創世記 25章19−34節
肌を刺すような空気の冷たい日曜日でした。
ここにはイサクとリベカとの間に双子が生まれたこと、二人が成長したある時の出来事が書いてあります。40歳で結婚したイサクリベカ夫妻が子を生んだのは60歳の時。結婚してすぐに子どもが生まれたのではないことが明記されています。
「イサクは、自分の妻のために主に祈った」という21節のことばが目に留まります。その祈りが答えられたのはずっと後のことでした。双子を宿したリベカは、胎内で胎児がぶつかり合うので主にみこころを求めます。リベカにとって放ってはおけないほど深刻なことだったのでしょう。
何事かが起こったときに主のみこころを求めるリベカの姿勢に学びます。その結果、彼女は胎内の二人に神がどのようなみこころを持っているのかを知るのです。
28節に「イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた」とあります。イサクがエサウを愛する理由は単純です。自分が好むものを獲って来るエサウを好むのです。しかし、リベカがヤコブを愛するのは、胎内にいる時に聞いた神のことばに基づいていたのかもしれません。イサクがエサウを愛するのを見て、リベカはヤコブヘの愛を深めたとも考えられます。
後半には、エサウが食べ物ほしさに長子の権利をヤコブに譲ったとあります。何でもでき、何でも手に入れることのできるエサウにとって、そのようなものは必要がなかったのかもしれません。一方でヤコブは自分にはないものを知恵を用いてエサウから得るのです。それぞれの思いや行動には課題があるのですが、神はそのようなことを用いても、ご自分の計画を進めるのです。