詩篇 11篇
本篇は「主に」ということばから始まります。ほかの何かではなくて、「主に」身を避けるのだということが強調されています。
1節にある「あなたがた」がおそらくダビデの友人でしょう。きょうの「みことばの光」は、敗北主義者、悲観主義者だとしています。大変なところにいるときに、助言をしてくれるともを持っているのはありがたいことです。家族も親身になって心配してくれます。
ダビデもこの時、彼のいのちを狙って矢が放たれようとするようないのちの危険にさらされていました。ダビデの生涯では、王になる前にサウルにしつこくいのちを狙われていた時と、我が子アブシャロムの謀反に遭った時のことを想像します。ダビデのことを気遣う人々は、逃げるようにと促します。彼らの理由は拠り所が壊されたのだから、正しい者であっても何もできない、正しいことが何の役にも立たないのだというのです。
3節で「拠り所」と訳されているのは、土台や基礎を表わすことばなのだそうです。国の土台、生活の土台とは、為政者が正しく国を治めて、正義が生活の中に染み渡ることでしょうか。しかしダビデの友人たちは、ここではそれが壊されたのだから、危ないから逃げるのだと勧めるのです。
けれどもダビデは頭を縦に振りません。主を拠り所としているからです。主は人の心の奥にあることまで見通して調べ、正しいさばきをなされるのだと信じているのです。
しかし本篇は、どうせこの世界に正しい拠り所を求めても無駄なこと、だから早く神さまのところに…と勧めているのではありません。逃げないで、今ここで真の拠り所なる主に信頼せよと問うのです。