創世記 36章1−19節
この箇所には、ヤコブの兄エサウの歴史が記されています。創世記では、家系を記す際には、まず傍系が記され、次に直系が記されます。ここでは、36章1節に「エサウ、すなわちエドムの歴史である」とあります。神の祝福はイサクからヤコブへと受け継がれますので、エサウの家系は傍系です。それから37章2節に「これはヤコブの歴史である」と出てきます。これは直系です。
ヤコブに祝福を奪い取られて激しく憤ったエサウが、20年の歳月が流れたとは言え、ヤコブを赦し受け入れ、「一緒に行こう」と勧めるのを読むと、エサウの人の良さのようなものが伝わってきます。顔と性格とは一致するものではないのはわかっていても、何となくこんな顔をしていたのではないかと、想像してしまうのが、私にとってのエサウです。
それとともに、なぜ聖書はヤコブの家系だけでなく、エサウの家系にもかなりの分量を割くのだろうかという素朴な疑問も湧いてきます。そして、それはエサウに限りません。傍系の家系にある人々は、直系の家系のいわゆる主人公の引き立て役や敵(かたき)役にということではないでしょう。
このことについて、榎本保郎牧師は「聖書が告白する神は、全世界、否、全宇宙の神であるということ…。神にとってはどうでもよい者は一人もいないのである」と説いています。選ばれた者だけが神に顧みられると思いがちな私たちの狭い心に気づかせてくれるのが、このような記述なのかもしれません。