みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

昼も夜も、神に仕えている

2012年11月29日 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録7章


 今日は、昼前から教会の墓地で昨年同日にお亡くなりになった方の記念会が予定されています。小春日和の中で、穏やかな会が持たれるのでは…と期待しています。

 小羊が第六の封印を解いてから第七の封印を解くまでには、しばしの間があります。その間に、様々な患難を通されてきた「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆」が御座と小羊とに礼拝をささげることが描かれています。
 天上の礼拝を垣間見ることができるのですね。

 「みことばの光」では、「数えきれぬほどの大勢の群衆」について四つのことが語られているとします。
 1)大きな患難から抜け出てきた者たちであること。
 2)その衣を小羊の血で洗って白くしたこと。
 3)聖所で昼も夜も、神に仕えている。
 4)御座に着いておられる方が、彼らの上に幕屋を張られる。

 心に留めたのは、「聖所で昼も夜も、神に仕えている」とのことば。今はどうなのだろうか? と考えてみました。
 毎日いろいろなことがあり、もっと祈りの時間を取りたいとか、もっとみことばをじっくり学ぶときがあれば…などと思うこともあります。「雑事」が多すぎて「フーッ」という気分の時も。

 そんなふうに考えていたら、「今でも自分は、聖所で昼も夜も神に仕えているのではないか」との思いが沸いてきました。「雑事」だなどということばを使ってしまうこと自体が、これは神に仕えること、これはそうでないことと分けているのだな、と思いました。

  


2011-2024 © Hiroshi Yabuki