ルツ記 1章
日曜日には、当地から200㎞ほど離れたケルンにある日本語教会の棕櫚(しゅろ)の聖日礼拝に出席しました。道路の渋滞もなく開始1時間ほど前に着くことができたので、近所の緑地帯を散策。歩道の両脇にあるのは桜の並木ではありませんか! 🌸 東京の桜が満開だと報じられていましたので、余計に1本1本の桜の木に愛着が湧きます。あとで聞いたら、八重桜だそうで、あと一か月ほどで満開になるとのことでした。
「みことばの光」では、きょうからルツ記を読みます。「ルツ記を読む前に」が書くように、この書の背景はイスラエルの「暗黒時代」とも言える士師の時代です。歴史の表舞台に名を残すことなどありえない、ベツレヘムに生きる小さな家族がききんのゆえに、異教の地に行くことからこの話は始まります。夫が死に、息子たちが結婚し、その息子たちが死に、自分と嫁たちが残される…。どこにでもあるような、家族の出来事です。
しかし、家族が経験する喜びや悲しみを、ナオミは「主がなさったこと」として受け止めます。
ナオミは、「主の御手が私に下さった」「…私を素手で帰され…」、「…私を卑しくし」、「つらい目に会わせ…」とも言っています。しかし、主をうらみ、さらには信仰を捨ててしまったということではないのです。
彼女が嫁たちと連れ立ってベツレヘムに帰ろうと決めたのも「主がご自分の民を顧みて…」くださったからです。ナオミが嫁たちにモアブに戻るように促す時にも、「主が恵みを賜り…」「主がしてくださるように」と語ります。
どのようなことにも主を認めることのできる恵みに感謝します。