのです。
神に立てられた一人が、自分の務めを神の前に忠実に行っていくことが、一つの国を変えていくのです。たとえ小さなことでも、このようにすることができたらきっと何かが変わるのではないかとの、望みを持つことができます。
そして彼らは、これまで散々苦しめられてきたペリシテとの戦いに臨みます。イスラエルの民にとって、戦いの備えとは兵力ではないのです。勝利は神への信頼にかかっていることをも、この箇所は教えています。
小さな教会がこの夏の大きなことのために準備をしています。目に見える準備の前に私たちがなすこととは何かについて本章は教えてくれています。